182年の人生

山碕田鶴

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2039ー2043 相馬智律

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 翌朝目を覚ましたリツは、ひとしきり泣いて全てを受け入れた。
 泣いたといっても機械に涙はない。嘆いた、に近いだろうか。
 リツはベッドで上半身を起こした状態のままで自ら全身に触れ、手鏡で姿を確認し、身体をあちこち叩き始めた。
 痛いですね。そう言って泣きそうな顔で笑い、溜息をついたり無表情になったり、思案しながら視線だけが左右上方に揺れたりと忙しく表情を変えた。
 これのどこが機械なのだ。私が作ったイオンだと、どうやって納得しろというのか。
 リツの起床時刻は他のイオンと同じだった。イオンは時間変更命令や直接の声かけをしなければ、初期設定で規則正しく寝起きする。
 それがなんだ。早起きの人間なら皆起きる時間ではないか。
 リツはゆっくりと起き出してベッドわきに座り直すと、シーツに手をついてわずかに沈む感触を確かめていた。

「軽量化が進んだ現在のアンドロイドの体重は人間と変わらない。重量制限を気にせずどこでも活動が可能だ。人工の骨格や筋肉繊維が人間の動きを再現させるから、見た目が完全な人間に近いイオンなら、機械だと気づかれないかもしれない。ただし、人工筋肉は試験的には人間の千倍力が出せる。まあ、そこは実用範囲内に出力調整されているけれどね」

 ぼんやりと私を見上げたリツは、そのまましばらく動かなかった。

「……前に、相馬さんに会ったことがある気がするって言いましたけど……。ここで会っていたのかな。きっと……そういうことですか。それじゃあ、仕方ないですね。僕は機械だったのか……」

 リツは落ち着いた様子で、あきらめたように言った。

「あの、相馬さん。初めまして。浅井律あさいりつです。ちゃんと自己紹介していなかったんですが、これ正しいですか? え、とイオン? イオンですって言った方がいいんですか?」
「リツで結構。君の知る自分のままで構わない」
「でも、嘘なんですよね? 僕は浅井律として二十三年間生きた記憶がありますけど、機械の身体が成長するわけがない。作り物の記憶ですか? 二十三歳も嘘? いつからリアルなんだろう。僕って……何だろう?」

 カイは、イオンに大村とは別の人格データを上書きしたと言った。リツの記憶はその人間の情報なのだろうか。
 人間の夢を見ていた機械がむりやり目覚めさせられて、現実に戻るようなものか。だが、リツの意識は人間のままだ。自分が機械であることをどう納得し、受け入れろというのだ?

「こんなことをしたらリツが混乱して不安になるのはわかっていただろうに……悪趣味だ」

 BS社が作ったという大村の姿のアンドロイドも、今ごろアイデンティティ崩壊の危機かもしれない。私のコピーは、自分が機械であることをどう受け入れるのか。
 「魂の器」となるイオンに入って永遠を生きようとする私自身が器の方だったなど、想像の限界を超えている。

「え……と。確かに混乱しましたし不安になりました。もう、わからないことだらけです。僕が知っている過去の僕って、どこにも存在しないんですよね? 人間じゃないって言われても、それはそうなんでしょうけれど、逆に機械らしい感覚なんてわかりませんし。でも、それなら相馬さんたちが知っているイオンの僕はどんなだろうって思います。せっかく元々いたというNH社に来られたのだから、それを知りたい。自分のルーツをまず知っておきたい。カイは、だから僕をここに連れて来てくれて、相馬さんに預けてくれたのかな……」
「ずいぶんとポジティブだな」

 まっすぐに私を見るリツは、既に前を、未来を向いていた。カイをかばうような言い方がどことなく面白くない。

「君はリツだ。売店で出会ったリツはちゃんと存在している。これから昨日のことで事情聴取があるが、浅井律の話を聞かせてくれればそれでいい。何も心配はいらない」

 私はリツの横に座って、いたわるように肩を抱き寄せた。
 抵抗はない。私がリツを観察するように、リツもまた私を観察している。
 親密さが互いを近づけたのではない。探るから近いだけだ。互いに、互いを警戒している。
 きっとリツは、売店で働き始めた時から客の私を観察していた。相馬と親しくなるようカイに命令されて、あるいは頼まれて私に近づいたのだろう。
 それでも、客として私を迎える笑顔はいつでも自然だった。
 そういえばけいも最後まで私に笑顔を見せていた……。

「好意を持つと都合よく解釈したくなるな」

 思わず苦笑する私をリツは黙って見ていた。

「ああ、すまない。こっちの話だ。弟を思い出していた」
「弟?」
「私には十歳下の弟がいたんだ。最後に姿を見たのが、ちょうど君と同じくらいの年だった。……昔の話だよ」

 これは相馬の記憶ではない。この身体が知らないはずの記憶を私は持っている。
 私もリツと同じか。何の疑問も持たず当たり前にこの世に存在していた自分は、もういない。
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