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御芳にて
ピンクマウス
しおりを挟む「義弟がね・・主人の弟の春ちゃんが、マキノちゃん風邪ひいてたって言うから、見に来たの。・・なんだかリョウちゃんの顔のほうがせっぱつまってるね。」
イズミさんは二児の母の貫禄をもって、笑った。
「水分は摂ってる?これスポーツドリンク。お薬は飲んだ?熱は測った?何度?」
「マキノさん、ごはん食べないんです。」
それまで、どうしていいかわからなかったリョウは、イズミさんが来て安心したのか、返って泣きそうな顔になっていた。
「無理に食べなくてもいいよ。戻したの?じゃあなおさら水分とらないとね。病院は?」
「行ってないです。」
「電話すれば診てくれるところあるかも・・インフルエンザかもしれないし、連れて行ってあげようか?義弟の運転だけど。」
「弟?」
「さっき電話しなかった?」
「ああ・・サツマイモのこと・・。」
「うん、それです。主人も私も今日少し飲んじゃったから。運転手頼んだの。」
「そんな・・。」
「お願いします!」
遠慮しようとするマキノにかぶせて、リョウが叫んだ。
総合病院に電話をしたら診てもらえるという事で、マキノはイズミさんとその義弟さんの佐藤さんに連れられていくことになった。リョウはお留守番だ。イズミさんがてきぱきと指示を出す。
「保険証はある?歩ける?あったかくするのよ。」
「保険証・・持ってます。ふわふわするけど歩けます。」
車に乗り込むと、イズミさんがブランケットを掛けてくれた。ちょっとじっとしていると眠くなってくる。十分ほどで病院に着くと、他にも何人か患者さんがいて、受付をしてから20分程待たされた。座っているのがつらい。横になりたい・・。
ようやく順番が来て、医師は鼻に綿棒のような物を入れて検査をし、喉を見て胸の音などを聞いた。
「インフルエンザは陰性ですね。扁桃腺が腫れてる。胃腸も弱ってるようだから、胃腸薬と抗生剤を3日分出しておくからね。熱が高いときは・・座薬も出しておこうか。連続で使う時は6時間以上、間隔をあけるように。」
はい。はい。と素直にうなずいて、ありがとうございました。と診察を終えた。そういえば喉も痛かったのだ。
病院から帰ってくるとリョウがまた階段を駆け上ってきた。
「どうだった?」
「ただの風邪だよ。インフルは陰性。」
「そう。よかった。」
マキノはそのまま1階のお布団に寝なさいと指示されて、言われた通り横になっていると、イズミさんが、ミルクを出して、ほどよく温めてくれた。
リョウはイズミさんの指示で、パタパタと1階と2階を往復している。
「おくすりを飲むのに、ちょっとだけ何かおなかに入れたほうがいいでしょ。コップに半分でもいいから。」
「ありがとうございます。」
「マキノちゃん一人じゃ心配だけど。リョウちゃんがいてよかったね。」
「・・うん。心強いです。」
「これ自分で飲める?吐き気をおさえるお薬も出てるから、たぶん大丈夫だと思うけど、それでも吐くようだったら、今日はお薬はあきらめて水分だけとっといて。それ飲んだら朝までしっかり寝ててね。」
マキノはミルクと薬を何とか飲みこんだ。イズミさんはそれを確認して、リョウに向かってスポードリンクの2リットルのペットボトルを指さした。
「リョウちゃん。マキノちゃんにしっかり水分を取らせてあげてね。リョウちゃんも水分とって、マスクしといたほうがいいよ。だからって過信しないで、充分あったかくして加湿もしてね。うつらないように気を付けること。あと、自分のことは自分でできる?」
「できます。どうもありがとうございます。」
リョウがいい返事をした。
「ところで、リョウちゃん。」
「はい。」
「ネズミちゃんはどうなったの?」
「う・・。なんとか生きてます。」
予想外の質問にたじろぎながらも、リョウは様子を報告する。
「イズミさんから借りたシリンジは大きすぎたんです。ミルクは使わせてもらってます。」
「あれはねぇ、赤ちゃんすぎるから、むずかしいと思うわ。」
「飲めてるかどうか、わかりません。」
「今日で2日目か・・。リョウちゃん、あのね・・」
「はい?」
イズミさんは何か言おうとしたけれども、そのまま言葉を濁した。
「・・ううん。なんでもない。マキノちゃんのこと、お願いね。頼りにしてるから。」
「・・はい。」
イズミさんが帰ってから、マキノも布団の中からネズミのことをたずねた。
「元気なの?」
「うん。もそもそ動いてる。」
「あと2週間乗りきって、うまく育てられたら、飼ってもいいよ。」
「いいの?」
「ここで助かるのなら、生き残れる子だったのかなって思うから・・。」
「帰る時どうしよう。」
「ここに置いといてもいいよ。」
「ここに?本当に?」
「うん。」
体の不調が思考回路をつなぎ変えたのか、マキノはいつのまにかネズミを飼う覚悟を固めていた。ネズミが生き残れるかどうかはわからないが、リョウには迷いなく精一杯世話をさせてやりたい。
「マキノ・・ありがとう。」
「触るたびに、手は洗うんだよ。」
「わかってるよ・・。」
「じゃあ、もう寝るからね。おやすみ。」
マキノは、また頭まで布団をかぶってしまった。
リョウはいそいそと自分でお風呂の用意をして、マキノが寝ている寝室の隣、ふすまで隔てたいつもの居間に自分の布団を敷いた。ネズミの箱はコタツの横だ。寝る前にもう一度ミルクの世話をして、マキノが買ってきた湯たんぽを入れて、バスタオルをかぶせた。
夜中になってマキノの熱は本格的に高くなり、吐きはしないものの、胃の辺りが重苦しく寝苦しくて、体の辛さと自分のうめき声で。夜中に何度も目が覚めた。
リョウが枕元に置いてくれてあったスポーツドリンクを、目を覚ますたびに少しずつ飲んだ。常温のスポドリは冷たすぎず。弱った体にちょうどよかった。飲んではパタリとまた眠った。
気がついたら8時を過ぎていた。凝り固まっていたような頭痛がやわらぎ、朝方からはぐっすり眠ったようだ。
今日は金曜日。リョウが来てからもう6日目になるのか・・。マキノは、少し残っていた枕元のスポドリを飲み干した。のそのそと這い出てきてトイレまで歩いたが、まだフラフラする。
「マキノおはよう。具合どう?」
「夜中よりは、マシ。」
「あのね、朝ごはん作ったよ。」
「・・リョウが自分で?」
「食パン焼いて、たまごも焼いた。マキノは食べられる?」
「まだいらないよ・・。フラフラするからもうちょっと寝てる。」
もう一度布団の中にもぐりこんで、その中からたずねた。
「それで、ネズミは?」
「生きてるよ。」
昨夜は飼ってもいいと言ったけれども、実はそろそろ危ないのではないのかなと思っていた。正直言って、あなどれない生命力だ。
「リョウもなかなか、がんばるね。」
「あのね。言わないでおこうと思ってたけど、今・・コイツがかわいいって思ってるんだ私。もう少し生きたら、名前も考える」
「そうか。なんで名前つけないんだろと思ってたよ。」
「なんとなくね。」
今まで「かわいい。」と言わなかったのも、名前をつけられなかった気持ちもわかる。
だって、いつ死ぬかわからないモノが、大切なものになってしまったら・・失うのが恐ろしいものだ。・・でも今もう、自分が守ってやらなければ生きていけない無防備で小さな生き物が、リョウの心を捉えてしまっているのだろう。
そのまま目を閉じてウトウトしていると昼前にイズミさんがたずねてきた。
「どう?あれから戻してない?」
「はい。マシになりました。いろいろありがとうございます。」
「おかゆ食べる?リョウちゃんのお弁当もあるよ。」
「うわあ・・ありがとうございます・・。」
リョウとマキノがかわるがわるお礼を言った。
イズミさんは、家で作って来た白いおかゆを、お茶碗によそって、しらすと梅干と一緒に布団の横まで持って来てくれた。本当に病人みたいだなと思いながら布団の上で正座をし、湯気の上がるおかゆをお箸で少しずつ流し込んだ。わずかに塩気を感じる素朴なおかゆだ。じんわりとのどを通っておなかのあたりが温かくなってきた。
「おいしいです・・昨日より味が分かるようになりました。」
「よかったね。・・明日の朝市は、お休みでしょ?」
「はい、もう今日は仕込みをする余力もないから、休みでいいかなと思います。」
「そうね。」
イズミさんと二人で話していると、リョウが横から口を開いた。
「昨日焼いてたパウンドケーキは?私が売ってきてもいいの?」
「リョウが売るの?いいけど。じゃあ、ラッピングを教えてあげる。」
「起きなくてもいいよ。」
「すっかり病人扱いだな。リョウがやり方を覚えたらまた寝るよ。」
イズミさんは、二人のやりとりを見ていて安心したように言った。
「落ち着いたようでよかった。春ちゃんも心配してたのよ。」
「春ちゃん・・・あっ。そうか。すみません。昨日、弟さんからの電話を途中で・・なんだったっけ。サツマイモ掘りだ。」
「そうそれ。また電話するって言ってた。今日は休養する日だから電話しちゃダメって言っておいたから、明日以後にかかると思うけど、しっかりこき使うといいと思うわ。」
「え~。そうですか?ふふ。わかりました。」
マキノは、宣言通り朝市の仕込みもやめて、リョウにパウンドケーキの包み方を伝授して、あとは一日中ゴロゴロウトウトと居眠りしたりテレビを見たりしていた。 リョウも、ほぼマキノと同様に過ごしたが、3時間ごとのネズミの世話はかかさなかった。
夕ご飯の時間には、そろそろ起きることもできたが、胃の疲れを考慮して、あっさりと雑炊を炊くことにした。リョウには物足りないだろうと思ったので,鮭を焼いて、野菜炒めを追加。台所に立っている時、自分用に作りかけていた出汁の利いた雑炊をリョウも食べたがったので、少し量を多めに作った。お味噌汁の代わりでいいかもしれない。
リョウは、お箸で雑炊をすすりながらマキノに話しかけた。
「マキノはもう大丈夫?」
「うん。復活はちかい。」
「・・マキノは強いね。」
「これだけ弱ってるのに?」
「そういう意味じゃないよ。」
「ふうん。じゃあどういう意味?」
「んーと・・えーと・・体が弱ってる時でも・・なんか頑張ってた。」
言葉はたどたどしかったが、伝えたいところはわかる気がした。
だけど、たぶんそれは間違ってる。
「リョウからそう見えたのなら光栄だけど、わたしの本質はもっと弱っちいよ。」
「そうかな・・・」
「でも、リョウがいるから、ちょっと強がりをしてたかもしんない。」
「そっか。」
マキノがへへへと笑ったので、リョウもつられて、へへと笑った。
・・本当にいつもギリギリ。もう疲れたなぁって感じると、やってることを全部やめて、何もかも放り出して逃げたくなる。でもいろいろ考えて踏みとどまる。
今回は、リョウのお世話も頑張らなくちゃと、かろうじて意識をつないでた。
ずっと張りつめているのなんて無理だ。緊張の糸は時々ゆるむけど、ゆるんだ糸をもう一度締めて、やり直そうと思えるかどうか。その境界線は、いつもギリギリのところなの。
「さて、今日はちょっとお風呂に入りたいな。」
マキノは立ち上がったが、はたと止まってしばらく考えたあとリョウのほうを向いた。
「今日もお茶碗洗ってくれないかな?」
「いいよ。」
リョウからは、よい返事が返ってきた。
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