マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos

文字の大きさ
58 / 67
春樹視点(2)

君の休める場所は?

しおりを挟む
 自分が一段落食事を終えて、子ども達の輪に入って遊ぼうとした頃に、噂のマキノちゃんがやってきた。玄関のベルが鳴ると、「マキノちゃんだ!」と寛菜が顔を輝かせて、出迎えに走って行った。アイツめ、オレの時は見向きもしなかったのに・・。

子ども達は一緒に芋ほりに行ったから知っているのか、それ以外でも会っていたのかな?子ども達とマキノちゃんが想像以上に馴染んでいることに少し感心する。
そして、急なお誘いだったというのに、マキノちゃんは、子ども達にお土産をちゃんと用意してきたようだ。パーティー用のおもちゃのブルドッグだ。自分はそちらの輪にいたので、子どもと一緒に遊び始めた。

彼女が席に着くと、敏ちゃんと仁美さんとイズミさんが取り囲んで、カフェの話に花を咲かせている。少々食べにくそうだ。自分は子ども達の相手をしながら、ところどころ女性陣のおしゃべりに意識をとばす。
今日は、彼女は早朝から十二時間労働だったのかぁ・・。ケーキ屋のバイトだからクリスマスイブぐらいはハードでも仕方ないかとは思うが。聞けば、改装は十日ほど前に完成していて、保健所からの営業許可も下りているらしい。クリスマスイブまで働き続けたのは、世話になったケーキ屋に義理を返したという事のようだ。

カフェのスタッフには、おばちゃん達がイズミさんを推薦したとか言っていたが、オレもいい人選だと思うな。子どもに手がかからなくなってきてタイミングもよかったし、イズミさんは器用で、お料理も好きで、気も効くし、やさしい・・。
今日集まっている3人のママさんは、随分マキノちゃんに期待をしているようで、すっかり自分たちもスタッフになるつもりで話をしていた。
・・突然の話で返事に困ってるんじゃないかなぁ。二人の性格がわかっているだけに、「気を遣う必要はないよ」とつい口を挟みたくなってくる。


「あのね。看板になりそうな板をもらってあるんだ。」
それまで存在感を消していた兄貴が、不意に看板のことを言いはじめた。
きれいな桧の板を、一枚買ってきてあると言っていた。
マキノちゃんは、兄貴にお店の名前を聞かれて、『カフェ・ル・ルポ』という名前を口にした。ずっと前に決めてあったようなのに、何度もカフェメニューの練習をしていたイズミさんにも黙っていたらしい。

マキノちゃんは、その名前の意味と由来や、ずっと夢として考えてきたこと、やりたいと思っていること、カフェのコンセプトを、その場にいた皆に問われるままに、話し始めた。
 
ルポ=ひとやすみという意味だと、マキノちゃんは言った。
ふとしたときに、疲れを感じたり、悩みを抱えたり、進めなくなった時に、すこしだけホッ・・とひとやすみできる場所を提供したい。そんな意味なのだと。
お料理は本格的に学んだわけではないが、自分が一生懸命作ったものを、人に食べてもらいたいと思うのだと。。

だから、自然の豊かな田舎がいいと思ってここへ来たのか・・ということに思い当たった。環境のいいところで癒される。そういう場所が必要だったのだ。

彼女が何か言うたびに、自分の中にふつふつと小さな問いが生まれる。
ヒトヤスミって言ったって・・、すべての人が心を開いてくれるのかどうか。
まあ、・・仮にカフェに来た人が、ここに来ると癒されると言ってくれたとしよう。
そうなれば、たくさんのありがとうや、たくさんのごちそうさまを、マキノちゃんは返してもらえるだろう。それが彼女にとっての成功でもあり、彼女自身の幸せにもなるのだろうとも思う。
しかし、それで、ずっと、人を休ませるために仕事をして・・。
本人はどうなんだい?
マキノちゃん自身の休息は?
それだけで、ずっとやりがい感じてやっていけるのか?

・・いや、彼女ならきっとできる。
いいお店になるだろう。
そう思えるのに、素晴らしい夢だと思うのに、自分は、そのまま簡単に「頑張れ。」と言うことができない。

ママ友さん達3人は何の疑問も感じないようで嬉しそうに楽しそうにいいねいいねと言いあっている。それが普通の感覚なんだろう。
自分の今の感情がどうもよくわからなかった。
自分が何を言ったって、何も言わなくなって、彼女にとってはどうでもいい事だろうとは思う。
・・思うけど。

君は、疲れないのかい?
君には、休めるところはあるのかい?
君が、人に提供したいと思っている物は、そのまま君自身も、誰かから受け取るべきものじゃないのかい?
どうしてオレが、こんな風に思うのか。
こんなこと、口にはできない。おこがましいにもほどがある。
まだ始まってもいないのに、ひとり頑張りすぎて疲れを貯めるんじゃないかなんて、こんな縁起でもない事は、今、とても言えない。
今、胸の中にむくむくと湧いてきたこんな考えを、春樹は、パーティーがお開きになるまで表に出さないように、胸の中に押し込めていた。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇


終業式から二日、子ども達のいない学校に仕事のため通っている。年内の仕事は、今日と明日の二日間で終わり。自分の仕事もほぼ片付いて、あとはもう一度教室と自分の机の回りを整理すればOKと思っていたら、校長が何を思ったのか、図工室のかたづけをすると言うので、それにつきあうことになってしまった。古い机とイスを処分する気になったらしい。

図工の教室には何年か前に新しい机とイスが入って、古いものはその時に大半を処分したのだ。
校長は古いものに愛着があったのか、まだ使えるから・・と、数組残して、図工準備室に保管してあった。以来数年の月日を経て、使い道もなければ場所をとって邪魔なのだと、ようやく納得できたのか、それに見切りをつける気になったらしい。
自分が小学校の頃に通っていた古い校舎で使っていたものだと思う。絵の具や版画のインクの油っぽい匂いがする図工室だった。
古い小さめの木製の机とイスだ。絵の具で汚れて、彫刻刀で傷がついて、木工ボンドのこぼれた跡まである。足の高さが合わなくてカタカタ落ち着かないのは、長年の使用のせいで少しずつ狂ったのだろうか。イスは、背もたれのない、スツールのような低いイスだ。
いざ捨てるとなると少しかわいそうになり、何かに使えないか・・と考えをめぐらせる。鉢植えや、苔玉などの植物を飾れば相性がよさそうだ。絵や、写真、コラージュなどを飾ってもいいな。渋い陶器や骨董を置いてもいい。焼き菓子や、パンなんかも・・。
マキノちゃんのカフェを思い浮かべた。

使ってもらえるかどうかもわからないが、校長に許可をもらって、一組持って帰ることにした。校長は一組と言わずにもっと持って帰ってくれと言った。
・・・たぶん、そんなにいらないと思うなぁ。

その日の夜、マキノちゃんから、2日後食事会をしますので・・と、イズミさんを通じてお誘いがあった。食事会の夜は、兄貴の家族と5人でイズミさんのワゴン車をオレが運転して、マキノちゃんの店まで行った。
先日のパーティーの時に変に意識してしまってから、必要最低限の言葉しか出てこない。
おしゃべりはイズミさんに任せて、自分は子ども達の横に座った。
マキノちゃんの手作りの食事は、とても豪華だった。何種類もある少量ずつの前菜や、自分が名前も知らない野菜やハーブを使っていたり、メインディッシュだけでなく、ちょっとした付け合せも全部自分で作ったらしい。素人が作ったとは思えない。彩りもきれいで凝っていた。素直にすごいな・・と感心した。プロ並と言えるのではないか。
オレから見ると十分できているように見えるのに、「学んだり修行をしたりしてないから、ノウハウが積めてない。」とマキノちゃんは自嘲気味に言った。・・今まで行き詰ったり、迷ったりしながら、自信を持とうと努力しきたんだろうか・・。

慣れない事を勧めてゆくには、強い気持ちが必要だろう。
都会からこんな田舎の不便なところに越してきて、一人ですべてを背負ってる。そんなマキノちゃんが、この町で生活の歯車を回せるようになるまで、何かの形で、彼女の力になりたい・・。兄貴みたいに、看板を作ったり、イズミさんや、歳ちゃん仁美さんのようにように、スタッフとして手伝ったりはできないが、オレだって、近くにいることはできる。一人の客としてでもいいし、話し相手でもいい。応援するぐらいはできるだろ?
はぁ・・そろそろ観念しようかな。
不器用だと思うが、彼女が気になって仕方ない自分を、認めるしかなさそうだ。



その翌日には、年内最後の朝市があった。
マキノちゃんがいれば、声をかけようと思い、いつもの広場へと向かった。
その日は、彼女は何も出品はしていなかったが、買い物に来たらしく、この地域の年末ならではの食材や正月用品が出ているのを珍しそうに眺めていた。ひとつ小さく深呼吸をしてから、後ろから話しかけた。
「マキノちゃん。」
マキノちゃんが、おどろいたようにくるりと振り返って、笑顔を見せた。
「こんにちは!」
「昨日はごちそうさま。本当においしかったよ。」
「いえいえ・・」
 食事会の礼を言うと、マキノちゃんは急にもじもじと恥ずかしそうにした。照れている様子が、可愛い。
 ごちそうになったお礼というわけではないが、とりあえず、先日の図工室の掃除をしたときに取っておいた木製の机とイスが要らないかを尋ねた。
「もしかして、タダ?」
 あたりまえじゃないか・・あんなぼろっちいの‥と思いながら、店まで運んでおくことと、来年はお店を頑張ってねと告げて、その場を離れた。
 ふう・・。と一つ肩で息をした。
意識の底に、よこしまな期待があるからか、かすかに緊張している自分がおかしかった。
一度自宅に戻ると、すぐに学校から持って帰ってあった木製の机をマキノちゃんの店に運んだ。
マキノちゃんはまだ、帰って来ていなかった。



年末は適当に自宅の掃除をして、車とバイクもいつもより丁寧に洗った。あとは兄貴の家で餅つきの手伝いをしたぐらいで、他は普段と同じように過ごした。
母のいた頃、年始のお祝いは、実家であるオレが今住んでいる家の居間に、兄貴の家族も集まってきておせちを食べることになっていた。
最近は兄貴の家にオレが出向いて一緒に年始を祝う。
元旦の朝、いつもよりも朝はゆっくりして、十時頃に年末に用意してあった酒をぶら下げて歩いていくと、兄夫婦合作のおせち料理のお重がずらりと並んでいて、オレの分もあたりまえのように、祝箸や席がちゃんと用意されていた。
「おめでとう。」
「春ちゃん、おめでとう。」
「春ちゃん!春ちゃん!おめでとぅ。」
挨拶をかわし、早速子ども達にはお年玉を渡す。
正月のお祝いのしるしだと言って一応お屠蘇の杯は出して真似事だけはしたが、せっかく酒を持って来たのに開けるのは夕食にしようとイズミさんが言い出した。この後すぐに車で初詣に行くので兄貴にも飲んじゃダメと厳しい事を言っている。新年なのに。
自分が言われたわけではないが、一人だけで飲むのもつまらないので皆に合わせた。夕食もまた呼んでくれるし、その時一緒に開けるといいだろう。
おせちとお雑煮をいただいて、子ども達としばらく遊んだあと、イズミさんから声がかかった。
「春ちゃんも初詣に行く?御芳神宮。」
「うーん・・。」
「家でゆっくりしとく?うちで遊んでてもいいよ?夕方までに帰って来るから。」
イズミさんは、ここ2~3年オレが初詣に行くことを拒んだのを覚えていて、無理には誘ってこない。子どもが小さいうちは子守係りの数が多い方がいいかと思い、ついて行ったりもしていたが、地元の神社はそれほど混まないし子供も成長してもう大丈夫。境内に出ている出店にも、神社仏閣の形式的な事にも、実のところ全く興味がなかった。
誘われたので今年はついていってもいいけど・・と少し逡巡したあと、やはり結局は、気が乗らなかった。
「うん・・いや、一度家に戻るよ。」
「じゃあ、夕ご飯の頃にまた来てね。」
「わかった。ありがとう。」
イズミさんは、断りの返事を気にもせず、出かける用意を始めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』

本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」 かつて、私は信じていた。 優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な── そんな普通のお兄ちゃんを。 でも── 中学卒業の春、 帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、 私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった! 家では「戦利品だー!」と絶叫し、 年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、 さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!? ……ちがう。 こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない! たとえ、世界中がオタクを称えたって、 私は、絶対に── お兄ちゃんを“元に戻して”みせる! これは、 ブラコン妹と 中二病オタク姫が、 一人の「兄」をめぐって 全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──! そしていつしか、 誰も予想できなかった 本当の「大好き」のカタチを探す、 壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...