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[起]転承乱結Λ
10話 領主様が改心した?
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トールに言わせれば、夢を見始めてから一週間ほどが経過している。
ほとんどの時間を自らの居室と執務室で過ごしていた。
ニューロデバイスの使い方を思い出して以来、寝食も忘れて何かを調べているのだ。
傍目に見れば、自領の危機に直面して、改心した領主の姿と映ったかもしれない。
以前のトールならば、昼過ぎに目覚めて遅い朝食を取り、メイドに各種セクハラを敢行した後、飽きればどこかへ出掛けてしまう。戻ってくるのは常に深夜だったのだ。
屋敷の使用人の間でも、領主の行状が改善された事は大きな話題の一つだった。
新生トールのお気に入りと目されているマリなどは、良く同僚から質問責めにあっている。
――やっぱり、おっぱいは触られてるでしょ?
少しばかり真面目になっても、セクハラ癖は抜けないだろうと疑ったのかもしれない。
同僚は、マリの豊満な胸元を見ながら不躾な質問をした。
明確な意図に基づき、メイドの制服はバストが強調される仕様となっているのだ。
だが、マリは首を横に振った。
執務室や居室に呼び出され二人きりになる事も多いが、常に膨大な質問を受けているだけだ。
トールは質問する相手と内容を絞っていた。
ロベニカには領内事情を聴き、セバスにはベルニク家の歴史を尋ね、マリには日常的な事柄を質問した。
非常に熱心な生徒であり、自然と答える側も真剣になる。
――ふぅん。ホントかなぁ。でもジロジロは見るんじゃない?
少し迷ったが、マリは嘘が嫌いだった。
――ジロジロじゃない。
――え?
――チラチラ。
マリがそう答えると、同僚は少し呆れた表情を浮かべた後クスリと笑った。
ともあれ、大きく信頼が回復した訳ではないが、概ねマシになったというのが家中の評価である。
一方で、ロベニカの評価はまた異なる。
トールの症状は、主治医の診察によれば、突発性健忘症であった。
つまるところ、原因不明の物忘れ――と同義であろう。
日常の茶飯事から、女神ラムダの教義、そして領内事情に至るまで何もかもを忘れていた。
――だって、書かれてなかったんです。
二言目には意味不明な言い訳を聞かされる。
そのくせ、タウ・セティ星系を領土の一部とするオソロセア領邦や、艦隊運用などについては妙に詳しかったりするのだ。
今回の話も、彼のまだら模様になった記憶の錯誤が生み出しているのかもしれない。
「航宙管理局ですか?」
「はい。そこに遠航路保全課という部署があります」
実際にはトールの記憶の錯誤ではなく、単にニューロデバイスを使いERPネットワークで調べただけの事であった。
「とりあえず部門長の身元を至急洗って頂いて、大丈夫そうなら今日の深夜に二人で訪問しましょう」
「構いませんが――予め言っておかないと深夜では局に入れませんし、何より本人が帰宅しているはずです」
「局には行きませんよ」
「――え?」
「自宅訪問です。極秘事項ですから」
その後、トールの要件を聞いたロベニカは、ますます上司の正気を疑い始めている。
◇
「ここが大聖堂」
マリと連れだって、トールは屋敷の敷地にある大聖堂を訪れていた。
女神ラムダを祀る場所で、掛布の向こうで瞳を閉じた女神像が訪問者を見下ろしている。
会議室同様に、下腹部や手首から先は壁の中だ。
――巨乳な女神様だよなぁ。ロベニカさんとマリさんより大きいぞ……。
不埒な事を考えながら女神像を見上げるトールだったが、口から出たのは穏当な意見だった。
「綺麗ですね」
女神像の前に演壇がある。
入口から演壇に至る道には紋様の入った絨毯が敷かれていた。
それを挟むようにして、多数の椅子が立ち並んでいるのだ。
トールは椅子や床の様子を調べ回っている。
「奥には告解室もある」
「こくかい――ああ罪の告白ですね」
各聖堂には司祭が常駐し、日中は告解室で人々から罪の告白を聞くのだ。
女神と司祭だけが人々の罪を知り、そして赦す――。
「それにしても広いですね。あ、だから大聖堂なのか」
大聖堂など見慣れたマリからすると、トールは好奇心旺盛な少年にも見えた。
何にでも興味を示し、笑い、驚き、なおかつ貪欲に知識を吸収しようとする。
そのせいだろうか。
必要以上に話さない事を心掛けてきたマリも、少しばかり饒舌になってしまう。
「みんなが集まるから」
「え、みんなって?」
「屋敷の全員が、ここに集まる」
「――あっ、礼拝か!」
月例礼拝と呼ばれていた。
女神ラムダに祈りを捧げ、司祭の聖話をこの場所に集って聴くのだ。
屋敷の主人から使用人に至るまで、全員が一堂に会す特別な日でもあった。
この礼拝は、全てのオビタルにとっての責務である。
「そういえば、そんな風習もあったな――」
オビタルにとって神聖な習慣を忘れるなど信じ難い話であるが、特にマリは気にしなかった。
彼女は女神ラムダへの信仰心はあるが、教会に対して秘かに思うところはある。
勿論、それを口外する事は決して許されない。
女神ラムダの神聖機関たる教会は、絶大な権力、富、そして軍事力を有している。
疑問を抱いた者は異端の烙印を押され、悲惨な末路を迎えるのだ。
彼女はそれを良く知っている。
なぜなら――、
「いやはや、面倒臭いですね。教会って」
「え――?」
思わず、マリは身を固くする。
誰かに聞かれていないかと辺りをうかがった。
幸いにして、この時間に屋敷の大聖堂を訪れる者はいない。
「トール様」
使用人として、少し離れて立つようにしていたマリであったが、触れるほどの距離に近付いた。
さらに、非礼にあたるとは承知しつつ、トールの腕を掴んで引き寄せる。
「あ、あの、マリさん?」
「ダメ」
「す、すみません。少しばかりエッチな事も考えて――」
「それはいい」
こんな時でも、緊張感のない主人が少し面白くはあった。
「教会の悪口は言っちゃダメ」
「――はあ?」
「面倒だとか――危ない」
ようやく、トールにも合点がいったらしい。
――確かに、教会って怖かったよなぁ。
――異端審問とかもあったし……。
「そ、そういえば、そうですね。気を付けますね。すみません」
マリはトールの瞳を覗き込んでから、ようやく手を離した。
「私も――非礼にあたる」
腕を擦るトールを見て、マリは頭を下げた。
「ん?いや、いいんです。役得と言いますか何と言いますか――」
――ふぅ、凄くマリさんのおっぱいを感じたぞ!
――これが、噂に聞くラッキースケベというやつだな。
トールは、内心の考えがマリにバレているとは考えていない。
だが、彼女にはエロスレーダーがあるのだ。
透けて見える主人の内心に気付き、マリは何だか可笑しくなってしまった。
そして、非礼ついでに思い切ったお願いをしようと考える。
「あの」
これから言う事が、いかに不自然であるかは理解していた。
使用人風情が、主人に対して言って良い発言ではない。
「敬語は止めて。私も出来ないから」
でも、新生トール・ベルニクなら?
この奇妙だが憎めない男であれば、あるいは受け入れてくれるのではないか。
「――はい?」
「名前も呼び捨てにして」
マリ自身も、なぜそれを自身が望んでいるのか、正しくは分からない。
それが自然だからかもしれないし、あるいはもっと別な感情のせいかもしれなかった。
だが、伝えずにはいられなかったのだ。
「なるほど、おあいこ理論ですね」
マリには良く分からない理論だった。
実のところ、トールも適当に言っただけなのだろう。
ともあれ、彼は少し照れくさそうにして口を開いた。
「分かったよ――マリ」
◇
――夜。
マリが屋敷の大広間で後片付けをしていると、通路から慌ただしい声が聞こえる。
「早く行きましょう!ロベニカさん」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ユリウス氏は家で大人しく待ってますから」
「彼は待ってくれても、艦隊戦は待ってくれません」
「はあ、何の事やら……。それはそうとトール様」
「ん、どうしました?」
「――靴を履かれていないようですが」
「ああ、しまった。癖で――」
騒がしい二人の声が、徐々に遠ざかって行く。
マリは少し楽しい気持ちになると同時に、ロベニカを羨ましく思う自分に気付いた。
ほとんどの時間を自らの居室と執務室で過ごしていた。
ニューロデバイスの使い方を思い出して以来、寝食も忘れて何かを調べているのだ。
傍目に見れば、自領の危機に直面して、改心した領主の姿と映ったかもしれない。
以前のトールならば、昼過ぎに目覚めて遅い朝食を取り、メイドに各種セクハラを敢行した後、飽きればどこかへ出掛けてしまう。戻ってくるのは常に深夜だったのだ。
屋敷の使用人の間でも、領主の行状が改善された事は大きな話題の一つだった。
新生トールのお気に入りと目されているマリなどは、良く同僚から質問責めにあっている。
――やっぱり、おっぱいは触られてるでしょ?
少しばかり真面目になっても、セクハラ癖は抜けないだろうと疑ったのかもしれない。
同僚は、マリの豊満な胸元を見ながら不躾な質問をした。
明確な意図に基づき、メイドの制服はバストが強調される仕様となっているのだ。
だが、マリは首を横に振った。
執務室や居室に呼び出され二人きりになる事も多いが、常に膨大な質問を受けているだけだ。
トールは質問する相手と内容を絞っていた。
ロベニカには領内事情を聴き、セバスにはベルニク家の歴史を尋ね、マリには日常的な事柄を質問した。
非常に熱心な生徒であり、自然と答える側も真剣になる。
――ふぅん。ホントかなぁ。でもジロジロは見るんじゃない?
少し迷ったが、マリは嘘が嫌いだった。
――ジロジロじゃない。
――え?
――チラチラ。
マリがそう答えると、同僚は少し呆れた表情を浮かべた後クスリと笑った。
ともあれ、大きく信頼が回復した訳ではないが、概ねマシになったというのが家中の評価である。
一方で、ロベニカの評価はまた異なる。
トールの症状は、主治医の診察によれば、突発性健忘症であった。
つまるところ、原因不明の物忘れ――と同義であろう。
日常の茶飯事から、女神ラムダの教義、そして領内事情に至るまで何もかもを忘れていた。
――だって、書かれてなかったんです。
二言目には意味不明な言い訳を聞かされる。
そのくせ、タウ・セティ星系を領土の一部とするオソロセア領邦や、艦隊運用などについては妙に詳しかったりするのだ。
今回の話も、彼のまだら模様になった記憶の錯誤が生み出しているのかもしれない。
「航宙管理局ですか?」
「はい。そこに遠航路保全課という部署があります」
実際にはトールの記憶の錯誤ではなく、単にニューロデバイスを使いERPネットワークで調べただけの事であった。
「とりあえず部門長の身元を至急洗って頂いて、大丈夫そうなら今日の深夜に二人で訪問しましょう」
「構いませんが――予め言っておかないと深夜では局に入れませんし、何より本人が帰宅しているはずです」
「局には行きませんよ」
「――え?」
「自宅訪問です。極秘事項ですから」
その後、トールの要件を聞いたロベニカは、ますます上司の正気を疑い始めている。
◇
「ここが大聖堂」
マリと連れだって、トールは屋敷の敷地にある大聖堂を訪れていた。
女神ラムダを祀る場所で、掛布の向こうで瞳を閉じた女神像が訪問者を見下ろしている。
会議室同様に、下腹部や手首から先は壁の中だ。
――巨乳な女神様だよなぁ。ロベニカさんとマリさんより大きいぞ……。
不埒な事を考えながら女神像を見上げるトールだったが、口から出たのは穏当な意見だった。
「綺麗ですね」
女神像の前に演壇がある。
入口から演壇に至る道には紋様の入った絨毯が敷かれていた。
それを挟むようにして、多数の椅子が立ち並んでいるのだ。
トールは椅子や床の様子を調べ回っている。
「奥には告解室もある」
「こくかい――ああ罪の告白ですね」
各聖堂には司祭が常駐し、日中は告解室で人々から罪の告白を聞くのだ。
女神と司祭だけが人々の罪を知り、そして赦す――。
「それにしても広いですね。あ、だから大聖堂なのか」
大聖堂など見慣れたマリからすると、トールは好奇心旺盛な少年にも見えた。
何にでも興味を示し、笑い、驚き、なおかつ貪欲に知識を吸収しようとする。
そのせいだろうか。
必要以上に話さない事を心掛けてきたマリも、少しばかり饒舌になってしまう。
「みんなが集まるから」
「え、みんなって?」
「屋敷の全員が、ここに集まる」
「――あっ、礼拝か!」
月例礼拝と呼ばれていた。
女神ラムダに祈りを捧げ、司祭の聖話をこの場所に集って聴くのだ。
屋敷の主人から使用人に至るまで、全員が一堂に会す特別な日でもあった。
この礼拝は、全てのオビタルにとっての責務である。
「そういえば、そんな風習もあったな――」
オビタルにとって神聖な習慣を忘れるなど信じ難い話であるが、特にマリは気にしなかった。
彼女は女神ラムダへの信仰心はあるが、教会に対して秘かに思うところはある。
勿論、それを口外する事は決して許されない。
女神ラムダの神聖機関たる教会は、絶大な権力、富、そして軍事力を有している。
疑問を抱いた者は異端の烙印を押され、悲惨な末路を迎えるのだ。
彼女はそれを良く知っている。
なぜなら――、
「いやはや、面倒臭いですね。教会って」
「え――?」
思わず、マリは身を固くする。
誰かに聞かれていないかと辺りをうかがった。
幸いにして、この時間に屋敷の大聖堂を訪れる者はいない。
「トール様」
使用人として、少し離れて立つようにしていたマリであったが、触れるほどの距離に近付いた。
さらに、非礼にあたるとは承知しつつ、トールの腕を掴んで引き寄せる。
「あ、あの、マリさん?」
「ダメ」
「す、すみません。少しばかりエッチな事も考えて――」
「それはいい」
こんな時でも、緊張感のない主人が少し面白くはあった。
「教会の悪口は言っちゃダメ」
「――はあ?」
「面倒だとか――危ない」
ようやく、トールにも合点がいったらしい。
――確かに、教会って怖かったよなぁ。
――異端審問とかもあったし……。
「そ、そういえば、そうですね。気を付けますね。すみません」
マリはトールの瞳を覗き込んでから、ようやく手を離した。
「私も――非礼にあたる」
腕を擦るトールを見て、マリは頭を下げた。
「ん?いや、いいんです。役得と言いますか何と言いますか――」
――ふぅ、凄くマリさんのおっぱいを感じたぞ!
――これが、噂に聞くラッキースケベというやつだな。
トールは、内心の考えがマリにバレているとは考えていない。
だが、彼女にはエロスレーダーがあるのだ。
透けて見える主人の内心に気付き、マリは何だか可笑しくなってしまった。
そして、非礼ついでに思い切ったお願いをしようと考える。
「あの」
これから言う事が、いかに不自然であるかは理解していた。
使用人風情が、主人に対して言って良い発言ではない。
「敬語は止めて。私も出来ないから」
でも、新生トール・ベルニクなら?
この奇妙だが憎めない男であれば、あるいは受け入れてくれるのではないか。
「――はい?」
「名前も呼び捨てにして」
マリ自身も、なぜそれを自身が望んでいるのか、正しくは分からない。
それが自然だからかもしれないし、あるいはもっと別な感情のせいかもしれなかった。
だが、伝えずにはいられなかったのだ。
「なるほど、おあいこ理論ですね」
マリには良く分からない理論だった。
実のところ、トールも適当に言っただけなのだろう。
ともあれ、彼は少し照れくさそうにして口を開いた。
「分かったよ――マリ」
◇
――夜。
マリが屋敷の大広間で後片付けをしていると、通路から慌ただしい声が聞こえる。
「早く行きましょう!ロベニカさん」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ユリウス氏は家で大人しく待ってますから」
「彼は待ってくれても、艦隊戦は待ってくれません」
「はあ、何の事やら……。それはそうとトール様」
「ん、どうしました?」
「――靴を履かれていないようですが」
「ああ、しまった。癖で――」
騒がしい二人の声が、徐々に遠ざかって行く。
マリは少し楽しい気持ちになると同時に、ロベニカを羨ましく思う自分に気付いた。
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