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起[転]承乱結Λ
11話 俗物――否、悪漢につき。
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厳重に警備された門扉を通されると、庭園のような敷地が拡がっている。
奥には、白い瀟洒な邸宅が見えた。
邸宅前のロータリーで車が停まり、トールとロベニカは連れ立って降りる。
「豪邸――ですね」
車を降りたロベニカは、少しばかりの呆れ顔で呟いた。
帝都のハイエリアに、これほどの邸宅を構えるには、枢機卿として教会から支給される報酬では足りないはずである。
枢機卿とは、その権威に比べれば、驚くほど実入りの少ない立場なのだ。
――さすがは、俗物と言われるだけのことはあるわね……。
――こんな奴に会う意味なんてあるのかしら?
出迎えの使用人もいない為、正直な気持ちが表情に表れていた。
ロベニカの倫理観からすれば、凡そ尊敬に値する人物では無いのだろう。
「領主の家も大きいですよ」
対抗心を燃やしたわけではなく、単なる事実を述べたまでである。
トールとしては、もう少しコンパクトに出来ないかと検討もしたのだが、雇用を維持するという側面があるため考え直していた。
「統治機構を兼ねるんですから当然です」
領主の屋敷とは異なり、目の前にそびえる大邸宅は、アレクサンデル枢機卿の単なる私邸である。
基本的に枢機卿は、聖都アヴィニョンに居を構え、教皇宮殿にて聖務を執り行う教皇を補佐する役目を担う。
彼らは俗事に感心を持たず、専ら宗教活動にその身を捧げていた。
帝都に私邸を構える枢機卿など、帝国史でも稀な事例である。
「いやあ、一体どうやって――」
「トール様」
案内をする使用人が来る頃だと考え、ロベニカは口元に人差し指を当てて余計な会話を遮った。
その矢先に、眼前にある大きな二枚扉が開く。
「あ――」
思わずロベニカは、小さく声を漏らした。
戸口に立っていたのが使用人ではなく、緋色の聖職者服を身に纏った巨漢であったからだ。
つまり、アレクサンデル枢機卿その人である。
「よく来た。歓迎しよう」
二人を迎えたのは、バリトンの良く効いた声音であった。
◇
暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬――。
かつての原始宗教において、これらは七つの罪源とされた。
ラムダ聖教会では、「虚栄」を追加した八つの枢要罪として再定義されている。
「怠惰以外、全ての罪源を兼ね備えておるのが、我――アレクサンデル・バレンシアである」
男は堂々と告げ、傍にあるサイドテーブルに置かれた皿から、多数の菓子類を鷲掴みにすると、大きな口の中に放り込んだ。
贅肉で覆われた巨大な体躯が貪る様は、まさに罪源を具現化した姿である。
好色、多淫としても知られ、人妻や商売女による手記が発表された際には、大きな騒動となって教皇庁は対応に追われた。
それでいて、枢機卿の地位を失わずに済んでいるのは、手段を選ばぬ政治力だけでなく、聖骸布艦隊という強大な軍事力の裏付けを持つ為だろう。
若かりし時代、聖兵士官として多数の武勲を立て、聖骸布艦隊総長――つまりは、総司令官にまで上り詰めている。
退官後も艦隊への影響力を維持し、枢機卿となって以降は、私兵の如く扱えるだけの権力を得ていた。
本人が述べた通り、怠惰では成し得ぬ経歴である。
単なる俗物ではないのだ。
「――ゆえにこそ、子羊達の気持ちに寄り添える。話してみよ」
豪奢な部屋の様子を見回していたトールの肘をロベニカが突いた。
アレクサンデルと対面するソファに、二人並んで座っているのである。
トールは、幾分か名残惜しそうに周囲の観察を止め前を向いた。
案内されたのは客間ではなく、恐らくは書斎なのだろう。
書架には、多数の書物が並んでいる。
自身の執務室にもある装飾用の書籍であるのか、あるいは秘密の地下室と同じく本物であるのか――多大なる興味を抱き見回していたのだ。
「はい、猊下。ありがとうございます」
素直な様子で、トールは頭を下げた。
「ええと、この度、お時間を頂戴しましたのは――」
テルミナが大司教を締め上げ、この機会を得たのである。
また、教理局という難敵から逃れるには、どうあってもこの悪漢の力添えが必要であった。
ゆえに、迂遠な言い回しは避けて、トール・ベルニクは勝負に出る。
「――猊下には、教皇選に勝って頂こうと思いまして」
◇
アレクサンデルは、菓子皿に伸ばしかけていた手を止めた。
眼を細め、値踏みするかのようにトールを見据える。
特段の気負いはなく、トールはそのまま見つめ返した。
これこそが、アレクサンデルにとっての急所と確信していたからである。
――教皇選は、レオ枢機卿が勝つんだよね。
女帝を含めた諸侯が、二十三名。
大司教は、三十六名。
これらを合わせた五十九名の投票で、次期教皇が決まる。
――「巨乳戦記」だと、ボクと女帝が死んでいるから、五十七人だったけど……。
――惜しくも一票差で、アレクサンデル枢機卿は負ける。
当然ながら事前の票読みは、アレクサンデルとて行なっている。
だが、彼が安心できる結果でなかったのは事実であった。
諸侯の多くは、悪漢アレクサンデルを支持している。
何も、聖骸布艦隊による砲艦外交の成果という訳ではなく、原理主義的傾向のある聖レオを、世俗の支配者達は忌避したのだ。
他方、大司教からの支持は、レオ枢機卿の独壇場であった。
ベルニク領邦を巡回区とする大司教のような不逞の輩は、聖職者としては少数派なのである。
――同じ票差になるとするなら、女帝が死に、ボクが投じる事で同数にはなる。
残り一票をどうにかすれば良いのだ。
――票の内訳までは書かれていなかったのが残念だけど、レオ枢機卿に間違いなく投じる諸侯は分かる。
脳裏に描くその人物は、トールの憧れる英雄であった。
聖レオの盟友とも言われる宰相エヴァン・グリフィス公爵である。
――動乱期にあって、二人は仲違いするんだけどね。
――あまりに危険な教皇だったからなぁ。
――やはり、彼が教皇になるのは、ベルニク領邦にとっても望ましくない……。
トールとしては、教理局の差配を頼む思いと同時に、検討の結果、アレクサンデルが勝った方が良いとの結論を出していたのである。
原理主義的正義漢より現実的悪漢の方がマシであろう、との判断であった。
「実は――かねてより思っていたのだがな、トール殿」
暫く逡巡した後、ようやくアレクサンデルは口を開いた。
「貴方の情報源は何れなのだ?」
ベルニク領邦を巡回区とする大司教から詳細な報告を受けている。
悪漢アレクサンデルは、周囲には明かしていない自身の理念に基づき、オソロセアと組んでグノーシス異端船団国との国交正常化を推し進めようとしている。
利害調整の結果として、辺境領邦など、オソロセアに呉れてやる予定であった。
その目論見は、目の前にいる呑気そうな若者によって潰されている。
おまけに、秘事を教皇にばらすなどと、配下の大司教は脅しあげられたのだ。
今回の謁見に応じた理由は、警戒心もさることながら、単純な好奇心も多分にあった。
「その問いに、正直に答える人間を、猊下は信じられますか?」
「ふむん――信じられぬな」
――ここはボクの夢かもしれないけど、大好きなWEB小説と同じ世界なんですッ!
――なんて答えた時の表情も見てみたいけど……。
ロベニカの手前もあり、さすがに面白半分の行動は控えた。
隣に座る彼女の緊張感が、微かに触れる腕を通して伝わって来るからだ。
「その代わりと言っては何ですが――信じて頂く方法は有るはずです」
「はっ」
大きく息を吐いたアレクサンデルは、今回の謁見で最も楽し気な様子を見せる。
「取引か。そちらの希望は――まあ、赤子でも分かるな」
「ええ」
帝都に存する教皇庁は、ラムダ聖教会の行政機関である。
かつては、聖都アヴィニョンに在ったが、紆余曲折を経て帝都に移されたのだ。
異端審問送りを判断する教理局は、教皇庁に属する組織である。
そして、帝都にて教皇庁を厳然と支配しているのが、アレクサンデル・バレンシアなのであった。
「とはいえ、アレは忌み子でな。我でもなかなか思い通りには動かせぬ」
教理局と天秤衆は、聖レオの強い影響下にある。
彼らは、信仰という堅牢な手綱で、結びついているのだ。
「教理局の召喚日はいつとなる?」
「三日後です」
「真に時が無いな。在俗司祭に仕立てるには時が足りぬ」
在俗司祭とは、ようは修道院の外で暮らす司祭であり、多くは聖堂付司祭となるが、世俗の生業でいる事も可能である。
ともあれ、名ばかりでも司祭となると、易々とは異端審問送りにはならない。
特種な嗜好でも無ければ、誰しも自らの身体に鞭など打たないだろう。
「となれば、道は一つだけとなる」
そう言うと、アレクサンデルは悪漢に相応しい笑みを浮かべる。
「安んじて、異端審問を受けよ」
ロベニカの口から、小さな悲鳴が漏れた。
奥には、白い瀟洒な邸宅が見えた。
邸宅前のロータリーで車が停まり、トールとロベニカは連れ立って降りる。
「豪邸――ですね」
車を降りたロベニカは、少しばかりの呆れ顔で呟いた。
帝都のハイエリアに、これほどの邸宅を構えるには、枢機卿として教会から支給される報酬では足りないはずである。
枢機卿とは、その権威に比べれば、驚くほど実入りの少ない立場なのだ。
――さすがは、俗物と言われるだけのことはあるわね……。
――こんな奴に会う意味なんてあるのかしら?
出迎えの使用人もいない為、正直な気持ちが表情に表れていた。
ロベニカの倫理観からすれば、凡そ尊敬に値する人物では無いのだろう。
「領主の家も大きいですよ」
対抗心を燃やしたわけではなく、単なる事実を述べたまでである。
トールとしては、もう少しコンパクトに出来ないかと検討もしたのだが、雇用を維持するという側面があるため考え直していた。
「統治機構を兼ねるんですから当然です」
領主の屋敷とは異なり、目の前にそびえる大邸宅は、アレクサンデル枢機卿の単なる私邸である。
基本的に枢機卿は、聖都アヴィニョンに居を構え、教皇宮殿にて聖務を執り行う教皇を補佐する役目を担う。
彼らは俗事に感心を持たず、専ら宗教活動にその身を捧げていた。
帝都に私邸を構える枢機卿など、帝国史でも稀な事例である。
「いやあ、一体どうやって――」
「トール様」
案内をする使用人が来る頃だと考え、ロベニカは口元に人差し指を当てて余計な会話を遮った。
その矢先に、眼前にある大きな二枚扉が開く。
「あ――」
思わずロベニカは、小さく声を漏らした。
戸口に立っていたのが使用人ではなく、緋色の聖職者服を身に纏った巨漢であったからだ。
つまり、アレクサンデル枢機卿その人である。
「よく来た。歓迎しよう」
二人を迎えたのは、バリトンの良く効いた声音であった。
◇
暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬――。
かつての原始宗教において、これらは七つの罪源とされた。
ラムダ聖教会では、「虚栄」を追加した八つの枢要罪として再定義されている。
「怠惰以外、全ての罪源を兼ね備えておるのが、我――アレクサンデル・バレンシアである」
男は堂々と告げ、傍にあるサイドテーブルに置かれた皿から、多数の菓子類を鷲掴みにすると、大きな口の中に放り込んだ。
贅肉で覆われた巨大な体躯が貪る様は、まさに罪源を具現化した姿である。
好色、多淫としても知られ、人妻や商売女による手記が発表された際には、大きな騒動となって教皇庁は対応に追われた。
それでいて、枢機卿の地位を失わずに済んでいるのは、手段を選ばぬ政治力だけでなく、聖骸布艦隊という強大な軍事力の裏付けを持つ為だろう。
若かりし時代、聖兵士官として多数の武勲を立て、聖骸布艦隊総長――つまりは、総司令官にまで上り詰めている。
退官後も艦隊への影響力を維持し、枢機卿となって以降は、私兵の如く扱えるだけの権力を得ていた。
本人が述べた通り、怠惰では成し得ぬ経歴である。
単なる俗物ではないのだ。
「――ゆえにこそ、子羊達の気持ちに寄り添える。話してみよ」
豪奢な部屋の様子を見回していたトールの肘をロベニカが突いた。
アレクサンデルと対面するソファに、二人並んで座っているのである。
トールは、幾分か名残惜しそうに周囲の観察を止め前を向いた。
案内されたのは客間ではなく、恐らくは書斎なのだろう。
書架には、多数の書物が並んでいる。
自身の執務室にもある装飾用の書籍であるのか、あるいは秘密の地下室と同じく本物であるのか――多大なる興味を抱き見回していたのだ。
「はい、猊下。ありがとうございます」
素直な様子で、トールは頭を下げた。
「ええと、この度、お時間を頂戴しましたのは――」
テルミナが大司教を締め上げ、この機会を得たのである。
また、教理局という難敵から逃れるには、どうあってもこの悪漢の力添えが必要であった。
ゆえに、迂遠な言い回しは避けて、トール・ベルニクは勝負に出る。
「――猊下には、教皇選に勝って頂こうと思いまして」
◇
アレクサンデルは、菓子皿に伸ばしかけていた手を止めた。
眼を細め、値踏みするかのようにトールを見据える。
特段の気負いはなく、トールはそのまま見つめ返した。
これこそが、アレクサンデルにとっての急所と確信していたからである。
――教皇選は、レオ枢機卿が勝つんだよね。
女帝を含めた諸侯が、二十三名。
大司教は、三十六名。
これらを合わせた五十九名の投票で、次期教皇が決まる。
――「巨乳戦記」だと、ボクと女帝が死んでいるから、五十七人だったけど……。
――惜しくも一票差で、アレクサンデル枢機卿は負ける。
当然ながら事前の票読みは、アレクサンデルとて行なっている。
だが、彼が安心できる結果でなかったのは事実であった。
諸侯の多くは、悪漢アレクサンデルを支持している。
何も、聖骸布艦隊による砲艦外交の成果という訳ではなく、原理主義的傾向のある聖レオを、世俗の支配者達は忌避したのだ。
他方、大司教からの支持は、レオ枢機卿の独壇場であった。
ベルニク領邦を巡回区とする大司教のような不逞の輩は、聖職者としては少数派なのである。
――同じ票差になるとするなら、女帝が死に、ボクが投じる事で同数にはなる。
残り一票をどうにかすれば良いのだ。
――票の内訳までは書かれていなかったのが残念だけど、レオ枢機卿に間違いなく投じる諸侯は分かる。
脳裏に描くその人物は、トールの憧れる英雄であった。
聖レオの盟友とも言われる宰相エヴァン・グリフィス公爵である。
――動乱期にあって、二人は仲違いするんだけどね。
――あまりに危険な教皇だったからなぁ。
――やはり、彼が教皇になるのは、ベルニク領邦にとっても望ましくない……。
トールとしては、教理局の差配を頼む思いと同時に、検討の結果、アレクサンデルが勝った方が良いとの結論を出していたのである。
原理主義的正義漢より現実的悪漢の方がマシであろう、との判断であった。
「実は――かねてより思っていたのだがな、トール殿」
暫く逡巡した後、ようやくアレクサンデルは口を開いた。
「貴方の情報源は何れなのだ?」
ベルニク領邦を巡回区とする大司教から詳細な報告を受けている。
悪漢アレクサンデルは、周囲には明かしていない自身の理念に基づき、オソロセアと組んでグノーシス異端船団国との国交正常化を推し進めようとしている。
利害調整の結果として、辺境領邦など、オソロセアに呉れてやる予定であった。
その目論見は、目の前にいる呑気そうな若者によって潰されている。
おまけに、秘事を教皇にばらすなどと、配下の大司教は脅しあげられたのだ。
今回の謁見に応じた理由は、警戒心もさることながら、単純な好奇心も多分にあった。
「その問いに、正直に答える人間を、猊下は信じられますか?」
「ふむん――信じられぬな」
――ここはボクの夢かもしれないけど、大好きなWEB小説と同じ世界なんですッ!
――なんて答えた時の表情も見てみたいけど……。
ロベニカの手前もあり、さすがに面白半分の行動は控えた。
隣に座る彼女の緊張感が、微かに触れる腕を通して伝わって来るからだ。
「その代わりと言っては何ですが――信じて頂く方法は有るはずです」
「はっ」
大きく息を吐いたアレクサンデルは、今回の謁見で最も楽し気な様子を見せる。
「取引か。そちらの希望は――まあ、赤子でも分かるな」
「ええ」
帝都に存する教皇庁は、ラムダ聖教会の行政機関である。
かつては、聖都アヴィニョンに在ったが、紆余曲折を経て帝都に移されたのだ。
異端審問送りを判断する教理局は、教皇庁に属する組織である。
そして、帝都にて教皇庁を厳然と支配しているのが、アレクサンデル・バレンシアなのであった。
「とはいえ、アレは忌み子でな。我でもなかなか思い通りには動かせぬ」
教理局と天秤衆は、聖レオの強い影響下にある。
彼らは、信仰という堅牢な手綱で、結びついているのだ。
「教理局の召喚日はいつとなる?」
「三日後です」
「真に時が無いな。在俗司祭に仕立てるには時が足りぬ」
在俗司祭とは、ようは修道院の外で暮らす司祭であり、多くは聖堂付司祭となるが、世俗の生業でいる事も可能である。
ともあれ、名ばかりでも司祭となると、易々とは異端審問送りにはならない。
特種な嗜好でも無ければ、誰しも自らの身体に鞭など打たないだろう。
「となれば、道は一つだけとなる」
そう言うと、アレクサンデルは悪漢に相応しい笑みを浮かべる。
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