教科書の残骸と革命の灯

ドンキル

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教科書の残骸と革命の灯

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「何か起きねえかなぁ」
 いつも読んでいる漫画の疾走感に満ち溢れた世界と、退屈と平穏の坩堝と化した現実との格差に俺は辟易としていた。
 俺は閉塞感の漂う教室の窓際、前から二番目の机に両手を乗せ、頬杖を突きながら黒板を見つめていた。
教師の呪詛みたいな授業をBGMのように聞き流す。マジで、つまんねえ世界。
 「ほら、よく漫画とかであるじゃん。授業中に突然ナイフを持った侵入者が乱入!みたいな」
 俺は、誰にでもなく小さく独り言つ。
 隣の女子がちらりと一瞬だけこちらを見やる。俺と目が合うと、その女子は咄嗟に目を逸らした。
俺は、その情けない姿をじっと睨み続けた。
 
「神様、もしも俺の声が届くんならよ、何でもいい、胸が高鳴るような非日常をくれよ」 
もう何度目になるか分からない、俺の退屈の終焉に向けた祈りは儚く散る。所詮、神なんていねえってことだ。
 勿論、分かってるよ、俺だって。この世界が漫画やアニメとは全くの別物だって。
 魔術師も居なければ、特殊能力を携えて生を受ける奇蹟の子だっていねえんだ。
 少子高齢化に地球温暖化。現実感を幾重にも塗りたくった、現実があるだけさ。
 何層剥いでも、どれだけ深く掘っても異世界には通じてなんかない。魔法は使えない。
手から銃弾は弾き出されないんだ。
 ただ与えられた日常をタスクとしてこなして、人並みの幸せを享受するのが、このつまらない現実のクエストなんだろ?
 自然とため息が漏れる。よく、溜息をすると幸せが逃げるなんて言うが、もしそれが事実なら、もう俺には毛ほどの幸せも残ってやいないさ。
 「はい。今日の授業はここまでね。明日は二次関数についてやるから。教科書忘れるなよ。特に広川」
 教師が俺の名前を呼ぶ。冷笑を浮かべたクラスメイトが、くすくす笑う声が耳につく。
 「クソ野郎が」
 吐き捨てるようにそう言うと、教師は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべて教室を後にした。弱えくせに。俺は吐き捨てた。
まだ何人かの生徒が俺に、憐みとも嘲りともとれる表情を向けている。
俺は、そんな奴らには目もくれず、一人教室を後にした。俺が教室を出ると、チャイムが鳴り響いた。ちょうど頭の上で甲高い音をまき散らすスピーカーに強く舌打ちをした。

 俺が向かったのは、教室の一つ上、四階の隅。屋上へと続く小さな階段だ。生徒は立ち入り禁止になっているその場所が、俺の、俺らの秘密基地だった。
 「遅いじゃねえか」
 恭介が口元に笑みを浮かべながら言った。
 「ばかやろ。おめえが早すぎんだよ。」
 俺はニヒルな笑みを浮かべてそう返した。
 「授業またバックレたのか」 
 「あ?授業?」
 そういうと、恭介は足元に置いていた鞄の中に手を突っ込んだ。紫色の、キーホルダーなんて一つもついてない質素な鞄だ。
 見ろ、と促された俺は、恭介の鞄の中を覗き込む。
 アルミ製の水筒、マルボロのタバコにライター。フォールディングナイフ。手榴弾を模した筆箱。その下を梱包材のように埋め尽くすカラフルな紙屑。
 「何だよ、この紙屑の山」
 「教科書の残骸」
 恭介はそう言うと、進入禁止と書かれたプラスチック製の立て板を蹴り飛ばした。
 コトン。と乾いた音が階段に僅かに反響する。恭介はそのまま屋上へと続く鉄製の扉に手を掛けると、ズボンのポケットからジャラジャラと物々しい鍵束を取り出した。
 フッっ、俺は笑みを零す。こいつ、遂にパクりやがった。
 恭介は慣れた手つきで指に入れて鍵束を回した。鍵の擦れ合う甲高い音が俺を苛立たせる。
「やめろ、その音」
「っつたく、つれないねぇ」
恭介はそう言うと、ピタリと鍵束を回す手を止める。
仰々しい仕草で、閉じていた右手を開くと、そこには銀色に鈍く光る小さな鍵が乗っていた。
 「何事も形からさ。演出が大事なんだ。人の心を惹き付けて離さない。ほら、こんな風にね」
 恭介はそう言うと、先ほどまで鍵を握りしめていた右手をヒラヒラとさせ、小さく右ポケットと呟いた。
 俺は、何も言わずにズボンの右ポケットに手を入れた。そこには銀色の鍵が静かに佇んでいた。


 「見ろよ、ヒロ。」
 そう言って恭介は手を大きく広げた。雲一つない晴天と、開放感のある屋上。四方を取り囲むように配置された柵は錆び、最早置物同然だ。
 俺は柵に向かって歩き出した。20メートルはあるだろうか、落ちればきっと死ねるだろう。死んだら、そこで人生はお終いか?
 「おい、校庭見てみろよ恭介。人がごみのようだぜ」俺は笑った。笑いが止まらなかった。
 「ははっ。実際ゴミに違いねえだろ」
 そういって恭介も笑った。誰も俺らを縛らない。俺らだけの世界がここにはあった。
 恭介は再び鞄の中に手を突っ込むと、教科書の残骸、カラフルな紙屑を右手一杯に掴み、校庭に向かって投げつけた。
 太陽の光を浴びて、ミラーボールのようにキラキラと輝く紙屑が時間をかけて空を舞う。
 「教科書ってのは、本来こう使うんじゃねえのか」
 恭介は無残にも撒き散らされた、中空を舞う教科書の残骸を見て、そう言った。
 「ばかかよ」
 俺はそう言って、校庭に唾を吐きかけた。
 
 「なあ、恭介。人生って一度きりか」
 「そんなわけねえさ。チャンスは無限大だ。一度死ねば、またこことは違う場所で生まれ変わるのさ。全くの別人としてな」
 恭介は鼻を鳴らした。校庭のカラスが一斉に羽ばたいた。黒い羽根と、カラフルな紙屑が空中で混ざり合う。勿体ねえ。と俺は思う。
 「ヒロ、想像してみろよ。最早お前じゃなくなったお前をよ。新たな自分はお前でありながら、もうお前の原型を保っちゃいないんだ。そこには絶対的な壁があるんだよ。決して超えることが出来ない、な」
 「俺じゃなくなった俺、か。どうやってそれが俺だって証明すんだよ」
 「知らねえよ」
 恭介はぶっきらぼうにそう言った。
 「知らねえのかよ」
 俺は笑った。カラスの黒い羽根と、カラフルな紙屑はもう地面の上で動かなくなっていた。もう二度と輝かない儚い生。あいつらもどこかできっと生まれ変わる。勿体ねえ、と俺は思った。


「ほら、あのサッカーのゴールネット前に立っている短髪の奴いるだろ」
 俺がそう言うと、恭介はどれだ、と呟いて目を細める。俺らの頭上を低空飛行の飛行機が飛んでいく。
俺が、後ろに立って、あいつだよあいつ!と指で示すと、ようやく恭介にも伝わったようだ。
 「あいつだよ。今日の授業の最後、俺の事笑いやがったんだよ。クソの分際でよ」
 「ケッ。そんな奴にはよ」
 恭介はそう言うと、怪しげな笑みを浮かべて言葉を切った。涼しげな風が俺らの間をすり抜ける。飛行機はもう米粒のように小さくなっていた。
 俺らは顔を合わせて、呟いた。
 「成敗が必要だよな」
 恭介は指を頭上に高く持ち上げた。徐々にその指が、空に曲線を描くように、目の高さまで下りてゆく。
 狙撃銃のように標準を、サッカーゴール前の短髪の男に合わせた恭介は、一思いに叫んだ。
 「ドオン!」 
 「ドオンッッツ!!!!」
 轟音が耳朶を打った。あまりの爆音に意識が飛びそうになる。煙が視界を遮る。
 あたりを満たす火薬の匂い。薬莢が地面に垂直に落下し、甲高い音が響く。 
 「は?ど、どういうことだよこれ」
 恭介が驚愕に見開かれた眼を俺に向ける。
その表情には恐怖、そして不安が見て取れた。
 「わかんねえ。一体どうなってんだ」
 俺は何とか言葉を絞り出した。足の震えが止まらない。クソ、どうなってやがる。
 これまで経験したことの無いほどの爆音と、暴力性を孕んだ火薬の匂い。現実感の無い圧倒的な出来事に頭の理解が追い付かない。
 その時、階下で足音が聞こえた。凄まじい速さでこちらに向かってくるのが分かる。一人、二人、いやもっといるかもしれない。
 「恭介、教師が来る!逃げるぞ!」 
 俺は無意識のうちに叫んでいた。未だに震えの止まらない両足を叱咤し、腰を抜かしたまま動く気配の無い恭介を抱き上げる。
 「恭介!しっかりしろ!とりあえず、逃げねえと!」
 何が起こったのかは分からない。あまりの衝撃に未だ脳は機能を停止している。しかし、脳内は逃げることで満たされていた。なぜ逃げる?俺にも分からない。きっと先祖代々脈々と受け継がれてきた生存本能が、「逃げろ!」と信号を発している。
 「ヒロ、、、何がどうなってやがんだよ」
 恭介が俺に抱えられたまま呟く。唇は青ざめ、瞳孔が驚愕に見開かれている。
 「今は分からねえ、分からねえことだらけだけど、とりあえず逃げろ。逃げねえといけねえんだ」
 俺はそう言うと、依然として呆けた顔をしている恭介の頬を叩いた。
 「目ぇ覚ませ!俺らしかいねえんだ。俺らしか今はいねえんだよ。いつまで呆けた顔してやがんだ、とっとと自分の足で立ちやがれ」
 すると恭介はハッっと我に返ったように、俺から離れると次第に焦点を取り戻した目で、
辺りを見渡した。
 「悪い、ヒロ。俺は…。いや、それは後だ。この音は、近いな。もう教師共はすぐそこだ」
 恭介が次の言葉を継ごうとしたその刹那、屋上のドアに人影が四つ程現れるのが見えた。
 恭介を引きずって、俺らは屋上の柵の付近まで到達していた。
 「おい!お前ら、そこで何をした!今の爆音はなんだ」 
 教師が叫びながらこちらに向かってくる。
 時間が無い。このままでは捕まってしまう。
 ―恭介!
 俺は力の限り叫んだ。恭介も真っすぐな笑みをこちらに向けていた。
 やるしかない。無言のうちに俺らの心は一つになった。
 「おい!何をする気だお前ら」
 教師の声が、どこか朧げに耳をつく。どこか遠い世界の出来事のように俺らを俯瞰で捉える俺がいる。やめろ、と叫ぶ俺がいる。
やれ、と笑う俺がいる。お前は、これを望んでたんじゃないのか。
 逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ。
 頭の中を反芻する短絡的な思考をその時だけは、心地よく感じた。
 俺と恭介は柵の外の僅かな縁に足を掛けて、校庭を見下ろす。
 「なあ、恭介」
 俺は息を吐いた。風が最高に気持ちいい。きっと俺はこんな瞬間を、全てをぶっ壊す瞬間を待っていたに違いない。
 「人がごみのようだな」 
「だから、人はゴミだっつったろ」
 そう言って恭介は笑った。俺もつられて笑い返す。
 恭介は大仰にゆったりとした動作で、左のポケットに手を突っ込む。カラフルな教科書の残骸を撒き散らす。俺らの足元から感嘆の声が上がる。
 「何事も形からさ、演出が大事なんだ」
 恭介がそう言った。 
物珍しげに俺らを見上げる者。スマホを向け、喜々とした表情を浮かべる者。
必死の形相でこちらに迫ってきているであろう教師の顔。やめろ!と叫ぶ数学の教師。
 マジでつまんねえ世界だ。
 俺はそう呟くと、屋上の僅かな縁から足を離した。 
 恭介も俺の隣で空を切っている。
 校庭のサッカーゴールの手前で、血を流しながら横たわる短髪の男を見て、俺は笑った。
 一体、どうなってやがんだ。
 その言葉を最後に俺と恭介は地面に吸い寄せられるようにして、死んだ。
 
いや、違うな。新しい自分になるんだ。俺じゃない俺に。
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