リスの森

犬束

文字の大きさ
1 / 4

1.

しおりを挟む
 

 もうずいぶん永いあいだ、ぼくは独りぼっちでさまよい歩いていました。騒がしい都会にうんざりして、石と砂の荒地へ突きすすむと、灼けつく太陽は、北風にもまれる雪原へ向かわせました。明るくのびやかな海でさえ、ぼくの心をみたしてはくれません。
 いつもお腹を空かして疲れはて、夜はさびしく泣き寝入りましたが、放浪の生活をやめようとはおもいませんでした。




 あのひとに出逢ったのは、空がすっかり濃い青いろに染められ、星もまたたきはじめたころのこと。安全なねぐらを求めてうろついていた、森の中のことでした。
 はしばみのむこうで、そのひとは焚き火にかけた鍋を、木の玉杓子でかきまわしたり、香辛料をとりに行って、網焼きの肉にまぶしたり、いそがしく働いていました。
 たいそう古めかしい絹のドレスを着ており、純白ではありませんでしたが、ごくうすいクリームいろの布地だったので、ぼくはてっきり、かどわかされた花嫁にちがいないと、胸をときめかせました。けれども、そのひとのようすは、大柄なせいか、どこかしら違和感がありました。
 屋根と、壁と、床のない家に住んでいるらしく、つまり、すこしばかりひらけた草地に家具をならべているので、まるでお芝居の舞台を見るようでした。
 上手かみてには金箔のはがれた天蓋つきのベッド、化粧台も箪笥もワードローブも、みんな壊れかけた骨董品で、下手しもてには食器棚と石造りのかまど、中央の樅の木に立派な角をはやした鹿の頭の剥製を飾り、その下に置いたソファは、深緑いろの擦りきれたビロードが貼られていました。ややはなれた小川のむこう岸には、どこにも通じない、鉄製の黒いらせん階段がそびえていました。




 ぼくは、そのひとに声をかけようと歩みより、ようやく違和感の正体を知ったのです。驚くほどのことではないのですが、そのひとは引き締まったからだをした美しい男性で、ドレスを身につけているからといって、女みたいな所作などしませんでしたし、婦人用の古風な衣装はむしろ、いっそう魅力を際立たせていました。
 ぼくは、なるたけていねいな口調であいさつをしてから、じぶんは旅の途中で、この野兎と交換に(ぼくはパチンコで狩をするのが得意なのです)、あなたのスープと、迷惑でなければ、ひと晩だけでも泊めていただけませんかと、たのみました。

 するとあのひとは、うっとりするくらい素敵な微笑みをうかべ、おまえがいたいだけ留まればいい、というのです。すぐに焚き火のそばへぼくをすわらせ、アラベスク模様の黄いろい深皿にヒヨコ豆のスープをそそぐと、松毬まつぼっくりの彫刻をほどこした銀のスプンをそえてさしだし、おなじく銀の大皿に田舎風パテとジャガイモのピューレ、網のうえでカリカリに焼けたベーコンや臓物やニンニクを盛りつけました。足もとのバスケットには胡桃入りパンと、ふわふわのブリオッシュがたくさんはいっています。赤と白の葡萄酒もありました。




 あまりのごちそうにびっくりして、お礼のことばももつれてしまったのに、旅人をもてなすのは当然のことだといいながら、あのひとはナイフで兎の頸の血管を切り、若木の枝に逆さに吊りました。仕事を終えてぼくのとなりに腰をおろすと、よく肥えたいい兎だと褒め、腹に詰め物をして白葡萄酒で煮るか、丸焼きにするか、どんな料理が好きかをたずね、食事に手をつけずに大人しくまっていたぼくのことも、よく躾られたいい子だと褒めてくれました。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...