行商ギター

吉野楢雄

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行商ギター

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 僕がそのバイトを始めたのは、県立大学の二回生のころだ。
 軽トラに5,6本のアコースティックギターを乗せて、県南部の山間部に行商する仕事だ。
 雇い主は市内の楽器店で、ギターの行商なんて成立するのかと思ったが、10年以上続く、楽器店のちょっとした副業らしかった。
 僕は音楽の心得がなかったので、面接のときに相談したが、運転技術のほうが先方には気になるようだった。
「一年以上、セダンを駆っていますが無事故無違反です」
「そりゃあ安心だ」
 無事採用になった。
 ギターは8千円から3万円ほどのもので、比較的安価なものらしかった。
 初期投資にと、8千円のギターを教則本と併せ買って、部屋でポロポロと練習を始めた。
 新しい生活の始まりに、胸が躍った。

 定まった駐車場所が5か所あって、巡回販売する。
「えー、ギター、ギター、ギターの巡回販売に参りました。ご興味のお方はいつもの空き地にお集いください」
 そんなテープを流し、所定の空き地に車を停めると、実際客が付くのであった。
 大方が若者で、多くが8千円のギターを買っていった。
 軽トラに乗せているのは見本なので、一割の手付を貰って翌週に新品を引き渡す。
 若者たちは一様に明るい表情でギターを持ち帰った。
 たまに中年客もあって、2,3万のギターを奮発してくれた。
「続くだろうか?」
「心持ち一つですよ」
 たまに客前で、練習したギター曲を披露した。上手でもないんだろうが、音が伝わればいいんだろう、それを聴いて買ってくれる客もあった。

 仕事から帰って、同居している妹に仕事の土産話をすると、妹は、
「楽しそうな仕事ね、今度私も連れて行って」と笑った。
 同じ大学の一年生の妹とは、この春から下宿で二人暮らしをしている。
 大学は実家からそう離れていないが、通学が面倒くさいのと、親の目を離れて自由に過ごしたいという思いから、僕は大学合格直後から、両親と談判をしていた。
 結局一年生が終わるまでは実家暮らしを続け、二回生に上がる頃に、妹が同じ大学に合格したので、二人で暮らすなら構わないということになった。
 両親はファミリー向けのちょっとしたマンションを不動産屋と契約し、春から妹と同居生活を始めることになった。
 妹はそう美人でもないが、そう悪くもない外見をしている。同級生には、あの子はかわいいという奴もいたが、お世辞半分だったろう。
 親友の上山もそんなことを言うので僕は、クラスメートのしーちゃんのほうがずっと美人だろうと答えたのだった。しーちゃんは僕たちのクラスメートので、かなりの美人だ。
 僕の大学では、文学部には女の子が多いが、法学部には少なくて、大いに嘆くものだったが、しーちゃんは別格だった。上山は、あの子はいいと目を付けているのだった。
「しーちゃんはきっと、お前のものになるさ」と僕。
「いい男、ちょくちょくいるからな、うちのクラスにも」と上山。
 確かに大男もいるし、美青年もおり、スポーツ万能の男もいるのだった。
「それに、クラスメートと付き合うとも限らないさ」
「そりゃそうだが」
 生協でコーヒーを飲みながらそんな軽い話をし、そうして別れた。

「アルバイト始めたのね、恵から聞いたわよ。良かったわね、良さそうな仕事で」
「給料はそんなにだけど」
「そんなことどうだっていいじゃない」
 母から電話がかかってきた。恵が通報したらしかった。
「お母さんも一本買うわよ、一番高いの」
「そんな必要ないよ」
 行商はうまくいっていた。接客次第でお客さんは、楽器店の音楽教室に通い始めてくれたり、別の楽器を楽器店で買ってくれたりするんだと上司は話していた。
 君の対応は上々だ、お客さんの評判がいい、就職が決まらないことがあったらうちの楽器店に来て欲しい、いやうちになんかもったいないんだけどと上司は話し、そんなことありませんと打ち消した。そうして就職が決まらないなんていうことはあるのだろうかと考えた。
 今のところ、景気が良くておおかたの大学生は、無事就職を決めている。僕も地元の地銀あたりに入ろうと考えていた。上山は野心家で、東京の会社に就職すると息巻いている。他の学生はどう考えているかは知らなかったが、OBの就職先を見れば、おおかた地元のメーカーに納まっていた。
「就職の話だけどさ」電話の母に振った。
「そんなのまだ先の話じゃない」
「どんなところに行ってほしい?」僕は尋ねた。
「どうでもいいわよ。食べていってくれるなら」
「特に希望はないんだね?」
「ないわ」
 母は答え、じゃあ授業もアルバイトも頑張ってと言って電話を切った。
 恵は大学から帰って、多分自室にいるのだろう。鉄筋コンクリートのこのマンションでは、あまり動向がうかがえないのだった。
“母親に報告しやがった”そんなことを考えながら、ラジオを聴きながらビールを空け、そのうち風呂に入って寝た。

しーちゃんは、いつも男たちに取り囲まれていた。授業のごとの教室の移動で、おおかた同じ授業を選択しているクラスメートの男たちが、しーちゃん他、数少ない女子学生と、ぞろぞろ行列を作る悪弊があるのだった。
僕はそれを嫌い、加わらないようにしていた。上山も同様で、僕が、
「お前、しーちゃんの取り巻きに加わらなくていいのか?」
「ありゃあいいんだ」
「接触が減るぞ」
「しーちゃんもあれは嫌っているが、言い出せなくているらしい」
 上山は答えた。
「デートに誘わないのか?、車なら貸すぞ」
「行くなら生協でレンタカーを借りるさ。事故をするとややこしいからな」
 几帳面なのだった。
「俺は一向にかまわないが」
「とにかく、しーちゃんは、可及的に俺が手に入れる」
「かわいい子供が生まれるだろう」
「お世辞を言うな」
上山は、なかなかの美男子なのであった。
「サークルはどうなんだ?」
 上山は、しーちゃん目当てで同じテニスサークルに入ったのだった。
「どうかな。下手くそが多い」
「お前みたいな経験者は少ないんだろう」
「体育会に入ればよかった」
「それじゃあ意味ないだろう」
「そりゃそうだ」
 上山は、面白くもなさそうに笑い、
「とにかく俺は、しーちゃんを連れて東京に出るよ」
「そりゃあ、いいことだ」
「お前はどうなんだ」
「俺は地銀狙いだ」
「つまらんことをいうな」
「それで十分なんだ」
 高校生活で、地頭の、そうは良くないことを痛感したので、就職でも高望みしないつもりだった。
「それくらいのほうが、いい人生を送れる」
「つまらんことをいうな」
 上山は繰り返した。上山は、入学式で答辞を読んだので、本人は言わないがトップ入学したのだろう。出身高校も、僕より一回りレベルが上だ。
「とにかく、お前はお前で女を捕まえろ」
「それはそうするつもりだ」
「そのバイト先の楽器店に、いい女はいないのか?」
「今のところ」
「独身を長引かせるのは罪悪だ。お互い早く所帯を持とう」
「ああ」
 そうして、生協の食堂で別れて家路に就いた。

 恵はアルバイトをしない。
「ちょっとくらい働いたらどうだ?」
「お兄ちゃんの洗い物をしているのは誰だと思っているのよ?」
 恵が怒る。
「あとお風呂も毎日洗っているわ。あと洗濯も」
「それはそうだな。すまなかった」
 同居先のマンションのリビングで、恵の入れたコーヒーを飲む。どこで覚えたか、割に本格的なもので、生協のコーヒーより格段にうまい。
「今度、バイト先から寸志が出るんだ。何か買ってやる」
「何もいらないわ。お兄ちゃん好きに使って」
 二人とも、実家から多めの仕送りを受けている。
「まあ、お任せで、何か買ってくるよ」
「安いものにして」
「そういうな」
 熊のぬいぐるみでも買ってやろうかと思っていたが、女子大生には子供じみているだろうか。コーヒーのカップくらいにしようかと思った。
 そのうち恵が洗い物に立ち、僕も部屋に帰ってビールの缶を開けた。
 上山とは酒を飲まない。いつも生協の食堂でコーヒーを飲んでいる。聞いている限りでは飲めないわけではないらしいが、あまり好まないらしかった。まじめな上山らしかった。大学の単位もずいぶん済ませたらしい。
“一度強引に酒を勧めてみようか”
 そんなことを考え、打ち消した。そうして上山が、無事しーちゃんを手に入れて、東京で新居を構えることを願った。

 バイト先の楽器店の受付に、果奈ちゃんという女の子が入ってきた。近くの看護学校の学生だ。僕が行商に出る県南部の山間部の出身で、僕とは話が合った。
「ギターの行商、知っていた?」
「知ってましたよ。同級生が買ってました」
「君は興味がない?」
「私はウクレレを弾くんです」
 客がいないときに、店で弾いてみせてくれた。僕のギターとは一日の長があった。
「うまいね。僕にも今度教えて」
「機会があれば」かわされた。
 家に帰り、ビールを飲み、そうして夕食で恵にいきさつを報告したあと、風呂に入って寝た。

一年が過ぎ、三年生になった。大学の授業は面白くはなかったが、こんなものだろうと出席しては単位を取得した。
上山やしーちゃんも同様で、たまに欠席した時のノートをやり取りするなどして交流していた。
「お前、しーちゃんとはどうなってるんだ?」
上山に、放課後の生協で尋ねた。
「ああ、だめだったよ」あっさりと返事が返ってきた。
「どうして教えてくれなかった?」
「恥ずかしくてさ」それもそうかと思った。
「どうしてだろうな?」と僕。
「俺が訊きたいくらいだよ。他に好きな男もいないらしいし」
適齢期になるまで男を作りたくないんだろうと解釈し、上山を慰めた。
「けちな話さ」と僕。
「そうはいわないさ」
上山は、面白くもなさそうにコーヒーを飲み干し、
「目標が一つ、途絶えた」
「いいじゃないか、東京にはいい女がわんさかといる」
「そうあってほしいが」
 そうして上山は、テレビ局や新聞社に就職したいんだと話し、
「お前も一緒に東京に来て欲しいんだが」
「俺は地元に骨をうずめるよ」
「そうか」残念な顔をして、そうして二人で店を出た。
上山は、昨年買ったというバイクにまたがった。僕はバイクを発進させる様子が見たくて見送ることにした。
「じゃあ、そろそろ忙しくなるからなかなか会えないかもしれないが」
「ああ」
そうして上山はエンジンをかけ、小気味の良いエンジン音と共に去って行った。
“俺もバイクを買ってもらおうか”うらやましく思い、自転車置き場に向かい、そうしてママチャリで自宅に向かった。
 上山としーちゃんの出来事を恵に報告すると、
「残念ね」
「そうさ」
「付き合ってあげればいいのに」
「俺もそう思う」
 恵は上山に同情し、そうして寂しそうな顔で食事を出した。同居を始めて以来、仲間と生協の食堂で食事をするとき以外は、恵の手料理を食べるのだった。
「おいしい?」
「うん」
「ほんと?」
「ああ」
たまにそんな会話があり、実際恵の作る料理は悪くなかった。
「上山さん、どうするのかしら?」
「東京にはいい女がいると言い含めておいた」
「私なんかだめかしら?」
 どきっとした。
「いやだよ」
「そう? 冗談よ」
「悪い冗談だ」
 恵を上山にとられるのは悔しいと思った。
「しばらく独り身でいろ」
「そのつもりよ」
 そうして食事が終わり、部屋でスポーツニュースを見てから寝た。

 バイトは相変わらずだった。高額のギターが一日で何本も売れたり、全く売れない日があった。トータルでは給料分以上の働きはこなしている様子だった。
 行商を終えると受付に向かい、果奈ちゃんと他愛もない話をした。
「大学はどう?」
「楽しいです」
「いい看護婦さんになってね」
「そのつもりです」
「いとこにも看護婦さん、いるんだ」
「そうなんですか?」
「看護婦さんというか、助産師さん」
「私もそこまで行きたいんです」
「行けばいいじゃない」
「一年間、就学期間が延びるんです。学費が追いつかなくて」
「そうなの」
 何とかしてあげたいが、バイクの一台も自前で買えない身ではしょうがない。
「とにかく勉強、頑張って」
「ありがとうございます」
 そんなことを話して店を去り、そうして家に帰って寝た。

 法律科目より、政治科目のほうが単位が取りやすいとは、上山に以前から聞いていた。実際そのようで、先輩からのメッセージと称する虎の巻には、すべての単位を政治科目にしましょうとあった。
 僕は異は唱えないとしても、そうはしなかった。司法試験までとはいかないけど、法律を十分にマスターしたいと思ったのだ。
 たいした大学ではないし、たいした授業内容でもないのだろうけど、可能な限り出席してノートを取り、生協の本屋で揃えた参考書と付き合わせて、毎日机に向かった。何の役に立つわけでもないが、自分に対するちょっとした誠実さであった。
 悪知恵の言い出しっぺの上山は、半々に抑えていると言っていた。これは俺なりの誠実さと世知との妥協の産物だとうそぶきながら。
 法律というものにあまり面白みはなく、後悔したこともあったがなんとか切り抜けている。
 たまに息抜きに、ギターを弾いた。弾いているとよく恵が聴きに来た。
「ずいぶんうまくなったじゃない」
「まだまだだよ」
 上司からは、音楽教室に来ればいい、半額にしておくよと誘われるのだが、そこまでは考えていない。初歩的な曲のレパートリーを10曲ほど持って、繰り返しているので満足していた。

 久しぶりに高校の同窓会に誘われて参加した。
 県下では上の下ほどの学校であろうか、そうして僕の成績もその中で上の下ほどであった。
 幹事が長らく開催できなかった詫びを言ったが、半年ほどの間隔であった。仲の良いクラスで、同窓会の出席率も良かった。
「あれ、山本いないね」
 僕は気づいて隣の山田に尋ねた。山本は同期の最優秀で、京都の一流大学に進学していた。
「あれ知らなかった? 山本死んだよ」
「え?」
「バイクで事故をしてさ。なんだかヘルメットをしてなかったらしい。脳挫傷でいちころさ」
「どうしてヘルメットをしてなかったんだろう?」
「それがわからないんだって。酒に酔ってたとかいう話もあってさ」
山本とは特に親しいわけではなかったが、仲が悪いわけでもなかった。彼は成績が学年トップで、僕にとっては畏敬の対象であった。
「バイク、怖いね」僕が話すと、
「一流大の学生が、あんなもの乗るからだ。なんだか割に大きいバイクだったとか聞いたぞ。」
 僕は上山の中型バイクを思い出し、山本のバイクはもっと大きいものだったんだろうけど、どうにせよバイクはバイクだ、上山に注意しておこうと心に決めた。そうして心の中で山本をしばらく悼んだ。
 家に帰って少し怖くなり、恵の部屋をノックした。妹はパジャマ姿で机に向かっていた。
「同窓会、楽しかった?」
「楽しかったは楽しかったけど」
 僕は恵に山本の話をした。
「ヘルメット、かぶってなかったの?」
「そうらしいんだ」
「どうしてかしらね」
「それがわからないんだって」
「マフラーとかも替えてたんじゃない?」
 恵は鋭い突っ込みを入れた。
「合法のらしいんだけどさ。多少音は大きかったらしい」
「そう」
 恵はうつむいて、
「かわいそうだわね」
「ああ」
「お兄ちゃんも、バイクはやめてね」
「ああ」帰りしなに考えていたことだった。
「そろそろお風呂に入ったら?」
「そうしよう」
 僕は恵の部屋を出て風呂に入り、横になってテレビを見ているうちにそのまま寝た。

 同窓会がきっかけで、山田とちょくちょく会うようになった。上山と違って酒を交えて話ができる。
 僕がバイトの話をすると、
「いいじゃない、県下を方々回れてさ」
「俺は京都の学生生活がうらやましいよ」
 山田は京都の私大の経済学部に進んだ。うらやましいという気は半分ある。
「つまらないところさ」謙遜した。
「そんなことないだろう」
「俺も大学を終えたら地元に戻ろうかと思ってさ」
「もったいない」
「いや、地元が一番さ」洒落者の山田の口から出るのは意外だった。
「京都にそのまま就職するのが一番さ」
「そうかな」山田はビールに口をつけた。そうして
「女のほうはどうだ?」
「俺はとんとご縁がない」
 果奈ちゃんのことが頭をよぎった。
「俺もだ。高校時代のほうが、いい女がいた」
「そんなことないだろう」謙遜だろう。
「京都の女子大の女の子でも捕まえるがいいさ」
「最終的にはそうするかもな」
 そんなことを話し、そうして別れた。

 相変わらず、僕にも上山にもしーちゃんにも恋人はいない。
 そもそも、そんなものかもしれない。昔は結婚するまで交際なんてなかったろう。そういうものがあるから、世の男女関係が乱れるんだなどと、保守派の論客よろしく考えた。
 そういえば恵は好きな男は現れたのだろうか? あれももう20歳だ。恋人ができてもおかしくない。
 そういう話は恵はしなかった。アルバイトもせず、授業が終わればまっすぐ家に帰り、家事をこなす。僕と恵は学生結婚をした夫婦のような生活をしているのだった。
 バイト先でボーナス代わりの寸志が出たが、結局ちょっとしたワインを買って恵にやった。ありがとう、お兄ちゃんも一緒に飲もうと恵は喜び、まだ冷えたワインを二人で空けた。僕は普段ビールしか飲まないので、ワインの味はわからなかったが、妹によると割合いいものだとのことだった。
「ワイン、ありがとう」
 僕がリビングを去り際に、恵が言った。
「また買ってくるよ」
「もういいのよ」
 仕送りとバイトの給料頼みの僕にとってはなかなかの散財なのであった。
 妹はグラスを台所に運び、洗い始めた。僕は部屋に帰って横になり、テレビをつけた。
 政治や経済のニュースが流れ、僕は横目で眺めながら、早くスポーツニュースが始まらないかと考えていた。
……日経平均株価がどうとか、為替相場がどうとか、本当にそんなものが必要なのだろうか? 浅学菲才の身としては、わからないのであった。両親は知っているだろうか。恵はどうであろうか。今度上山に訊いてみよう。
 そんなことを考えながらうとうととし、スポーツニュースを待たずに寝入った。

 夏休みに入り、バイト先のトラックに集まる子供たちが増えた。
「お兄ちゃん、一曲弾いて」
「はいよ」
 簡単な曲を弾いてやると子供たちは喜び、そのうち母親を連れてやってきては、一番安いギターを買っていってくれた。
 子供がギターを弾くというのも可笑しかったが、ついてきた母親も可笑しかったろうか。じきに投げ出すだろうと思いながら、大した金額ではないことに良心を和ませた。
 中学生は、もっと多かった。品定めにギターの違いを詳しく尋ねられ、タジタジとなった。そういう場合はとにかく安いものを勧めればいいと、上司からは伝えられていた。
 よほどでなければ一番安い物で十分だと説明し、そうして中学生も納得してそれを買っていった。
 一番多い高校生は、気前よく、2,3万する高級ギターを買う場合も多かった。インターネットで調べるのだろう、割合安値で売っている僕たちのギターを知っていて、ネットや店頭より割安だと知って買っていった。
 とにもかくにも商売は順調に推移しているのだった。

 果奈ちゃんとの関係は発展しないままだった。恋人がいないことは聞き出したが、告白して失敗すると、仕事を失うことになることに躊躇したのだった。
 果たして仕事帰りのよもやまトークが延々続き、自分の優柔不断ぶりに嫌気が差した。
 そのうち、恵に相談した。
「……こういう事情なんだけど、どう思う?」
「そりゃあ告白しないと」
「上山はあっさり失敗している」
「そりゃしーちゃんのせいよ」
「大丈夫かな?」
「早くしないと嫌がられるわよ」
 恵は淡々と話した。
「こういうことは、早く済ませないと」恵は繰り返した。
 僕は部屋に戻り、次のバイト帰りに果奈ちゃんに告白することを決意し、そうして実家から持って帰っていたお歳暮の洋酒をあおり、死んだように眠った。

 次のバイトの帰り、楽器店の受付に向かい、果奈ちゃんにたずねた。
「果奈ちゃん、今度の週末空いてる?」
 果奈ちゃんは困った顔をして、
「デートですか?」
「うん」
 果奈ちゃんは、ますます困った顔をして、
「ごめんなさい」
「だめなんだ」
「両親から、就職するまでは学業に専念しなさいと言われているんです」
「それもそうだ」
 僕もこの間考えたことだ。婚前交際なるものがあるから世の性は乱れる。もっともなことだと考えながら、さらに謝る果奈ちゃんを遮って家路に就いた。
「だめだったよ」
 家に帰って恵に話した。
「上山さんと同じね」
「今どきの女の子は、昔より固いんだな」
「そうかもしれないわね」
 もっと自由に恋愛沙汰を楽しんでいた先輩たちをうらやみ、恵を相手に酒を進めた。
「昔のほうが、好き勝手にやっていたんだろう」
「そうかもしれないわね」
「男には損な風潮だ」
「女にはいいかも」
 恵を相手に与太話を繰り広げる。恵は適当に相手をしてくれた。
「バイト、辞めようかな?」
「そんな必要ないわ」
「気まずくならないかな?」
「向こうのせいよ」
 恵は答える。僕は今のバイトを辞めたくなかったのでほっとした。
「まずくないかな?」
「まずければ向こうが辞めるわ」
 恵は強気だった。頼もしく思い、
「それじゃあ卒業まで続けるよ」
「寸志でワイン、ご馳走して」
 恵は洗い物を始め、僕は部屋に戻った。
 上山も不幸、俺も不幸、しーちゃんも自分自身のせいで不幸なのかもしれなかった。
 恵は幸せだろうか? そんなはずもない、授業が終わったらすぐに帰宅して家事をしている。好きな男もいない様子だ。上山にくれてやろうか? それは嫌だなと思い、冷蔵庫から持ってきた冷酒を飲み、そうしてテレビをつけたまま寝た。

 三年生の後期となり、ゼミが始まった。僕は一番気になる刑法を選択した。一流大を退官した年配の教授が行っている。
 共犯が議題の中心で、僕は欠かさず予習をしてゼミに向かった。
 難しい。いろいろな共犯があって、いろいろな学説がある。僕は予習をしても、なかなか教授の話が分からないことがあって頭を抱えたが、ゼミ仲間も同様らしかった。
「もう逃げ出そうか。4単位くらいどうってことない」
「教授に悪いよ。せっかく偉い人に来てもらっているのにもったいないし」
 ゼミのあと、居酒屋でゼミ仲間と嘆き合った。そうしてもっと楽なゼミを選べばよかったと意見が合った。
 ゼミにもマドンナはいた。香苗ちゃんと言った。なかなかのかわいこちゃんで、どうして刑法なんかをと思った。
 そのうち親しくなり、たまにゼミ仲間たちと集団で、飲みに行った。体育会のマネージャーをしているらしかったが、恋人はいないとのことだった。
「まあ俺なんかには無理だと思うんだ。パッとしないし俺」
「そんなことないわ」
 夕食時に恵を相手にぐだる。恵は適当に相手をする。
「そもそもゼミに刑法なんて選ぶんじゃなかった。難しいし、女子が少ない」
「刑法、かっこいいじゃない」
「俺もそう思ったんだけどね。学説も錯綜している」
「頑張れるだけ頑張って、それだけ身に着いたらいいじゃない」
 恵は大人の意見を吐いた。
「単位は足りてるから、どうでもいいんだけどね」
「偉い先生なんでしょ、もったいない」
「ゼミ仲間と、集団脱走の話が出ている」
「ばかみたい」
 恵は洗い物に立った。僕は部屋に帰って刑法の参考書を取り出したが、しばらくして諦め、風呂に入って寝た。

 就職活動の時期が来た。僕は地元の地銀を第一候補に、地元のメーカーも応募し、大阪の銀行やメーカーも候補に入れた。上山は、東京のマスコミを中心に回っているようだった。
 ゼミの香苗ちゃんとはその後接点があって、告白したが振られた。結局、第一志望の地銀にも落とされて、県下の中小メーカーに入社が決まった。
 やることなすこと、あまりうまくいかなかった。
「恵、俺はもうだめだ」
「何をばかなこと」
「何もかもがだめだ」
「ちょっとしたメーカーに就職が決まったんでしょ」
「女のこともだ」
「まだまだこれからじゃない」
 恵は皿を洗いながら答えた。
 その晩、僕たちは恵のベッドで結ばれた。

 僕はその後無事大学を卒業して就職し、恵が卒業するのを待って結婚した。
 まあまあのサラリーマン生活を送っている。上山はうまく東京の新聞社に入って幸せにしている様子だ。
 たまにアルバイトのことを思い出す。ギターを手にした子供たちは、今も弾いているだろうか?
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