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彼女のはなし
私は魔王だから、
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私は魔王に転職していた。
あれは昨日のことだった。
治療院で在庫の確認をしているときだった。
急に頭の中を何かが駆け巡った。
咄嗟に持っていた消毒液の瓶を落としてしまい、パリンと足元で割れた音がした。
消毒液特有のにおいが周りに立ち込めるけど、私はそんなことは気に留める余裕がなかった。
だって、私は理を見たから。
この世界の理。
それは、数百年ごとに魔王という絶対的な悪を作って、勇者という希望で打ち砕くことだ。
一つの共通の敵を持つこと。それにあらがう力があること。
それが人間同士の戦いを阻止し、人間の繁栄につながる。
神が定めた絶対的な理。
私はその理の一部だった。
私は焦らなかった。
そして、嘆きもしなかった。
なんでかわからない。
彼に知られたくなくて焦らなかったのかもしれない。
それとも、この理を見たからかもしれない。
ただ、神から与えられた人類繁栄のための役目を受け入れていた。
歴代魔王たちがそうであったように。
でも、ほかのだれでもない、彼に殺してもらえるならそれもいいかなって思った。
私は彼に言った。
私も好きよ、と。
すると、彼は私を抱きしめた。
昔は不器用だったその抱きしめ方は、今は優しくって、私の硬い覚悟を揺らがせそうだった。
でも、彼が震えているのが分かって、耳元で軽く鼻をすするのが分かって、彼の未来のためなら、私は死ねるかなって思った。
こんな返事をしておいて、自分勝手だけど、でも、彼の幸せをだれよりも願ってるから。
だから、少し身体を離して、私は彼に笑いかけた。
貴方が勇者で私は嬉しいわ、と。
彼の表情は一瞬歪んだけど、すぐに覚悟を決めた顔になって、私の手を強く握った。
そして、約束してくれた。
勇者をやり遂げる、と。
剣を振って長いその武骨な手で握られて、少し痛かったけれど、でも、温かかくて心地よかった。
それから、彼はすぐに準備をして、王都に向かった。
転職してから数日後だった。
彼は旅立つ日、見送りに来た門の前で言った。
好きだ、絶対にまた君に会いに行く、と。
王都に行くと、勇者は祭り上げられる。
だって、勇者はみんなのものだから。
でも、だけれども、少しだけ独占欲が出ちゃって、私の前だけは私の勇者だったらいいなって思ったんだ。
だから、私は笑って言った。
好きよ、待ってる、私の勇者、と。
彼は白いリコリスを差し出してくれた。
そして、彼の顔を見上げた私に軽くキスをする。
その照れた顔は昔と変わらなかったけど、彼はずっと、かっこよくなっていた。
彼はこれから王都に向かって、そこで王の謁見をするだろう。
そして、世界中から集められた勇者の仲間たちと合流するのだ。
私も行かなければいけない。
私は魔王だから、魔王領へ。
私はその日、父と話をした。
父は鍛冶師で、寡黙な人だった。
私は父に正直に言った。
私は魔王に転職した、と。
父は目を見開いて、驚いた顔をすると、彫りの深い顔により一層影を落として、そうか、とだけ小さく呟いた。
私は母を亡くして口数が減っても、私と弟を男手一つで育てようとしてくれた父が大好きだ。
不器用ながらも私たちを愛そうとしてくれた父が大好きだ。
だから、嘘を言って去ることなんてできなかった。
私は一言も謝らなかったし、嘆かなかった。
ただ、魔王領に行って、魔王としての役目を全うしなければならないから、ここを去る、とだけ言った。
魔王として私が動き始めたら、私はきっと人としては非道と言われることをしなければならないです。
だから、貴方の娘はもういなくなります。
父と亡くなった母に誇れる人間になれるように頑張ってきました。
でも、これからはそういう生き方は出来ません。
今まで育ててくれてありがとうございました。
他人行儀みたいになっちゃったけど、涙を流さないようにするのに必死だった。
父をこれ以上心配させたくなかった。
父はずっとうなだれたままで何も言わなかった。
しかし、急に立ち上がると、私の強く抱きしめた。
大きくなって、身長も伸びて、体つきも女性らしくなって、顔つきは母に似てきた。
でも、昔と変わらず大きく感じる父の胸の中で、私はもうこの父に二度と抱きしめてもらえなくなることを改めて悟った。
父は私がいなくなったら、母が亡くなったときのようにやつれてしまうのではないか。
父は私がいなくなったら、食事を疎かにしてしまうのではないか。
父は私がいなくなったら、今以上に弟と話さなくなってしまうのではないか。
いろんな心配事が湧き上がってきて、大丈夫かな、と思った。
でも、父はそれが分かったのか、私を安心させるように、大丈夫だ、とだけ短く言った。
そして、ごめんな、と掻き消えそうな声で呟くと、父は母が亡くなって以来初めての涙を見せた。
耳元でううっ、という呻き声が聞こえて、私はただ強く私を抱きしめる父の背中に手を回して、父の胸元を濡らすことしかできなかった。
そのあと、私は弟にも話した。
弟には従軍して、魔王領へ行く、と言った。
弟は癒術士として、人間軍として、戦うと思ってくれたようで、詳しくは聞いてこなかった。
私と父の神妙そうな空気が追及させなかったのかもしれない。
でも、それが私にはとてもありがたかった。
私は二人に言った。
餞別に仮面を作ってほしい、と。
父にはもう会えないから、という意味が伝わったのだろう。
小さく唸る声が聞こえた。
弟は何故仮面なのか首を傾げていたが、私はどうにか頼み込んだ。
父は鍛冶師だから、薄い鉄で作った仮面を。
弟は細工師だから、その仮面に美しいリコリスを浮き彫りにしてくれた。
リコリスの花言葉は『思うはあなた一人』。
本物はもう枯れちゃったけど、弟が作ったのは彼がくれたその花を生き写してくれたようだった。
二人が作ってくれた仮面を抱えると、私はありがとう、と笑った。
そして、私は弟を抱きしめた。
弟は最近反抗期で少しとげとげしていたが、この時ばかりは私を受け入れてくれた。
五歳も差があるのに、もう少しで身長を越されそうで、でも、その時はもう私はいないのか、って思った。
寂しさを紛らわすように身体を離して、少しだけ背伸びして弟の額にキスをした。
元気で過ごしてね、と。
最後に父ともう一度抱きしめあった。
父はまた、ごめん、と短く言うと、幸せにな、と魔王の私に似つかわない言葉をくれた。
でも、父のその優しさが心にしみた。
父は不器用に私の額にキスをしてくれた。
私はその日、仮面だけ持つと、村を出た。
村を出て、森へ行くと、そこには複数の人が集まっていた。
私はすぐにその人たちが魔王側の人たちで私を迎えに来たとわかった。
私がよろしく、と笑うと、彼らは曖昧な顔でよろしくお願いします、と返してくれた。
私は彼らと合流して、私の転移で魔王領に向かった。
初めてつかった魔王の魔法は使いこなせたけど、強大で危険なものだとわかった。
転移した先は魔王城の目の前だ。
私は手に持っていた仮面を顔に当て、魔力を流した。
仕上げに私が魔王の魔法を仮面にかけたのだ。
これを顔に被ったとき、誰も私だと分からないようにする魔法を深く、深く刻み込んだ。
完成した仮面は白いコーティングがしてあって、目が見えるための穴もなく、美しいリコリスが大きく咲いたものになったけど、私が魔法をかけている。
だから、顔に装着すると、魔力によって外せなくなって、見通しもつけていないときと変わらない。
私の魔力が切れない限り、この仮面は外れることはない。
私は仮面をかぶったまま彼らを一瞥すると、魔王城に足を踏み入れた。
私はその日から、魔王になった。
あれは昨日のことだった。
治療院で在庫の確認をしているときだった。
急に頭の中を何かが駆け巡った。
咄嗟に持っていた消毒液の瓶を落としてしまい、パリンと足元で割れた音がした。
消毒液特有のにおいが周りに立ち込めるけど、私はそんなことは気に留める余裕がなかった。
だって、私は理を見たから。
この世界の理。
それは、数百年ごとに魔王という絶対的な悪を作って、勇者という希望で打ち砕くことだ。
一つの共通の敵を持つこと。それにあらがう力があること。
それが人間同士の戦いを阻止し、人間の繁栄につながる。
神が定めた絶対的な理。
私はその理の一部だった。
私は焦らなかった。
そして、嘆きもしなかった。
なんでかわからない。
彼に知られたくなくて焦らなかったのかもしれない。
それとも、この理を見たからかもしれない。
ただ、神から与えられた人類繁栄のための役目を受け入れていた。
歴代魔王たちがそうであったように。
でも、ほかのだれでもない、彼に殺してもらえるならそれもいいかなって思った。
私は彼に言った。
私も好きよ、と。
すると、彼は私を抱きしめた。
昔は不器用だったその抱きしめ方は、今は優しくって、私の硬い覚悟を揺らがせそうだった。
でも、彼が震えているのが分かって、耳元で軽く鼻をすするのが分かって、彼の未来のためなら、私は死ねるかなって思った。
こんな返事をしておいて、自分勝手だけど、でも、彼の幸せをだれよりも願ってるから。
だから、少し身体を離して、私は彼に笑いかけた。
貴方が勇者で私は嬉しいわ、と。
彼の表情は一瞬歪んだけど、すぐに覚悟を決めた顔になって、私の手を強く握った。
そして、約束してくれた。
勇者をやり遂げる、と。
剣を振って長いその武骨な手で握られて、少し痛かったけれど、でも、温かかくて心地よかった。
それから、彼はすぐに準備をして、王都に向かった。
転職してから数日後だった。
彼は旅立つ日、見送りに来た門の前で言った。
好きだ、絶対にまた君に会いに行く、と。
王都に行くと、勇者は祭り上げられる。
だって、勇者はみんなのものだから。
でも、だけれども、少しだけ独占欲が出ちゃって、私の前だけは私の勇者だったらいいなって思ったんだ。
だから、私は笑って言った。
好きよ、待ってる、私の勇者、と。
彼は白いリコリスを差し出してくれた。
そして、彼の顔を見上げた私に軽くキスをする。
その照れた顔は昔と変わらなかったけど、彼はずっと、かっこよくなっていた。
彼はこれから王都に向かって、そこで王の謁見をするだろう。
そして、世界中から集められた勇者の仲間たちと合流するのだ。
私も行かなければいけない。
私は魔王だから、魔王領へ。
私はその日、父と話をした。
父は鍛冶師で、寡黙な人だった。
私は父に正直に言った。
私は魔王に転職した、と。
父は目を見開いて、驚いた顔をすると、彫りの深い顔により一層影を落として、そうか、とだけ小さく呟いた。
私は母を亡くして口数が減っても、私と弟を男手一つで育てようとしてくれた父が大好きだ。
不器用ながらも私たちを愛そうとしてくれた父が大好きだ。
だから、嘘を言って去ることなんてできなかった。
私は一言も謝らなかったし、嘆かなかった。
ただ、魔王領に行って、魔王としての役目を全うしなければならないから、ここを去る、とだけ言った。
魔王として私が動き始めたら、私はきっと人としては非道と言われることをしなければならないです。
だから、貴方の娘はもういなくなります。
父と亡くなった母に誇れる人間になれるように頑張ってきました。
でも、これからはそういう生き方は出来ません。
今まで育ててくれてありがとうございました。
他人行儀みたいになっちゃったけど、涙を流さないようにするのに必死だった。
父をこれ以上心配させたくなかった。
父はずっとうなだれたままで何も言わなかった。
しかし、急に立ち上がると、私の強く抱きしめた。
大きくなって、身長も伸びて、体つきも女性らしくなって、顔つきは母に似てきた。
でも、昔と変わらず大きく感じる父の胸の中で、私はもうこの父に二度と抱きしめてもらえなくなることを改めて悟った。
父は私がいなくなったら、母が亡くなったときのようにやつれてしまうのではないか。
父は私がいなくなったら、食事を疎かにしてしまうのではないか。
父は私がいなくなったら、今以上に弟と話さなくなってしまうのではないか。
いろんな心配事が湧き上がってきて、大丈夫かな、と思った。
でも、父はそれが分かったのか、私を安心させるように、大丈夫だ、とだけ短く言った。
そして、ごめんな、と掻き消えそうな声で呟くと、父は母が亡くなって以来初めての涙を見せた。
耳元でううっ、という呻き声が聞こえて、私はただ強く私を抱きしめる父の背中に手を回して、父の胸元を濡らすことしかできなかった。
そのあと、私は弟にも話した。
弟には従軍して、魔王領へ行く、と言った。
弟は癒術士として、人間軍として、戦うと思ってくれたようで、詳しくは聞いてこなかった。
私と父の神妙そうな空気が追及させなかったのかもしれない。
でも、それが私にはとてもありがたかった。
私は二人に言った。
餞別に仮面を作ってほしい、と。
父にはもう会えないから、という意味が伝わったのだろう。
小さく唸る声が聞こえた。
弟は何故仮面なのか首を傾げていたが、私はどうにか頼み込んだ。
父は鍛冶師だから、薄い鉄で作った仮面を。
弟は細工師だから、その仮面に美しいリコリスを浮き彫りにしてくれた。
リコリスの花言葉は『思うはあなた一人』。
本物はもう枯れちゃったけど、弟が作ったのは彼がくれたその花を生き写してくれたようだった。
二人が作ってくれた仮面を抱えると、私はありがとう、と笑った。
そして、私は弟を抱きしめた。
弟は最近反抗期で少しとげとげしていたが、この時ばかりは私を受け入れてくれた。
五歳も差があるのに、もう少しで身長を越されそうで、でも、その時はもう私はいないのか、って思った。
寂しさを紛らわすように身体を離して、少しだけ背伸びして弟の額にキスをした。
元気で過ごしてね、と。
最後に父ともう一度抱きしめあった。
父はまた、ごめん、と短く言うと、幸せにな、と魔王の私に似つかわない言葉をくれた。
でも、父のその優しさが心にしみた。
父は不器用に私の額にキスをしてくれた。
私はその日、仮面だけ持つと、村を出た。
村を出て、森へ行くと、そこには複数の人が集まっていた。
私はすぐにその人たちが魔王側の人たちで私を迎えに来たとわかった。
私がよろしく、と笑うと、彼らは曖昧な顔でよろしくお願いします、と返してくれた。
私は彼らと合流して、私の転移で魔王領に向かった。
初めてつかった魔王の魔法は使いこなせたけど、強大で危険なものだとわかった。
転移した先は魔王城の目の前だ。
私は手に持っていた仮面を顔に当て、魔力を流した。
仕上げに私が魔王の魔法を仮面にかけたのだ。
これを顔に被ったとき、誰も私だと分からないようにする魔法を深く、深く刻み込んだ。
完成した仮面は白いコーティングがしてあって、目が見えるための穴もなく、美しいリコリスが大きく咲いたものになったけど、私が魔法をかけている。
だから、顔に装着すると、魔力によって外せなくなって、見通しもつけていないときと変わらない。
私の魔力が切れない限り、この仮面は外れることはない。
私は仮面をかぶったまま彼らを一瞥すると、魔王城に足を踏み入れた。
私はその日から、魔王になった。
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