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第五話 いるよ2

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***

 中間テストから解放されて、ちょっとした達成感にふわふわとしながら琴子は廊下にいた。
 隣には、不機嫌な様子の成瀬がいる。彼女の用事が終わったらこれから電車で市街地に出て、タピオカミルクティーを飲むつもりだ。成瀬が飲んだことがないと言っていたから、張り切って評判の店まで行くのだ。
 だが、肝心の成瀬の用事がなかなか終わりそうになくて、琴子も不機嫌にはならないがそわそわしていた。

「ったく、三郎丸先生、遅いよね」
「どこ行ったんだろうねぇ。どこにいるかわかんないから、職員室前で待つのがいいんだろうけど」
「たぶんさ、自販機付近で女子たちとキャッキャしてる。キモい、ムカつく、早く来い」
「職員室にいないことがほとんどなのに直接渡しに来いとか、ないよねぇ。もうさ、源先生か誰かに渡して帰る? それでよくない?」

 これ以上待って成瀬の機嫌がさらに悪くなるのは嫌だと思って、琴子はそっと職員室の中をうかがった。だが、頼みの綱の源もいなかった。彼がいたら成瀬の用事である委員会のファイルを渡して、とっとと帰ろうと思っていたのに。

「源先生もいなかった」
「じゃあ、待つしかないか」
「源先生なら、もしかして部室にいたりして……」

 今日は郷土研究会もとい怪奇クラブの活動は休みだと言われていたのだが、琴子は何となく源は部室にいるような気がしていた。小幡が源にベッタリで、試験前の部活停止週間のときも一緒にいたのを見かけているから、そんな気がしたのだ。

「え? 部室って特別棟の一階でしょ? 絶対に行かない。それなら三郎丸先生を探すほうがマシ。でもそれはアテがあるわけじゃないから、やっぱここで待つよ」
「そっか。って、何でそんなに特別棟を嫌うの? みんなヤバイって言ってさ、移動教室のときも絶対に二階か三階の連絡通路を使うでしょ。たまに一階から行ったときのほうが近いときもあるのに」
「……そっか、コトラは知らないんだ」
 
 琴子の先輩である駿が琴子のことをコトラと呼んでいるのを聞いて、成瀬もそう呼び始めた。そうやって呼ばれるようになって、琴子は彼女がようやく本当の友達になったのだと感じていた。
 友達だからだろう。成瀬は今、ひどく心配そうな顔をしている。

「私らは入学していつの間にか先輩とか他の人から聞いて自然と知ってた話。特別棟、ヤバイんだよ。一階に“開かずの教室”って呼ばれてる教室があるんだよ。ドアに板が打ちつけられてあって、絶対に入れないの。だから、特別棟に用があっても二階か三階からアプローチするって不文律になってるんだよ」
「そ、そうなんだ……でも、開かない教室ってだけでしょ?」

 みんなが特別棟を怖がっているのは知っていたが、それがどうしてなのかは琴子はいまいちよくわかっていなかった。首を傾げる琴子に、成瀬はまた渋い顔になる。

「あんた、立入禁止の黄色と黒のしましまロープを無視して中に踏み込むタイプ? 道路工事とかで『この先通行止め』って書いてあってもズンズン進むタイプ?」
「え? ううん。そんなことしない」
「じゃあ、それと一緒。入り口の戸に板を打ち付けてある封鎖された教室があります、やばい雰囲気です、じゃあ近寄りません。で、いいでしょ?」
「う、うん」

 理屈で説明されると、さすがに琴子も理解できた。だが、理屈ではない部分ではやはり納得できなくて、そわそわしてしまう。たぶん、みんなが感じている怖いという思いを琴子が根源的に共有できていないからだろう。
 
「そういえば、この学校の屋上が開放されてないのは何でか知ってる?」

 ふと、疑問に思っていることを琴子は尋ねてきた。みんな知らないのか、それとも転入生の自分だから知らないのか。そんなふうに感じることが日常の中でわりとあるのだ。

「天文部のやつらに何か言われたの? 私は、単に安全対策のためだと思うけどねえ。別に屋上が開放されてないのなんて、珍しくないでしょ」
「まあ、そうだよね。でも、天文部の人たちは屋上で星を見られないのは気の毒だから、月に一回くらいでも許可してあげたらいいのにって思ったんだ」
「それはわかるけど。……私は信じてないけど、気味が悪い噂もあるから。何かさ、かなり前に屋上から飛び降りた生徒がいたらしいよ。それで、同じようなことが起きないように、屋上に続く怪談自体を封鎖してるって」
「え、そうなんだ……」
「屋上に近づかせないための方便だと思うけどね、って来た!」

 渋い顔で話していた成瀬が、何かに気づいてそちらを見た。彼女の視線の先には、お目当ての三郎丸がいた。だが、女子生徒たちに囲まれていて、すぐに話しかけられそうにない。
 成瀬は彼に渡さなければならない委員会のファイルを頭上に掲げて、何とか気づかせようとしていた。それを渡せばミッション完了だ。だが、すぐには気づいてもらえそうにない。
 声をかければいいのになと思いつつ、必死な成瀬が面白くて、琴子はしばらく放っておくことにした。
 そして窓の外でも眺めていようとそちらに視線をやったとき、何かが落ちるのを見た。

「え? 何?」

 見ていたのは琴子だけではなかったようで、近くにいた何人かがざわめき、窓の外を一様に眺めた。
 職員室があるのは二階。上から何か落ちてきたのなら、地面に何かあるはずだ。だが誰も何かが落ちていった先に、何も見つけることができなかった。

「カラスか何か、大きな鳥じゃない? 落ちてったんじゃなくて、窓のすぐ近くを飛んでいったとか。影の加減ですごく大きく見えることもあるでしょ」

 ざわめく生徒たちをなだめるように、三郎丸が言った。騒いでいた何人かは彼を取り巻く女子だったため、その言葉によって落ち着きを取り戻す。そして彼にあしらわれて、手を振りながら帰っていった。

「はい、じゃあねー。あ、男虎さんたちも、今度百物語だっけ? しようね」
「は?」

 女子たちが散り、ようやく三郎丸に渡すものを渡して帰れると思っていたのに、突然変なことを言われて琴子も成瀬も固まった。だが、わけがわからないという顔をする琴子たちを見て、三郎丸も不思議そうな顔をする。

「いや、だって先生が他の生徒たちと話してたとき、『今度しようね、百物語しよう』ってずっと言ってたでしょ? 他の子たちと話してたから、相槌打つタイミングが掴めなかったんだけど」

 三郎丸の表情や口調は、琴子か成瀬のどちらかが確かに言ったと信じて疑っていないふうだった。
 琴子は成瀬と顔を見合わせ、どちらもぶんぶんと首を横に振った。

「どっちもそんな変なことを言ってませんから! じゃあ、これ言われてた委員会のファイルなんで!」

 成瀬はファイルを三郎丸に押し付けると、琴子の手を引いて歩きだした。もともと不機嫌だったのが、さらに不機嫌になっている。
 
「私、三郎丸先生が本気で苦手っていうか嫌いなんだよね。あの女子にいつも取り巻かれてるのとか、ああいうわけわかんないこと言うのとか」
「確かに、わけわかんなかったねぇ……」

 三郎丸の言ったことも気になっていたが、琴子は先ほど自分が見たものも気になっていた。自分だけではない、多くの人が見たということは、きっと確かに何かが落ちたのだろうという気がしてくる。
 どうしてもそれが気になって、琴子はその気持ちを吐き出そうと駿にメッセージを送っておいた。

***

 そろそろ源との話を切り上げて帰ろうとしていたところ、駿のスマホがメッセージの着信を告げた。
 何かと思えば、琴子からのメッセージだった。どうせ大したことないだろうと思ってそれを開いただけに、メッセージ本文を見てゾッとした。

「先生、今コトラから変なメッセージが来た。『窓の外に何かが落ちてきたと思ってみたけど、何も落ちてませんでした。私以外にも見た人がいるのに』って。……これ、何かやばくない?」
 
 メッセージのあとに踊るクマのスタンプが添えられた画面を見せると、源もすぐに難しい顔になった。

「何だろ、これ……屋上から誰か落ちたってこと?」
「いや、屋上って、そこに至る階段すら封鎖されてますよ」 
「じゃあ、言い換えよう。“何か”が落ちたのかもしれない」

 顔を見合わせて、駿と源は走り出した。向かうは当然、屋上への階段だ。
 自身の、その他の生徒の平和のために、校内の気になるところはいつも念入りに浄化や対策をやってきた。琴子が来てからは、後ろのものの力を借りて悪いものは排除してきた。
 そのおかげで最近は源が忙しくて付き添いができないときでも、駿は行き帰りにひとりで帰ることができるようになってきていた。それだけ、有象無象も数を減らして大分安全になってきたということだ。
 だが、屋上へ続く怪談は手付かずのままだった。
 あまりにも不気味すぎて駿が近づきたくないというのもあったし、立入禁止にしていることで人払いができていたため、緊急性はないと思っていたから。

「……誰かが通ったあとはないね。ほら、埃が」

 問題の階段について、源がそう指摘した。掃除すらされていないそこには埃が溜まっており、源が一歩踏み出すだけで跡がついた。しかし、今のところ足跡は今の源のものだけ。誰かが屋上へ向かうための足跡は、全くなかった。

「ねえ、先生。それが確認できたんならもういいじゃん。たぶん、コトラの見間違いだって。誰もここに来てないなら、誰も落ちてなんかないって」
「そう思うなら、このまま一番上まで登ったっていいでしょ? 何もないなら、それを確認しにいこう」

 帰りたがる駿をなだめて、源はどんどん階段をのぼっていった。置いていかれたくなくて、駿はついていくしかない。
 空気がこもっていて埃くさくて、階段の雰囲気は最悪だった。だが、今ここには何もいない。空気が悪いが、ふよふよと漂う幽霊すらいない。
 階段をすべて登り切ると、その理由がわかった。

「なんだよ、これ……」

 駿の視線の先には、屋上へ続くドアがある。そのドアに、デカデカと赤黒い何かで書かれていたのだ。

 『いるよ』と。
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