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本編、アスターティ・フォーチュンの物語

アガルタ

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 ちょっと前に邯鄲ハンタントイズ(Hantan Toys)からロクシーの人形が発売された。邯鄲トイズとは、フォースタスの父親であり、ミサト母さんの夫であるシリル・チャオ氏が会長を務める邯鄲ホールディングス社傘下の玩具メーカーだ。
 フォースタスには、二人の兄と一人の姉、そして一人の弟がいる。その弟ヴィクター・チャオは、ミヨンママの息子ブライアン・ヴィスコンティの幼なじみで、大学の同級生だ。
 ミヨンママが社長を務める芸能事務所ゴールデン・アップルは、邯鄲グループ傘下に入り、〈邯鄲ドリーム〉に改名した。私は、この会社の所属芸能人の卵だ。
 ただ、ロクシーは別の芸能事務所に所属している。それで、邯鄲トイズから発売されたロクシー人形は廃番になった。
 私はロクシーの人形を一体持っている。金髪碧眼のグラマラスな美女人形。手足の関節が自由に動き、色々なポーズを取らせる事が出来る。しかし、ミヨンママは私のロクシー人形が気に入らないようだ。
 別に「中学生がお人形遊びをしている」事がダメだというのではない。ミヨンママは、ロクシーを私の将来の「仮想敵」だと見なしているのだ。そもそも、ロクシーの所属事務所の名前は、ロクシーの芸名の由来である〈ゴールデン・ダイアモンド〉だし、邯鄲ドリームの以前の名前は〈ゴールデン・アップル〉だ。確かに、ますますライバル意識をかき立てられるだろう。
 それに、ミヨンママは元々ゴールデン・ダイアモンドの役員だったのだ。ママは、かつての古巣への対抗意識を燃やして、私を育てている。
 私は、来たるべきデビューのために、ピアノやギターの稽古をしながら、作詞作曲をしている。学業との両立は難しいけど、何とか頑張っている。そのため、私の交友関係は限られている。まあ、確かに「女社会」の難しさから逃れるための口実として、デビューへの準備はちょうど良い。

「よう、元気か?」
「はい、元気です。ドクター」
 私は月に一度、アガルタに行く。健康診断とカウンセリングのために研究所に出入りするが、フォースタス・マツナガ博士はいつでも大らかだ。
 博士は研究所の職員で最年長だが、以前はアヴァロン連邦宇宙軍の軍医だった。しかし、その正体は私と同じバールだ。そして、マツナガ博士は初めて「普通の人間」として世に出た人でもある…ただし、アヴァロン連邦初代大統領夫人がバールだったという説は根強い。
 マツナガ博士は見た目は50歳前後に見えるが、実年齢は80歳近く。しかし、身体能力は実年齢どころか、見た目年齢よりもはるかに若い。
 私の初恋相手で婚約者でもあるフォースタス・チャオの名前は、この人にあやかって名付けられたそうだ。
 私が尊敬しているこの人。今日は一体どんな話を聞かせてくれるのだろうか?

「アスタロスは飛び級で高校に進学した。お前、手を抜いているんじゃないのか? いや、済まない。お前のデビュー前の『修行』と学業との両立が難しいのは明らかだし、言い過ぎた。ごめん」
 マツナガ博士は言う。確かに私の弟は、姉の私が言うのは手前味噌だろうけど、出来が良い。
 バールたちは、アガルタ特別区内にある教育機関で学ぶ。小学校入学以前は、研究所内部の保育所で育てられるが、小学校に入学してからは、アガルタの職員たちの子供たちと机を並べて勉強する。そして、高校卒業後は、ある者は士官学校に、またある者は警察学校に進学する。さらには、消防士や介護福祉士や看護師や保育士などを養成する学校に通う人たちもいる。
 私もマツナガ博士も、バールとしては極めて例外的な立場だ。
 私は、自作曲を収録しているディスクを博士に渡した。
 コンパクトディスク。本来ならば、とっくの昔に「過去の遺物」になっていただろうメディアだ。しかし、今の惑星アヴァロンでは、懐古趣味的なアイテムとして、一部の人たちに珍重されている。もちろん、現代のコンパクトディスクは、かつての地球にあったものよりも耐久性などがはるかに優れたものだ。
 ジャケットデザインは、先月撮影した桜の写真を加工したものだ。今の惑星アヴァロンでは、コンパクトディスクはメモ帳と大して変わらないものだ。
「なるほど、うまいな」
「ありがとうございます」
「伴奏は全てコンピューターの音か? お前、今はいくつ楽器を演奏出来る?」
「ギターとベースとキーボード、それにドラムスです」
「うむ、それだけ出来れば大したものだ」
 マツナガ博士は私の曲を気に入ってくれたようだ。
「お前の歌、この高音でファルセットではないのがすごいな。しかも、音程は安定しているし、声量も十分だ。十分うまい歌だが、うまさのゴリ押しがないのが良い。自然に聴けるのが良いな」
 私は博士にほめられて嬉しかった。
「だが、デビューするにはまだまだ時期尚早だな。まずは、学校での勉強をしっかりとやらないとな。そっちは大丈夫か、アスターティ?」
「幸い、赤点を取るような事態にはなっていません。可もなく不可もなくというくらいです」
「まあ、留年しないようにがんばれよ」
 私の学校での成績は悪くはない。特に国語(アヴァロン連邦の公用語である英語)と地球史が得意だ。これらの科目は、私が作詞するのにも勉強になる。他には音楽の成績も良いが、将来これで食べていくのだから、これの成績が悪いのはサマにならない。体育の成績も比較的良い方だが、こちらでは博士の指摘通り、少し手を抜いている。なぜなら、バールである私が本気を出せば、その運動能力で正体がバレる危険性があるからだ。
 逆にあまり得意ではない科目は、理数系だ。こちらの成績は、他のクラスメイトたちと比べれば、特にダメではないが、こちらもクラスメイトの嫉妬を恐れて手を抜いている。
 博士は言う。
「出る杭は打たれるとは言うが、出過ぎた杭はかえって打たれない場合が少なくない。女の敵は女とは言うが、実際には自分と同レベルの相手が敵になる場合が多いんだ。まあ、それでもキレイな蝶に嫉妬する蟻はいくらでもいるのだが、下手に同調圧力に屈してへこたれるんじゃないぞ、アスターティ」

 私はアガルタでの身体検査で、自分の身長が168cmあるのを知った。おそらく、これ以上は伸びないだろうが、私は今の自分の身長に満足している。高過ぎず、低過ぎない。オシャレをするにはちょうど良い。脚だって、決して太過ぎず、細過ぎず、短くもないのだから。体型全体だって、特に欠点と呼べる点はない。胸だって、大き過ぎず、小さ過ぎず、形が整っているし、腰のくびれもちゃんとある。私の体型は、すでに成人女性と大差ないものになっていた。
 ただ、そんな私の「満足」に嫉妬する人間は確かにいるのだろう。私より背が高いか、低いか。他にも色々。私はそんな他人、特に同性との付き合いが面倒だ。だから私は、クラスメイトたちとは距離を置いているし、一学年下のルシールやフォースティンと仲良くしている。
 マツナガ博士の部屋を出た私は、カフェのあるロビーに出た。

「アスターティ!」
 その声はアスタロスだ。しかも、声変わりしかけている。
「久しぶりだね!」
「元気? あなた、飛び級で高校に入ったけど、うまく行ってる?」
「うん、特に問題はないよ」
 屈託のないこの子。私と瓜二つの弟、アスタロス。私より2歳下だけど、私たちは並ぶと双子みたいだ。
 この子もだいぶ背が伸びた。私より少し背が高くなった。
 私たちは、ロビーにあるカフェで飲み物を注文した。アスタロスはアイスカフェラテ、私は抹茶ラテを飲んでいる。
「ゴールディは元気?」
「うん、元気だよ」
 ゴールディ・ベル、本名は古代アステカ神話の月の女神に由来するコヨルシャウキ。私より2歳上で、アスタロスより4歳上の女性型バール。私の幼なじみで親友だ。彼女は今、アガルタ特別区にある士官学校に通っている。そして、アスタロスは同じくアガルタ特別区にある高校に飛び級入学しており、現在3年生だ。
 ゴールディの身長は私より2、3cm高い。凛々しい顔立ちで、金髪緑眼の美人だ。かつての日本の宝塚男役スターのように、一部の同性から「王子様」的な人気を得そうな人だ。私とアスタロスにとって、彼女は姉のような存在だ。
 私がアガルタを出て「普通の人間」として外界で暮らすのが決まった時、幼いアスタロスは泣いた。しかし、そんな彼を慰めたのがゴールディだ。私は、弟の心の支えになってくれている彼女に感謝している。
 そんな二人の進路は決まっている。ゴールディもそうだけど、アスタロスは士官学校に進学し、軍隊に入るのだ。順調に単位を落とさずに済めば、来年進学する。
「5月ももうすぐ終わりか」
「早いね。いつの間に6月ね」
 私たちはたわいもない会話をしていたが、アスタロスは言った。
「アスターティは僕らバールたちの希望なんだ。僕ら普通のバールは将来の選択肢が制限されているけど、マツナガ博士とアスターティは特別なんだ。僕はいつでも応援しているよ」
 そう、私は普通の人間のように、自分がやりたい仕事に就く事を許された。しかし、代わりに使命がある。それが、フォースタスとの婚約だ。




 6月の雨は、しっとりとした曲を作るのにはちょうど良いだろう。
 今日は日曜日だけど、雨が降っているので、私は外出する用事もなく家にいる。そして、曲作りをしている。コンピューターに向かってキーボードを(文字を入力する方のキーボードではなく、鍵盤楽器の形のキーボードを)指先で軽く叩く。私は、何度も何度も音の「推敲」を繰り返す。
 私の曲作りは、歌詞よりもメロディの方が先だ。大まかなメロディを決めたら、仮の歌詞を載せる。この二つの微調整を繰り返して、歌詞とメロディを合わせる。
 すでにアルバム1枚分の楽曲は出来上がっているけど、まだまだ曲のストックは必要だ。今の私の部屋では、私自身の声をサンプリングした音声合成プログラムが仮歌を歌っている。私は、この仮歌以上の歌を歌わなければならない。さもなくば、私自身が「歌手」である必然性はないのだから。もちろん、手作業での楽器演奏もそうだ。
 部屋の窓から庭を見ると、アジサイの花が雨に映えている。そのアジサイの中に、青とピンクの二つの花の塊が並んで咲いているのが目立つ。「夫婦紫陽花めおとあじさい」、そう呼ぶのがふさわしい。
 今月もアガルタに行って検査を受けた。そして、久しぶりにゴールディに会った。



「元気?」
「うん。ゴールディも元気ね?」
「今は訓練とかが大変だけど、何とかやってるよ」
 ゴールディは士官学校の学生だ。人間とバールたちが机を並べて学ぶところ。
 私たちは、研究所の敷地内のオープンカフェにいた。ゴールディはコーラを飲み、私は抹茶ラテを飲んでいた。そして、アイスクリームを食べている。
「あんた、抹茶味好きだね」
「え?」
「抹茶ラテを飲みながら、抹茶味のアイスクリームを食べてるでしょ?」
「あ、そうだ」
「チャーハンと一緒に白いご飯を食べているみたい」
「何それ!? 何か違うけど!」
 私たちは苦笑いした。そういえば、私は抹茶味のお菓子やデザートを好んで食べる。
「そうだ、これあげる」
 ゴールディはバッグから何かを取り出した。白地に淡いピンクの花柄が印刷された小さな箱だ。
「これ?」
「来月、あんたの誕生日だけど、来月も会えるかどうか分からないから、今日あげる」
「ありがとう」



 先週もらった、その箱の中身。押し花を樹脂で固めたものを使ったピアスだ。私は市販品かと思ったが、実はゴールディ自身の手作りだった。彼女は休日にアガルタ特別区内にある手芸店で材料を買い、それらでこのピアスを作ったそうだ。
 そういえば、フォースティンも同じように、押し花を樹脂で固めたものを付けたキーホルダー・ストラップを持っていた。
 私はタブレット端末を開いた。
 女性週刊誌の記事が取り上げられているサイトがいくつかあるが、ロクシーの恋愛ゴシップは定番中の定番だ。私の部屋の本棚に鎮座するロクシー人形は、何のスキャンダルも起こさないけど、生身のロクシー本人は、華麗な男性遍歴を誇る。
 芸能界には、ゴシップこそが本業だと揶揄される人たちが少なくないけど、今のロクシーもその一人だ。
「…ん?」
 …あれ? フォースタス?
 私の初恋相手で婚約者、フォースタス・チャオ。あの人の記事が載っている。私は恐る恐るそれを読んだ。
「黒い瞳のランスロット」。その記事の見出しだ。それは信じがたい内容だった。

 もうすぐ7月7日、私の誕生日だ。だけど、今年はお祝いされても嬉しくない。ゴールディからのプレゼントが嬉しかったのは、あの話を知る前だったから。
 フォースタスのスキャンダル。恩師アーサー・ユエ先生の奥さんライラさんとの不倫疑惑。そして、フォースタスとユエ先生の同性愛不倫疑惑。
 ユエ先生との不倫疑惑は全くのガセネタらしいけど、ライラさんとの関係はどうやら事実らしい。もちろん、証拠とされる隠し撮り写真が偽物という可能性があるけど、その可能性は低かった。
 私は授業中、泣きたくなるのを必死で我慢していた。本当は学校を休みたかったけど、病気や怪我でもないのに休む訳にはいかない。私はルシールやフォースティンと遊ばず、学校からまっすぐ家に戻り、自分の部屋に閉じこもった。
 ミヨンママやミナは、まだまだ会社にいる時間だ。ブライアンもまだ帰ってきていない。私は、一人だ。
「フォースタス! どうして、どうしてなの!?」
 私は布団に潜り込んで泣きわめいた。自分は前々からフォースタスに避けられていたけど、こんな形で裏切られるのは、本当に悔しかった。
 あの人からはまだまだ子供として相手にされず、他の女の人に持っていかれるのは初めてではない。しかし、よりによって人妻との関係、恩師の妻相手の略奪愛だなんて、許せなかった。

「お母さん、どうしてこうなるの!?」
 今月も検診のためにアガルタに来た。一通りの検査を受けている間は、私はじっとこらえていた。カウンセリングを受けている時は、精神科の先生が私の様子を心配していたけど、私は適当にごまかした。ただ、仮にマツナガ博士が相手だったら、私の本音を見抜いていたかもしれない。何しろ、フォースタスと私の事だから。
 検診が終わってから、私はミサト母さん…ミサト・カグラザカ・チャオ博士の部屋に行き、母さんに泣きついた。ミサト母さんは悪くない。だけど、私は怒りのやり場に困っていた。
「アスターティ…」
「私、どうすればいいの? 学校に行くのがつらい! 勉強も曲作りもしたくない!」
 そこで、来客のチャイムがなった。ミサト母さんは、ドアを開けた。
「チャオ博士、大変です! アーサー・ユエさんの奥様が殺されました!」
 ミサト母さんの部屋に若い男性職員が入ってきて知らせた。私は、衝撃のあまり倒れた。
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