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とある研究員の軌跡

とある大学生が新米研究員として活躍するまで(1)

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 私が曙光研究所で働き始めて1年間、その流れる月日はとても短いように感じた。
 働き始めて間もない頃は大変だった。研究所のフロアマップを覚えたり、この研究所で保護している未確認生物の特性を覚えたり、さらには一般に提供している製品について覚えたりとひたすらに覚えることが多かった。今では研究所の資料整理や色んな研究室に回されて研究の手伝いをすることが作業として追加されて大変さが増した。
 現在はニコライ教授の案内で質素な空き部屋の中におり、わざわざ用意していただいた高く積み上げられている資料をひたすら読み込んでいる。それが現在与えられた私の仕事、この場所についてさらに色々と覚えるということだ。
 とりあえず重要な場所は大体覚えた。私が所属する予定の研究チームの場所、立ち入り禁止区域、製薬開発室、兵器開発室、後は研究チームのリーダーの部屋等。
 場所を覚えておかないと、東京ドームぐらいは超えているほどに広く、さらに構造が複雑だからよく分からないところで迷子になって、これから一緒に仕事をする人の迷惑になってしまうだろうと思ったので真っ先に覚えた。だからまだ未確認生物については覚えていないことが多い。今のところ、覚えるのに相当時間がかかりそうだ。
「どうですか? ここについてはよく分かりましたか?」
 後ろからニコライ教授の声が聞こえた。私は座っている体制から立ち上がり、すぐにニコライ教授へと向き直る。
「はい、ある程度は覚えました。ただ、まだ未確認生物についてはあまり……」
 私はまだこんなことも出来ないのかと思われてしまうと考えてしまい、ついニコライ教授の目から顔を逸らしてしまった。
「まあ、覚えることは多いですし、案内なんて一回きり。それだと覚えにくいというものですね。今は他の研究の手伝いをしていると思いますが、それでもあまり未確認生物についてはそこまで情報が入らない作業となっていることが多いでしょうから、理解しづらくて仕方ないですよ」
「いえ、それは違います! ただ、ニコライ教授のおっしゃっていた通り、やはり覚える量が多くてですね、頭の整理が上手く出来ないといいますか、なんといいますか……」
「別に言いたければいいですよ。私は大して傷つきませんから。それと、そんなことで評価を下げるなんてこともしませんので、気兼ねなくどうぞ」
 ニコライ教授はハハハと笑って見せた。この人は身なりは胡散臭いけど、本当は優しい方なんだろうと思えてきてしまった。でも、なんだか裏がありそうで不安になってしまう。
 ニコライ教授が気兼ねなく言ってくれていいと言ってはいたが、私は何をどう言えば分からないので、とりあえず何か言おうと思って口を無理矢理開いた。
「あの、その、なんというか、いきなりこんな非現実的なところで働くというのが、なんだか信じられなくて、今でも夢を見ているんじゃないかという不思議な感覚があったりしてですね、もしかしたら今はここについて覚えることをしているけど、実はベッドの中にいるんじゃないかなという、今を信じ切れていない感じがまだ纏わり付いていて……」
「そこまで」
 ニコライ教授が急に手のひらを私に向けた。そして手のひらを見せていた腕をゆっくりと降ろした。
「うん、言いたいことは理解しましたから、これ以上は言わなくていいですよ。とにかくあなたは今が信じられないということですね。それは困りましたねぇ」
 ニコライ教授は顎を指で摘まんで摩りだし、考え事をするかのように少し上を向いた。
「あの、すみません。言い訳がましいですよね。私自身が至らないだけです。本当にすみません」
 私はニコライ教授に向けて頭を下げた。誰が見ても覚えるべき課題が覚えられないのは他の誰でもない、私自身の集中力の無さが悪い、私はそういう考えが頭から離れないでいた。だからあんな長々と今を信じられないなんて言い訳をしてしまった。こんな言い訳をされれば困らない人間はいないだろう。
 私は段々と申し訳なさが心の中で積み重なっていったので、今回についての対策等を言って自身を改めないとと覚悟を決めて顔をニコライ教授に向けた。その時、私の額に冷たいものが当たった。そして、私は冷たいものの正体を知り、頭が真っ白になってしまうほどに恐怖した。
「先ほど思いついたのですが、この引き金を引けば今が現実かどうか分かると思いますよ。一発いかがですか? 今が夢だと思うなら試しに引いてあげますよ」
 私は今何がどうなっているのか一切分からず、ただただ怯えるしかなかった。だってそうだ。今、私の額に当てられているのは拳銃の銃口なのだから。
 私は自身の頭をなんとか働かせて、無理矢理口を開いた。
「あの……、すみません……ハァハァ、これは……ハァ、どのような……ッン、状況……で……ハァハァ、しょう……か?」
 ニコライ教授は不思議そうな顔をする。その顔からはこれが本気なのかどうかが読み取れない。
「いえ、今を信じることが出来ないなら、痛い思いをするのはどうだろうかと思いましてね。これは効きますよ。まあ、今が現実なら洒落にならないですがね。……さて、いかがです? 私が引き金を引くのは強制ではないので、断っていただくなら構いませんよ」
「! 信じます! 今は現実です! 私が間違っていました! すみませんでした!」
 ニコライ教授がウンウンと笑みを浮かべて頷いた。どうやら分かってくれたみたいだ。私はホッと胸を撫で下ろす。
「本能で言葉を喋るのは良くないですよ。危険な状況でも理知的に対応しなければ、未確認生物や、仕舞には人間にだって殺されてしまいます。なので、一度引き金を引いてみましょうか。夢ならいいですね」
 唐突にカチャッという音が鳴り出す。私は体が震えてきてしまった。もう震えは止まることはない。ただ頭の中が恐怖で支配されてしまっているせいで、もう自身の体をコントロールすることが出来なくなっていた。私が出来ることは……。
「お願いします! 死にたくない! しにたくない!」
 泣き叫ぶことしか出来なかった。
「それじゃあダメですねぇ。殺されてもおかしくない。じゃ、一発撃ちます。正気は保ってくださいね」
 もうダメだ。私の人生は終わってしまうのか。
 神様、どうかこれが夢でありますように。
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