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第23話 カッサンドラの記憶
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ロザリンド主催のお茶会は無事成功し、レジーナとも和解できた。始める前はかなりドキドキしたが、終わってみれば大成功で、ここまでうまくいくとは思わなかった。正に両手をあげて喜ぶべき結果だが、なぜか心が晴れない。最後にレジーナに言われた言葉が、喉に引っかかった魚の小骨のように、いつまでも引っかかっていた。
「誰かのためでなく自分自身のために生きてください」
ずっとその言葉の意味について考えているが、いまいち納得できる答えが得られない。他人のために頑張れば自分は愛されるからそれでいいのではないか? 何が駄目なのだろう? レジーナの言うことももっともだが……いや、何がもっともなのだろう? やはり何も分からないままだ。
ロザリンドはその夜、なかなか寝付けなかった。一つのことがうまく行けばまた次の課題が出てくる。ずっとこの調子で、永遠に心の安寧が得られないのでは? レグルスに会えば、ちっぽけな悩みなんて気にならなくなるのに一人に戻るとまた逆戻り。結局この繰り返しだ。
思考の堂々巡りに疲れた彼女は、何を思ったか、部屋を抜け出し、廊下に飾ってあるカッサンドラの肖像画を見に行った。
自分とカッサンドラは似ているというのは本当か。勇気を出してレグルスに聞いてみようか。それともリゲルなら教えてくれるだろうか。レジーナが持っているという日記帳を見れば分かるだろうか。そんなことを考えながら、ふらふらした足取りで、ランプの灯りを頼りに、誰もいない廊下をコツコツと歩いた。
前にも見たことがあるので、肖像画のある場所へは簡単に行けた。半分月の光に照らされた絵を、ランプを上に掲げてじっくりと眺める。前に見た通りカッサンドラは美しかった。亜麻色の髪を後ろに結い、柔らかな微笑みをたたえて立っている。金糸の刺繍が施された白いドレスを身にまとい、優雅そのものと言った彼女は、この世の幸せを一身に受けているようだ。
まさか、これを描いた時は早世するなんて思いも寄らなかったに違いない。運命の儚さに思いを馳せ、ロザリンドは誰もいない暗い廊下でぶるっと震えた。
そんな時、静かな暗い廊下に一際響く声。
「僕を呼んだ?」
ロザリンドは驚きの余り叫びそうになり慌てて口を抑えた。そのままの姿勢で恐る恐る後ろを振り向くと、真っ白の体をぼうっと浮かび上がらせたリゲルの姿を認めた。月光に照らされた彼は全身が発光しているようだ。この世のものと思えぬ美しさは、暗闇の中でより発揮される。
なぜこんな夜中に彼が宮殿の廊下にいるのだろう? 先日も彼女の行くところを先回りしていたことを思い出し、ロザリンドは背筋がゾワっとした。
「どうして私がいることが分かったの? どんな魔法を使ったの!?」
「魔法とはちょっと違うんだな、それが。君がそろそろこの絵を見に来る頃合いなんじゃないかと思って来てみた」
「嘘! そんな偶然あるわけがない! どんな力を使ったの? あなたは異能持ちなんでしょう?」
驚きと猜疑心で余裕がなくなり、礼儀すらかなぐり捨てるロザリンドに、リゲルは静かに微笑むだけだった。そこはかとなく感じていた違和感はこれで決定的となった。これ以上彼と一緒にいるのはまずい気がする。
「夜中二人きりで会ってることが知れたら、痛くない腹を探られることになるわ。失礼します」
「カッサンドラのことが知りたくてここに来たんだろう? 僕なら教えてやれるよ?」
一旦踵を返して部屋に戻りかけたロザリンドだったが、うっと言葉に詰まって立ち止まった。これではリゲルの思い通りにコントロールされてしまう。しかし、カッサンドラの情報は喉から手が出るほど欲しい。結局その誘惑に抗えなかった。
ロザリンドが無言で睨み続けるのを、肯定の証だとリゲルは解釈したようで、またにっこりと微笑んだ。まるで裏表なんてないような笑み。この状況でこんな表情ができるとは。
「その前に聞きたいんだけど、どうしてカッサンドラのことが知りたいの? レグルスが信じられないの?」
「言われたの、私と彼女が似てるって。自分を蔑ろにして他人に尽くすところが」
「そうかなあ。似てるかなあ。僕には分からないや」
まるで他人事のようにのんびり話す彼を見てると神経が逆撫でされる。そうだ、人外じみた妖しい魅力を放っているのにどこか子供っぽさが抜けず、ちぐはぐした印象を与えるのだ。良くも悪くも、世間擦れしてないのだろう。
「ねえ、せっかくだから、カッサンドラになってみたくない?」
「は? 一体どう言うこと? 意味が分からない」
突然突拍子もないことを言い出したリゲルに、ロザリンドは目を丸くした。
「他の人にできないことでも僕ならできる。そのために生かされているんだから」
「えっ? 今何て言った?」
しかし、リゲルはロザリンドの返答を待たずに、彼女の手を取って一目散に廊下を駆け出した。その拍子に、手に持っていたランプが床に落ちて大きな音を響かせたが、そんなのお構いなしだ。相手は体が細くても男性のせいか、ロザリンドはぐいぐい引っ張られて転びそうになる。風が吹けば倒れてしまいそうなほど弱々しいのに、どこにそんな力が隠れていたのだろう。そう思っていると、にわかに辺りの空気が変わり出した。
最初は何が起きたのか分からなかった。急に夜から昼になり、温度や湿度も変わっている。一気に時間が変化したようだ。それだけではない。自分の手を握っているのがごつごつした大きい手に変わった。ぎょっとして顔を上げると、そこにいたのはリゲルからレグルスに変わっていた。
驚きの余り声にすらならない。よく見るとレグルスは今よりも少し若い。思慮深さと気苦労の多さがうかがえる眉間のしわも、この時はまだない。何となくではあるが、全体的に快活と言うか、見えない枷のようなものが外れている印象を受けた。
「陛下! カッサンドラ様! お待ちください! 年寄りをからかうものではないですぞ!」
今来た方角から年老いた家臣がやって来る。ロザリンドが会ったことのない人だ。彼は二人の前で止まると、膝に手をつき、呼吸を整えてから話し出した。
「式の前から仲がよろしいのは結構ですが、規則は守っていただかないと。結婚式を早くしたいなんて、聖職者たちが難色を示すようなことを……。帝位について間もないのですから、ここはおとなしくする方が無難です!」
「だって、早くカッサンドラと夫婦になりたいんだもの。こんなかわいい奥さんと一緒になれるなんて、私はなんて幸せなんだろう。じいもそう思うだろう?」
レグルスは、じいと呼ばれた家臣にそう言ってから、満面の笑みを自分に向ける。いや違う。これはカッサンドラに微笑んでいるのだ。ロザリンドの前では、こんな屈託のない顔を見せたことはなかった。そのことに気付いて内心傷ついたが、彼女が入っているカッサンドラは幸せいっぱいの様子だ。沈みゆく気分を無理やり持ち上げられている感じがしてとても気持ち悪い。
今度は場面ががらっと変わって夜。夫婦の寝室だろうか。二人一緒にいるということは、時間が経過して結婚した後のようだ。ベッドに腰かけた状態で、レグルスはカッサンドラを抱き寄せて言った。
「さっきじいが亡くなったとの知らせが入った。父上よりも身近な人だったのに。カッサンドラにも終始優しかったね。私たちにとって親みたいな存在だ。肉親の死より辛い」
カッサンドラも同じように悲しみに包まれ、レグルスの背中を慰めるようにさすっている。じいと言うのは、さっき追いかけっこをしていた年老いた家臣だろう。彼は、ロザリンドが来る前に既に亡くなっていたのだ。
次は舞踏会の場面だ。先日レグルスと踊った時のことを思い出す。あの時と同様、レグルスは甘くとろけるような視線を送っていた。今は相手がカッサンドラだが。まるで背中に羽が生えたかのように軽やかに踊るのが、カッサンドラの体を通じて伝わった。二人の愛の世界は誰にも邪魔できないようだ。
次から次へとレグルスとカッサンドラの生活の場面が繰り出される。その様子は、事前に聞いていたおしどり夫婦という言葉そのものだった。しかし、ロザリンドの心は次第に冷えていった。いつまでこれを見せられ続けるのだろう。レグルスが、自分以外の女性に愛情を注いでいるのを見せつけられるのは辛い。こんなのみじめさが増すだけである。そろそろ辛くなって来た頃、また場面が変わった。
またか、とうんざりしかけたが、先ほどまでとがらりと空気が変わったことに気付いてはっとした。時間は夜、場所はどこかの庭園である。この時のカッサンドラは泣いていた。ひどくふさぎ込んで、悲しみに暮れている。
「レグルスは優しいから何も言ってこない。でも、彼も色々言われてるのは知ってるの。もう結婚して5年も経つのに妊娠しないから。こんな役立たずは離婚した方がいいのかも」
「そんなバカなこと考えちゃいけない。レグルスが一番嫌がることじゃないか。僕が二人を守る。そのために生かされているんだから」
この声はレグルスではない。リゲルだ。カッサンドラは顔を上げて、涙で濡れた瞳でリゲルを見つめた。さっき見たのと寸分違わない、ぞっとするほど美しい真っ白な彼が立っている。
「守る? どうやって?」
「レグルスが君を愛する限り、僕は君の味方だ。全てを捧げる覚悟はできている」
「なぜあなたは人に与えることができるの? 今まで散々奪われてきたのに?」
「それを言うなら、君だってそうだろう。僕たちはみんなそうだ。奪われた者同士で与えあわなければならない」
赤い目でじっと見つめられたその時、心の中に熱いものが生まれた。心臓をきゅーっとつかまれるような、全身の血液が逆流するような衝動。これはカッサンドラの感覚だ。何が起こったの? とロザリンドが戸惑っているうちに、いつの間にか元の世界に戻っていた。
「お帰り。言葉足らずだけど少しは分かったかな? 僕は話すのが得意じゃないし、カッサンドラになってもらう方が一番早いかなって」
「さっきのはなんだったの? 最後に見たやつ! 何か変だった!」
敬語を忘れ無我夢中で話すロザリンドに、リゲルは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
「最後の変な感じに全てを持って行かれて、それまでの幸せなイメージが全て吹っ飛んだわ。意味が分からない!」
「そうだよ。最後の最後で積み重ねたものが一気に消えただろう? つまりそう言うことだ。後は自分で考えてごらん」
リゲルは謎めいた言葉を残して、そのまま去ってしまった。ロザリンドは、金縛りにあったように動けないまま、彼を追いかけることもできず、ただ背中が小さくなるのを見守るしかなかった。
だから、彼女は知らない。この後に、兄弟の間で交わされた会話を。
「ロザリンドにカッサンドラのことを教えたのか? どんな反応だった?」
「そりゃまあ、ショックだったみたいだよ。でも誰かが教えてあげなきゃ。僕が損な役りを引き受けてやったんだから」
「言われてみれば確かにその通りだ、すまない……。私が意気地なしだから……」
「全くだ。そんなんで皇帝が務まるの?」
からかうように言ったリゲルを、レグルスはむっとして睨んだ。
「ご覧の通り務めてるじゃないか。でも、ロザリンドのことになると自信がない」
「レグルスの諦めの悪さは筋金入りだな。性懲りもなく人間を信じてるんだから」
「ロザリンドは大丈夫だ……。リゲルもそう思っただろう?」
「そうだね……。だから、おせっかいかもしれないけど、彼女にまじないをかけてやったんだ。でも僕は意地悪だからある条件でしか発動しないようにしちゃった」
「何だって? どういう意味だ?」
「大丈夫、レグルスが損するようなことはしない。お前がロザリンドを愛する限り、僕は彼女の味方だから。誰かにカッサンドラに似ていると言われたらしいよ。その場ではそうかなあなんて答えたけど、よく考えるとその通りかもしれない」
面白そうにそう言ったリゲルを、レグルスは複雑な表情で見つめた。眉間に刻まれたしわが一層深くなり、ふーっとため息をつく。優しくありたいと願うほど相手を傷つける。どうしたらこの因果から逃れられるのか、彼は途方に暮れるしかなかった。
「誰かのためでなく自分自身のために生きてください」
ずっとその言葉の意味について考えているが、いまいち納得できる答えが得られない。他人のために頑張れば自分は愛されるからそれでいいのではないか? 何が駄目なのだろう? レジーナの言うことももっともだが……いや、何がもっともなのだろう? やはり何も分からないままだ。
ロザリンドはその夜、なかなか寝付けなかった。一つのことがうまく行けばまた次の課題が出てくる。ずっとこの調子で、永遠に心の安寧が得られないのでは? レグルスに会えば、ちっぽけな悩みなんて気にならなくなるのに一人に戻るとまた逆戻り。結局この繰り返しだ。
思考の堂々巡りに疲れた彼女は、何を思ったか、部屋を抜け出し、廊下に飾ってあるカッサンドラの肖像画を見に行った。
自分とカッサンドラは似ているというのは本当か。勇気を出してレグルスに聞いてみようか。それともリゲルなら教えてくれるだろうか。レジーナが持っているという日記帳を見れば分かるだろうか。そんなことを考えながら、ふらふらした足取りで、ランプの灯りを頼りに、誰もいない廊下をコツコツと歩いた。
前にも見たことがあるので、肖像画のある場所へは簡単に行けた。半分月の光に照らされた絵を、ランプを上に掲げてじっくりと眺める。前に見た通りカッサンドラは美しかった。亜麻色の髪を後ろに結い、柔らかな微笑みをたたえて立っている。金糸の刺繍が施された白いドレスを身にまとい、優雅そのものと言った彼女は、この世の幸せを一身に受けているようだ。
まさか、これを描いた時は早世するなんて思いも寄らなかったに違いない。運命の儚さに思いを馳せ、ロザリンドは誰もいない暗い廊下でぶるっと震えた。
そんな時、静かな暗い廊下に一際響く声。
「僕を呼んだ?」
ロザリンドは驚きの余り叫びそうになり慌てて口を抑えた。そのままの姿勢で恐る恐る後ろを振り向くと、真っ白の体をぼうっと浮かび上がらせたリゲルの姿を認めた。月光に照らされた彼は全身が発光しているようだ。この世のものと思えぬ美しさは、暗闇の中でより発揮される。
なぜこんな夜中に彼が宮殿の廊下にいるのだろう? 先日も彼女の行くところを先回りしていたことを思い出し、ロザリンドは背筋がゾワっとした。
「どうして私がいることが分かったの? どんな魔法を使ったの!?」
「魔法とはちょっと違うんだな、それが。君がそろそろこの絵を見に来る頃合いなんじゃないかと思って来てみた」
「嘘! そんな偶然あるわけがない! どんな力を使ったの? あなたは異能持ちなんでしょう?」
驚きと猜疑心で余裕がなくなり、礼儀すらかなぐり捨てるロザリンドに、リゲルは静かに微笑むだけだった。そこはかとなく感じていた違和感はこれで決定的となった。これ以上彼と一緒にいるのはまずい気がする。
「夜中二人きりで会ってることが知れたら、痛くない腹を探られることになるわ。失礼します」
「カッサンドラのことが知りたくてここに来たんだろう? 僕なら教えてやれるよ?」
一旦踵を返して部屋に戻りかけたロザリンドだったが、うっと言葉に詰まって立ち止まった。これではリゲルの思い通りにコントロールされてしまう。しかし、カッサンドラの情報は喉から手が出るほど欲しい。結局その誘惑に抗えなかった。
ロザリンドが無言で睨み続けるのを、肯定の証だとリゲルは解釈したようで、またにっこりと微笑んだ。まるで裏表なんてないような笑み。この状況でこんな表情ができるとは。
「その前に聞きたいんだけど、どうしてカッサンドラのことが知りたいの? レグルスが信じられないの?」
「言われたの、私と彼女が似てるって。自分を蔑ろにして他人に尽くすところが」
「そうかなあ。似てるかなあ。僕には分からないや」
まるで他人事のようにのんびり話す彼を見てると神経が逆撫でされる。そうだ、人外じみた妖しい魅力を放っているのにどこか子供っぽさが抜けず、ちぐはぐした印象を与えるのだ。良くも悪くも、世間擦れしてないのだろう。
「ねえ、せっかくだから、カッサンドラになってみたくない?」
「は? 一体どう言うこと? 意味が分からない」
突然突拍子もないことを言い出したリゲルに、ロザリンドは目を丸くした。
「他の人にできないことでも僕ならできる。そのために生かされているんだから」
「えっ? 今何て言った?」
しかし、リゲルはロザリンドの返答を待たずに、彼女の手を取って一目散に廊下を駆け出した。その拍子に、手に持っていたランプが床に落ちて大きな音を響かせたが、そんなのお構いなしだ。相手は体が細くても男性のせいか、ロザリンドはぐいぐい引っ張られて転びそうになる。風が吹けば倒れてしまいそうなほど弱々しいのに、どこにそんな力が隠れていたのだろう。そう思っていると、にわかに辺りの空気が変わり出した。
最初は何が起きたのか分からなかった。急に夜から昼になり、温度や湿度も変わっている。一気に時間が変化したようだ。それだけではない。自分の手を握っているのがごつごつした大きい手に変わった。ぎょっとして顔を上げると、そこにいたのはリゲルからレグルスに変わっていた。
驚きの余り声にすらならない。よく見るとレグルスは今よりも少し若い。思慮深さと気苦労の多さがうかがえる眉間のしわも、この時はまだない。何となくではあるが、全体的に快活と言うか、見えない枷のようなものが外れている印象を受けた。
「陛下! カッサンドラ様! お待ちください! 年寄りをからかうものではないですぞ!」
今来た方角から年老いた家臣がやって来る。ロザリンドが会ったことのない人だ。彼は二人の前で止まると、膝に手をつき、呼吸を整えてから話し出した。
「式の前から仲がよろしいのは結構ですが、規則は守っていただかないと。結婚式を早くしたいなんて、聖職者たちが難色を示すようなことを……。帝位について間もないのですから、ここはおとなしくする方が無難です!」
「だって、早くカッサンドラと夫婦になりたいんだもの。こんなかわいい奥さんと一緒になれるなんて、私はなんて幸せなんだろう。じいもそう思うだろう?」
レグルスは、じいと呼ばれた家臣にそう言ってから、満面の笑みを自分に向ける。いや違う。これはカッサンドラに微笑んでいるのだ。ロザリンドの前では、こんな屈託のない顔を見せたことはなかった。そのことに気付いて内心傷ついたが、彼女が入っているカッサンドラは幸せいっぱいの様子だ。沈みゆく気分を無理やり持ち上げられている感じがしてとても気持ち悪い。
今度は場面ががらっと変わって夜。夫婦の寝室だろうか。二人一緒にいるということは、時間が経過して結婚した後のようだ。ベッドに腰かけた状態で、レグルスはカッサンドラを抱き寄せて言った。
「さっきじいが亡くなったとの知らせが入った。父上よりも身近な人だったのに。カッサンドラにも終始優しかったね。私たちにとって親みたいな存在だ。肉親の死より辛い」
カッサンドラも同じように悲しみに包まれ、レグルスの背中を慰めるようにさすっている。じいと言うのは、さっき追いかけっこをしていた年老いた家臣だろう。彼は、ロザリンドが来る前に既に亡くなっていたのだ。
次は舞踏会の場面だ。先日レグルスと踊った時のことを思い出す。あの時と同様、レグルスは甘くとろけるような視線を送っていた。今は相手がカッサンドラだが。まるで背中に羽が生えたかのように軽やかに踊るのが、カッサンドラの体を通じて伝わった。二人の愛の世界は誰にも邪魔できないようだ。
次から次へとレグルスとカッサンドラの生活の場面が繰り出される。その様子は、事前に聞いていたおしどり夫婦という言葉そのものだった。しかし、ロザリンドの心は次第に冷えていった。いつまでこれを見せられ続けるのだろう。レグルスが、自分以外の女性に愛情を注いでいるのを見せつけられるのは辛い。こんなのみじめさが増すだけである。そろそろ辛くなって来た頃、また場面が変わった。
またか、とうんざりしかけたが、先ほどまでとがらりと空気が変わったことに気付いてはっとした。時間は夜、場所はどこかの庭園である。この時のカッサンドラは泣いていた。ひどくふさぎ込んで、悲しみに暮れている。
「レグルスは優しいから何も言ってこない。でも、彼も色々言われてるのは知ってるの。もう結婚して5年も経つのに妊娠しないから。こんな役立たずは離婚した方がいいのかも」
「そんなバカなこと考えちゃいけない。レグルスが一番嫌がることじゃないか。僕が二人を守る。そのために生かされているんだから」
この声はレグルスではない。リゲルだ。カッサンドラは顔を上げて、涙で濡れた瞳でリゲルを見つめた。さっき見たのと寸分違わない、ぞっとするほど美しい真っ白な彼が立っている。
「守る? どうやって?」
「レグルスが君を愛する限り、僕は君の味方だ。全てを捧げる覚悟はできている」
「なぜあなたは人に与えることができるの? 今まで散々奪われてきたのに?」
「それを言うなら、君だってそうだろう。僕たちはみんなそうだ。奪われた者同士で与えあわなければならない」
赤い目でじっと見つめられたその時、心の中に熱いものが生まれた。心臓をきゅーっとつかまれるような、全身の血液が逆流するような衝動。これはカッサンドラの感覚だ。何が起こったの? とロザリンドが戸惑っているうちに、いつの間にか元の世界に戻っていた。
「お帰り。言葉足らずだけど少しは分かったかな? 僕は話すのが得意じゃないし、カッサンドラになってもらう方が一番早いかなって」
「さっきのはなんだったの? 最後に見たやつ! 何か変だった!」
敬語を忘れ無我夢中で話すロザリンドに、リゲルは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
「最後の変な感じに全てを持って行かれて、それまでの幸せなイメージが全て吹っ飛んだわ。意味が分からない!」
「そうだよ。最後の最後で積み重ねたものが一気に消えただろう? つまりそう言うことだ。後は自分で考えてごらん」
リゲルは謎めいた言葉を残して、そのまま去ってしまった。ロザリンドは、金縛りにあったように動けないまま、彼を追いかけることもできず、ただ背中が小さくなるのを見守るしかなかった。
だから、彼女は知らない。この後に、兄弟の間で交わされた会話を。
「ロザリンドにカッサンドラのことを教えたのか? どんな反応だった?」
「そりゃまあ、ショックだったみたいだよ。でも誰かが教えてあげなきゃ。僕が損な役りを引き受けてやったんだから」
「言われてみれば確かにその通りだ、すまない……。私が意気地なしだから……」
「全くだ。そんなんで皇帝が務まるの?」
からかうように言ったリゲルを、レグルスはむっとして睨んだ。
「ご覧の通り務めてるじゃないか。でも、ロザリンドのことになると自信がない」
「レグルスの諦めの悪さは筋金入りだな。性懲りもなく人間を信じてるんだから」
「ロザリンドは大丈夫だ……。リゲルもそう思っただろう?」
「そうだね……。だから、おせっかいかもしれないけど、彼女にまじないをかけてやったんだ。でも僕は意地悪だからある条件でしか発動しないようにしちゃった」
「何だって? どういう意味だ?」
「大丈夫、レグルスが損するようなことはしない。お前がロザリンドを愛する限り、僕は彼女の味方だから。誰かにカッサンドラに似ていると言われたらしいよ。その場ではそうかなあなんて答えたけど、よく考えるとその通りかもしれない」
面白そうにそう言ったリゲルを、レグルスは複雑な表情で見つめた。眉間に刻まれたしわが一層深くなり、ふーっとため息をつく。優しくありたいと願うほど相手を傷つける。どうしたらこの因果から逃れられるのか、彼は途方に暮れるしかなかった。
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