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第二章 大阪カニ騒動篇

第四十四層目 苛烈な撤退戦

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「旧墨田区ダンジョンに潜っていたクラン及びパーティーは緊急通信時には四組が取り残されており、その内で比較的浅い場所に居たD級クラン『汐風』の脱出が先程確認された。しかし、三十階層近辺に潜っていたC級クラン『シルバーファング』、B級パーティー『思考する筋肉インテリアル・マッソウ』、同じくB級パーティー『地獄の壁』が三時間前の緊急通信以降連絡がつかなくなっている」
「『汐風』のリーダーの証言によれば、ダンジョン全体が突然揺れ始め、それまで使っていた地図がまったく役に立たなくなったそうだ。恐らく二年前にクレタ島のダンジョンで見られた大規模ダンジョン変動と同様のものと推測されている」

 臨時の対策本部に集められた探索師や職員は、有識者を交えた対策チームの分析を一言一句聞き逃すまいと、メモを取りながら耳を傾ける。

「佐々木主任、質問があります。今回、探索師の有志と我々資格のある職員で救助にあたるのですよね?」
「そうなります。しかし、あくまでも有志ですので、断っていただいても構いません。職員も同様の権利があります」

 日本ダンジョン協会に所属する職員は、その業務の性質上半分が民間の職でありながら、公務員としての立場も同時にもつことになる。
 なので、本来であれば何かダンジョンで事件が発生した場合、職員は率先して対応にあたらなければならない。
 しかし、それはあくまでも危険性が低いケースのみだ。今回の救助活動は、かなりの危険を伴う。
 C級クランに加えて、B級のパーティーが一緒に集まっていて、窮地に追いやらているという事実。
 『シルバーファング』は三級探索師は恵くらいしか所属しておらず、そのほとんどが二級探索師の集まりだ。B級パーティーの二組に至っては、一級探索師も数名在籍している。中途半端な実力で救助に向かっても、向かった側が再度救助を要請する事になりかねない。
 なので、あくまでもこの救助活動に参加するのは自らが志願した『有志』なのだ。

「勿論、危険手当てなども出ますし、その点は職員だけでなく探索師の方々も同じです。協会の規定に則って、特別報酬という形をとらせていただきます」

 その後もいくつかの質疑応答があったが、事態は一刻を争うということもあり、救助に向かう者の班編成が始まった。
 基本的に普段より一緒に活動している者や面識の有るものは一緒のパーティーを組むことになる。連携の問題などもあるからだ。
 それ以外のソロやコンビで活動する者は、職員による班編成に従って、即席のパーティーを組んでいく。

「どうも、初めまして。飯塚です。普段は茨城で活動しております。ポジションはブロッカーです」
「こんにちは。私は塩田。いつもは千葉ダンジョンに潜るヒーラークランでサブリーダーを勤めています」

 各々が自己紹介を交わし、お互いの事を認知していく。
 普段はソロや少人数で活動しているといっても、それで他人とのコミュニケーションがとれないのでは一流の探索師を務まらない。特級探索師の様に一人で一級探索師十人以上の働きをするものは別であるが。

「どーもー。トゥルーチューブでダンジョン専門チャンネルを開設してます、浅川あさがわです。若輩者ですが、よろしくどうぞ」

 高身長で人当たりの良い顔の男が気さくな物言いで挨拶をする。
 それを聞いた周囲の者は一瞬ざわつく。

「あれが、『ダンジョン食い』の浅川か……!」
「『ダンジョン食い』?」
「なんだ、知らないのか? あいつは、自分が開設したチャンネルでアップロードする動画の視聴回数を稼ぐために、田舎にある小規模のダンジョンのコアを消滅させてしまい、一度捕まった事があるんだ」
「は? な、なんでそんなやつがここに?」
「協会としても浅川の資格を剥奪して、二度と探索師として活動できないようにしたかった。だが、奴はダンジョンコアを消滅させる様子を生配信していたので、爆発的な人気を得てしまったのだ」

 消滅したダンジョンがあった村では、時おりダンジョンから出てきてしまうモンスターに苦しめられていた。
 再三のダンジョンの封鎖の要請にも協会は規定によるという理由で応じなかった。それに対し、長年の願いであるダンジョンの閉鎖をしてくれた浅川は、その方法が世間的にあまり誉められたものでないとしても、村からすれば英雄なのだ。
 しかし、協会はそれでは面子が立たぬと浅川を捕縛。ところが、結局二週間後には方々からの圧力により、この件は不問となってしまった。

「実力は間違いなくある……だが、何を考えている奴かわからんからな。要注意だ」

 周囲のざわめきにも顔色ひとつ変えることのない浅川。
 何か起こらなければいいが。
 そう不安に思う救助隊の前に、一人の男が現れた。

「静粛にッ! 今回の救助活動の総指揮を担当する、日本ダンジョン協会東京支部長、|隈谷くまや》だッ! この度は多くの者の参加に、感謝致す! 諸君も既に知っての通り、今回ダンジョン内の構造が著しく変化してしてしまい、それにより大規模な遭難事件に発展している。我々が救助活動する間にも、同様の変化があるかもしれないとの見解もある。まずは己の命を優先して守るよう、各自心がけて欲しいッ! 以上ッッ!」

 この場に集まる者のほとんどが、東京支部に属するか東京支部の管轄で活動する者ばかりだ。
 なので、そんな自分達の世話になる組織のトップの登場に、先程とはまた違った種類のどよめきが起こる。

「隈谷支部局長が出てくるなんて……いったい、どうなっているんだ?」
「……今回は、本当に荒れるかもしれないな」

 誰かが呟いたその言葉。
 この場にいる誰しもがその言葉に心の中で頷き、表情を引き締めるのであった。


 ◇◇◇◇◇◇


「回復ッ! 十秒遅いッ!」
「わかってるッ! そっちも合わせてくれ!」

 金属同士がぶつかり合い、時おり悲鳴と怒号が入り交じる旧墨田区サブ・ダンジョン、第三十三階層。
 既に地面に倒れ伏して動かなくなっている者も含め、そこには二十人弱の老若男女、姿形も様々な探索師が必死の攻防を繰り広げていた。

「クッ! 救助はまだか!」
「ダンジョンの構造が、変わったから……なッ!! ふぅ……しばらく救助はないと思わなきゃ。しかも、通信機器が全部おしゃかになってるなんて……偶然にしてはおかしい」

 大盾で鉄の塊の様なこん棒を防ぐブロッカー。その脇から飛び出した細剣使いが、敵の頸椎部分を軽やかに切り裂く。
 緑色の血液を撒き散らし、小さな地響きをたてながら倒れるこん棒の持ち主。その身体は全身が厚い筋肉で覆われており、肌は緑色であった。

「しかし……これは、絶対におかしいだろ! 『オルグ』とか、メイン・ダンジョンの上の方の階層のモンスターだろ?」
「あぁ。オレたちは一度新宿のダンジョンに行ったことがあるが……確か第八階層にこいつらがいたはずだ」

 そう言って転がる死体を足蹴にするのは、B級探索師パーティー『思考する筋肉インテリアル・マッソウ』のリーダー、ドン・勝本というだ。
 その鍛え抜かれた鋼の肉体はどんな攻撃も弾き返し、彫りの深い顔面の奥で光る鋭い視線は相手の肝を握りつぶす威圧感がある。
 女性でありながら、『ドン』という名を冠する勝本……本名、勝本かつもと あい
 女性でありながら、『ドーニャ』ではなく『ドン』を名乗るのは、性別の壁など関係ないと……そんな『つまらないモノ』を嘲笑い、己が望む『名』を冠したいというものからだ。
 だが、その圧倒的なまでの自信は、その実力が……肉体が裏付けるッッ!!
 皆が疲弊し、段々と前線が下がるなかでも、勝本は迫り来るオルグのこん棒を奪いとり、逆に相手の頬を殴り飛ばすという一騎当千の働きを見せていた。
 だが……それでも、勝本はあくまでも人間である。
 部下達に弱味は見せまいと無我夢中で敵を倒すが、その肉体は限界をとうに越えていた。

(このままじゃ、全滅は必須……こいつらは、いったい何処から溢れてくるのか?)

 一見すると脳ミソまで筋肉で出来ている様な立ち振舞いで敵を屠る勝本。しかし、その瞳は常に周囲を見渡し、この三時間に渡って何処からか溢れてくるオルグの出所を探っていた。

「ダメか。九条さんッ! ここは一度引きましょう!!」

 勝本はこめかみに襲い来るこん棒を素手で握り掴み、そのままオルグごと振り回して地面に叩き伏せる。
 そうして向けた視線の先。そこで三ツ又の槍を振るう男、九条 俊哉は力強く頷きながら声を張り上げる。

「全員、一時撤退ッ! 前衛3、支援1を残して三十二階層まで交代してくれッ! ヒーラーは怪我人を確保しつつ、前衛を中心に回復。後衛は補給を怠るなッ!」
『了解ッ!』

 俊哉の号令に従い、即席のクランは即座に動き始める。
 だが、即席でありながらもその動きは目を見張るものがあり、まるで以前から組まれていたかのような連携の取れようであった。
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