夏が来るたび

四季

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夏が来るたび

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 夏が来るたび思い出す。
 特別だった、あの人のことを。


 ある初夏の昼下がり。私は一人で電車に乗って、四角い窓から見える景色を眺めていた。

 空には、まだ真夏ではないというのに、大きな白い雲が広がっている。人の手など決して届かない遥か上空にある、雲。それは、どこまでも続く空の壮大さを、教えてくれているみたいだ。眺めているだけで涙が出そうな、美しい空である。

 車内は既に冷房がかかっており、時折心地よい風が頬を撫でていく。薄手のカーディガンを羽織ってちょうど良いくらいの温度である。暑すぎず、寒すぎることもない。そんな快適な温度が保たれている。

 今年もまた、夏が来たのか——。

 電車に揺られながら、私はぼんやりとそんなことを考えた。


 あの人と初めて知り合ったのも、こんな、初夏の晴れた日だった気がする。

 私たちの出会いは、本当に何ということのない、ありふれたもので。人に語れるようなドラマチックな出会いではない。

 駅のホームにある自販機で飲み物を買った私は、お釣りの十円玉を一枚取り忘れてしまっており、たまたま次に並んでいたあの人が、それを教えてくれた。

 ただそれだけの出会いである。

 けれども、そこから私とあの人は、みるみるうちに距離を縮めていった。もし本当に運命というものが存在するとしたら、多分、それが私たちをくっつけたのだろう。そんな風に思わずにはいられない。

 だいぶ親しくなってから、私たちは、二人で色々な場所へ出掛けた。買い物をしたり食事をしたり。そんな日々の中で、あの人は、「いつか海の向こうへ行きたい」とよく言っていた。なので、「二人で行こうね」と約束した。
 私たちは決して贅沢な日々を送ったわけではない。けれど、それでも、あの人と共に過ごしているだけで、私の目に映る世界は輝いていた。何もかも、すべてが。

 夏が終わり、秋になり、冬が訪れる。そしてやがて春が来て、また夏が——そう思っていた。その頃の私は、そういうものだと、当たり前のように思い込んでいたのだ。愛しい人と同じ時間を生きられることのありがたさなんて、すっかり忘れてしまっていたのだろう。

 私は感謝の心を忘れていた。
 だから、こんなことになってしまったのかもしれない。

 ——というのも、次の夏、あの人は命を落としてしまったのである。

 海外への往路にて飛行機事故に巻き込まれ、突然、亡くなった。

 これからもずっと続くと思っていた、二人の時間。それは、『あの人の死』というどうしようもない事実によって、止まってしまった。そして、もう二度と動き出すことはない。

 特別な人の葬儀は、悲しいものなのだと思っていたが、意外にも涙は出なかった。
 なぜだろうか。理由は分からない。
 ただ、予想したよりかは悲しくなかった。寂しくもなかった。

 ようやく涙が出たのは、葬儀の後、家に帰って、あの人と二人で写った写真を目にした時。その瞬間の、それまで凍りついていた何かが一気に解凍される感覚は、今でもはっきりと思い出せる。

 二人で行こう。

 あの約束は何だったのか。
 勝手に海の向こうへ一人で行こうとして、私だけをこの世界へ残して逝くなんて。

「せっかち」

 写真に写る笑顔のあの人に、私はそう言ってやった。

 ……いや、それしか言えなかったのだ。この世からいなくなってしまったあの人へかけられる言葉なんて、あるわけがないではないか。


 時の流れとは早いもので、あの人の死から、もう五年が経った。

 当時は泣いて泣いたが、じきに立ち直り、今は普通の生活に戻っている。仕事にも就けているし、家族や友人もいるし、それなりに幸せな人生だと思う。日常の中で泣きたくなることも、ほぼなくなった。

 ただ、こうして一人で電車に乗っていると、たまに、あの人と過ごしていた頃の幸せな私の幻影が見える。また、駅のホームで知り合った時のことや、二人で出掛けた時のことが、次から次へと脳内に浮かんできて、ほんの少し切ない気分になる。

 それでも、世界は変わらない。

 広大な空、柔らかな木々、人や車の行き交う街。車窓から望む景色は、今日も変わらず美しい。
 あの人と一緒にいた頃、この世界はもっと鮮やかだったけれど……今見ている世界も、モノクロなわけではない。

 夏が来るたび思い出す。
 特別だった、あの人のことを。

 思い出しはするけれど——過去に囚われてはいたくない。

 あの人がそれを望んでいるとは思えないから。あの人ならきっと、前を向いて進んでほしい、と言うだろうから。

 そんなことを考えながら、私は今日も、電車に乗る。

◆おわり◆
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