婚約はなかったことになりましたが、新たな出会いはあったので、穏やかに暮らします。

四季

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4.夜の出来事

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 その日の晩、藁を敷いた寝床でふと目覚めると、何やら声が聞こえてきた。
 それも、ただの話し声ではない。事件でもあったのか、というような、叫んでいるみたいな声。陽は落ち、皆寝静まっているはずのこの時間だからこそ、明らかに不自然だ。

 上半身を起こし、隣で寝ている母——ダリアに目を向ける。
 彼女は聞こえてくる声にまったく気づいていない様子。瞼は閉じ、口角を僅かに持ち上げ、呑気に眠っている。

 続けて、少し離れたところで布にくるまって横たわっているシュヴェーアの方へと視線を移す。私の視線が彼の方へ向いた瞬間、彼はむくりと体を起こした。

「……何か、言ったか」

 彼はだるそうに尋ねてくる。
 それに対し、私はすぐに首を横に振った。

「私ではないです。あの声は、多分、外からだと」
「……酔っ払いか?」

 シュヴェーアは今は甲冑を身にまとっていない。彼は甲冑の下に着ていた布の服だけの状態で眠っていたのだ。

「いえ。この村に酔っ払いの人が来ることなんて、滅多にありません」

 どうやら、シュヴェーアにもこの声は聞こえているらしい。取り敢えず、私だけが聞いているのではないということは確定。幻聴の疑いは晴れた。

 しかし、肝心の「何の声なのか」が不明だ。
 様子を確認してみたい。しかし、こんな夜中に家から出るのは怖くて、なかなか行動に移れない。

「……見てきても構わんが、外を」
「いいんですか!?」
「あぁ……パンの礼だ……」

 シュヴェーアはすぐ近くに置いていた剣を手に取ると、ゆっくりと立ち上がる。そして、暗闇の中を歩き始めた。彼の足は玄関へと向かっている。

 私は彼の後を追うことにした。
 彼を見習って、なるべく音を立てないよう心掛けながら歩く。


 ◆


「……な!」

 玄関を開け、一歩外へ踏み出した瞬間、シュヴェーアは短い息を漏らした。

 私は何があったのか理解できない。彼が驚くことだ、きっと特別なことなのだろう。外で何が起きているのか気になる。

 でも、今は聞けそうな状態にない。
 もう少し様子を覗き見ておこう。

 やがて、彼は完全に外へ出る。その後を追っていた私も、扉を通り過ぎ——そして、愕然とする。

「な、何あれ!?」

 私は思わず叫んだ。
 幾人かの村人が手に持っている松明の明かりに照らされ、暗闇に浮かび上がる大きな影。

 ——それは化け物だった。

 狼と爬虫類が合体したような外見の怪物。
 四足歩行で、口吻は三角錐のように尖っている、それらの特徴は狼寄り。その一方で、体表はてらてらと輝く艶のある鱗に覆われており、蛇のような印象を受ける部分もある。

 村は混乱に陥っていた。

 不気味な生物に怯える人々は、「悪魔の本性!?」「殺されるぅぅぅ!!」などと大騒ぎしている。そんな彼らの脳内に『冷静』の二文字はない。

「……アレは、敵か」
「え? え、あの、え……?」
「敵か、聞いている」

 シュヴェーアの問いは気味悪さを感じるほど淡々とした調子。

「そ、それはそうですよ! あんな化け物! 見るのも初めてです!」
「……そう、か」

 シュヴェーアの薄い唇が僅かに動く。

 直後、彼は鞘から剣を抜いた。

 やや艶のある革製の黒い鞘。そこから現れたのは、一振りの剣。持ち手は凹んだ横線が幾本も走った握りやすそうなデザインで、鍔は鋼鉄にも似た鋭さのある灰色をしている。剣身は銀色なのだろうが、今は松明の火を受けて紅に染まっている。

「なら……斬って、問題ないな……」

 身長の半分くらいは長さがある刃を持つ剣を手に、シュヴェーアは夜を駆け出す。
 パンを求めている彼とは別人のような目をしていた。

 傭兵のようなことをしているとは聞いていたけれど、でも、ここまで躊躇いなく化け物に突っ込んでいく勇者だとは思わなかった。だって、普通は異形を見れば怯んでしまうものではないか。自身より遥かに大きな体を持つ、しかも得体の知れない生物が相手とならば、大抵の人間は挑むのを諦めるだろう。

 でも、彼は違う。
 彼に常識は通用しない。

「おぅっ!? な、何者だ!?」
「んもー、なになにー? 騒がしいねー」

 松明の火という小さな明かりだけを頼りに奇妙な生物と対峙していた人々は、颯爽と現れた剣士の姿に唖然とした顔をしている。だが、驚くのも無理はない。喧騒の中に突如無言の男が現れれば、誰だって真顔ではいられまい。

 シュヴェーアの剣は怪物の身を断つ。
 力強く、青い汁を散らしながら、皆が恐怖心を向ける対象を刻んでゆく。

 そして十数秒後。
 剣先から薄気味悪い液体を垂らしながら、彼は夜の闇に佇んでいた。

「な、なんだぁ? あいつ、ヤバくないか?」
「んもぅー、嫌やわー。助かったけど、夜にいきなり出てきて怖いわー」

 一部始終を見ていた者たちは、怪物が倒れた途端、急激にリラックスした顔になる。そして、もちろん声も柔らかくなっていた。口ではなんだかんだ言っているが、皆、恐ろしい敵が倒れたことに安堵しているようだ。

 集まり騒いでいた人々は、それぞれの家へと帰っていく。夜の村に平穏が戻り始めた。

「シュヴェーアさん!」

 怪物を斬り終え、まだ暗闇にじっと佇んでいるシュヴェーア。彼のもとへ私は駆けていく。そうして、私があと二三歩で彼に触れられるくらいの位置にまでたどり着いた時、彼は静かに振り返った。明かりのほとんどない闇に、灰色の髪が揺れている。

「あ、あんな怪物とやりあって……大丈夫なんですか?」
「……腹が、減った」
「え?」
「いや……すまない。……帰ろう」

 シュヴェーアは不思議な人。とてつもなく強いのに、戦闘中以外は温厚だ。やたらと空腹を主張してくるところを除けば、普通の人間と変わらない。
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