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episode.1 出会いはいつも唐突に

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 ひとまず避難所に指定されている頑丈な建物の中まで移動することができた。

 この街において限られた数しかない、石で造られた建物。それがこの建物なのだ。魔の者が出現した際にはここへ逃げるように、と、事前に皆に話がされているのだ。

 私がそこへたどり着いた時、建物の中は既に多くの人で埋め尽くされていた。三階建てだというのに凄まじい密度。それだけでもいかに多くの人がここへ逃げてきたかが分かるだろう。

 一階は人が多すぎるので、取り敢えず二階へと向かう。

「……ねぇ、ちょっと」
「ここまで来れば安心です!」

 何だかんだで、負傷者の青年――どちらかというと少年に近い見た目だが――もあのまま連れてきてしまった。

「疲れましたよね、大丈夫ですか? さ、ここに座ってください」

 二階の西の端には、大抵空いている不人気なベンチがある。私はいつもそこを狙っている。座りたいからだ。ただ、今日は話が別。私よりも座るべき人がいるから、負傷者の彼にそこへ座るよう促してみた。

 ……いや、私、見ず知らずの人に何してるんだろう?

 数秒の間の後、彼はベンチに腰を下ろした。

 しかし彼はまだ怪訝な顔でこちらを見ている。
 もしかしたら私を怪しい人と思っているのかもしれない。

「まずは手当てを……って、あ、先に名乗る方が良いですね? 私はソレア、よろしくお願いします。何だか無理矢理ここへ連れてきてしまってすみません。でも、これもきっと何かの縁でしょう。どうか、仲良くしてくださいね」

 笑みを浮かべている――つもりなのだけれど。

 笑ってみせるなんて久々のことで、上手く笑えている自信がない。

「……変なやつ」
「そうですね。私、変なやつですよ本当に――って、え!? 変なやつ!? さすがにそれは酷くないですか!? いや、でも、実際そうなんですけど……」

 それより、手当てを。
 そう思い彼の状態を目で確認していると。

「何?」

 怪訝な顔をされてしまった。

「あの、腕を出していただけますか?」
「……いやほんと何?」
「怪我していますよね。それ、今から治しますから」

 右腕を拝借。左手で肘辺りをを下側から掴み、右手の手のひらを負傷している辺りに向ける。すると柔らかな光が右手の手のひらから放たれて。彼の右腕の傷は数十秒といわず十秒ほどでほとんど消え去った。

「はい! こんな感じです」
「……これは?」

 傷が癒えたことを不思議に思ったのか、彼は座ったままでこちらへ視線を向けてきた。燃えるような色の瞳がこちらをじっと見つめている。

「これはですね、この国では治癒魔法と呼ばれています。私は昔からそれが使えます」
「……そう」
「ということで、他のところも治していきますね! お任せください!」
「いや、ちょっと、そういうのは……」

 何か言いたげな彼。念のため「治してはいけませんか?」と尋ねてみておく。しかし彼は言おうとしたことを呑み込むことを選んだようで、「いや、べつに」と短く返してきた。一応この感じだと絶対に治してはならないということではないようだ。

 それから私は一ヶ所ずつ魔法をかけて傷を癒していった。

 このくらい容易いことだ。
 とはいえ、人間の中には魔法というものを毛嫌いしている者もいるので、人の目があるところで気軽にできることでもないけれど。

「ふぅ! 終わりましたよ!」

 処置の終了を告げると、彼はしばらく元通りになった自分の身体をあちこち眺めていた。

 そしてそれが終わると改めてこちらへ目をやってくる。

「やるね」

 彼はそう言って微かに笑みを浮かべる――が、すぐに元の色のない表情に戻った。

「それで? ……こんなことして、何させたいわけ?」
「えっ。あの、そういうのじゃなくて」
「……はっきり言えば?」
「その、本当に、そういうのじゃないんです。私、ただ……怪我をどうにかしたくて」

 負傷者がいる。
 私は治癒魔法を使える。

 ならば私はその人を癒したい。

 ただそれだけの気持ちで行ったことだ。

 べつに何かを求める気はない。もともと大きな期待などしていないし、見返りを要求しようなんて考えは一切なかった。ただ、何となく連れてきてしまって申し訳なかったから、せめて手当だけでもしようと思ったのだ。

「……キミってちょっと変わってるよね」

 彼は少しばかり呆れているようだった。

「ええと……名前、何だっけ?」
「ソレアです」
「そ。ソレアか。ふーん」
「何か変ですか!?」
「……うるさいな、そんなこと言ってない」

 その時だ、建物が大きく揺れたのは。

 大きな振動。
 一度だけ。
 しかし身体ごと上下に豪快に動かされた。

 さらに、一階から悲鳴のような声が聞こえてくる。

 それから少しして、突然、廊下が突き破られた。

「え」

 思わず出る声。
 それは、誰にも届かない声だ。

 そんな声がこぼれた原因は一つ――目の前に魔の者と思われる存在が現れていたから。

 背筋を駆けあがる恐怖感。冷ややかな感触が全身を巡る。まるで血液まで凍り付いてしまいそうな恐ろしさが身も心も支配してしまって。もはやまともな思考を働かせることなどできやしない。

 こうして魔の者と対峙するのはいつ以来だろう。

 きっとそう。
 両親を連れ去られたあの日以来だ。

 あの絶望の日、まさに今と同じように、私は怪物と対峙した。

 そして――。

「……あのさ」

 肩に触れたのは、先ほどまで傷を癒していた彼だ。

「ちょっと、下がっててくれる?」

 いきなりそんなことを言われて、意味も分からず、けれども私は――半分無意識で小さく頷いていた。
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