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episode.8 新たな誘い
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暗い闇の中、ゼーレと名乗る謎の人物と二人きりの状況。かなり危険な状況だと、素人の私でも分かる。だが、言葉を交わしてしまった以上、今さら逃げるわけにはいかない。いや、そもそも、私一人で彼から逃げきれるわけがない。
「……いきなり何ですか」
緊張で足が震えそうになるのを必死に堪え、平静を装いながら言葉を返す。するとゼーレは、金属製の片手をこちらへ差し出してきた。
「マレイ・チャーム・カトレア。我々のボスは貴女を気に入っているのです」
「ボス? 気に入っている? まったく分かりません」
「頭はあまりよろしくないようですねぇ。……まぁいいでしょう」
次の瞬間。
私の喉元に、ゼーレの真っ直ぐ伸びた指が触れていた。目にも留まらぬ素早い接近に、私はゾッとする。
「……っ!」
「拒むなら力ずくで連れていくだけのことです」
ゼーレからはただならぬ空気が溢れ出ている。
私では敵わない、と本能で察した。
しかし、連れていかれるのは困る。私には宿屋の仕事やトリスタンのことがあるからだ。ゼーレがどこの誰なのかは知らないが、進んで関わりたい感じではない。
「共に来ていただけますね?」
銀色の仮面の顔が、少し笑ったような気がした。不気味だ。
私が答えを考えていると、彼は更に言ってくる。
「はい、か、いいえで答えて下さい。マレイ・チャーム・カトレア、どうなのです?」
ゼーレは、私の喉元に指先を突きつけたまま、静かな声色で言ってきた。
一応「いいえ」という選択肢もあることはあるようだ。しかし、もし仮に私がそう言っても、彼は私を強制的に連れていくのだろう。つまり、「いいえ」という選択肢はあってないようなものなのである。
今私が選べる道は二つ。
自らゼーレについていくか、彼に無理矢理連れていかれるか。
それ以外はない。
「どうなのです?」
「…………」
「沈黙は『はい』だと解釈しますよ」
「……嫌」
怖くて唇が震えた。
私の呟くような小さな声に対し、ゼーレは述べる。
「聞こえませんねぇ。もっとはっきり言いなさい」
それはそうだけれども。
今の私には、そんな勇気はない。目の前の彼に対してはっきりと物を言うなど、どう考えても無理だ。
「最後の機会をあげましょう。どうなのですか?」
「……い、いいえ」
言うや否や、ゼーレは急激に口調を強める。
「ならば強制的に連れていくまでです!」
襟を掴まれる。
これは本当にまずい、と、頬を汗が伝う。
——刹那。
「マレイちゃん!」
焦りと恐怖で満たされた私の耳に、トリスタンの声が飛び込んできた。
やはり彼は救世主だ。いつだって私を助けに来てくれる。
「トリスタン!」
私は声を振り絞り、彼の名を呼ぶ。名を呼ぶことに深い意味などないが、ただ、自分の存在を示したかったのだろう。そして、助けて、と言いたかったのだと思う。
「マレイちゃん! すぐに助けるから!」
トリスタンは怪我している。だが、その動きに鈍りはない。
彼は手首の腕時計に指先を当て、白銀の剣を抜く——そして駆け出した。
「……なにっ」
ゼーレはトリスタンの気配を察知し、素早く飛び退く。そのうちに、私とゼーレの間へ入るトリスタン。
「マレイちゃん、大丈夫?」
「えぇ、何とか」
「良かった。後は僕に任せて」
トリスタンは威嚇するように、白銀の剣をゼーレへ向ける。
長い金の髪が夜風に揺れていた。その様を眺めていると、まるでファンタジックな童話の世界に迷い込んだかのような、不思議な気持ちになってくる。
「……マレイちゃんに近づかないでもらおうか」
「それは無理ですねぇ」
厳しい顔つきのトリスタンを前にしても、ゼーレはまったく動揺していなかった。私でもトリスタンでも、彼にとっては同じのようだ。
「今朝、巨大蜘蛛に会ったでしょう」
「……どうしてそれを」
「あれは私の手下。その娘について調査するため派遣し——」
カァンッ!
言葉の途中で、金属と金属の触れ合うような甲高い音が響く。
ゼーレが言い終わるのを待たずに、トリスタンが斬りかかっていたのだ。ゼーレが機械の腕で防いだため、甲高い音が響いたのだろう。
「他人の話を最後まで聞かないとは、実に無礼な男ですねぇ」
白銀の剣を腕で防ぎながら述べるゼーレ。仮面のせいで表情こそ見えないが、その声は余裕に満ちている。
「マレイちゃんを利用する気なら許さない」
トリスタンはゼーレの腕に剣先を当てたまま言う。冬の夜風のように冷ややかな声色で。
するとゼーレは返す。
「利用する気なのは、そちらも同じではないですか」
「違う」
「いいや、違いません。同じことです」
言い終わるや否や、ゼーレはトリスタンに向けて高い位置の蹴りを放つ。トリスタンは白銀の剣を咄嗟に胸の前に引き寄せ、ゼーレの蹴りを防いだ。
一歩退くトリスタン。
対するゼーレは踏み込み、前へ出る。
「邪魔者は消すようにと言われているのでねぇ。邪魔するなら容赦しません」
至近距離からのゼーレの蹴り。トリスタンはそれを剣で防ぎ、すぐに攻撃に転じる。
「容赦しないのはこちらも同じだよ」
白銀の剣のひと振りで、攻撃しようと接近したゼーレを後退させる。
今度はトリスタンの番だ。
トリスタンは凄まじい勢いで剣を振り、ゼーレを圧倒する。日頃のトリスタンからは想像し難い荒々しさだ。
「……くっ。レヴィアス人にしては、なかなかやるようですねぇ」
「化け物狩りを生業としている人間だからね」
「なるほど……そういうことでしたか」
少し空けてゼーレは続ける。
「つまり我々の敵ということですねぇ」
「そういうことになるね」
「面白い。レヴィアス人もまだ捨てたものではないようですねぇ。くくく」
不気味な笑い方をするゼーレ。彼はトリスタンとこれ以上戦う気はないようだ。恐らく、戦うこと自体が目的ではないからだろう。
「まぁいいでしょう。いずれまた会うでしょうが、今日のところはこれで失礼します」
ゼーレは黒いマントを翻し、闇へ溶けるように去っていく。追いかける時間もない。ほんの数秒にして彼は消えた。
その後。
場に残されたのは、私とトリスタン——二人だけだった。
「……いきなり何ですか」
緊張で足が震えそうになるのを必死に堪え、平静を装いながら言葉を返す。するとゼーレは、金属製の片手をこちらへ差し出してきた。
「マレイ・チャーム・カトレア。我々のボスは貴女を気に入っているのです」
「ボス? 気に入っている? まったく分かりません」
「頭はあまりよろしくないようですねぇ。……まぁいいでしょう」
次の瞬間。
私の喉元に、ゼーレの真っ直ぐ伸びた指が触れていた。目にも留まらぬ素早い接近に、私はゾッとする。
「……っ!」
「拒むなら力ずくで連れていくだけのことです」
ゼーレからはただならぬ空気が溢れ出ている。
私では敵わない、と本能で察した。
しかし、連れていかれるのは困る。私には宿屋の仕事やトリスタンのことがあるからだ。ゼーレがどこの誰なのかは知らないが、進んで関わりたい感じではない。
「共に来ていただけますね?」
銀色の仮面の顔が、少し笑ったような気がした。不気味だ。
私が答えを考えていると、彼は更に言ってくる。
「はい、か、いいえで答えて下さい。マレイ・チャーム・カトレア、どうなのです?」
ゼーレは、私の喉元に指先を突きつけたまま、静かな声色で言ってきた。
一応「いいえ」という選択肢もあることはあるようだ。しかし、もし仮に私がそう言っても、彼は私を強制的に連れていくのだろう。つまり、「いいえ」という選択肢はあってないようなものなのである。
今私が選べる道は二つ。
自らゼーレについていくか、彼に無理矢理連れていかれるか。
それ以外はない。
「どうなのです?」
「…………」
「沈黙は『はい』だと解釈しますよ」
「……嫌」
怖くて唇が震えた。
私の呟くような小さな声に対し、ゼーレは述べる。
「聞こえませんねぇ。もっとはっきり言いなさい」
それはそうだけれども。
今の私には、そんな勇気はない。目の前の彼に対してはっきりと物を言うなど、どう考えても無理だ。
「最後の機会をあげましょう。どうなのですか?」
「……い、いいえ」
言うや否や、ゼーレは急激に口調を強める。
「ならば強制的に連れていくまでです!」
襟を掴まれる。
これは本当にまずい、と、頬を汗が伝う。
——刹那。
「マレイちゃん!」
焦りと恐怖で満たされた私の耳に、トリスタンの声が飛び込んできた。
やはり彼は救世主だ。いつだって私を助けに来てくれる。
「トリスタン!」
私は声を振り絞り、彼の名を呼ぶ。名を呼ぶことに深い意味などないが、ただ、自分の存在を示したかったのだろう。そして、助けて、と言いたかったのだと思う。
「マレイちゃん! すぐに助けるから!」
トリスタンは怪我している。だが、その動きに鈍りはない。
彼は手首の腕時計に指先を当て、白銀の剣を抜く——そして駆け出した。
「……なにっ」
ゼーレはトリスタンの気配を察知し、素早く飛び退く。そのうちに、私とゼーレの間へ入るトリスタン。
「マレイちゃん、大丈夫?」
「えぇ、何とか」
「良かった。後は僕に任せて」
トリスタンは威嚇するように、白銀の剣をゼーレへ向ける。
長い金の髪が夜風に揺れていた。その様を眺めていると、まるでファンタジックな童話の世界に迷い込んだかのような、不思議な気持ちになってくる。
「……マレイちゃんに近づかないでもらおうか」
「それは無理ですねぇ」
厳しい顔つきのトリスタンを前にしても、ゼーレはまったく動揺していなかった。私でもトリスタンでも、彼にとっては同じのようだ。
「今朝、巨大蜘蛛に会ったでしょう」
「……どうしてそれを」
「あれは私の手下。その娘について調査するため派遣し——」
カァンッ!
言葉の途中で、金属と金属の触れ合うような甲高い音が響く。
ゼーレが言い終わるのを待たずに、トリスタンが斬りかかっていたのだ。ゼーレが機械の腕で防いだため、甲高い音が響いたのだろう。
「他人の話を最後まで聞かないとは、実に無礼な男ですねぇ」
白銀の剣を腕で防ぎながら述べるゼーレ。仮面のせいで表情こそ見えないが、その声は余裕に満ちている。
「マレイちゃんを利用する気なら許さない」
トリスタンはゼーレの腕に剣先を当てたまま言う。冬の夜風のように冷ややかな声色で。
するとゼーレは返す。
「利用する気なのは、そちらも同じではないですか」
「違う」
「いいや、違いません。同じことです」
言い終わるや否や、ゼーレはトリスタンに向けて高い位置の蹴りを放つ。トリスタンは白銀の剣を咄嗟に胸の前に引き寄せ、ゼーレの蹴りを防いだ。
一歩退くトリスタン。
対するゼーレは踏み込み、前へ出る。
「邪魔者は消すようにと言われているのでねぇ。邪魔するなら容赦しません」
至近距離からのゼーレの蹴り。トリスタンはそれを剣で防ぎ、すぐに攻撃に転じる。
「容赦しないのはこちらも同じだよ」
白銀の剣のひと振りで、攻撃しようと接近したゼーレを後退させる。
今度はトリスタンの番だ。
トリスタンは凄まじい勢いで剣を振り、ゼーレを圧倒する。日頃のトリスタンからは想像し難い荒々しさだ。
「……くっ。レヴィアス人にしては、なかなかやるようですねぇ」
「化け物狩りを生業としている人間だからね」
「なるほど……そういうことでしたか」
少し空けてゼーレは続ける。
「つまり我々の敵ということですねぇ」
「そういうことになるね」
「面白い。レヴィアス人もまだ捨てたものではないようですねぇ。くくく」
不気味な笑い方をするゼーレ。彼はトリスタンとこれ以上戦う気はないようだ。恐らく、戦うこと自体が目的ではないからだろう。
「まぁいいでしょう。いずれまた会うでしょうが、今日のところはこれで失礼します」
ゼーレは黒いマントを翻し、闇へ溶けるように去っていく。追いかける時間もない。ほんの数秒にして彼は消えた。
その後。
場に残されたのは、私とトリスタン——二人だけだった。
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