暁のカトレア

四季

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episode.17 嬉しくない評価

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 突如として現れたその男がゼーレであると気づくのには、それほど時間がかからなかった。というのも、黒いマントに顔全体を覆う銀色の仮面という、非常に個性的な格好をしているのである。こんな奇妙な容姿の者はそうそういない。

「また現れるとはね。何の用かな?」

 トリスタンはゼーレへ、冷ややかな視線を向ける。

「そちらこそ、またしても邪魔をする気とは……少々面白くありませんねぇ」

 ゼーレの足下付近には、高さ三十センチほどの蜘蛛の化け物が数匹這っていた。彼と同じく、闇のような黒。その形もあいまって、凄まじい気味の悪さだ。

「勧誘ならお断りだよ。マレイちゃんは渡さない」
「私は貴方に聞いてはいませんが」
「マレイちゃんは帝国軍に入るよ。これはもう、決定事項だから。今さら勧誘したって、もう遅いよ」

 トリスタンとゼーレが言葉を交わしている間、私は不安に苛まれていた。
 フランシスカやグレイブがいる時なら、ゼーレが現れても心強かったのに。トリスタンと私だけになったところを狙うとは、卑怯の極みだ。

「……なるほど。こういうのは私の趣味ではありませんが……」

 刹那、ゼーレが動く。
 あまりに素早く、私の目では動きを捉えられない。

「実力行使、も仕方がありませんねぇ」
「くっ!」

 ゼーレの拳をトリスタンは防いでいた。
 あの速度の動きを見きり、剣の刃部分で防ぐとは。ゼーレは速いが、トリスタンの反応速度も結構なものだ。常人を遥かに超えている。

「どうしたのです? まさかこの程度で動揺するのですか?」
「…………」
「そんなわけ、ありませんよねぇ。貴方はいつもあれほど大口を叩くのですから、私よりずっと強いのでしょう」

 挑発的なことを言われても、トリスタンは答えない。表情は夜の湖畔のように静かで、落ち着いている。

 良い判断だと思う。
 実力がほぼ同等の二者の戦いにおいて、心が乱れるというのは、敗者になる可能性を高めるだけだ。ゼーレもそれを分かっていて、挑発的な発言をしているに違いない。

「……無視ですか」

 呟いた直後、ゼーレは片足を振り上げ、トリスタンの脇腹めがけて蹴りを繰り出す。
 先日巨大蜘蛛の化け物にやられた傷を狙った蹴りだと、私はすぐに気づいた。そこで、それをトリスタンに伝えようと、口を開きかける。しかし、それより先に、トリスタンは蹴りを避けた。

 一歩下がり、体勢を整えるトリスタン。
 ゼーレはそこへ、さらに襲いかかる。今度は拳だ。

 しかしトリスタンは冷静そのもの。彼の青い瞳は、ゼーレの体だけをじっと捉えていた。

「甘いよ」

 彼は白銀の剣を一振りする。

 ——その刃は、ゼーレの胴体を確実に切り裂いた。

「……っ!」

 腹部の傷から赤い飛沫が散り、さすがのゼーレも動揺した声を漏らす。それから彼は、トリスタンの剣に斬られた腹部を片手で押さえ、一歩、二歩、と後退した。
 傷を庇うような動作をしていることを思えば、痛覚は存在するようである。

「死にたくないなら、今のうちに退いた方がいいよ」
「……は? 貴方は馬鹿なのですかねぇ。このくらいで退くわけがないでしょう」
「馬鹿じゃなくて、親切なんだよ」

 今のトリスタンの一撃で、二人の立ち位置が逆転したように感じる。

 さっきまではトリスタンがやや劣勢だった。しかし現在は、ゼーレの方が不利な状況である。

 傷を負ったこともそうだが、真にゼーレが不利な状況を招いているのは、彼のその性格だろう。ここは一度撤退して体勢を立て直すのが賢い手。それはほぼ素人の私にでも分かること。けれども、彼の高いプライドは、撤退などを許しはしない。

「親切……ですか」

 ゼーレはぼやきながら、金属製の右手を前へ出す。

「それは侮辱の間違いでしょう!」

 そういう問題ではない。
 相応しい二字熟語を選択する会でもない。

「やはり貴方は不愉快極まりない男ですねぇ! 消すに限ります!」

 どうやらゼーレは、トリスタンの「親切」発言に腹を立てたようだ。口調は激しく、声色は荒れている。

 その数秒後、彼の足下に這っていた蜘蛛の化け物が、一斉にこちらへ進んできた。
 もはや地獄絵図。トリスタンの背後に隠れている私でさえ、半狂乱になりかかったほどである。……もちろん、声を出すのは何とか我慢したが。

「小賢しい真似は通用しないよ」

 トリスタンは淡々とした声で述べ、地面を這う蜘蛛の化け物に剣先を突き立てる。
 一匹二匹刺し潰すと、蜘蛛の化け物は彼から離れ始めた。これはあくまで推測だが、このままでは殺られる、と本能的に察したのかもしれない。

「まぁ……そうでしょうねぇ」

 言いながら、ゼーレは一瞬にしてトリスタンの背後へ回る。

 彼の狙いはトリスタンではなく、私だった。

 ゼーレは無機質な腕で私の襟を掴む。この前と同じパターンだ。黒い彼の姿は、近くで見ると余計に恐ろしい。

「ではシンプルに行かせていただきます。マレイ・チャーム・カトレア、私とともに来なさい」
「……そんなの、嫌よ」
「おや? この短期間で変わりましたねぇ。前は怯えて何も言えなかったというのに」

 こんな評価のされ方、ちっとも嬉しくない。

「さすがですねぇ、マレイ・チャーム・カトレア。この成長ぶりなら、ボスが気になさるのも理解できます」
「マレイちゃんから離れろ!」

 トリスタンが剣を握った手を動かそうとした瞬間。ゼーレは襟を掴んでいるのと逆の手で、私の首を握った。
 首にひんやりとした感覚を覚える。恐らく、ゼーレの手が金属だからだろう。

「動かないで下さい」
「それ以上はさせない!」
「動けば、彼女の首を締めますよ」

 ゼーレは、ふふっ、と笑みをこぼす。

「一歩も動かないで下さいねぇ。分かりました?」

 化け物狩り部隊は一体何をしているのか——そんな思いが、私の中でじわりと広がっていく。
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