暁のカトレア

四季

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episode.26 抑えられない

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 私の心は、今、行き場のない怒りに震えている。
 しかし、その怒りの炎は、目の前のゼーレだけに向けられたものではなかった。

 もちろん彼に非がないわけではない。私の故郷以外にもいくつもの村や街を滅ぼしてきたのだろうから、然るべき報いを受けねばならないのは確実だ。
 ただ、指示を出した『ボス』という者がいるのだとすれば、その者が犯した罪は、ゼーレのそれよりずっと重い。それは確かである。

「どうしてそんなことを!」

 行き場のない怒りに、つい声を荒らげてしまう。
 ゼーレに怒鳴ったところで何の意味もないということは分かっている。しかし、それでも抑えることができなかった。

「どうして!」

 するとゼーレは、一メートルほどの高さの蜘蛛から降り、静かな声で返す。

「そんなこと、知りませんよ」

 彼は機械風の腕で蜘蛛を撫でている。一応、使い捨てという認識ではなく、可愛がっているようだ。

「知らないじゃないわ! 私の母親は化け物に焼き殺されたのよ!」

 半ば無意識に叫んでいた。

「それだけじゃない、村は焼き払われ、多くの人が死んだの! 何の罪もない人間が! それなのに貴方は『知らない』で済ませるというの!?」

 こんなことを言っても意味はない。失われたものが返ってくるわけでもない。
 それは分かっている。

 ——けれど。

「悪魔!!」

 私は感情のままに叫んでしまった。
 本来これはゼーレに言うべきことではなく、『ボス』とやらに対して言うべきことなのだろうに。

「……酷い言われようですねぇ」

 呆れたように返してくるゼーレ。彼は私よりずっと大人だった。

「まぁ、間違いだとは言いません。村を焼き滅ぼしたのですから、怨まれるのも理解はできます」

 言いながら、ゼーレはさらに接近してくる。
 一歩一歩彼が近づいてくる様は、まるで闇が忍び寄るかのようで、気味が悪い。その凄まじい不気味さは、胸の奥に潜む恐怖を呼び覚ました。

「しかし……、到底分かり合えそうにはないですねぇ、マレイ・チャーム・カトレア」
「……もしかしたら分かり合えるかもしれないと、そう思っていたわ」
「けれど今は、もう思っていないのでしょう?」
「……いいえ」

 まさか本当に二人で会うことになるとは思ってもみなかった。もし攻撃してこられてもトリスタンが護ってくれる——そんな風に甘く考えていた。

「まだ完全には消えていない。もしかしたら分かり合えるかもという思いは、捨てきれない」

 分かり合える、なんてありえないことだ。そんなことを考えるのは、夢見る乙女か愚か者だけ。しかし、それに気づいてもなお、まだ「分かり合えるかもしれない」と思っている自分がいた。

「だったら? 私を説得でもしますか? ……無理でしょう?」

 くくく、と愉快そうに声を漏らすゼーレ。

「貴女は時折、私を理解したような口を利く。平和を望む聖女のふりをし、敵さえも理解しようとする善人を装う。けれども、本当は私を敵としか見ていないのです」
「そ、そんなこと……」
「間違ってはいないでしょう」

 ゼーレの言葉は、鋭く研いだ刃のようだった。

 彼は私のすべてを見抜いている。彼に寄り添おうとしたい自分はいるが、心がそれを許さず、結局憎しみが勝つこと。それさえ、完全に見抜かれているようだ。

「……そうかも、しれない」

 私が返せる言葉はそれしかなかった。

「でしょう? 貴女も所詮、他のレヴィアス人どもと同じなのです」

 ゼーレはそう言って、馬鹿にしたように、くくく、と笑う。けれども声は笑っていなかった。愉快そうな雰囲気すらない。どこか暗いその声は、私の胸を締め付ける。

「これで分かったでしょう、話し合うことなど不可能だと」
「どうしてそんな言い方……」
「こちらも仕事ですからねぇ。貴女には悪いですが、強制的に来ていただきま——ん?」

 話が一段落し、ゼーレが実力行使に出ようとした、その時。
 パタパタと走っているような足音が聞こえてきた。聞いた感じ、二人三人程度の足音と思われる。蛇の化け物を倒しきった隊員かもしれない。

 もしそうだとすれば、幸運だ。
 隊員の誰かが私を発見してくれれば、ゼーレに連れていかれずに済む。

 そうこうしているうちに、足音は近づいてきた。恐らくもう少しだ。もう少しで助けが来る——そう思うと、萎れかけていた心が元気を取り戻してくる。


「不審者を発見!」

 数秒後、角を曲がってきた見知らぬ男性が大きな声で言った。不審者というのはゼーレのことと思われる。

 そしてさらに数秒後、見知らぬ男性の背後から、グレイブが現れた。

 彼女は私の姿を見るや否や目をパチパチさせる。それから、床に倒れ込んだトリスタンへ視線を移し、眉をひそめた。状況が掴みきれていないのだろう。そして最後にゼーレへ目をやり、その瞬間、彼女の綺麗な顔面が憎しみに染まる。

「まさか貴様がトリスタンを……!」

 ゼーレは答えない。グレイブの様子をじっと見つめるのみだ。

「答えろ! 何をした!」

 声を荒らげるグレイブ。
 彼女は鬼のごとき形相でゼーレを睨みつけている。味方側の私でさえゾッとするような、憎悪に満ちた表情だ。

 けれどもゼーレは、顔色一つ変えずにいた。

「トリスタンに何をしたのか、と聞いている!」
「私は……何もしていませんがねぇ」

 その言葉は真実だ。
 だって、トリスタンをやったのはリュビエだもの。

「嘘をつくな! 貴様以外に誰がトリスタンを傷つけると言うのか!」

 このままでは話が終わらない。ゼーレが「自分ではない」と言い、グレイブが「嘘をつくな」と言うループに陥ってしまうことだろう。だから私は、気が進まないものの口を挟むことに決めた。

「待って下さい、グレイブさん! トリスタンを傷つけたのは、本当に、ゼーレではありません!」

 攻撃的な返答が来ないことを祈りつつ言う。
 するとグレイブは、眉間にしわを寄せながら返す。

「マレイ、そいつを庇うのか?」

 彼女は美人だ。それゆえ、険しい顔をされると迫力がある。

 ただ、真実は捻じ曲げられるものではない。だから、「ゼーレではない」ことは、どこまでいっても「ゼーレではない」のである。

「庇うつもりはありません。ただ、話を聞いて下さい」
「……嘘ではないようだな。それならいいだろう」

 何とか信じてはもらえたようだ。嘘だと勘違いされて怒られたらどうしようかと思った。
 信じてもらえて良かった、と安堵の溜め息を漏らす。

 その直後だった。
 グレイブは突如命じる。

「人型を捕らえろ!」

 それに対し、最初に私らを発見した男性と後から追いついてきた男性が、同時に返事をする。

「「はい!」」

 体育会系のノリだ。
 さすがは帝国軍、教育がしっかりと行き届いている。


 それにしても、予想を遥かに越えていく展開だ。

 グレイブは男性らと共にゼーレを捕らえるべく動き出した。しかし、ゼーレとしては、今捕まるわけにはならないだろう。

 まもなく局面が一気に動くに違いない。
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