暁のカトレア

四季

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episode.132 いい娘?悪い娘?

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「トリスタン! マレイちゃんが来てくれたよっ!」

 フランシスカがカーテンをシャッと開けると、ベッドの上で横たわっているトリスタンの姿があった。だが、仰向きに寝ている彼の表情は、どこか不満げだ。遊びにいきたいのに行かせてもらえない少年みたいな顔つきをしていた。

 しかし、フランシスカの発言を聞くや否や、素早く上半身を起こす。

「マレイちゃん! 来てくれたんだ!」

 トリスタンはその青い双眸を輝かせていた。
 元気そうで何よりだが、もう少し大人しくしていた方が良いような気がする。負傷しているのだから、安静にしておくべきだろう。

「嬉しそうだねっ」
「うん。そりゃあね」

 トリスタンは、やはり、フランシスカに対しては冷たい。
 だが、前に比べると、冷たさはましになっているような気もする。もしかしたら、心の距離が少しは縮まったのかもしれない。共に戦った効果だろうか。

 そんなことを一人で考えていると、トリスタンが私へ話しかけてくる。

「マレイちゃん、ボスとやり合ったって聞いたけど、怪我はなかった?」

 トリスタンはこの期に及んでまだ私の心配をしてくれているのか。自分の方が負傷しているというのに。

「えぇ。平気よ」

 そう答えると、彼はふぅと、安堵の溜め息を漏らした。

「それなら良かったよ」
「心配してくれてありがとう」
「いやいや。お礼を言われるようなことじゃないよ。むしろ、僕が謝らなくちゃならないくらいで」

 トリスタンはそんなことを言った。

 だが、私には意味がよく分からない。トリスタンが私に謝らなくてはならない要素が、一体どこにあるというのか。

「その……最後まで護りきれなくて、ごめん」

 トリスタンは、先ほど起こした上半身を前へ倒し、そんな風に謝罪した。だが、謝られる意味が分からない私は、ただ戸惑う外なかった。

「どういう意味? なぜ謝るの? トリスタンは何も悪くないじゃない」
「また君を護れなかった……これは、謝らなくてはならないことだよ」

 なんというか、正直少し面倒臭い。

「トリスタン。そういうの、面倒臭いよっ」

 おっと、フランシスカが私の心を代弁してくれた。
 こういう時はありがたい。

「君に言われたくないな」
「何それっ!」

 トリスタンにあっさりと返されたフランシスカは、眉間にしわをよせ、頬を膨らませる。渋いものを食べてしまったかのような表情が、これまた愛らしい。

「それに、マレイちゃんは面倒臭いなんて思わないよ。マレイちゃんはそんな冷たい娘じゃないから」
「誰だって面倒臭いと思うことはあるよっ!」
「君は、だよね」
「フランが悪いみたいに言わないでっ!」

 トリスタンとフランシスカが話している様子を眺めていると、なぜか自然と穏やかな気持ちになったりする。

 そんなことをぼんやり考えていると、トリスタンの視線がこちらへ向いた。

「マレイちゃんは面倒臭いなんて思わないよね」

 うっ……。

 実は少し思ったけれど、「思った」なんて言えない。

「ま、まぁ、そんなに気にはなりませんでした」

 私は曖昧な言葉を返し、何とかごまかす。
 演技の下手な私のことだから、ばれてしまうかもしれないという不安もあった。だが、トリスタンの表情から察するに、ばれてはいないようである。

「そう言ってくれると思っていたよ。やっぱりマレイちゃんはいい娘だね」

 トリスタンは首の後ろへ手を回し、乱れた金髪をくくり直す。

 彼の場合は、髪の長さがそこそこあるだけに、放っておくとぐしゃぐしゃになってしまいやすいのだろう。
 私にはない大変さだな、と感じた。

「そんなことはないわ。私はべつに……いい娘なんかじゃないわ」
「謙遜しなくていいんだよ?」
「いいえ、謙遜なんかじゃないわ。私よりフランさんの方がいい人よ」

 正直、という意味では、フランシスカはかなりの善人だと思う。時折ストレートな物言いをするところはたまに傷だが、悪人でないことは確かである。

「ほらっ、マレイちゃんも言ってる! フランは悪い娘じゃないって!」
「マレイちゃんは優しいからね」
「えぇっ。これでもまだ納得しないの」

 フランシスカとトリスタンの軽やかなやり取りは、相変わらず、見ている者をほのぼのした気分にさせてくれるものだった。

 こんな風にのんびり言葉を交わせるのも、戦いが終わったからこそ。
 平和であることのありがたさを、改めて感じた。


 フランシスカやトリスタンと楽しい時間を過ごした後、私は負傷隊員用の部屋から出る。
 今度はゼーレに会いに行くためだ。
 しかし、彼の居場所を私は知らない。誰かに聞いてみなくてはならないのだが、どうすればいいのか……そんな風に迷っていると、背後から声が聞こえてくる。

「マレイ、何をうろついているんだ」

 振り返ると、帝国軍の白い制服をまとったグレイブが立っていた。さらりと伸びた長い黒髪と、真っ赤な口紅を塗った唇。そのコントラストが印象的だ。

「グレイブさん!」
「どこかへ行くところか?」
「ゼーレがどこにいるのか、どなたかに聞こうと思って……」

 するとグレイブは、ふっ、と笑みをこぼす。

「なるほど、そういうことか」

 なぜ笑みをこぼすのかがよく分からないが、取り敢えず頷いておく。

「連れていこう。こっちだ」
「いいんですか!?」
「もちろん。すぐに着く」
「ありがとうございます!」

 私はグレイブの背を追って歩き出す。
 誰かに聞いてみようと思っていた矢先に、グレイブの登場。これは幸運だった。まるで、目には見えない何かからの贈り物のようである。

「それにしても、怪我人に会いにいこうとは……やはり仲良しだな。マレイとゼーレは」

 歩きながら、グレイブはそんなことを言ってきた。何やら少し楽しそうな表情だ。

「それほど仲良しではありません……私たちは」
「そうなのか? 十分親しそうに見えるが」
「ただ、信頼しあってはいると思います」

 あくまで私の感覚だが、嘘にはなっていないはずである。
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