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episode.140 平和的で得意なこと
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私が言葉を発した後、暫し、ゼーレは黙っていた。
だが、いまだに装着している割れた仮面の隙間から覗く瞳は、私をじっと見つめている。まるで、私の心を奥底まで見通そうとしているかのように。
自分の発言の後に沈黙が訪れるというのは、何ともいえない息苦しさを感じる。悪いことを言ってしまったのだろうか、なんて考えてしまうから。
そんな複雑な心境のまま、待つことしばらく。
ゼーレはゆっくりと口を動かした。
「……事実ですか、それは」
彼は私の言葉を信じきれてはいないようだ。
こちらへ向けている彼の視線からは、まだ、訝しんでいるような雰囲気が漂っている。
「後から悔やんでも、遅いですよ」
「えぇ。今さら逃げるつもりはないわ」
「……本気なのですか」
「そうよ、決めたの。私は自分の選択を後悔なんてするつもりはないわ」
かつては、ゼーレをこちら側へ引き込んだことを後悔しかけていたこともあった。だがあれは、成り行きでそういう形になってしまったという部分もあったからであって、今回の件とは違うパターンだ。今回の答えは、私が悩み、私が考え、私が出した答え。それゆえ、後悔なんてするわけがない。
「貴方こそ、本当にそのつもりなのよね?」
逆に問う。
するとゼーレは、静かに、首を縦に動かした。
「当然です」
小さい蜘蛛型化け物がベッドの上をうろついているのが、微妙に気になるが、今はそちらに構っている暇はない。
「今さら逃げ出すほど情けない男ではないと……自負していますからねぇ」
「そうね。なら決まりだわ」
はっきり言ってくれると、話がスムーズに進むのでありがたい。しかも、色々探らずに済むから、変に頭を使わなくてよくて楽だ。
「じゃあ、改めて」
私はそう言って、上半身だけ起こした体勢のままゼーレに、片手を差し出す。
「……何のつもりです?」
「改めてよろしく、の握手よ」
「……そうですか」
いきなり私が手を差し出したことに戸惑ってか、ゼーレは一瞬怪訝な顔をした。だが、私がその意味を説明すると、彼は納得したような表情で、その手を掴んでくれる。指先にひんやりとした感覚が広がる。
「よろしくね」
「……こちらこそ」
気まずそうな顔をしつつも言葉を返してしてくれる真面目さが、微笑ましい。
「じゃあ取り敢えず、ゼーレがちゃんと動けるようになるまでの間に、宿屋に連絡しておくわ。雇ってもらえるかどうか、聞いてみるわね」
「……えぇ」
「何か、伝えておいた方が良いことはある?」
「いえ……べつに、何も」
小さな蜘蛛型化け物は、ゼーレの気を引こうとしてか、彼の腰辺りを細い脚でこすっていた。が、まったく相手してもらえていない。その様子を目にすると、少し可哀想な気もした。
「得意な仕事の分野とかは?」
「戦闘ならば、できますが」
「それは駄目よ。もっと平和的なことで得意なことはないの?」
たとえば掃除が得意とか、重い荷物を運べるだとか。そういった強みがあれば、雇ってもらいやすいかと思ったから、聞いてみているのだ。
「……平和的、ですか」
考えるのが面倒臭い、といった顔をするゼーレ。
「えぇ。何かない?」
「そう……ですねぇ……」
ゼーレが考えている間も、小さな蜘蛛型化け物は、彼の腰付近を足でこすっていた。気を引こうと、懸命に努力している。恐らく、私との話が長くて退屈しているのだろう。
いつまでも放置、というのも少し気の毒な気がする。
極力早く話を終わらせるようにしよう、と私は思った。
「料理なら……少しはできますが」
「りょ、料理!?」
家庭的なのがきた!
宿屋で働くにはもってこいの特技ではないか!
「……いきなり大声を出すのは、止めて下さい」
冷静に注意され、私は思わず、口を手のひらで塞ぐ。
「ご、ごめんなさい。びっくりして、つい……」
「……失礼ですねぇ」
ゼーレは眉間にしわを寄せていた。
言われてみれば、ゼーレが料理が得意ということにこんなに驚くのは、変かもしれない。
ただ、これまで私が抱いていたイメージと、大きな差があったのである。
「でも、ゼーレが料理が得意だなんて知らなかったわ」
「ま、得意というほどではありませんがねぇ……」
「できるだけでも凄いわよ。私なんて、ほとんど何もできないもの」
「でしょうねぇ。貴女が不器用だということは、私でさえ知っています」
「ちょっと、失礼よ!」
確かに私は不器用だ。宿屋にいた頃もたいして役には立てていなかったことが、すべてを物語っている。だから、ゼーレの言うことも間違いではないのだ。
けど!
べつに、改めて言わなくてもいいじゃない!
「すみませんねぇ、失礼な人間で」
「本当よ!」
つい、日頃より強い調子で言ってしまった。言ってから、「やってしまった」と焦る。
ゼーレは案外繊細だ。何げない一言であっても、傷つく可能性は十分にある。せっかく素直になってきたというのに、そんな小さなことでまたひねくれてしまったら、大変だ。
「でも、そういうところも嫌いじゃないわ」
速やかにフォローを入れる。
「ゼーレらしくて、微笑ましいもの」
苦しすぎる発言だと、自分でも思う。
けれど、今の私に入れられるフォローはそれしかなかったのだ。
するとゼーレは、呆れた顔をしながら低い声で返してくる。
「構いませんよ、フォローなど入れなくても」
う。ばれてる。
だが、このくらいで挫けたりはしない。ゼーレを扱うのが難しいことは知っているし、こういった流れになることも想定の範囲内だ。
「フォローなんかじゃないわ。本当のことよ」
「……怪しいですねぇ」
だから負けない、挫けない。
「私を疑うの?」
「いえ。疑うも何も……嘘臭さたっぷりですから」
「ちょ、何よ、その言い方は」
「分かりやすいですねぇ……」
く、悔しい。
だが、ゼーレの方が一枚上手かもしれない、と思った。私には勝てそうにない。
「さ、さすがね! よく見てるじゃない!」
「……やはり」
「でも、完全な嘘ではないのよ。ゼーレが嫌みを言ってくれていると安心するの」
そう、これはまぎれもない事実。
思いつきで発した嘘などではない。
だが、いまだに装着している割れた仮面の隙間から覗く瞳は、私をじっと見つめている。まるで、私の心を奥底まで見通そうとしているかのように。
自分の発言の後に沈黙が訪れるというのは、何ともいえない息苦しさを感じる。悪いことを言ってしまったのだろうか、なんて考えてしまうから。
そんな複雑な心境のまま、待つことしばらく。
ゼーレはゆっくりと口を動かした。
「……事実ですか、それは」
彼は私の言葉を信じきれてはいないようだ。
こちらへ向けている彼の視線からは、まだ、訝しんでいるような雰囲気が漂っている。
「後から悔やんでも、遅いですよ」
「えぇ。今さら逃げるつもりはないわ」
「……本気なのですか」
「そうよ、決めたの。私は自分の選択を後悔なんてするつもりはないわ」
かつては、ゼーレをこちら側へ引き込んだことを後悔しかけていたこともあった。だがあれは、成り行きでそういう形になってしまったという部分もあったからであって、今回の件とは違うパターンだ。今回の答えは、私が悩み、私が考え、私が出した答え。それゆえ、後悔なんてするわけがない。
「貴方こそ、本当にそのつもりなのよね?」
逆に問う。
するとゼーレは、静かに、首を縦に動かした。
「当然です」
小さい蜘蛛型化け物がベッドの上をうろついているのが、微妙に気になるが、今はそちらに構っている暇はない。
「今さら逃げ出すほど情けない男ではないと……自負していますからねぇ」
「そうね。なら決まりだわ」
はっきり言ってくれると、話がスムーズに進むのでありがたい。しかも、色々探らずに済むから、変に頭を使わなくてよくて楽だ。
「じゃあ、改めて」
私はそう言って、上半身だけ起こした体勢のままゼーレに、片手を差し出す。
「……何のつもりです?」
「改めてよろしく、の握手よ」
「……そうですか」
いきなり私が手を差し出したことに戸惑ってか、ゼーレは一瞬怪訝な顔をした。だが、私がその意味を説明すると、彼は納得したような表情で、その手を掴んでくれる。指先にひんやりとした感覚が広がる。
「よろしくね」
「……こちらこそ」
気まずそうな顔をしつつも言葉を返してしてくれる真面目さが、微笑ましい。
「じゃあ取り敢えず、ゼーレがちゃんと動けるようになるまでの間に、宿屋に連絡しておくわ。雇ってもらえるかどうか、聞いてみるわね」
「……えぇ」
「何か、伝えておいた方が良いことはある?」
「いえ……べつに、何も」
小さな蜘蛛型化け物は、ゼーレの気を引こうとしてか、彼の腰辺りを細い脚でこすっていた。が、まったく相手してもらえていない。その様子を目にすると、少し可哀想な気もした。
「得意な仕事の分野とかは?」
「戦闘ならば、できますが」
「それは駄目よ。もっと平和的なことで得意なことはないの?」
たとえば掃除が得意とか、重い荷物を運べるだとか。そういった強みがあれば、雇ってもらいやすいかと思ったから、聞いてみているのだ。
「……平和的、ですか」
考えるのが面倒臭い、といった顔をするゼーレ。
「えぇ。何かない?」
「そう……ですねぇ……」
ゼーレが考えている間も、小さな蜘蛛型化け物は、彼の腰付近を足でこすっていた。気を引こうと、懸命に努力している。恐らく、私との話が長くて退屈しているのだろう。
いつまでも放置、というのも少し気の毒な気がする。
極力早く話を終わらせるようにしよう、と私は思った。
「料理なら……少しはできますが」
「りょ、料理!?」
家庭的なのがきた!
宿屋で働くにはもってこいの特技ではないか!
「……いきなり大声を出すのは、止めて下さい」
冷静に注意され、私は思わず、口を手のひらで塞ぐ。
「ご、ごめんなさい。びっくりして、つい……」
「……失礼ですねぇ」
ゼーレは眉間にしわを寄せていた。
言われてみれば、ゼーレが料理が得意ということにこんなに驚くのは、変かもしれない。
ただ、これまで私が抱いていたイメージと、大きな差があったのである。
「でも、ゼーレが料理が得意だなんて知らなかったわ」
「ま、得意というほどではありませんがねぇ……」
「できるだけでも凄いわよ。私なんて、ほとんど何もできないもの」
「でしょうねぇ。貴女が不器用だということは、私でさえ知っています」
「ちょっと、失礼よ!」
確かに私は不器用だ。宿屋にいた頃もたいして役には立てていなかったことが、すべてを物語っている。だから、ゼーレの言うことも間違いではないのだ。
けど!
べつに、改めて言わなくてもいいじゃない!
「すみませんねぇ、失礼な人間で」
「本当よ!」
つい、日頃より強い調子で言ってしまった。言ってから、「やってしまった」と焦る。
ゼーレは案外繊細だ。何げない一言であっても、傷つく可能性は十分にある。せっかく素直になってきたというのに、そんな小さなことでまたひねくれてしまったら、大変だ。
「でも、そういうところも嫌いじゃないわ」
速やかにフォローを入れる。
「ゼーレらしくて、微笑ましいもの」
苦しすぎる発言だと、自分でも思う。
けれど、今の私に入れられるフォローはそれしかなかったのだ。
するとゼーレは、呆れた顔をしながら低い声で返してくる。
「構いませんよ、フォローなど入れなくても」
う。ばれてる。
だが、このくらいで挫けたりはしない。ゼーレを扱うのが難しいことは知っているし、こういった流れになることも想定の範囲内だ。
「フォローなんかじゃないわ。本当のことよ」
「……怪しいですねぇ」
だから負けない、挫けない。
「私を疑うの?」
「いえ。疑うも何も……嘘臭さたっぷりですから」
「ちょ、何よ、その言い方は」
「分かりやすいですねぇ……」
く、悔しい。
だが、ゼーレの方が一枚上手かもしれない、と思った。私には勝てそうにない。
「さ、さすがね! よく見てるじゃない!」
「……やはり」
「でも、完全な嘘ではないのよ。ゼーレが嫌みを言ってくれていると安心するの」
そう、これはまぎれもない事実。
思いつきで発した嘘などではない。
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