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episode.187 医者
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「これは素人では無理です」
バッサを呼んできてウェスタの容態を確認してもらったが、即座にそう言われてしまった。
大概の傷なら、彼女は平気で手当てをしてくれる。これまでだって、ずっとそうだった。怪我したのが誰でも、負ったのがどのような傷でも、速やかに手当てを開始してくれた。
でも、今だけは違う。
今のバッサは引いたような顔をしている。
「お医者様を呼びましょう」
「今?」
「はい。早い方が良いので」
「そうね」
「夜間割増がつくのは痛いですが……仕方ありません」
そこへ、グラネイトが口を挟んでくる。
「金ならいくらでも出すぞ! ウェスタが助かるなら、グラネイト様は何だってする!」
バッサはそれに何か返すことはせず、話を進める。
「では、呼んできます」
そう言って、バッサは部屋から出ていった。
室内に漂うのは、暗く重苦しい空気。部屋にいる誰もが、明るい顔はしていない。
しばらくすると、それまで離れたところから様子を見ていたリゴールが、恐る恐る近づいてきた。
「大丈夫……なのでしょうか? デスタン」
「知りません。私に聞かれても困ります」
「なっ……! 彼女はデスタンの妹さんではないですか。もう少し心配すべきでは?」
「妹は妹ですが、傷を負ったのは彼女の行動が原因。私には関係ありません」
ウェスタが危険な状態であるにもかかわらず落ち着いているデスタンを見て、リゴールは瞳を震わせる。
「そんな冷ややかな……!」
「妹と娘では意味合いがまた違いますから」
「それは……そうかもしれませんが」
横たわったウェスタは、瞼を閉じたまま動かない。でも、少し触れてみたら、体が冷えてきているわけではないと分かった。脈はあるし、体温も保っているから、死にかけてはいない。
そんなウェスタの手を、グラネイトは懸命に握っている。
「すまん、ウェスタ。グラネイト様がもっとしっかりしていれば、こんなことには……」
ウェスタは返事しない。
でも、グラネイトは語りかけ続ける。
グラネイトの表情は、らしくなく暗い。日頃の自信満々さも、すっかり消え去ってしまっている。
「無理させたのはグラネイト様のせいだな……すまん。でも、生きてくれ……」
己を責め、落ち込んでいるグラネイト。今の彼を励ます言葉を私は見つけられなかった。何か言おうとしても、余計に彼を傷つけてしまう気がして、怖くて。それで、結局何も言えないままだ。
医者が来たのは、バッサが部屋を出てから一時間も経たないうちだった。
「やぁ、大丈夫かい? ……て、ぬぅぅ!?」
グラネイトの時に来てくれた六十代くらいの医者と同じ人。でも今日は服装が地味だ。白と黄色のストライプの上下を着ている。飛び起きてそのままやって来たかのような格好である。
「こりゃまた凄い。ここの家は一体何が起きているのかな……」
「いつもすみません」
ウェスタを見て困惑した顔の医者に、私は頭を下げておく。
「いやいや、べつにいいんだけどね……」
医者はウェスタの脇に座り、持ってきていた斜め掛けの鞄を床に置く。そして、遅れて部屋に入ってきたバッサに声をかける。
「ぬるいお湯の入った桶、それから清潔なタオルを数枚、いただけませんかな?」
「はい。持ってきます」
バッサはすぐに指示された物を取りに行く。
「何か手伝えることはありますか?」
鞄から必要な物を取り出す作業をしている医者に、私はさりげなく尋ねてみた。しかし医者は特に何も指示してくれない。微笑んで「大丈夫だよ」と言うだけだ。
結局私は何もできないのか。
残るのは、無力感だけ。
「それにしても……こんな怪我をするなんて、本当に、一体何が?」
止血し、首を始めとする腹部以外の傷の様子を確認しながら、医者は尋ねてきた。
「ちょっと不審者に襲われまして」
これはこれでおかしな答えだが、それ以外の説明は思いつかなくて。ブラックスターがどうとか、なんて本当のことを言うわけにはいかないし。
「不審者。……まったく。気をつけなくては駄目だよ」
「すみません」
「大怪我は治るとは限らないんだからね?」
そりゃそうだ。
こんなことを繰り返していたら、うっかり死にかねない。
そんなことを思っていたら、医者は突然デスタンに視線を移した。
「しかし……君は驚きの回復力だったね」
「私ですか」
「原因不明ながらあの状態から動けるところまで回復したんだから、凄いことだよ」
医者は笑っていたが、デスタンは笑いはしなかった。
その日、夜が明けるまで、医者は屋敷にいてくれていた。
リゴールはデスタンと共に一旦就寝。少しでも睡眠をとることができた方が良いからとの判断だった。
ウェスタの状態はもう落ち着いている。
医者はそう言っていた。
でも私は気になって眠れない。だから、グラネイトと一緒に、ウェスタの傍に待機しておくことにした。バッサが持ってきてくれた差し入れのお菓子を少し食べたりしながら、だ。
ウェスタの体の状態がどうなっているのかは、医学の知識を持たない私にはよく分からない。でも、そんな素人の私でも気づくくらい、グラネイトは疲れ果てた顔をしていた。
だから朝方、私は彼に言ってみることにした。
「グラネイトさん。一旦寝るというのはどう?」
だが彼は頷かなかった。
「ウェスタを放って勝手に寝ることはできない」
彼は彼らしからぬ暗い声色でそんなことを言う。
誰の目にも明らかなほど疲れ果てた顔をしているのに、意地を張って、絶対に眠ろうとしない。
大事な人が自分を庇って傷ついてしまった時、責任を感じるのは分からないでもない。私だって、リゴールが今のウェスタみたいになったら、己の無力を悔やむだろう。
でも、だからといって無理をしすぎるのは良くないと思うのだが。
グラネイトが自身を責めて無理をして、もし体調不良で倒れたりすれば、結果的に悲しむのはウェスタだろう。今度は彼女が責任を感じるということになりかねず、それは、負のループを生み出すことに繋がる可能性がある。
「でも、無理は良くないわ」
「……気遣いは不要」
「グラネイトさん、顔色が悪いわ。疲れているように見えるわ」
「頼む、黙っていてくれ」
勇気を出して、何度か声をかけてみる。
でも彼は一向に休もうとしない。
「貴方が倒れたら、ウェスタさんが悲しむわ。だから、少しは休んだ方が良いと思うの。ウェスタさんのことはお医者さんが見ていてくれるし」
私は幾度も声をかけてみた。
グラネイトが少しでも休む気になれるように。そのきっかけを作るために。
でもそれは無駄な努力。
結局、何の意味もなかった。
バッサを呼んできてウェスタの容態を確認してもらったが、即座にそう言われてしまった。
大概の傷なら、彼女は平気で手当てをしてくれる。これまでだって、ずっとそうだった。怪我したのが誰でも、負ったのがどのような傷でも、速やかに手当てを開始してくれた。
でも、今だけは違う。
今のバッサは引いたような顔をしている。
「お医者様を呼びましょう」
「今?」
「はい。早い方が良いので」
「そうね」
「夜間割増がつくのは痛いですが……仕方ありません」
そこへ、グラネイトが口を挟んでくる。
「金ならいくらでも出すぞ! ウェスタが助かるなら、グラネイト様は何だってする!」
バッサはそれに何か返すことはせず、話を進める。
「では、呼んできます」
そう言って、バッサは部屋から出ていった。
室内に漂うのは、暗く重苦しい空気。部屋にいる誰もが、明るい顔はしていない。
しばらくすると、それまで離れたところから様子を見ていたリゴールが、恐る恐る近づいてきた。
「大丈夫……なのでしょうか? デスタン」
「知りません。私に聞かれても困ります」
「なっ……! 彼女はデスタンの妹さんではないですか。もう少し心配すべきでは?」
「妹は妹ですが、傷を負ったのは彼女の行動が原因。私には関係ありません」
ウェスタが危険な状態であるにもかかわらず落ち着いているデスタンを見て、リゴールは瞳を震わせる。
「そんな冷ややかな……!」
「妹と娘では意味合いがまた違いますから」
「それは……そうかもしれませんが」
横たわったウェスタは、瞼を閉じたまま動かない。でも、少し触れてみたら、体が冷えてきているわけではないと分かった。脈はあるし、体温も保っているから、死にかけてはいない。
そんなウェスタの手を、グラネイトは懸命に握っている。
「すまん、ウェスタ。グラネイト様がもっとしっかりしていれば、こんなことには……」
ウェスタは返事しない。
でも、グラネイトは語りかけ続ける。
グラネイトの表情は、らしくなく暗い。日頃の自信満々さも、すっかり消え去ってしまっている。
「無理させたのはグラネイト様のせいだな……すまん。でも、生きてくれ……」
己を責め、落ち込んでいるグラネイト。今の彼を励ます言葉を私は見つけられなかった。何か言おうとしても、余計に彼を傷つけてしまう気がして、怖くて。それで、結局何も言えないままだ。
医者が来たのは、バッサが部屋を出てから一時間も経たないうちだった。
「やぁ、大丈夫かい? ……て、ぬぅぅ!?」
グラネイトの時に来てくれた六十代くらいの医者と同じ人。でも今日は服装が地味だ。白と黄色のストライプの上下を着ている。飛び起きてそのままやって来たかのような格好である。
「こりゃまた凄い。ここの家は一体何が起きているのかな……」
「いつもすみません」
ウェスタを見て困惑した顔の医者に、私は頭を下げておく。
「いやいや、べつにいいんだけどね……」
医者はウェスタの脇に座り、持ってきていた斜め掛けの鞄を床に置く。そして、遅れて部屋に入ってきたバッサに声をかける。
「ぬるいお湯の入った桶、それから清潔なタオルを数枚、いただけませんかな?」
「はい。持ってきます」
バッサはすぐに指示された物を取りに行く。
「何か手伝えることはありますか?」
鞄から必要な物を取り出す作業をしている医者に、私はさりげなく尋ねてみた。しかし医者は特に何も指示してくれない。微笑んで「大丈夫だよ」と言うだけだ。
結局私は何もできないのか。
残るのは、無力感だけ。
「それにしても……こんな怪我をするなんて、本当に、一体何が?」
止血し、首を始めとする腹部以外の傷の様子を確認しながら、医者は尋ねてきた。
「ちょっと不審者に襲われまして」
これはこれでおかしな答えだが、それ以外の説明は思いつかなくて。ブラックスターがどうとか、なんて本当のことを言うわけにはいかないし。
「不審者。……まったく。気をつけなくては駄目だよ」
「すみません」
「大怪我は治るとは限らないんだからね?」
そりゃそうだ。
こんなことを繰り返していたら、うっかり死にかねない。
そんなことを思っていたら、医者は突然デスタンに視線を移した。
「しかし……君は驚きの回復力だったね」
「私ですか」
「原因不明ながらあの状態から動けるところまで回復したんだから、凄いことだよ」
医者は笑っていたが、デスタンは笑いはしなかった。
その日、夜が明けるまで、医者は屋敷にいてくれていた。
リゴールはデスタンと共に一旦就寝。少しでも睡眠をとることができた方が良いからとの判断だった。
ウェスタの状態はもう落ち着いている。
医者はそう言っていた。
でも私は気になって眠れない。だから、グラネイトと一緒に、ウェスタの傍に待機しておくことにした。バッサが持ってきてくれた差し入れのお菓子を少し食べたりしながら、だ。
ウェスタの体の状態がどうなっているのかは、医学の知識を持たない私にはよく分からない。でも、そんな素人の私でも気づくくらい、グラネイトは疲れ果てた顔をしていた。
だから朝方、私は彼に言ってみることにした。
「グラネイトさん。一旦寝るというのはどう?」
だが彼は頷かなかった。
「ウェスタを放って勝手に寝ることはできない」
彼は彼らしからぬ暗い声色でそんなことを言う。
誰の目にも明らかなほど疲れ果てた顔をしているのに、意地を張って、絶対に眠ろうとしない。
大事な人が自分を庇って傷ついてしまった時、責任を感じるのは分からないでもない。私だって、リゴールが今のウェスタみたいになったら、己の無力を悔やむだろう。
でも、だからといって無理をしすぎるのは良くないと思うのだが。
グラネイトが自身を責めて無理をして、もし体調不良で倒れたりすれば、結果的に悲しむのはウェスタだろう。今度は彼女が責任を感じるということになりかねず、それは、負のループを生み出すことに繋がる可能性がある。
「でも、無理は良くないわ」
「……気遣いは不要」
「グラネイトさん、顔色が悪いわ。疲れているように見えるわ」
「頼む、黙っていてくれ」
勇気を出して、何度か声をかけてみる。
でも彼は一向に休もうとしない。
「貴方が倒れたら、ウェスタさんが悲しむわ。だから、少しは休んだ方が良いと思うの。ウェスタさんのことはお医者さんが見ていてくれるし」
私は幾度も声をかけてみた。
グラネイトが少しでも休む気になれるように。そのきっかけを作るために。
でもそれは無駄な努力。
結局、何の意味もなかった。
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