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episode.198 若かりし頃の、悲しみと憎しみ
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気づけば私は見たことのない場所にいた。
ここは死後の世界なのか、あるいは、これまでも時折見た他人の記憶の世界なのか。
それは分からず、私はただ周囲を見回す。
そこは、一種の劇場のようだった。座席が多く並んだ観客席らしきものが一階二階共にあり、そこからは舞台が見える。私がいるのは、真正面から舞台を眺められる、一番良い席なのではないかと思うような場所だ。
天井からは豪華なデザインの灯りがぶら下がり、夕陽が沈み始める頃の空のような光をぼんやりと放っている。
私は客席に立っていた。が、誰にも気づかれていない。周囲にも人はいるのに、誰一人として私のことを見たりはしないのだ。
どのみち気づかれないなら、と、私は偶々空いていた席に腰を下ろす。
それからふと横を見て、衝撃を受けた。
隣の席の男性が、ブラックスター王に似ていたから。
私は思わず「えっ……」と声を漏らしてしまった。しかし、その声も周囲には聞こえていないようで、特に誰も反応しなかった。
ブラックスター王に似た男性のもう一つ向こうには、男性が座っている。顔立ちはブラックスター王に似た男性と似ているが、彼より穏やかな顔つきをした人だ。また、服は白い詰襟で、豊かそうな身形をしている。
「こういうところへ来るのは珍しいだろう?」
白い詰襟の方の男性が、ブラックスター王似の人に向かってそんな言葉を放った。
すると、ブラックスター王似の人は、小さく返す。
「……そうだな」
二人はどことなく似たような顔立ちだが、漂わせている空気はまったくの別物だ。
私の隣の席の彼は、暗い影をまとったような雰囲気。
その彼の向こう側に座っている白詰襟の男性は、すべてにおいて満ち足りているような雰囲気。
「兄弟であるにもかかわらず、お前とはなかなか語り合う機会がなかったからな。今日はこうして弟のお前と一緒に出掛けられて良かった」
そう述べるのは、白い詰襟を着ている方の男性。
どうやら、彼が兄のようだ。
「……舞台などどうでも良かったが」
「まぁそう言うな! 絶対楽しい、それは保証するから」
「……女の踊りなど、何が良いのか」
「しー! 今ここでそれを言うんじゃない!」
二人の会話を盗み聞きしているうちに、天井からぶら下がっていた灯りが消えた。暗闇が訪れる。いよいよ開幕の時間か。
その数秒後、荘厳な音楽と共に舞台の幕が上がった。
セクシーかつ煌びやかな衣装を身にまとった女性たちが舞台上に現れ、舞踊を始めると、会場内の雰囲気はみるみるうちに変わっていく。ただの建物だったそこは、一瞬にして夢の園へと変貌したのだ。
女の私でも目を離せなくなるくらい眩い。
そんな時、ふと隣の席へ視線を向けて驚く——ブラックスター王に似た顔の男性が、瞳を輝かせながら舞台を見ていたから。
始まる前、彼はあまり乗り気でないようなことを言っていた。しかし今はどうだろう。乗り気でない人間とはとても思えないような顔をしている。
そんな彼の視線の先にいたのは、一人の女性だった。
腰まで届く美しい金髪の持ち主で、その魅力は踊り子たちの中でもずば抜けて高い——そんな女性。
隣の席の彼は、たった一人の踊り子をを見つめ、頬を紅潮させていた。
それから十秒ほどして、私は違う場所にいた。
先ほどの劇場の外だろうか。二階建ての大きな建物の裏、冷たい風が吹く場所に、私はいる。
視界に入ったのは、ブラックスター王似の男性と彼が見つめていた踊り子。
「とても美しい人だ、心を奪われた」
「そ、そうですか……ありがとうございます。嬉しいです」
「無理にとは言わない。貴女が良ければ、だが、恋人になってはもらえないだろうか」
男性は妙に積極的。そこは正直意外だった。兄とのやり取りの時には、達観したような人物に見えたから。
「へ!? こ、恋人、ですか……?」
踊り子はおろおろしている。
「嫌と言うなら無理にとは言わないが」
「その……友人からでも問題ないでしょうか……?」
「もちろん」
「で、では……よろしくお願いします」
恥じらう踊り子とブラックスター王に似た男性の背中は、意外とよく似合っていた。
二つ並んでいると、既に恋人同士のようで——。
その時、再び世界が変わる。
白い石畳の地面。穢れを知らない白色のアーチ。
ここは多分ホワイトスターなのだろう。
私はアーチの陰に隠れているような位置に立っていた。
そこから見えるのは、白い詰襟の男性とあの踊り子、そして、ブラックスター王に似た男性。その三人だ。
でもなぜだろう。
隣に並んでいるのは、白詰襟の男性と踊り子だ。
状況を掴むべく、耳を澄ます。すると、彼らが発している声が聞こえてきた。
「どうなっているんだ!」
「待ってくれ、落ち着くんだ」
怒りに身を任せているのは、ブラックスター王に似ている方の男性。白い詰襟の男性は、それを何とか宥めようとしている。
「兄さんが彼女と結婚!? どう考えてもおかしいだろ!」
「じ、事情があるんだ。だから聞いてくれ。ほら……」
激昂しているブラックスター王似の男性は、兄である詰襟の男性に掴みかかる。
「弟の女を盗って楽しいか!? ふざけるな!」
「すまん……で、でもな……」
「言い訳なんざもう聞きたくないわ!」
ブラックスター王似の男性は、掴んでいた男性を放り投げると、おろおろしている踊り子へ視線を向ける。踊り子は怯えたようにびくんと体を震わせた。
「貴女は本当にこの男が好きなのか?」
「う……その、すみません……」
踊り子は畏縮しきっている。
「この男を好きなのか、と聞いているんだ!」
「はぅっ……ごめん、なさい。でも、私は……できません……王様の命令に背くなんて」
彼女がそう言った瞬間、ブラックスター王似の男性は寂しげな顔をした。
「なかったのだな、愛なんて」
小さく吐き捨てて、彼は二人の前から去る。
私が隠れているアーチのすぐ横を早足に通り過ぎる時、彼の瞳には涙の粒が浮かんでいた。
彼は一人の人間に過ぎなかったのだ、この時はまだ。
すべてを見ていた私は、彼に声をかけたい気持ちになった。今は辛くともいつか幸せは来ると、励ましたくて。でもできない。今の私はここにいないも同然だから。
恐らくこれは、ブラックスター王の記憶なのだろう。
見ているだけでも痛くて辛いものだった。
「でも……それでも……」
憎まないで、世を。
恨まないで、この世界のすべてを。
ここは死後の世界なのか、あるいは、これまでも時折見た他人の記憶の世界なのか。
それは分からず、私はただ周囲を見回す。
そこは、一種の劇場のようだった。座席が多く並んだ観客席らしきものが一階二階共にあり、そこからは舞台が見える。私がいるのは、真正面から舞台を眺められる、一番良い席なのではないかと思うような場所だ。
天井からは豪華なデザインの灯りがぶら下がり、夕陽が沈み始める頃の空のような光をぼんやりと放っている。
私は客席に立っていた。が、誰にも気づかれていない。周囲にも人はいるのに、誰一人として私のことを見たりはしないのだ。
どのみち気づかれないなら、と、私は偶々空いていた席に腰を下ろす。
それからふと横を見て、衝撃を受けた。
隣の席の男性が、ブラックスター王に似ていたから。
私は思わず「えっ……」と声を漏らしてしまった。しかし、その声も周囲には聞こえていないようで、特に誰も反応しなかった。
ブラックスター王に似た男性のもう一つ向こうには、男性が座っている。顔立ちはブラックスター王に似た男性と似ているが、彼より穏やかな顔つきをした人だ。また、服は白い詰襟で、豊かそうな身形をしている。
「こういうところへ来るのは珍しいだろう?」
白い詰襟の方の男性が、ブラックスター王似の人に向かってそんな言葉を放った。
すると、ブラックスター王似の人は、小さく返す。
「……そうだな」
二人はどことなく似たような顔立ちだが、漂わせている空気はまったくの別物だ。
私の隣の席の彼は、暗い影をまとったような雰囲気。
その彼の向こう側に座っている白詰襟の男性は、すべてにおいて満ち足りているような雰囲気。
「兄弟であるにもかかわらず、お前とはなかなか語り合う機会がなかったからな。今日はこうして弟のお前と一緒に出掛けられて良かった」
そう述べるのは、白い詰襟を着ている方の男性。
どうやら、彼が兄のようだ。
「……舞台などどうでも良かったが」
「まぁそう言うな! 絶対楽しい、それは保証するから」
「……女の踊りなど、何が良いのか」
「しー! 今ここでそれを言うんじゃない!」
二人の会話を盗み聞きしているうちに、天井からぶら下がっていた灯りが消えた。暗闇が訪れる。いよいよ開幕の時間か。
その数秒後、荘厳な音楽と共に舞台の幕が上がった。
セクシーかつ煌びやかな衣装を身にまとった女性たちが舞台上に現れ、舞踊を始めると、会場内の雰囲気はみるみるうちに変わっていく。ただの建物だったそこは、一瞬にして夢の園へと変貌したのだ。
女の私でも目を離せなくなるくらい眩い。
そんな時、ふと隣の席へ視線を向けて驚く——ブラックスター王に似た顔の男性が、瞳を輝かせながら舞台を見ていたから。
始まる前、彼はあまり乗り気でないようなことを言っていた。しかし今はどうだろう。乗り気でない人間とはとても思えないような顔をしている。
そんな彼の視線の先にいたのは、一人の女性だった。
腰まで届く美しい金髪の持ち主で、その魅力は踊り子たちの中でもずば抜けて高い——そんな女性。
隣の席の彼は、たった一人の踊り子をを見つめ、頬を紅潮させていた。
それから十秒ほどして、私は違う場所にいた。
先ほどの劇場の外だろうか。二階建ての大きな建物の裏、冷たい風が吹く場所に、私はいる。
視界に入ったのは、ブラックスター王似の男性と彼が見つめていた踊り子。
「とても美しい人だ、心を奪われた」
「そ、そうですか……ありがとうございます。嬉しいです」
「無理にとは言わない。貴女が良ければ、だが、恋人になってはもらえないだろうか」
男性は妙に積極的。そこは正直意外だった。兄とのやり取りの時には、達観したような人物に見えたから。
「へ!? こ、恋人、ですか……?」
踊り子はおろおろしている。
「嫌と言うなら無理にとは言わないが」
「その……友人からでも問題ないでしょうか……?」
「もちろん」
「で、では……よろしくお願いします」
恥じらう踊り子とブラックスター王に似た男性の背中は、意外とよく似合っていた。
二つ並んでいると、既に恋人同士のようで——。
その時、再び世界が変わる。
白い石畳の地面。穢れを知らない白色のアーチ。
ここは多分ホワイトスターなのだろう。
私はアーチの陰に隠れているような位置に立っていた。
そこから見えるのは、白い詰襟の男性とあの踊り子、そして、ブラックスター王に似た男性。その三人だ。
でもなぜだろう。
隣に並んでいるのは、白詰襟の男性と踊り子だ。
状況を掴むべく、耳を澄ます。すると、彼らが発している声が聞こえてきた。
「どうなっているんだ!」
「待ってくれ、落ち着くんだ」
怒りに身を任せているのは、ブラックスター王に似ている方の男性。白い詰襟の男性は、それを何とか宥めようとしている。
「兄さんが彼女と結婚!? どう考えてもおかしいだろ!」
「じ、事情があるんだ。だから聞いてくれ。ほら……」
激昂しているブラックスター王似の男性は、兄である詰襟の男性に掴みかかる。
「弟の女を盗って楽しいか!? ふざけるな!」
「すまん……で、でもな……」
「言い訳なんざもう聞きたくないわ!」
ブラックスター王似の男性は、掴んでいた男性を放り投げると、おろおろしている踊り子へ視線を向ける。踊り子は怯えたようにびくんと体を震わせた。
「貴女は本当にこの男が好きなのか?」
「う……その、すみません……」
踊り子は畏縮しきっている。
「この男を好きなのか、と聞いているんだ!」
「はぅっ……ごめん、なさい。でも、私は……できません……王様の命令に背くなんて」
彼女がそう言った瞬間、ブラックスター王似の男性は寂しげな顔をした。
「なかったのだな、愛なんて」
小さく吐き捨てて、彼は二人の前から去る。
私が隠れているアーチのすぐ横を早足に通り過ぎる時、彼の瞳には涙の粒が浮かんでいた。
彼は一人の人間に過ぎなかったのだ、この時はまだ。
すべてを見ていた私は、彼に声をかけたい気持ちになった。今は辛くともいつか幸せは来ると、励ましたくて。でもできない。今の私はここにいないも同然だから。
恐らくこれは、ブラックスター王の記憶なのだろう。
見ているだけでも痛くて辛いものだった。
「でも……それでも……」
憎まないで、世を。
恨まないで、この世界のすべてを。
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