イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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93話 漏れる声

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 ランプで殴られたことをいまだに根に持っているミストは、一切躊躇いのない顔つきで、アスターに向けてクナイを振り下ろす。

 ——しかし。

 背後から武器が振り下ろされる気配に気づいたアスターは、咄嗟に振り返り、身を捻った。

 ミストのクナイは、アスターの首筋を抉る。

 ただ、咄嗟に回避する行動をとっていたため、深く抉られずに済んだ。

 アスターからすれば幸運。
 しかし、ミストからすればかなり悔しい結果だろう。

「……いきなり襲いかかるのは、少々卑怯ではないかね?」

 アスターは、首筋の抉られた部分を手で押さえながら、数歩下がってミストから離れる。
 首筋の傷口からは、赤いものがポタポタと落ちている。が、その表情に焦りはない。アスターはかなり落ち着いている。

「ホテルではお世話になりました」
「ん……?」
「今日はお返しをさせていただきます」

 ミストは冷ややかな声でそう宣言すると、右手にはクナイ、左手にはステッキを、それぞれ持つ。

「お覚悟を」

 それに対し、アスターは呆れ顔になる。

「やれやれ。武装してもいない相手に武器を持って襲いかかるなど、淑女のすることではないよ?」
「ご心配なく。わたしは元より淑女ではありませんから」
「……そうかね」

 眉間にしわを寄せるアスター。

 アスターとミストが対峙している時、フィリーナはというと、こそこそとその場から退散していっていた。

「君は、こんな老人を虐めて、楽しいのかね?」
「もちろんです」
「ほほう……なかなか素晴らしい性癖だね」
「性癖というよりは、やられたことはやり返す主義という方が相応しいかもしれません」

 冷たい声色でそんな風に言いながら、ミストはステッキをアスターへ向ける。

「遠慮なく、いかせていただきます」

 直後、ステッキの先から空気の塊が発射される。

 アスターは横へ素早く走り、その空気の塊を避けた。

 しかし、ミストの空気砲攻撃はまだ続く。一秒に二発くらいの速度で、アスター目がけて、空気の塊を発射し続けるのだ。

 無論、そう易々とやられるアスターではない。

 彼は、年老いた体ながら、それなりに激しい動作で迫りくる空気の塊をかわし続けていた。

 しかし、それもいつまでもは続かない。激しい動きを続けた体には疲れが溜まっていたようで、ついにバランスを崩して転んでしまった。

「ぐっ」

 片方の手を首を押さえることに使っていたため、転倒の際に片手しか床につけず、アスターは苦痛の声を漏らす。

「くはっ!」

 そんなアスターの背に、空気の塊が命中した。

「何をするのかね⁉︎ 危ない……!」
「少しは苦しんで下さい」

 ミストの空気砲攻撃を背に受けたアスターは、顔をしかめつつも、徐々に上半身を起こしてくる。
 だが、その途中で、アスターは突然崩れ落ちた。

「な……」

 アスターの額を汗が伝う。

「力が入ら、ない……?」
「効いてきたみたいですね」
「な。効いてきた、とは何かね……」

 顔に動揺の色を浮かべるアスターに、ミストはそっと答える。

「毒です」

 彼女は、珍しく笑みを浮かべていた。

「最初に攻撃した時のクナイに、毒を塗っておきました。あれだけ動き回れば、効きも早いでしょうね」

 アスターは、床に倒れ込んだ体勢のままで、ミストのことをじっと見ていた。その額や頬には、透明な汗の粒が無数に浮かんでいる。

「ありがちな作戦ではありますが、上手くはまってくれて助かりました」
「毒……とは、強烈だね」
「お楽しみはここからです。移動する能力を奪って、初めて、切り刻むことができるのですから」

 毒が回っている。
 もう、まともには動けない。

 そんな状況でも、アスターはまだ諦めてはいなかった。ゆっくりとゆっくりと、体を起こそうと努力している。

 けれど、そんな努力も空しく。

「ぐあっ!」

 空気砲による追撃を受け、アスターは再び倒れ込む。

「じっとしていて下さい」

 言いながら、ミストはアスターの肩にクナイを突き立てる。

「ん!」

 既に抵抗する力を奪われているアスターには、ミストのクナイから逃れる術はない。彼はもう、蜘蛛の巣にかかった獲物も同然だ。

 逃れることはできない。
 やり返すことも不可能。

 今のアスターには、ミストの思いのままにやられる以外に道はないのである。

「よくもランプで殴ってくれましたね。武器でない物で他人を殴るような人間には、罰が必要です」

 肩に、手の甲に、太ももに。
 アスターの体のあちこちに、クナイが突き刺さっていく。

 もちろん、刺していくのはすべてミスト。

「つぅっ……!」
「ところでアスター・ヴァレンタイン。貴方は、シュヴァルさんを裏切ったそうですね」
「……裏切った? 違う。ただ、彼にはついていけなくなったのだよ……」
「依頼主はお客様、お客様は神様です。なのに、それを裏切るなんて。信じられません」

 アスターは荒い呼吸をしながら返す。

「私も一人の……人間だよ。自分の意思というものも……存在しないわけではない……」

 しかし、少し話したくらいでミストの思考は変わらない。彼女がアスターへ向ける視線は、まだ冷ややかなままだった。

「己の意思より、依頼主の意思を優先する。それは、裏の仕事を受けたのならば当然のことではないですか」
「それもそうだ……確かに、自分を優先した私は……ある意味、失格と言えるかもしれない……」

 このままでは、アスターはミストに負けるだろう。抵抗する手段を失い、体力もかなり削がれてしまっているのだから。

 もっとも、リンディアが起きれば話はまた別かもしれないが。

「ただ、悔いはないよ……」

 唇さえ、徐々に動きづらくなってきている。しかし、それでもアスターは口を開いた。話すことを止めはしない。

「若く綺麗な命が奪われる……ことを、避けられる、なら……それで……良いとも」

 アスターはそこで意識を失い、壊れたおもちゃのように動かなくなった。

「……非効率的ですね」

 ミストは独り言のように漏らし、歩き出す。

「さて、ラナのサポートに回りましょうか」
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