奇跡の歌姫

四季

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13話「ウィクトルのブローチ」

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 辞書と地図を見比べること続け、オルダレスがここよりずっと北にある街であることが判明した。分かっている者に聞いたわけではないから間違いないと言う自信は正直ない。ただ、それらしい地名はそこしかなかったので、恐らく間違っていないだろうとは思う。

 ウィクトルたちが行ったのがここよりずっと北だと分かったところで、私は地図帳を本棚に戻す。他に地図帳で調べたいことは特になかったからである。地図帳の役割は、一旦ここまで。

 窓の外はもう暗い。
 水彩絵の具の青と緑を滲ませたような空は、黒く塗り潰され、色を失っている。

 夕食は、宿舎に残っている人から貰ったパンを食べた。それ以外は、一日、誰とも交流しなかった。ウィクトルたちを見送って、それからはずっと辞書や地図帳と向き合っていたのだ。謎を解き明かすような感覚に心が踊り、つい熱中してしまって、気づけば夜である。

 でも、もう少し何かしたい気分だ。

 既に夜ではあるけれど、寝るにはまだ早い。ここで寝てしまったら勿体無い気がして。
 何か読もう、と思い立ち、私は再び本棚に向かう。地図帳以外で、何か良い本はないだろうか。文法がほぼ分からずとも内容が掴めるようなものがあれば良いのだが。

 私はしばし悩み、結局答えを出せなくて、運に任せることにした。

 適当に一冊取り出す。
 すると、その奥に、何やら手帳のようなものが詰まっているのが視認できた。

「……何これ?」

 取り出した本よりも、隙間に挟められていた手帳のようなものの方が気になって、私はそれに手を伸ばす。
 黒い革製のカバーが取り付けられた、開いても片手で持てるサイズの手帳。

 どうせ誰も見ていない。
 思いきって開いてみる。

 やはり手帳のようだ、白いページに黒い文字が書き込まれている。
 印刷ではない。手書きの文字。
 その中に一文だけ、地球の文字で書かれたものがあった。

「地球における任務の進行状況……仕事の記録?」

 誰のものだろう?
 この部屋の中にあったのだから、ウィクトルのもの?

 私は辞書を使い、手帳のようなものにキエルの文字で記入されている文章を読んでみる。

「母親、娘、を、庇う。心……違った、精神、地球人、思われる、同じと」

 二文ほどを解読するだけでも十分近くかかった。
 何をしているのだろう、と思ってくるくらい、辛気臭い作業だ。

「しかし、失敗、ある……失敗した。母親、青ブローチ、くれる……くれ、た」

 辞書と手帳を交互に見比べ、少しずつ文章を導き出していく。
 一文一文訳していく作業。丁寧さは求められないとはいえ、知識がないため、いちいちかなり手間がかかってしまう。

「娘を庇った母親が、この手帳の持ち主に青いブローチをくれた人……ってことね。きっと」

 水の匂いが漂ってくる。
 それに続いたのは、雨粒がこぼれ落ちる音。
 外は暗くてよく見えないが、どうやら雨が降り出したみたいだ。

 ただ、室内にいる以上、雨が降ろうが晴れていようがあまり関係はない。そのうち寝なくてはならないのだろうが、今はまだ微塵も眠くないので、手帳の中身を読み取る作業をもう少し継続することにする。

「幼い私、会う……会った、人、地球。……地球で? それ、が、彼女……」

 ページをめくった瞬間。
 ドキン、と、心臓が音を放つ。

「……え?」

 何も思わずページをめくったその時、私の視界に現れたのは、一枚の写真だった。

 特別でもなんでもない手帳の一ページに貼り付けられた、一辺十センチにも満たない小ぶりな写真。そこには、一人の女性と一人の少年が隣り合って写っていた。

 瞳が震える。
 胸の奥が軋む。

「母さん……!?」

 窓の外で降りしきる雨は、徐々に強まり、窓枠を荒々しく叩き始める。

「どうして、こんな写真……」

 その写真を目にした瞬間、頭蓋をトンカチで殴られたかのような感覚を覚えた。

 写真の女性は、心なしか若いような気はするものの、間違いなく私の母親だった。二人で共に暮らしてきたからこそ、確信が持てる。長く伸びた茶色の髪も、優しげな微笑みも、柔らかな目鼻立ちも、母親に違いないと思わせるものである。

 そして、その胸元には、青い宝石が埋め込まれたブローチがついている。それは、今この胸にあるのと同じものだ。

 母親がこのようなブローチを持っているということは知らなかった。ただ、現物が手元にあるのだから、写真の母親が身につけているブローチが今ここにあるものと同一のものだということは、誰の目にも明らか。写真と実物を百人に見せたなら、少なくとも九十九人は「同じもの」と述べるだろう。それだけは自信を持って言える。

 母親と共に写っている少年はウィクトルだろうか、夜のように暗い色の髪をしている。しかも、瞳の色も今の彼と同じだ。ただ、顔つきは現在の彼とは大幅に違っているけれど。でも、髪と瞳の色がほぼ同じということは、同一人物である可能性は高い。

「知り合いだった……ということ……?」

 誰もいない、雨音だけが響く部屋の中で、私は一人愕然とする。

 その時ふと蘇る。
 ウィクトルの言葉。

『このブローチは、私がまだ小さかった頃、地球人から貰ったものだ』

  もしあの発言が真実であるのだとすれば、言っていた「地球人」とは、私の母親のことだったのではないか。

 だとしたら、すべてが繋がり紐解ける。

 青いブローチをウィクトルに贈った者と娘を庇って倒れた者は同一人物。
 そして、その人物は、私の母親。

「じゃあ……あの時、私を狙い結果的に母さんを殺したのは……」
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