14 / 209
13話「ウィクトルのブローチ」
しおりを挟む
辞書と地図を見比べること続け、オルダレスがここよりずっと北にある街であることが判明した。分かっている者に聞いたわけではないから間違いないと言う自信は正直ない。ただ、それらしい地名はそこしかなかったので、恐らく間違っていないだろうとは思う。
ウィクトルたちが行ったのがここよりずっと北だと分かったところで、私は地図帳を本棚に戻す。他に地図帳で調べたいことは特になかったからである。地図帳の役割は、一旦ここまで。
窓の外はもう暗い。
水彩絵の具の青と緑を滲ませたような空は、黒く塗り潰され、色を失っている。
夕食は、宿舎に残っている人から貰ったパンを食べた。それ以外は、一日、誰とも交流しなかった。ウィクトルたちを見送って、それからはずっと辞書や地図帳と向き合っていたのだ。謎を解き明かすような感覚に心が踊り、つい熱中してしまって、気づけば夜である。
でも、もう少し何かしたい気分だ。
既に夜ではあるけれど、寝るにはまだ早い。ここで寝てしまったら勿体無い気がして。
何か読もう、と思い立ち、私は再び本棚に向かう。地図帳以外で、何か良い本はないだろうか。文法がほぼ分からずとも内容が掴めるようなものがあれば良いのだが。
私は暫し悩み、結局答えを出せなくて、運に任せることにした。
適当に一冊取り出す。
すると、その奥に、何やら手帳のようなものが詰まっているのが視認できた。
「……何これ?」
取り出した本よりも、隙間に挟められていた手帳のようなものの方が気になって、私はそれに手を伸ばす。
黒い革製のカバーが取り付けられた、開いても片手で持てるサイズの手帳。
どうせ誰も見ていない。
思いきって開いてみる。
やはり手帳のようだ、白いページに黒い文字が書き込まれている。
印刷ではない。手書きの文字。
その中に一文だけ、地球の文字で書かれたものがあった。
「地球における任務の進行状況……仕事の記録?」
誰のものだろう?
この部屋の中にあったのだから、ウィクトルのもの?
私は辞書を使い、手帳のようなものにキエルの文字で記入されている文章を読んでみる。
「母親、娘、を、庇う。心……違った、精神、地球人、思われる、同じと」
二文ほどを解読するだけでも十分近くかかった。
何をしているのだろう、と思ってくるくらい、辛気臭い作業だ。
「しかし、失敗、ある……失敗した。母親、青ブローチ、くれる……くれ、た」
辞書と手帳を交互に見比べ、少しずつ文章を導き出していく。
一文一文訳していく作業。丁寧さは求められないとはいえ、知識がないため、いちいちかなり手間がかかってしまう。
「娘を庇った母親が、この手帳の持ち主に青いブローチをくれた人……ってことね。きっと」
水の匂いが漂ってくる。
それに続いたのは、雨粒がこぼれ落ちる音。
外は暗くてよく見えないが、どうやら雨が降り出したみたいだ。
ただ、室内にいる以上、雨が降ろうが晴れていようがあまり関係はない。そのうち寝なくてはならないのだろうが、今はまだ微塵も眠くないので、手帳の中身を読み取る作業をもう少し継続することにする。
「幼い私、会う……会った、人、地球。……地球で? それ、が、彼女……」
ページをめくった瞬間。
ドキン、と、心臓が音を放つ。
「……え?」
何も思わずページをめくったその時、私の視界に現れたのは、一枚の写真だった。
特別でもなんでもない手帳の一ページに貼り付けられた、一辺十センチにも満たない小ぶりな写真。そこには、一人の女性と一人の少年が隣り合って写っていた。
瞳が震える。
胸の奥が軋む。
「母さん……!?」
窓の外で降りしきる雨は、徐々に強まり、窓枠を荒々しく叩き始める。
「どうして、こんな写真……」
その写真を目にした瞬間、頭蓋をトンカチで殴られたかのような感覚を覚えた。
写真の女性は、心なしか若いような気はするものの、間違いなく私の母親だった。二人で共に暮らしてきたからこそ、確信が持てる。長く伸びた茶色の髪も、優しげな微笑みも、柔らかな目鼻立ちも、母親に違いないと思わせるものである。
そして、その胸元には、青い宝石が埋め込まれたブローチがついている。それは、今この胸にあるのと同じものだ。
母親がこのようなブローチを持っているということは知らなかった。ただ、現物が手元にあるのだから、写真の母親が身につけているブローチが今ここにあるものと同一のものだということは、誰の目にも明らか。写真と実物を百人に見せたなら、少なくとも九十九人は「同じもの」と述べるだろう。それだけは自信を持って言える。
母親と共に写っている少年はウィクトルだろうか、夜のように暗い色の髪をしている。しかも、瞳の色も今の彼と同じだ。ただ、顔つきは現在の彼とは大幅に違っているけれど。でも、髪と瞳の色がほぼ同じということは、同一人物である可能性は高い。
「知り合いだった……ということ……?」
誰もいない、雨音だけが響く部屋の中で、私は一人愕然とする。
その時ふと蘇る。
ウィクトルの言葉。
『このブローチは、私がまだ小さかった頃、地球人から貰ったものだ』
もしあの発言が真実であるのだとすれば、言っていた「地球人」とは、私の母親のことだったのではないか。
だとしたら、すべてが繋がり紐解ける。
青いブローチをウィクトルに贈った者と娘を庇って倒れた者は同一人物。
そして、その人物は、私の母親。
「じゃあ……あの時、私を狙い結果的に母さんを殺したのは……」
ウィクトルたちが行ったのがここよりずっと北だと分かったところで、私は地図帳を本棚に戻す。他に地図帳で調べたいことは特になかったからである。地図帳の役割は、一旦ここまで。
窓の外はもう暗い。
水彩絵の具の青と緑を滲ませたような空は、黒く塗り潰され、色を失っている。
夕食は、宿舎に残っている人から貰ったパンを食べた。それ以外は、一日、誰とも交流しなかった。ウィクトルたちを見送って、それからはずっと辞書や地図帳と向き合っていたのだ。謎を解き明かすような感覚に心が踊り、つい熱中してしまって、気づけば夜である。
でも、もう少し何かしたい気分だ。
既に夜ではあるけれど、寝るにはまだ早い。ここで寝てしまったら勿体無い気がして。
何か読もう、と思い立ち、私は再び本棚に向かう。地図帳以外で、何か良い本はないだろうか。文法がほぼ分からずとも内容が掴めるようなものがあれば良いのだが。
私は暫し悩み、結局答えを出せなくて、運に任せることにした。
適当に一冊取り出す。
すると、その奥に、何やら手帳のようなものが詰まっているのが視認できた。
「……何これ?」
取り出した本よりも、隙間に挟められていた手帳のようなものの方が気になって、私はそれに手を伸ばす。
黒い革製のカバーが取り付けられた、開いても片手で持てるサイズの手帳。
どうせ誰も見ていない。
思いきって開いてみる。
やはり手帳のようだ、白いページに黒い文字が書き込まれている。
印刷ではない。手書きの文字。
その中に一文だけ、地球の文字で書かれたものがあった。
「地球における任務の進行状況……仕事の記録?」
誰のものだろう?
この部屋の中にあったのだから、ウィクトルのもの?
私は辞書を使い、手帳のようなものにキエルの文字で記入されている文章を読んでみる。
「母親、娘、を、庇う。心……違った、精神、地球人、思われる、同じと」
二文ほどを解読するだけでも十分近くかかった。
何をしているのだろう、と思ってくるくらい、辛気臭い作業だ。
「しかし、失敗、ある……失敗した。母親、青ブローチ、くれる……くれ、た」
辞書と手帳を交互に見比べ、少しずつ文章を導き出していく。
一文一文訳していく作業。丁寧さは求められないとはいえ、知識がないため、いちいちかなり手間がかかってしまう。
「娘を庇った母親が、この手帳の持ち主に青いブローチをくれた人……ってことね。きっと」
水の匂いが漂ってくる。
それに続いたのは、雨粒がこぼれ落ちる音。
外は暗くてよく見えないが、どうやら雨が降り出したみたいだ。
ただ、室内にいる以上、雨が降ろうが晴れていようがあまり関係はない。そのうち寝なくてはならないのだろうが、今はまだ微塵も眠くないので、手帳の中身を読み取る作業をもう少し継続することにする。
「幼い私、会う……会った、人、地球。……地球で? それ、が、彼女……」
ページをめくった瞬間。
ドキン、と、心臓が音を放つ。
「……え?」
何も思わずページをめくったその時、私の視界に現れたのは、一枚の写真だった。
特別でもなんでもない手帳の一ページに貼り付けられた、一辺十センチにも満たない小ぶりな写真。そこには、一人の女性と一人の少年が隣り合って写っていた。
瞳が震える。
胸の奥が軋む。
「母さん……!?」
窓の外で降りしきる雨は、徐々に強まり、窓枠を荒々しく叩き始める。
「どうして、こんな写真……」
その写真を目にした瞬間、頭蓋をトンカチで殴られたかのような感覚を覚えた。
写真の女性は、心なしか若いような気はするものの、間違いなく私の母親だった。二人で共に暮らしてきたからこそ、確信が持てる。長く伸びた茶色の髪も、優しげな微笑みも、柔らかな目鼻立ちも、母親に違いないと思わせるものである。
そして、その胸元には、青い宝石が埋め込まれたブローチがついている。それは、今この胸にあるのと同じものだ。
母親がこのようなブローチを持っているということは知らなかった。ただ、現物が手元にあるのだから、写真の母親が身につけているブローチが今ここにあるものと同一のものだということは、誰の目にも明らか。写真と実物を百人に見せたなら、少なくとも九十九人は「同じもの」と述べるだろう。それだけは自信を持って言える。
母親と共に写っている少年はウィクトルだろうか、夜のように暗い色の髪をしている。しかも、瞳の色も今の彼と同じだ。ただ、顔つきは現在の彼とは大幅に違っているけれど。でも、髪と瞳の色がほぼ同じということは、同一人物である可能性は高い。
「知り合いだった……ということ……?」
誰もいない、雨音だけが響く部屋の中で、私は一人愕然とする。
その時ふと蘇る。
ウィクトルの言葉。
『このブローチは、私がまだ小さかった頃、地球人から貰ったものだ』
もしあの発言が真実であるのだとすれば、言っていた「地球人」とは、私の母親のことだったのではないか。
だとしたら、すべてが繋がり紐解ける。
青いブローチをウィクトルに贈った者と娘を庇って倒れた者は同一人物。
そして、その人物は、私の母親。
「じゃあ……あの時、私を狙い結果的に母さんを殺したのは……」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる