エンジェリカの王女

四季

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104話 「闇の果て」

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 私はしばらく目を開けられなかった。
 何がどういう状況になっているのか分からなかったし、あまり見たくなかったから。

 鎌にやられていれば、どんな形であろうと多少の痛みは伴うはず。私に痛みがないということは——それ以上考えられなかった。正しくは、考えてはならない気がしたのだ。

 目を開けることにこれほどの恐怖を感じたのは、生まれて初めてだと思う。

「……そん……な」

 カルチェレイナの動揺に満ちた小さな声が耳に入り、恐る恐る目を開ける。

 私が握っている槍はカルチェレイナを確かに貫いていた。
 ヴィッタの絶叫する声が聞こえる。けれども、何がどうなったのか、暫し理解できなかった。ただ一つ分かるのは、槍がカルチェレイナを貫いていることだけである。

「……やるじゃない」

 カルチェレイナは膝を折り、地面へ垂直に座り込んだ。
 体は脱力し、鎌はカランと落ちて消えた。

「貴女の勝ちよ」

 力なく座り込んだ彼女は何もかも諦めたような表情で言う。

「あたしは結局……何もできなかった。四百年、この日を待ち続けてきたというのに……」

 このまま放っておいてもいずれ消滅するだろうが、本来ならもう一撃食らわせて止めを刺すべきなのだろう。だが私にはできなかった。

 出会ってまもない頃、彼女がいつも見せてくれた笑顔。あれが偽りだと、私にはどうしても思えない。
 だからだろうか。私は半ば無意識に彼女の手を取っていた。

「……何のつもり?」

 カルチェレイナは困惑したようにほんの少しだけ眉を寄せる。

「こんな方法しか思いつかなくてごめんなさい。私は貴女のこと好きよ。だからカルチェレイナ、最後に私からプレゼントをあげるわ」

 私は彼女の手を握ったまま目を閉じた。そして念じる。

 彼女が幸せな夢をみられるように、と。


 次に目を開けると、真っ白な空間にいた。空にも地面にも色はなく、ただひたすらに一面が白である。
 少し先には川が流れていた。その川の手前にカルチェレイナが立っている。どうやら向こう岸にも誰かがいるようだ。

 私は少し離れたその場所に立ったまま様子を見ることにした。

「ママ!」

 向こう岸から可愛らしい声が聞こえる。姿はハッキリと見えないが、水色の髪をしていることだけは視認できる。
 それから頑張って目を凝らしてみると、向こう岸には三人ほどいることが分かった。

 カルチェレイナは躊躇うことなく川に入る。するとその少女もそこまで来て、二人は抱き締めあった。

「お兄ちゃんとパパもいるよ。ママに会えるのをとっても楽しみにしてたんだ! 結構長いこと待ってたよ」
「……みんな揃っているのね」

 よく似た水色の髪の少女を強く抱き締めながら、カルチェレイナは泣いていた。泣いているけれど、今までで一番嬉しそうだった。
 向こう岸にいる二人も、手を振ったりしている。恐らく少女が言う「お兄ちゃんとパパ」なのだろう。

 ——家族。

 母親と父親がいて、子どもがいて。魔界の王族とはいえ、いたって普通の幸せな家庭ではないか。
 その温かな光景を目にして、私は正直羨ましいと思った。私が手に入れられなかったものをカルチェレイナは持っていたのだ。もしも運命がこんなに残酷でなかったなら、彼女は私よりずっと幸せに暮らしていたのかもしれない。

 その時。カルチェレイナが振り返り、こちらを向いた。
 その黄色い瞳に憎しみの色はまったくない。柔らかく穏やかで、幸せそうな表情だ。

「これがプレゼント?」

 水色の髪の少女を抱き締めたまま、ほんの少し口角を上げて尋ねてくる。
 私は妙に切なくなって、口を動かせなかった。何か言葉を発すると彼女との別れが辛くなる気がしたから、ただ首を縦に動かすだけにした。

 それにしても実に不思議だ。最初は友達だったとはいえ、私は彼女に何度も命を狙われた。大切な者たちを傷つけられもして。それなのに、私は最後まで彼女を嫌いにはなれなかった。

「『エンジェリカの秘宝』はどんな願いも叶えてくれる……本当だったのね」

 カルチェレイナはどこか寂しそうに笑う。

「ありがとう。アンナ」

 また考えてしまった。
 もし彼女と友達のままでいられたら、どんなに素敵だっただろうかと。

 良き友になれる道もあったのではないかと思う。それだけがたった一つの心残りだ。

「神木麗奈は貴女を好きだった。それではね。またいつか会いましょう」

 川を渡ってから一度だけ振り向いた彼女は、曇りのない微笑みで言った。私は結局何も言えず、ただ手を振って彼女の背を見送る。

 カルチェレイナは家族と共にまだ見ぬ未来へ歩み出す。
 彼女はもう闇を抜けた。その心には絶望も復讐もない。やがて訪れる未来は、決して不幸なものではないだろう。
 友達にはなれなかった私が、彼女にただ一つしてあげられたこと。これによって彼女は少しでも救われただろうか。


 さて、私もそろそろ戻らなくちゃ。
 私にはまだまだたくさんの用事がある。万事解決にはまだ早い。


 ——帰ろう。エンジェリカへ。
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