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ピスタチオ大佐と、日常の中の幸福
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ピスタチオ大佐は夢をみた。
自分が勇者になり、職場の女性——憧れの人を救うという、童話のような夢を。
おかげで、最高の目覚め。
洗顔中に鼻歌を歌って、鼻の奥に水が入って少々痛くても。ヨーグルトをかけた甘酸っぱいキウイを食べる時に調子に乗って入れすぎてしまい、咳が止まらなくなっても。
それでも、夢の中で憧れの人を救えたのだから、最高の目覚めだ。
今朝は、最高の朝なのである。
◆
「おはようっ!」
ピスタチオ大佐は職場へ行くと、まずは元気よく挨拶。これは、以前何かの本で「挨拶が印象を決める」と読んだから、実践しているのだ。この習慣は、もうずっと続けている。
「あ、おはようございます!」
「おはよー。今日も生き生きしてるわねー」
「おはっす! ピツタティオセンプァイ!」
やる気に満ちた学生のような新人社員。いくつか年上の、包容力のある先輩女性社員。元気だが空気の読めないやんちゃ社員。
ピスタチオ大佐の職場には、様々な人がいて。
その誰もが、ピスタチオ大佐の爽やかな挨拶を、面白く思っている。
元気だが空気の読めないやんちゃ社員が、以前飲み会で「ピスタチオ大佐の朝」という物真似芸を行った時には、大爆笑になった。
そんなピスタチオ大佐の、憧れの人。
それは、隣の席の無口な人。
「おはようございます! 爽やかな朝ですね!」
「……あぁ」
「そうそう! 昨夜、百二十八夜ぶりに夢をみましたよ!」
隣の席の人は、いつも不愛想。周囲が声をかけても、あまり多くを返しはしない。中でもピスタチオ大佐に声をかけられた時は、特に不愛想である。それは、職場の誰もが知っていることだ。
しかし、当のピスタチオ大佐はまったくと言っていいほど気づいていない。
もっとも、気づいたとしても気にしないだろうが。
「いやー、凄く良い夢でした!」
「……黙ってくれる」
「どんな夢か気になりますか? 気になりますよね! ご心配なく! 今からお話しますよー!」
「……仕事しろ」
隣の席の人は、時折短い言葉を返すだけ。
だが、ピスタチオ大佐はそれでも嬉しいのである。
「自分が勇者になって、憧れの人を助けにいく物語でした! 個人的には、勇者なのにわりと薄着なところがびっくりでした!」
隣の席の人からの返答はない。
それでも、ピスタチオ大佐は話を続ける。
「旅の途中でお供が参戦してくれたのも驚きでしたね!」
「……人間?」
「それが! 違うんです! イヌ、タヌキ、西三津さいみつ課長でした!」
「……西三津て誰」
ようやく返事してもらえるようになってきたピスタチオ大佐は、椅子から立ち上がり、両腕を勢いよくぐるぐる回す。
それをしばらく続け、五分くらいして椅子に座った。
「西三津課長は6月22日生まれAB型です!」
「……誰」
「母の叔父がよく通っていた飲み屋の店長さんの弟さんらしいですよ!」
「……ふぅん」
隣の席の人は、凄く興味がなさそうだった。
それでも、ピスタチオ大佐にとっては幸せな時間。憧れている人と二人で話すことができるのだから、そんな贅沢なことはない。
「あ! そういえば!」
「……何」
「先日、一人カラオケの練習をしに、親戚とカラオケに行ってきました!」
「……練習になってる?」
ピスタチオ大佐はよく話題を変える。
だがそれも、楽しんでほしいという思いからのものである。
「大勢でのカラオケって楽しいですね! 聞き応えがありました! うちは伯母が世界で活躍するオペラ歌手なので。まぁ、伯母は来ませんでしたけどね!」
目はこれでもかというほど大きく開き、鼻の穴も膨らみ、唇は裏返り、頬は焼きたての餅のように柔らかくなって。一人カラオケの話をするピスタチオ大佐の顔は、幸福そのものだった。
「……どうでもいい」
「えっ! カラオケには興味がないですか?」
「……ない」
その時部屋にいた者は、ピスタチオ大佐以外誰もが、「そりゃそうだろう」と思ったはずだ。
というのも、ピスタチオ大佐の隣の席の人は、かなり無愛想なタイプなのである。ピスタチオ大佐を除けば、恐らく、そのことは誰もが知っているだろう。
「そうでしたか……残念です……」
せっかくの話題を「興味がない」と一蹴され、ピスタチオ大佐は落ち込んだかのように見えた。
「では! 別のお話にしましょう!」
だが案外そんなことはなく。
すぐにいつも通りの明るさを取り戻していた。
「何にします!?」
「……何もしなくていい」
隣の席の人は、たまに愛想なく短い返しをするだけで、ピスタチオ大佐のハイテンションに付き合うことはしない。だがピスタチオ大佐は、短い返しだけであっても、貰えることを嬉しく思っている。そのため、ひたすら同じようなことが繰り返される。
「女性の社会進出について! 民主主義の在り方について! 近所のクレーンゲームについて! 労働者の権利について! 近所の野良猫について! 国際化の行く末について! どれにします!?」
ワクワクした顔で隣の席の人を見つめるピスタチオ大佐。
「……どれもいい」
「え! すべて良かったですか!」
「……いい」
隣の席の人は「要らない」という意味で「いい」と言ったのだろう。
しかし、この世のすべてを都合よく解釈するピスタチオ大佐の頭には、「要らない」という意味の「いい」なんて言葉は存在しなかった。
「ええっ! そんな! う、う、う……嬉しいぃ……! です」
ピスタチオ大佐はまたしても椅子から立ち上がる。そして、両の手のひらを、リンゴのようになった頬へ当てる。足は意図的に内股にし、肩と腰を左右逆に動かす。
「……なに照れてるの」
「え? だって! 恵美ちゃんに全部気に入ってもらえるなんて、幸せすぎて!」
奇妙な動きを続けるピスタチオ大佐に、隣の席の人はぴしゃりと言い放つ。
「気に入ってない」
その言葉を聞き、ピスタチオ大佐の顎が外れた。
——否、顎が外れたかと思うくらい、口が大きく開いたのである。
「……要らない、という意味」
「えぇっ!」
「……あと、名前呼びとか止めて。不気味」
隣の席の人は、今日も、ピスタチオ大佐に冷たい。
それでもピスタチオ大佐は、憧れの人とこうして話すことができる日々を、幸せだと思っている。
自分が勇者になり、職場の女性——憧れの人を救うという、童話のような夢を。
おかげで、最高の目覚め。
洗顔中に鼻歌を歌って、鼻の奥に水が入って少々痛くても。ヨーグルトをかけた甘酸っぱいキウイを食べる時に調子に乗って入れすぎてしまい、咳が止まらなくなっても。
それでも、夢の中で憧れの人を救えたのだから、最高の目覚めだ。
今朝は、最高の朝なのである。
◆
「おはようっ!」
ピスタチオ大佐は職場へ行くと、まずは元気よく挨拶。これは、以前何かの本で「挨拶が印象を決める」と読んだから、実践しているのだ。この習慣は、もうずっと続けている。
「あ、おはようございます!」
「おはよー。今日も生き生きしてるわねー」
「おはっす! ピツタティオセンプァイ!」
やる気に満ちた学生のような新人社員。いくつか年上の、包容力のある先輩女性社員。元気だが空気の読めないやんちゃ社員。
ピスタチオ大佐の職場には、様々な人がいて。
その誰もが、ピスタチオ大佐の爽やかな挨拶を、面白く思っている。
元気だが空気の読めないやんちゃ社員が、以前飲み会で「ピスタチオ大佐の朝」という物真似芸を行った時には、大爆笑になった。
そんなピスタチオ大佐の、憧れの人。
それは、隣の席の無口な人。
「おはようございます! 爽やかな朝ですね!」
「……あぁ」
「そうそう! 昨夜、百二十八夜ぶりに夢をみましたよ!」
隣の席の人は、いつも不愛想。周囲が声をかけても、あまり多くを返しはしない。中でもピスタチオ大佐に声をかけられた時は、特に不愛想である。それは、職場の誰もが知っていることだ。
しかし、当のピスタチオ大佐はまったくと言っていいほど気づいていない。
もっとも、気づいたとしても気にしないだろうが。
「いやー、凄く良い夢でした!」
「……黙ってくれる」
「どんな夢か気になりますか? 気になりますよね! ご心配なく! 今からお話しますよー!」
「……仕事しろ」
隣の席の人は、時折短い言葉を返すだけ。
だが、ピスタチオ大佐はそれでも嬉しいのである。
「自分が勇者になって、憧れの人を助けにいく物語でした! 個人的には、勇者なのにわりと薄着なところがびっくりでした!」
隣の席の人からの返答はない。
それでも、ピスタチオ大佐は話を続ける。
「旅の途中でお供が参戦してくれたのも驚きでしたね!」
「……人間?」
「それが! 違うんです! イヌ、タヌキ、西三津さいみつ課長でした!」
「……西三津て誰」
ようやく返事してもらえるようになってきたピスタチオ大佐は、椅子から立ち上がり、両腕を勢いよくぐるぐる回す。
それをしばらく続け、五分くらいして椅子に座った。
「西三津課長は6月22日生まれAB型です!」
「……誰」
「母の叔父がよく通っていた飲み屋の店長さんの弟さんらしいですよ!」
「……ふぅん」
隣の席の人は、凄く興味がなさそうだった。
それでも、ピスタチオ大佐にとっては幸せな時間。憧れている人と二人で話すことができるのだから、そんな贅沢なことはない。
「あ! そういえば!」
「……何」
「先日、一人カラオケの練習をしに、親戚とカラオケに行ってきました!」
「……練習になってる?」
ピスタチオ大佐はよく話題を変える。
だがそれも、楽しんでほしいという思いからのものである。
「大勢でのカラオケって楽しいですね! 聞き応えがありました! うちは伯母が世界で活躍するオペラ歌手なので。まぁ、伯母は来ませんでしたけどね!」
目はこれでもかというほど大きく開き、鼻の穴も膨らみ、唇は裏返り、頬は焼きたての餅のように柔らかくなって。一人カラオケの話をするピスタチオ大佐の顔は、幸福そのものだった。
「……どうでもいい」
「えっ! カラオケには興味がないですか?」
「……ない」
その時部屋にいた者は、ピスタチオ大佐以外誰もが、「そりゃそうだろう」と思ったはずだ。
というのも、ピスタチオ大佐の隣の席の人は、かなり無愛想なタイプなのである。ピスタチオ大佐を除けば、恐らく、そのことは誰もが知っているだろう。
「そうでしたか……残念です……」
せっかくの話題を「興味がない」と一蹴され、ピスタチオ大佐は落ち込んだかのように見えた。
「では! 別のお話にしましょう!」
だが案外そんなことはなく。
すぐにいつも通りの明るさを取り戻していた。
「何にします!?」
「……何もしなくていい」
隣の席の人は、たまに愛想なく短い返しをするだけで、ピスタチオ大佐のハイテンションに付き合うことはしない。だがピスタチオ大佐は、短い返しだけであっても、貰えることを嬉しく思っている。そのため、ひたすら同じようなことが繰り返される。
「女性の社会進出について! 民主主義の在り方について! 近所のクレーンゲームについて! 労働者の権利について! 近所の野良猫について! 国際化の行く末について! どれにします!?」
ワクワクした顔で隣の席の人を見つめるピスタチオ大佐。
「……どれもいい」
「え! すべて良かったですか!」
「……いい」
隣の席の人は「要らない」という意味で「いい」と言ったのだろう。
しかし、この世のすべてを都合よく解釈するピスタチオ大佐の頭には、「要らない」という意味の「いい」なんて言葉は存在しなかった。
「ええっ! そんな! う、う、う……嬉しいぃ……! です」
ピスタチオ大佐はまたしても椅子から立ち上がる。そして、両の手のひらを、リンゴのようになった頬へ当てる。足は意図的に内股にし、肩と腰を左右逆に動かす。
「……なに照れてるの」
「え? だって! 恵美ちゃんに全部気に入ってもらえるなんて、幸せすぎて!」
奇妙な動きを続けるピスタチオ大佐に、隣の席の人はぴしゃりと言い放つ。
「気に入ってない」
その言葉を聞き、ピスタチオ大佐の顎が外れた。
——否、顎が外れたかと思うくらい、口が大きく開いたのである。
「……要らない、という意味」
「えぇっ!」
「……あと、名前呼びとか止めて。不気味」
隣の席の人は、今日も、ピスタチオ大佐に冷たい。
それでもピスタチオ大佐は、憧れの人とこうして話すことができる日々を、幸せだと思っている。
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