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前編

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 絶望の海の落ちた、あの婚約破棄から一年。
 私は両親が営む八百屋を手伝いつつ穏やかな生活の中にあった。

「おはようございます! おばさま!」
「今日も元気そうねぇ」
「はい! ばりばり元気です!」
「一時はどうなることかと思ったけれど……良かったわぁ、アンリちゃんの体調が良くなって」

 店の常連客は大抵一年前のことを知っている。というのも、私が店の手伝いを始めたのはその頃だったのだ。だが当時は挨拶をするのがやっとなくらいで、ほとんど何もできていないような状態で。体調を崩して急に動けなくなるような日も多かったし、お客さんの前で気を失ったこともあったくらいだった。だから皆私が不健康だったことを知っている、そして、私が段々元気になってきたのだということも知っているのだ。

「すっかり笑顔の素敵なお嬢さんになられたわねぇ」

 実際、皆の協力があってここまで状態が回復した。

 そういう意味では常連客の方たちは感謝すべき人なのである。

「えへへ……嬉しいです、ありがとうございます。でも立ち直れたのは皆さんのおかげです。皆さんがいてくださったからこそ今があるのです」
「これからも元気な貴女でいてちょうだいねぇ」
「はい! 健康第一で!」
「いいわねぇ。これからもまた会いに来るわ」
「嬉しいです!」

 穏やかで、毒のない、そんな日常。それはどこまでもあたたかで。そしてありがたく愛おしいもの。

 いつまでもずっと手の内にあってほしい、そう思うようなものである。

「アンリさん、顔色良いわね!」
「あ、はい。おかげさまで。最近は元気そのものなんです」

 ちなみに、かつて私に一方的に婚約破棄を告げた彼は、その一件から数ヶ月が経ったある日の朝散歩に出掛けたきり戻らなかった。で、捜索するもなかなか見つからず。しかし、捜索が終了となった翌日の朝、彼の両親が住む屋敷の玄関先に亡骸となって置かれていたそう。それによって死亡が確定したのだそうだ。

「薬ももう飲まなくて大丈夫になっているんです!」
「あら! それはすごいわね!」
「これからもっとたくさんのお返しができるよう働いていきます」
「まぁそう、でも無理はしないでね?」
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