新日本警察エリミナーレ

四季

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58話 「私たちは」

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 目の前にはバットやその他様々な武器を持った男性の集団。それでも武田は臆していない。彼はいまだに湖の水面のような静けさを保っている。そこに恐れなどという感情が入り込む余地はない。

 それはひとえに、揺らぐことのない自信があるからだろう。
 たとえ一対多であろうともそう容易く負けることはない。彼はきっとそう思っている。だから大勢に敵意を向けられても冷静でいられるのだと思う。

 些細なことを恐れてばかりの私とは正反対だ。

「大人しく消えてくれれば、痛い目に遭わせなくて済むんだけどな」

 リーダー格の男性は、顎を軽く上げ、かっこいい自分を演出しつつ言う。そしてバットの先端を武田へ向ける。それを合図に、近くにいた彼の仲間たちも武器を構えた。
 それでも武田は表情を崩さず、ただ静かな声で述べる。

「一度逃げておきながら、よくそのような口を利けたものだな」

 武田が挑発的な発言をするのは珍しい気がする。エリミナーレでなら、エリナやナギが挑発的なことを言う質だ。それに対して、武田は大抵言われる側の人間だった。それだけに、彼がこんな発言をするとは意外である。

 何か意図があるのか、ただ少し言ってみただけなのか、私には知りようがない。だが武田のことだ。何の考えもなしに敵を刺激するとは思えない。そんなことをしても得がない、ということを分からない彼ではないはずだ。

「逃げた……だって?」

 リーダー格の男性は不快そうに口元を引きつらせる。弱虫のように扱われるのは気に食わないらしい。

「オラたちがいつ逃げたってんだ!」

 突然叫んだのはリーダー格でない大勢のうちの一人。赤っぽい髪を真上に立てていて、世紀末感満載だ。しかし持っているのはフライパンである。
 ただ「逃げた」と言われただけのことに対し、なぜここまで激怒しているのだろう。そんなに怒る内容でもないと思うのだが。

「ついさっき、軽食屋で女をいじめていた時だ。ほんの数時間前のことを既に忘れたのか?」

 武田は、激しい怒りを露わにする男性たちに冷ややかな視線を向け、そして答えた。

 そうか、と今さら気づく。彼らがあの時の男性たちだったとは気づかなかった。
 離れていたせいでよく見えなかったにしても、言われるまで分からないとは記憶力が低下しているかもしれない。気をつけなくては。

「あっ、あれは話が別だいっ!」

 赤髪の男性は焦ったように言い返す。

「あんときのは真のオラたちじゃ……」
「お前はもういいよ」

 リーダー格の男性が赤髪を制止する。そして、余裕ありげに一呼吸おいてから、話し出す。

「俺らがエリミなんちゃらを退治することになったのは、あの後だよ。お婆さんに『一人倒せば百万』と言われてね」
「百万?」

 私は思わず漏らしてしまった。

 一人倒せば、ということは、私と武田で二百万。二百万円といえばそこそこな高額だ。少なくとも日頃の生活でよく見かける額ではない。
 しかし人の命にならもっと高い値段がつきそうな気もする。

「そうそう。一人倒すにつき百万円貰うって契約をしたんだよ」
「……なるほどな」

 私が言葉を発するより先に、男性たちを睨んでいた武田が口を開く。

「百万か、面白い」

 武田は膝を軽く曲げ、低めの体勢になる。
 徐々に日が落ち、辺りは暗くなってきた。ひんやりとした風が髪を揺らす。日が沈んだのをきっかけに温度が下がりだした。

「素人にやられるつもりは毛頭ない。だが……」

 凍てついたような表情、研がれた刃のような目つき。そして、視界に入っただけでゾクリとする、常人を超越した雰囲気。
 そこらにいる人間たちと同じ生き物だとは到底考えられない——私ですらそんな風に思ってしまった。彼は本当に人間なのか、と。

「来るなら相手してやる」

 それが彼の一番嫌がることであるとは知っている。だがそれでも、尋常でない雰囲気を放つ彼を人間と捉えることは難しい。

「……ひっ、怯むなっ! 全員でかかればいけるっ!」

 バットを握ったリーダー格の男性は、武田の威圧感に圧倒され怖じ気づく仲間たちを鼓舞する。しかし、誰もが一歩を踏み出せない。

「百万だっ!」

 それでも誰も動かないので、リーダー格の男性が一番に動いた。バットをしっかり握り、武田へ駆け寄っていく。すると他も動き出した。どうやら、最初に動くのが嫌なだけだったらしい。
 一斉に武田へ接近していく。大勢でかかり力押ししたい、ということなのかもしれない。

「無理だけはしないで!」

 私は反射的に叫ぶ。
 考えるより早く出た言葉だったので、敬語でなかった。それどころか丁寧語ですらない。十以上年上の彼に丁寧語すら使わないなど、この状況下でなければ一生なかっただろう。

 武田はほんの一瞬だけこちらに目をやり、「分かっている」とでも言うように頷いた。


 私たちはいつもどこかすれ違っている。ずっとそんな気がしていた。

 彼は私の気持ちに一向に気づいてくれない。それはもう、切ないほどに。レイやエリナはとうに気づいていて、にも関わらず彼だけは気づいていない。彼にとっての私は「仲間」でしかないのだ。

 だから、私と彼の心は上手く繋がれないのかもしれない。漠然とそう思っていた。


 けれど、今分かった。


 私たちは、恋愛という意味以外でなら、既に分かり合えているのだと。
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