69 / 161
68話 「カレーライスと感情と」
しおりを挟む
その夜。リビングに集まり、四人で食事をとることになった。夕食のメニューはカレーライスだ。
作ったのはもちろんモルテリア。私たちが的当てをして遊んだり話したりしている間に、一人黙々とカレーを作っていたらしい。美味しそうな夕食を自ら作っておいてくれるとは、なんて心優しい人なのだろう。
「……たくさん、食べて……」
目の前に差し出されたカレーライス。どこから見ても完璧な、見本のようなカレーライスである。もっとも、尋常でない大盛りなところを除けば、だが。
「おぉっ! カレーライスいいっすね! 最高!」
ナギはガッツポーズをしながら子どものように歓喜の声をあげる。落ち着こうか、と言いたくなるような激しい喜び方だ。二十歳を越えているとは到底考えられないような動きをしている。
もし彼がエリミナーレでなく普通の会社に就職していたら、一体どうなっていたのだろうか。年相応に成長していない幼稚な人という扱いを受けていたかもしれない。ふとそんな風に思考を巡らせてしまう。
私が考えている時も、ナギはひたすらカレーライスを食べ続けていた。余程好きなのだろう、口内に流し込むような食べ方である。
「待て、ナギ。早食いしすぎるのは良くない」
凄まじいスピードでカレーライスを食べていくナギに対し、武田は真面目な顔で注意する。ナギは反抗期の息子のように「放っておいてほしいっす」とだけ返した。
面倒臭い親のような注意をする武田と、それに反発してしまうナギ。二人の関係は相変わらず平行線だ。
「まったく……ん?」
何か気がついたように、武田は私を見つめてくる。
彼の瞳にじっと見られると、体が自然と強張ってしまう。恥ずかしさと嬉しさと緊張が混ざったような正体不明の何かが込み上げてきた。
「沙羅、なぜそんなに少しずつ食べている? たくさんあるのだから、もっと普通に食べても構わないと思うが」
どうやら、私の一口が少量なことが気になったらしい。よく見ているなと思った。
「すみません。私、一気に口に入れると、どうも食べにくくて……」
すると納得したように一度頷く。
「そうか。それなら仕方ないな」
「ちょ、沙羅ちゃんにだけ甘くないすかっ!?」
すかさず突っ込むナギ。
自分には問答無用で注意するのに、と思っているのだろう。確かにそれも間違いではない。武田は、ナギに対しては細かく一方的だが、私には説明する余地を与えてくれる。そこに差がある気がする。
それにしても、最近になって、なんとなくだがナギの思考を読めるようになってきた。彼の思考パターンを把握できてきた、と言う方が正確だろうか。
「沙羅にだけ甘い、だと? そのようなつもりは毛頭ないのだが」
「無自覚なんすか」
「あぁ、特に意識はしていない」
武田は時折カレーライスを口へ運びながら、あっさりとした調子で会話している。スーツ姿でカレーライスを食べている光景にはどこか違和感を感じるが、そこがまた面白い。
「やっぱ恋っすね!」
大盛りのカレーライスを完食し、水を一口飲んでから、ナギは屈託のない笑顔ではっきりと言った。
私は「いきなり何を言い出すの!」とうっかり口が滑りそうになったが、なんとか耐える。一歩誤れば叫んでしまうところだった、危ない危ない……。
「良かったっすね、武田さん! これでついに人間デビューし」
「いや、待て」
テンションが上がりかけたナギを、静かな声で制止する。
「私が沙羅に対して恋愛感情を抱いていると。お前はそう言いたいのか?」
武田は困惑した顔をしていた。頭が追いつかない、といった感じの表情である。
「そういうことっすよ。やっと気づいたんすか?」
ナギに言われ、武田は言葉を止めた。首を傾げ、何か考えているような難しい表情を浮かべる。熟考という言葉が似合いそうな様子だ。
沈黙が訪れてしまった。
——それからどのくらい経っただろうか。
長い考え事を終え、武田は私に視線を向けてきた。
「沙羅。一つ確認しても構わないか」
「は、はい」
「私はお前に恋愛感情を抱いているのだろうか?」
まさかの質問。
自身の心について他人に尋ねる者がいるとは驚いた。しかも第三者でなく相手である私に直接尋ねてくるとは、ある意味凄いと思う。
「え、それ私に聞きますか……?」
つい本心を漏らしてしまった。
何かもっとそれらしいことを答えるべきだったのだろう。しかし、私には相応しい言葉を見つけられなかった。そんなことで、良い返答を探しているうちに本音が出てしまったのである。うっかりとは怖いものだ。
武田はコップの水を口に含んでいた。
「相手に直接聞けば一番早いかと思ったが、そういうことでもないのか。ますます難解だな」
そもそも恋愛感情というものの意味を分かっていないのではないだろうか。意味が分かっているのなら、自身のそれについて他人に尋ねたりはしないはずだ。彼は恐らく、色々と勘違いしている。
「だが……もし仮に私が恋愛感情を抱いていたとしたら、それは大きな問題だな」
「問題なんですか?」
「当然だ。私には夢をみている暇などない。甘えはいずれ、自身を殺し、周囲を巻き込む。なんとしてもそれだけは避けなくては」
——そうかもしれないけれど。
でも、決して甘えることのできない人生なんて、あまりに厳しすぎるのではないか。誰にも弱みを曝さず、傷はすべて自身の内側にしまって——そんな人生は、きっと苦しすぎる。
だから私は、彼の手を取った。
「私は……悪いことではないと思いますよ」
だが、少しは彼の救いとなれるのではないかと、そんな風に思ったから。
「誰かを好きになったって、それは別に悪いことではないと思うんです。きっと、もっと幸せになれますよ」
「気を遣わせてすまない。だが、私には幸せになる資格など……」
「諦めないで下さい!」
私は衝動的に叫んでしまった。
こんな風に感情的になったのはいつ以来だろう。もう思い出せない。
「資格なんて要りません! 幸せは誰だって手に入れられるものです!」
今までにない、珍妙な空気になってしまった。
武田に向かってこんなことを言ってしまうなんて、今日の私はどうかしている。
「お。良いこと言うっすね」
そこでナギが参加してくる。このような場面ではありがたい。
「その通りっすよ、武田さん。幸せは意外と近くにあったりするもんなんで」
ナギはうーんと背伸びをし、続ける。
「武田さんのすぐ近くにも、宝石は転がってるかもっすね!」
作ったのはもちろんモルテリア。私たちが的当てをして遊んだり話したりしている間に、一人黙々とカレーを作っていたらしい。美味しそうな夕食を自ら作っておいてくれるとは、なんて心優しい人なのだろう。
「……たくさん、食べて……」
目の前に差し出されたカレーライス。どこから見ても完璧な、見本のようなカレーライスである。もっとも、尋常でない大盛りなところを除けば、だが。
「おぉっ! カレーライスいいっすね! 最高!」
ナギはガッツポーズをしながら子どものように歓喜の声をあげる。落ち着こうか、と言いたくなるような激しい喜び方だ。二十歳を越えているとは到底考えられないような動きをしている。
もし彼がエリミナーレでなく普通の会社に就職していたら、一体どうなっていたのだろうか。年相応に成長していない幼稚な人という扱いを受けていたかもしれない。ふとそんな風に思考を巡らせてしまう。
私が考えている時も、ナギはひたすらカレーライスを食べ続けていた。余程好きなのだろう、口内に流し込むような食べ方である。
「待て、ナギ。早食いしすぎるのは良くない」
凄まじいスピードでカレーライスを食べていくナギに対し、武田は真面目な顔で注意する。ナギは反抗期の息子のように「放っておいてほしいっす」とだけ返した。
面倒臭い親のような注意をする武田と、それに反発してしまうナギ。二人の関係は相変わらず平行線だ。
「まったく……ん?」
何か気がついたように、武田は私を見つめてくる。
彼の瞳にじっと見られると、体が自然と強張ってしまう。恥ずかしさと嬉しさと緊張が混ざったような正体不明の何かが込み上げてきた。
「沙羅、なぜそんなに少しずつ食べている? たくさんあるのだから、もっと普通に食べても構わないと思うが」
どうやら、私の一口が少量なことが気になったらしい。よく見ているなと思った。
「すみません。私、一気に口に入れると、どうも食べにくくて……」
すると納得したように一度頷く。
「そうか。それなら仕方ないな」
「ちょ、沙羅ちゃんにだけ甘くないすかっ!?」
すかさず突っ込むナギ。
自分には問答無用で注意するのに、と思っているのだろう。確かにそれも間違いではない。武田は、ナギに対しては細かく一方的だが、私には説明する余地を与えてくれる。そこに差がある気がする。
それにしても、最近になって、なんとなくだがナギの思考を読めるようになってきた。彼の思考パターンを把握できてきた、と言う方が正確だろうか。
「沙羅にだけ甘い、だと? そのようなつもりは毛頭ないのだが」
「無自覚なんすか」
「あぁ、特に意識はしていない」
武田は時折カレーライスを口へ運びながら、あっさりとした調子で会話している。スーツ姿でカレーライスを食べている光景にはどこか違和感を感じるが、そこがまた面白い。
「やっぱ恋っすね!」
大盛りのカレーライスを完食し、水を一口飲んでから、ナギは屈託のない笑顔ではっきりと言った。
私は「いきなり何を言い出すの!」とうっかり口が滑りそうになったが、なんとか耐える。一歩誤れば叫んでしまうところだった、危ない危ない……。
「良かったっすね、武田さん! これでついに人間デビューし」
「いや、待て」
テンションが上がりかけたナギを、静かな声で制止する。
「私が沙羅に対して恋愛感情を抱いていると。お前はそう言いたいのか?」
武田は困惑した顔をしていた。頭が追いつかない、といった感じの表情である。
「そういうことっすよ。やっと気づいたんすか?」
ナギに言われ、武田は言葉を止めた。首を傾げ、何か考えているような難しい表情を浮かべる。熟考という言葉が似合いそうな様子だ。
沈黙が訪れてしまった。
——それからどのくらい経っただろうか。
長い考え事を終え、武田は私に視線を向けてきた。
「沙羅。一つ確認しても構わないか」
「は、はい」
「私はお前に恋愛感情を抱いているのだろうか?」
まさかの質問。
自身の心について他人に尋ねる者がいるとは驚いた。しかも第三者でなく相手である私に直接尋ねてくるとは、ある意味凄いと思う。
「え、それ私に聞きますか……?」
つい本心を漏らしてしまった。
何かもっとそれらしいことを答えるべきだったのだろう。しかし、私には相応しい言葉を見つけられなかった。そんなことで、良い返答を探しているうちに本音が出てしまったのである。うっかりとは怖いものだ。
武田はコップの水を口に含んでいた。
「相手に直接聞けば一番早いかと思ったが、そういうことでもないのか。ますます難解だな」
そもそも恋愛感情というものの意味を分かっていないのではないだろうか。意味が分かっているのなら、自身のそれについて他人に尋ねたりはしないはずだ。彼は恐らく、色々と勘違いしている。
「だが……もし仮に私が恋愛感情を抱いていたとしたら、それは大きな問題だな」
「問題なんですか?」
「当然だ。私には夢をみている暇などない。甘えはいずれ、自身を殺し、周囲を巻き込む。なんとしてもそれだけは避けなくては」
——そうかもしれないけれど。
でも、決して甘えることのできない人生なんて、あまりに厳しすぎるのではないか。誰にも弱みを曝さず、傷はすべて自身の内側にしまって——そんな人生は、きっと苦しすぎる。
だから私は、彼の手を取った。
「私は……悪いことではないと思いますよ」
だが、少しは彼の救いとなれるのではないかと、そんな風に思ったから。
「誰かを好きになったって、それは別に悪いことではないと思うんです。きっと、もっと幸せになれますよ」
「気を遣わせてすまない。だが、私には幸せになる資格など……」
「諦めないで下さい!」
私は衝動的に叫んでしまった。
こんな風に感情的になったのはいつ以来だろう。もう思い出せない。
「資格なんて要りません! 幸せは誰だって手に入れられるものです!」
今までにない、珍妙な空気になってしまった。
武田に向かってこんなことを言ってしまうなんて、今日の私はどうかしている。
「お。良いこと言うっすね」
そこでナギが参加してくる。このような場面ではありがたい。
「その通りっすよ、武田さん。幸せは意外と近くにあったりするもんなんで」
ナギはうーんと背伸びをし、続ける。
「武田さんのすぐ近くにも、宝石は転がってるかもっすね!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
6
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる