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71話 「幻想の街」
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目が覚めると暗い場所にいた。見覚えのない場所だ。
真っ暗な空が見える。私はどうやら横たわっているらしい。背中にはひんやりとした感触がある。地面は石畳だろうか、そんな気がする。
私はゆっくりと上半身を起こし、辺りを見回してみた。道の左右には飲み屋や飲食店が並んでいる。繁華街のような場所だと分かった。
飲み会帰りらしき社会人の集団が通りすぎていく。しかし、道のど真ん中に倒れていたにもかかわらず、私に声をかけてくる者はいない。
人通りはわりと多い。なのに誰も私の方を見ない。関わりたくなくて見ないふりなら理解できるが、そういう雰囲気ではなく、本当に見えていない感じだ。
この感じはやはり——あの時と一緒だ。
つまりこれは、武田かナギの記憶を利用した吹蓮の術だということなのだろう。
「……ナギさん?」
直後、十メートルほど離れたところでキョロキョロしているナギの姿を発見する。根元だけ黒い金髪、一本の緩い三つ編み。間違いなくナギだ。
私は速やかに立ち上がり、彼のもとへと駆け寄る。
「ナギさん!」
「おっ! 沙羅ちゃんじゃないっすか!」
彼はすぐに気づいてくれた。
「いやー、会えて良かったっす。何なんすか、これは」
「多分あのお婆さんの術みたいなのだと思います。ナギさんはこの場所を知っていますか?」
「来たことないっすよ、こんな繁華街」
「そうですか。じゃあきっと武田さんの記憶ですね」
だとしたら武田もどこかにいるはずだ。そして、彼が精神的ダメージを受けるようなことが起こる。……恐らくは。
「武田さんの記憶? え、ちょ、待って。どういう意味すか?」
「あのお婆さん、吹蓮は、不思議な術を使うんです。人の記憶を、その人が精神的ダメージを受けるよう改変して、見せてきます」
ナギはきょとんとした顔になる。それは多分、私の発言があまりに現実らしくないものだったからだろう。
確かに、すぐには理解し難い内容である。もし実際に経験していなかったとしたら、私だって理解できなかったと思う。世の中には経験しなくては分からないこともある。吹蓮の術は、その典型的な例だ。
「じゃ、武田さんが精神攻撃やられるってことっすか?」
「分かりませんけど、その可能性が高いですね」
絶対、とは言えない。あくまで私の想像だ。しかし、私の時のことを思えば、次武田がやられても不思議ではない。
「そりゃヤバいっすわ! あの人意外とメンタル弱いし。探しに行った方が良さそうっすね!」
ナギの目はやる気に満ちて輝いている。ソファの上で怠惰に過ごしている時とは大違いだ。
それから私とナギは、武田を探しにいくことに決めた。
武田を探していると、ナギが唐突に話しかけてくる。
「そういや、沙羅ちゃんのお父さんって何の仕事してはるんすか?」
あまりに唐突なものだから、私は即座には答えられなかった。彼が私の父親の職業について尋ねる理由がまったく理解できない。
私が訝しんだ顔をしていることに気がついたのか、ナギは慌てたように「あ、別に詮索したいわけじゃないっすよ!?」と言う。せっかく話題を振ってくれたのに申し訳ない気がして、「いえいえ」と返す。
「私の父は新日本銀行で働いています」
「え、マジすか!? バリバリのエリートじゃないっすか! ここら辺っすか?」
「いえ、遠いところです。だから家にはあまり帰ってきません」
するとナギは、「聞かない方が良かったかも」というような、非常に気まずそうな顔をした。彼は、私が寂しい思いをしているだろうと想像して、気まずそうな顔をしたのだろう。
しかし、父親が家にいないのはずっと前からだ。小さな頃からだから慣れている。父親と一緒にいられないことを寂しいと思ったことはない。
正直に真実を述べるとしたら……ナギが質問してくるまで父親の存在を忘れていたくらいだ。エリミナーレに入ってからというもの、色々ありすぎて、家族のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ沙羅ちゃんは、大体お母さんと二人で暮らしてたんすね」
「そんな感じです」
「……寂しくないっすか?」
常日頃騒々しい彼にしては珍しく、落ち着いた静かな声である。いつもの鼓膜を貫くような大きい声でなく助かった。
「はい。私にはお母さんがいますし、今はエリミナーレのみんなもいます。だから寂しいと思ったことはありません」
ナギはくしゅっと顔を縮めて笑う。
「やっぱ強いっすね! さすが沙羅ちゃ……」
——そこまで言った時、ナギの顔つきが変わった。彼は光の速さで拳銃を抜き、路地の方へ銃口を向ける。
「な、ナギさん?」
私は思わず漏らしてしまう。
いつもはお調子者の彼が真剣な顔をしていることが驚きだった。
「一体何者っすか! 隠れてないで出てきていいんすよ!」
ナギは真剣な表情で路地に向かって叫ぶ。緩い三つ編みが、夜の風に揺れている。
彼がこんなに男らしく見える日が来るなんて驚きだ。
「出てこいって言ってるんっすよ!!」
ナギは口調を強め、引き金を引く。乾いた破裂音が夜の街に響いた。もちろん、道行く人は誰も気づかないけれど。
すると路地から黒い人影が現れる。人影は銃弾を避け、目にもとまらぬスピードでこちらへ駆け寄ってくる。
「ちょ、速っ……」
普段は呑気なナギだが、さすがに焦りの色が浮かんでいる。
「止めて下さいっ!」
私は半ば反射的に叫んだ。その瞬間、黒い人影はぴたっと動きを止める。
「……武田さん?」
その黒い人影は武田だった。黒いスーツを身にまとい、背は高く、スリムでありながら逞しい体つき。間違いない。髪が焦げ茶色なところを見ると、過去の彼、ということもなさそうである。
「沙羅とナギか。警戒するあまり、つい手を出しそうになってしまった……すまなかった」
真っ暗な空が見える。私はどうやら横たわっているらしい。背中にはひんやりとした感触がある。地面は石畳だろうか、そんな気がする。
私はゆっくりと上半身を起こし、辺りを見回してみた。道の左右には飲み屋や飲食店が並んでいる。繁華街のような場所だと分かった。
飲み会帰りらしき社会人の集団が通りすぎていく。しかし、道のど真ん中に倒れていたにもかかわらず、私に声をかけてくる者はいない。
人通りはわりと多い。なのに誰も私の方を見ない。関わりたくなくて見ないふりなら理解できるが、そういう雰囲気ではなく、本当に見えていない感じだ。
この感じはやはり——あの時と一緒だ。
つまりこれは、武田かナギの記憶を利用した吹蓮の術だということなのだろう。
「……ナギさん?」
直後、十メートルほど離れたところでキョロキョロしているナギの姿を発見する。根元だけ黒い金髪、一本の緩い三つ編み。間違いなくナギだ。
私は速やかに立ち上がり、彼のもとへと駆け寄る。
「ナギさん!」
「おっ! 沙羅ちゃんじゃないっすか!」
彼はすぐに気づいてくれた。
「いやー、会えて良かったっす。何なんすか、これは」
「多分あのお婆さんの術みたいなのだと思います。ナギさんはこの場所を知っていますか?」
「来たことないっすよ、こんな繁華街」
「そうですか。じゃあきっと武田さんの記憶ですね」
だとしたら武田もどこかにいるはずだ。そして、彼が精神的ダメージを受けるようなことが起こる。……恐らくは。
「武田さんの記憶? え、ちょ、待って。どういう意味すか?」
「あのお婆さん、吹蓮は、不思議な術を使うんです。人の記憶を、その人が精神的ダメージを受けるよう改変して、見せてきます」
ナギはきょとんとした顔になる。それは多分、私の発言があまりに現実らしくないものだったからだろう。
確かに、すぐには理解し難い内容である。もし実際に経験していなかったとしたら、私だって理解できなかったと思う。世の中には経験しなくては分からないこともある。吹蓮の術は、その典型的な例だ。
「じゃ、武田さんが精神攻撃やられるってことっすか?」
「分かりませんけど、その可能性が高いですね」
絶対、とは言えない。あくまで私の想像だ。しかし、私の時のことを思えば、次武田がやられても不思議ではない。
「そりゃヤバいっすわ! あの人意外とメンタル弱いし。探しに行った方が良さそうっすね!」
ナギの目はやる気に満ちて輝いている。ソファの上で怠惰に過ごしている時とは大違いだ。
それから私とナギは、武田を探しにいくことに決めた。
武田を探していると、ナギが唐突に話しかけてくる。
「そういや、沙羅ちゃんのお父さんって何の仕事してはるんすか?」
あまりに唐突なものだから、私は即座には答えられなかった。彼が私の父親の職業について尋ねる理由がまったく理解できない。
私が訝しんだ顔をしていることに気がついたのか、ナギは慌てたように「あ、別に詮索したいわけじゃないっすよ!?」と言う。せっかく話題を振ってくれたのに申し訳ない気がして、「いえいえ」と返す。
「私の父は新日本銀行で働いています」
「え、マジすか!? バリバリのエリートじゃないっすか! ここら辺っすか?」
「いえ、遠いところです。だから家にはあまり帰ってきません」
するとナギは、「聞かない方が良かったかも」というような、非常に気まずそうな顔をした。彼は、私が寂しい思いをしているだろうと想像して、気まずそうな顔をしたのだろう。
しかし、父親が家にいないのはずっと前からだ。小さな頃からだから慣れている。父親と一緒にいられないことを寂しいと思ったことはない。
正直に真実を述べるとしたら……ナギが質問してくるまで父親の存在を忘れていたくらいだ。エリミナーレに入ってからというもの、色々ありすぎて、家族のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ沙羅ちゃんは、大体お母さんと二人で暮らしてたんすね」
「そんな感じです」
「……寂しくないっすか?」
常日頃騒々しい彼にしては珍しく、落ち着いた静かな声である。いつもの鼓膜を貫くような大きい声でなく助かった。
「はい。私にはお母さんがいますし、今はエリミナーレのみんなもいます。だから寂しいと思ったことはありません」
ナギはくしゅっと顔を縮めて笑う。
「やっぱ強いっすね! さすが沙羅ちゃ……」
——そこまで言った時、ナギの顔つきが変わった。彼は光の速さで拳銃を抜き、路地の方へ銃口を向ける。
「な、ナギさん?」
私は思わず漏らしてしまう。
いつもはお調子者の彼が真剣な顔をしていることが驚きだった。
「一体何者っすか! 隠れてないで出てきていいんすよ!」
ナギは真剣な表情で路地に向かって叫ぶ。緩い三つ編みが、夜の風に揺れている。
彼がこんなに男らしく見える日が来るなんて驚きだ。
「出てこいって言ってるんっすよ!!」
ナギは口調を強め、引き金を引く。乾いた破裂音が夜の街に響いた。もちろん、道行く人は誰も気づかないけれど。
すると路地から黒い人影が現れる。人影は銃弾を避け、目にもとまらぬスピードでこちらへ駆け寄ってくる。
「ちょ、速っ……」
普段は呑気なナギだが、さすがに焦りの色が浮かんでいる。
「止めて下さいっ!」
私は半ば反射的に叫んだ。その瞬間、黒い人影はぴたっと動きを止める。
「……武田さん?」
その黒い人影は武田だった。黒いスーツを身にまとい、背は高く、スリムでありながら逞しい体つき。間違いない。髪が焦げ茶色なところを見ると、過去の彼、ということもなさそうである。
「沙羅とナギか。警戒するあまり、つい手を出しそうになってしまった……すまなかった」
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