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一章~混沌とした世界~
異変
しおりを挟む退屈な日々は平和の証だった。
この世界から凶悪犯罪件数が激減して、もう二十年が経過しようとしていた。
殺人や強盗、強姦や障害事件などは今やほんの僅かな件数のみになっていた。
法律だけでは何も変わらない世界に世界政府は全く違った試みで犯罪を抑止しようとしたのだ。
それは簡単に言えば『洗脳』である。
テレビやインターネット、マスコミへの規制。
様々な状況で国民たちの脳を十年かけて変化させた賜物である。
人々は平和を享受し、幸せながらどこか生物としての本能を忘れ去っていた。
国という概念を覆し、この世界こそが唯一無二の国という大胆な政策が試行されて、この世は一つとなった。
その一つになった世界の政を行うのが世界政府である。
そして多様な人種が混在し、秩序に支配されたこの異様な世界に何も疑うことを知らない純真無垢な少年、緑《みどり》 は暮らしていた。
緑は近くの高校に通う普通の高校三年生。
家庭には何の問題もなく、学校生活でも多くの友人に囲まれ幸せな毎日を送っていた。
「なあ、緑。お前もいい加減彼女とか作らないと、いつまで経っても大人になれないぜ。」
「よく言うよ。戒《かい》。自分だって彼女いないくせに。」
「ばか、俺は前にいたからいいんだよ。お前はまだ童貞小僧だろ?」
「……ふふふ。」
「何だよ――お、お前まさか!?」
「冗談だよ。俺は心の底から愛せる女が現れるまで恋はしないんだ。」
「えーっ、気持ち悪っ!」
緑と戒は小学校からずっと同じ学校に通っていた。
家もすぐ近所で家族同士も仲が良く、お互いの家で食事会を催すことも多くあった。
緑には二つ上で実家を出て一人暮らしをする大学生の姉と、二つ下で緑たちと同じ学校に通う弟がいた。
戒には一つ下の女子高に通う妹がいる。
小さい頃から仲の良かった二つの家族の子供たちは、実の兄弟のように育ってきた。
「そういえば親父が言ってたんだけど今日、飯食いに来るんだろ?」
「うん、お邪魔するよ。」
「そうかそうか、じゃあ凛香《りんか》も喜ぶな。」
「――何で凛香ちゃんが喜ぶんだよ。」
「そりゃあ決まってるだろ、愛しの緑様に会えるんだから。」
「おい、戒。いい加減にしろよ。」
戒の妹、凛香が自分に対して少なからず好意を抱いてくれていることくらい緑にも分かっていた。
もちろんそれは、嫌な気分などでは決してない。
むしろ嬉しさの方が大きい。
だけど、昔から知っている友人の妹のことは自分にとっても妹という存在に近い感情しかなかったこともまた事実である。
複雑な気持ちのまま、ふと空を見上げるとブルーのキャンパスに引かれた一本の飛行機雲が気持ちいいくらいに真っ直ぐ走っていた。
とても心地のいい陽気だった。
そんなことを考えてると緑に突然の激痛が走った。
その激痛は頭の中だった。
まるで脳ミソを直接鷲掴みされたような痛みに、緑は頭を抱えるようにうずくまった。
「――いたっ!!」
「どうした、緑?」
「い、いや何か急に頭が痛くなっちゃって――。」
その痛みは一瞬で突風のように過ぎ去っていった。
いったい今のは何だったのだろうと緑は、ふと戒の顔を見た。
すると、そこには普段見たことのないような顔の彼がいた。
「み、緑……な、なんだあれ!?」
緑はそれが戒の悪戯だとすぐに悟った。
何もないのにそんな驚いた顔がよく出来るもんだなと、緑は常々感心していたからだ。
「はいはい。どうせ何もないんだろ。人が苦しんでる時にやめろよな。」
戒は緑の後方の上空あたりを、口をあんぐりと開けたまま見上げていた。
緑は振り返り、仕方ないから戒の悪戯に付き合ってやることにした。
そして振り返り空を見上げそれを見た時、緑は言葉を失った。
「――えっ!?」
その空には巨大な、とてつもなく巨大な物体が浮いていたのである。
周囲にいた人々も少しずつそれに気づき騒然としていく。
「あれなに?」
「何かの宣伝かな?」
「映画の撮影かなんかじゃない?」
周囲からはそんな声が飛び交った。
しかし、緑はそれには同調しなかった。
どう考えても違うと瞬時に思っていたからである。
それは一見すると船のようであった。
木製なのか、両端から幾つものオールらしき物が何十と出ていた。
しかしあまりの巨大な浮遊物は、その全体像がよく掴めない。
そして、緑が行き着いた答えは通常なら絶対に選択することのないものだった。
なぜなら彼はとても現実主義者だったからだ。
緑の出した答え、『それは人が作った物ではない』というものだった。
なぜ、そう思ったのかなんて自分でも理解していなかった。
ただ直感的にそう感じただけ。
そしてそれは少しずつ周囲の人間からも噴出し始めた。
「ち、ちょっと待て。あれはいくら何でもでかすぎるだろ。」
「なんかヤバそうじゃない!?」
「あんなもの人間が作れるか?あれはきっと――宇宙人の侵略だ!」
その言葉が引き金となり人々はパニックを起こしたように四方八方へと慌てて散りだした。
その時だった。
突然、何かの音というべきか、声のようなものが緑の脳にダイレクトに響いた。
「くっ!?なんだ?」
戒を見てみると自分と同じように頭を抑えている。
他の人々も同じの様だ。
「――人間――し――え。」
その声は途切れ途切れながら徐々に鮮明になっていく。
緑はまるで脳を直に触られて揺さぶられているような、気持ちの悪い気分になっていた。
そして、その声の主が何を皆に伝えているのかが分かった時、緑は全身から血が引いていき青ざめた。
「目覚めよ人間ども。本能を呼び起こし――殺しあえ。」
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