Ω×Ω/弱虫だったオメガが異世界からきた後天性オメガに恋して好きな人のために世界を変えちゃうかもしれないっていう話。

豆ぱんダ

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第一章『放り込まれてきた堕天使』

25 母とアルトリア家のこと

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 琥太郎に年齢を訊ねた。
 誕生日を訊ねた。
 はっきりと答えられる彼が少しばかり羨ましいと思う。
 ジョエルには自身が生まれた日は雪が降っていたらしい・・・と、教えられていた記憶がある。しかしはっきりと確かめる前に母は他界してしまった。
 ジョエルの母は白く健気な野花のようなひとだった。
 素朴で純粋、いくつになっても乙女のような心を持った可愛らしい女性だったと、これも使用人から人づてに聞いた話だが。
 いつまでも少女のような若々しさは、裏返せば幼さの証拠。野の緑の中で咲いている様は田舎臭さを揶揄している。なのでこの話には名門貴族の家と彼女がまるで不釣り合いだという皮肉を大いに含んでいる。
 彼女はオメガだったけれど、家督を継いで間もなかったオスカーが長期出張中に他国で見染めた女性であったため、シーレハウス学園を卒業していない。おまけに貧しい身分で踊り子として身を売って生きていたので、まともな教育を受けていなかった。仕事場にしていた夜の街で見目の良さと心の綺麗さを買われ、何も知らないままスヴェア王国に連れて来られたのだ。
 すでに既婚者だったオスカーは、屋敷には正妻がおり、俗に表現するところの愛人を屋敷の外で囲った。
 金持ちの愛人自体は珍しくない。問題は何処の馬の骨かわからない他国のオメガだということと、オスカーが彼女を盲愛していたということ。
 正妻、のちのジョエルの義母が怒り心頭となり、夫の愛を奪った相手を憎らしく思うのも必然だった。己れ以外に目移りする自らの夫ではなく、鬱憤は全てジョエルの母へ、ジョエルの母が儚くなった後は息子のジョエルへ。
 しかしながら若くしての逝去だったものの、死の原因が異国の風土が合わなかったことによる病死だったのは、オスカーの威光があったからだろう。最期の願いであった息子の本家養子縁組が叶えられたのも、オスカーの彼女への愛あればこそだった。
 だがオスカーの愛はジョエルには与えられなかった。
 母を失くし唐突に屋敷に移されたジョエルは当時物心つく前。右も左もわからない状態で父親に見放され、最初から興味を持たれていなかったけれど、正妻に対する体裁があったのか、よりきつく当たられるようになったようだ。
 使用人以下の生活でもかろうじて生きてこられたのは母の遺言のおかげだ。義母と義理の兄弟姉妹がどんなに虐め尽くそうが、決定打を下せば当主オスカーの逆鱗に触れてしまう。憎らしいが始末できない厄介な存在、ジョエルはそのせいで邪魔者扱いをされていたのである。お前のような者にアルトリア姓を名乗らせるのは恥以外の何ものでもないと、他言しないようきつく約束させられたくらいだ。
 気づいた時からこのような扱いが日常化していたが、ジョエルは不遇な扱いに慣れることはなかった。虐げられたら悲しいと思い、悔しくて腹も立った。過度の言いつけを守りながらも、どうして僕だけと、疑念を燻らせていたのだ。
 多くは望まないから、せめて普通に暮らしたかった。
 朝起きてから夜寝るまで、罵倒されない一日を過ごしたい。顔を合わせた瞬間に心ない言葉が飛んでくる日々はうんざりだった。
 むごい毎日を堪えて堪えて、・・・・・・なのに、あの事件が起きた。
 あれは屋敷全部の廊下の水拭き掃除を命じられていた日だった。
 大貴族家の屋敷の廊下など数えきれないほどある。無理難題であり、ただの嫌がらせだと誰しも思っていた。なので使用人たちはジョエルを気に留めなかったし、義母の目を盗んで休憩させてくれ、適度に手を抜くことを許してくれていた。
 そうは言っても、木桶の水を替えるために何度も水場を行き来しなければならない。ジョエルは近場の設備を利用させてもらい、水拭き掃除を進めていたのだが、事件が起こったのは第二厨房の近くにいた時のことだった。
 アルトリア家の屋敷には普段の生活用の第一厨房と、客人を招いた際に稼働させる第二厨房がある。その日、第二厨房は無人のはずだったが、ジョエルは掃除の最中で物音を耳にする。
 覗いてみれば、なんてことはない。つまみ食い目的で忍び込んだ義理の兄と弟が悪戯をしている場面だった。
 だが彼等が弄っていた調理器具が突如火を噴いた。
 あっという間に火は髪や服に燃え移り、目撃していたジョエルはすぐに飛び出して鎮火に努めた。
 火はしばらくして消し去ることに成功したものの、子どもの力では時間がかかり、悪戯をしていた張本人ら二人は大火傷を負う結果となった。
 やがて屋敷中の人間が集まって大騒ぎとなり、この後がジョエルにとって思い出したくない出来事になってしまった。
 あろうことか彼等を助けようと力を尽くしたジョエルが、悪戯を仕掛けた犯人に仕立てあげられ、義母の前に突き出されたのだ。
 義母の心の中では、もはやジョエルは大切な実の息子に大火傷を負わせた仇。
 しかし濡れ衣を着せられたことそのものより、一番にジョエルの心をえぐったのは、誰ひとりとしてジョエルを信用してくれなかったことだった。隠れて仲良くしてくれていた使用人たちですらジョエルを突き放した。
 そこからは地獄で、シーレハウス学園に入学するまでの記憶があまりない。
 入学式の直前で見た海の景色が鮮明に心に残っているのは、屋敷の外に出た安堵感が大きかったからなのかもしれない。
 母と同じオメガに生まれたことは決して不幸じゃない。ジョエルは厄介払いされる形でシーレハウス学園の門扉をくぐった。されど、ようやく。やっとだった。
 アルトリア家から解放されるなら、ジョエルは現実で翼を切り落とされても涙して喜んだだろう。翼などなくても天に昇れる心地だった。

(神様、ごめんなさい、ありがとうございます)

 罰当たりも甚だしいが、ジョエルは堕天使であったことを感謝していたのだ。
 そうして掴んだ安寧が今また壊された。
 非力ながら守っていこうとしていた未来が崩されようとしている。
 懐かしい絶望感の匂いに暗い過去を見る。あの暗闇に出戻ることだけは避けたかった。
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