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第三章『悪魔と天使のはざま』
92 礼拝の朝のパニック
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一、天使の卵たちを上手く利用するには。
カーテンを閉めて薄明るくした室内で、ジョエルは瞑想していた。
「利用? 違いますよ。共に仲間を救うのです」
「え、ぁあ、ミリーくん。ごめんなさい声に出てましたか」
若い学園生の風貌がすっかり馴染んだモーリッツを、偽名にくん付けで呼ぶことの違和感が薄れている。架空の学園生ミリー・ソルトはどう工面したのかルームメイトがいない部屋を用意して学園生活を楽しんでいた。
「まだコタローさんは戻ってないのかな?」
琥太郎がヒートを起こした初日から換算して二クールが過ぎ、今日は休暇を利用してモーリッツに会いにきた。琥太郎は部屋に戻らず、カフェテリアや談話室にも姿を見せない。授業も欠席届けを出している。こっそり自分の当番日じゃない全ての日の使用チェック表を閲覧してみたが、名前はなかった。
寮長部屋で匿われていることは風の精霊に教えてもらったものの、聞きたくないことも運んできた。
「コタローは病気というていになってる。でもコタローがそうしたいって望んだんだ」
琥太郎の拒絶は耳が痛くなる。
「可哀想に、君は何も悪いことをしていないのに。まるで罪人扱いをしているんだろう。でも偉いね、天使信仰は広まりつつある。学園生の大半が君の味方だ。シスター長なんて敵じゃないよ。害をもたらす悪い花はさっさと摘んでしまおう」
ミリーはジョエルの肩を抱いて、耳通りの良い声を聞かせる。カラカラに渇いている喉が潤されるように痛みを中和させられていくのが不気味であって心地いい。
「僕たちは対立すべきなのか迷っています」
ジョエルは自らを抱く肩へ自然に頭を預けた。ジョエルの苦悩を心から理解してわかってくれるのはこの男しかいない。
「けれど結局は私の部屋に来てる」
「はい。どうしても足が向いてしまう」
琥太郎のいない寮室は寂しかった。もう一方のベッドが空いていることに慣れない。
「そんなにコタローさんが好きなら、彼に似せたマスクを作ろうか? そうして添い寝してあげよう」
腰を抱き寄せられ、指をかけられた顎が上に浮いた。
アルファの芳香は消してあるが第二性のサガというものか、オメガのジョエルはミリーの瞳に吸い込まれそうになる。
「それはやめてください」
嫌ですからと、ジョエルは視線を逸らした。
「アルトリアさんにとって彼は聖域で、あらゆることのスイッチになるようですね」
ミリーは目を細める。
「ならば早く取り戻さなければねぇ。アルトリアさんはしっかりとシンボルを維持してくれるだけでいいですよ。お膳立ては私がしよう」
「いつ・・・?」
「休暇明けに。ちょうど不定期の早朝礼拝がある日です。学園生が教会付近にたくさん集まる。舞台は用意しますから」
「何をなさるんです?」
「当日のお楽しみにしておきます」
瞑想気分に浸ったままジョエルはウラノス寮を出た。直後に駆け寄ってきたのはジェイコブだった。
「ジョエルっ、こんなとこで何してる」
「僕がここにいちゃいけないの?」
「いけないってことはないよ、でも」
「気になるの?」
普通に返事をしただけだが、ジェイコブが当惑したように後ろに体を引いた。
「君は変わったな。あの夢を見ておかしくなったのか?」
「なんで? この前は僕が天使だったら支持するって言ってくれたのに。ジェイコブも天使を拒絶するの?」
変わったというなら、ジェイコブの反応のほうが異様だ。
「用がないなら寮に戻るね。勉強したいから」
「ジョエル!」
呼ばれるのを無視してジョエルは素通りした。
何が変わったというのか。
これまでだってジョエルは皆よりも少し高い羨望の先にいた。セラス寮に帰るまでの道のりだけでも、噂声と視線はやまない。
それは寮に着いた後も続く。廊下を歩くジョエルに、「アルトリア様、ご機嫌よう」と挨拶する目は輝いている。
変わらない。何も。
「———はぁ・・・ただいま」
自室のドアを閉じると同時にため息がこぼれた。
(変わらない。何も。僕が不安に思うことは何もないんだ)
少なくとも学園内は良いほうへ動いている。そして学園生に本当の変化がもたらされるのはこれからだ。
ミリーの遂行しようとしている作戦がその分岐点となる。
(コタロー・・・君もわかってくれるよね?)
ジョエルは床の上にくず折れ、ひとりきりで膝を抱いた。
× × ×
休暇明けの朝は、ゾッとするほど静けさを帯びて始まった。
ジョエルが早く目覚めてしまったせいだ。
時間になったらとにかく教会に来いと言われているが、巻き起こされる波乱を楽しみに待っていられる図太さは持ち合わせていない。
今日のミリーの作戦でジョエルは堕天使たちの解放者としてついに人前でまつり上げられるのかもしれない。オメガにとって理想的な学園を作るためにジョエルを最上に崇め、邪魔な者は排除する。
「僕は本心でこうしたかったのかな」
この後に及んでまだダラダラと気持ちを決められないでいるので、そんな自分にイライラする。
いつまでも他人事でいるのは卑怯者だ。
自分が今日という日を導いた天使なのだから。
それでも間際まで毛布に包まって気怠い時間を過ごすと、起き上がり靴を履いた。クローゼットの中から真新しいブラウスを出して腕を通す。洗濯婦が置いていってくれた清潔な制服を着こむと、心持ちがしゃっきりした。
「行こう」
早朝礼拝は強制参加ではないが、半数を超える学園生が教会付近に集まっていた。
学園生たちは入り口で溜まっている?
扉が中から施錠されていて入場できないようだ。
「いったい何が」
ジョエルが入り口方向に歩み寄っていくと、——この時を見計らっていたのだ——、施錠が解除される音がした。ジョエルを招き入れるかのこどく扉は開かれ、聖職者の装いをしたミリー・ソルトが聖母像の下にいる。ある人物を跪かせて待っていた。
カーテンを閉めて薄明るくした室内で、ジョエルは瞑想していた。
「利用? 違いますよ。共に仲間を救うのです」
「え、ぁあ、ミリーくん。ごめんなさい声に出てましたか」
若い学園生の風貌がすっかり馴染んだモーリッツを、偽名にくん付けで呼ぶことの違和感が薄れている。架空の学園生ミリー・ソルトはどう工面したのかルームメイトがいない部屋を用意して学園生活を楽しんでいた。
「まだコタローさんは戻ってないのかな?」
琥太郎がヒートを起こした初日から換算して二クールが過ぎ、今日は休暇を利用してモーリッツに会いにきた。琥太郎は部屋に戻らず、カフェテリアや談話室にも姿を見せない。授業も欠席届けを出している。こっそり自分の当番日じゃない全ての日の使用チェック表を閲覧してみたが、名前はなかった。
寮長部屋で匿われていることは風の精霊に教えてもらったものの、聞きたくないことも運んできた。
「コタローは病気というていになってる。でもコタローがそうしたいって望んだんだ」
琥太郎の拒絶は耳が痛くなる。
「可哀想に、君は何も悪いことをしていないのに。まるで罪人扱いをしているんだろう。でも偉いね、天使信仰は広まりつつある。学園生の大半が君の味方だ。シスター長なんて敵じゃないよ。害をもたらす悪い花はさっさと摘んでしまおう」
ミリーはジョエルの肩を抱いて、耳通りの良い声を聞かせる。カラカラに渇いている喉が潤されるように痛みを中和させられていくのが不気味であって心地いい。
「僕たちは対立すべきなのか迷っています」
ジョエルは自らを抱く肩へ自然に頭を預けた。ジョエルの苦悩を心から理解してわかってくれるのはこの男しかいない。
「けれど結局は私の部屋に来てる」
「はい。どうしても足が向いてしまう」
琥太郎のいない寮室は寂しかった。もう一方のベッドが空いていることに慣れない。
「そんなにコタローさんが好きなら、彼に似せたマスクを作ろうか? そうして添い寝してあげよう」
腰を抱き寄せられ、指をかけられた顎が上に浮いた。
アルファの芳香は消してあるが第二性のサガというものか、オメガのジョエルはミリーの瞳に吸い込まれそうになる。
「それはやめてください」
嫌ですからと、ジョエルは視線を逸らした。
「アルトリアさんにとって彼は聖域で、あらゆることのスイッチになるようですね」
ミリーは目を細める。
「ならば早く取り戻さなければねぇ。アルトリアさんはしっかりとシンボルを維持してくれるだけでいいですよ。お膳立ては私がしよう」
「いつ・・・?」
「休暇明けに。ちょうど不定期の早朝礼拝がある日です。学園生が教会付近にたくさん集まる。舞台は用意しますから」
「何をなさるんです?」
「当日のお楽しみにしておきます」
瞑想気分に浸ったままジョエルはウラノス寮を出た。直後に駆け寄ってきたのはジェイコブだった。
「ジョエルっ、こんなとこで何してる」
「僕がここにいちゃいけないの?」
「いけないってことはないよ、でも」
「気になるの?」
普通に返事をしただけだが、ジェイコブが当惑したように後ろに体を引いた。
「君は変わったな。あの夢を見ておかしくなったのか?」
「なんで? この前は僕が天使だったら支持するって言ってくれたのに。ジェイコブも天使を拒絶するの?」
変わったというなら、ジェイコブの反応のほうが異様だ。
「用がないなら寮に戻るね。勉強したいから」
「ジョエル!」
呼ばれるのを無視してジョエルは素通りした。
何が変わったというのか。
これまでだってジョエルは皆よりも少し高い羨望の先にいた。セラス寮に帰るまでの道のりだけでも、噂声と視線はやまない。
それは寮に着いた後も続く。廊下を歩くジョエルに、「アルトリア様、ご機嫌よう」と挨拶する目は輝いている。
変わらない。何も。
「———はぁ・・・ただいま」
自室のドアを閉じると同時にため息がこぼれた。
(変わらない。何も。僕が不安に思うことは何もないんだ)
少なくとも学園内は良いほうへ動いている。そして学園生に本当の変化がもたらされるのはこれからだ。
ミリーの遂行しようとしている作戦がその分岐点となる。
(コタロー・・・君もわかってくれるよね?)
ジョエルは床の上にくず折れ、ひとりきりで膝を抱いた。
× × ×
休暇明けの朝は、ゾッとするほど静けさを帯びて始まった。
ジョエルが早く目覚めてしまったせいだ。
時間になったらとにかく教会に来いと言われているが、巻き起こされる波乱を楽しみに待っていられる図太さは持ち合わせていない。
今日のミリーの作戦でジョエルは堕天使たちの解放者としてついに人前でまつり上げられるのかもしれない。オメガにとって理想的な学園を作るためにジョエルを最上に崇め、邪魔な者は排除する。
「僕は本心でこうしたかったのかな」
この後に及んでまだダラダラと気持ちを決められないでいるので、そんな自分にイライラする。
いつまでも他人事でいるのは卑怯者だ。
自分が今日という日を導いた天使なのだから。
それでも間際まで毛布に包まって気怠い時間を過ごすと、起き上がり靴を履いた。クローゼットの中から真新しいブラウスを出して腕を通す。洗濯婦が置いていってくれた清潔な制服を着こむと、心持ちがしゃっきりした。
「行こう」
早朝礼拝は強制参加ではないが、半数を超える学園生が教会付近に集まっていた。
学園生たちは入り口で溜まっている?
扉が中から施錠されていて入場できないようだ。
「いったい何が」
ジョエルが入り口方向に歩み寄っていくと、——この時を見計らっていたのだ——、施錠が解除される音がした。ジョエルを招き入れるかのこどく扉は開かれ、聖職者の装いをしたミリー・ソルトが聖母像の下にいる。ある人物を跪かせて待っていた。
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