4 / 91
第1章 ダオ編・壱
3 日常の瓦解③
しおりを挟む
離れた村から聴き慣れた生活音が聞こえてくると、一気に力が抜けた。ラオルに服を引っ張られながらなんとか小屋に入り、安堵した身体がふたたび震え出す。
けっきょく、彼らはなんだったのだろう。抱きたいと思う女の身体じゃないし、食べても美味しくない。おまけに欠陥がある。逃されたのは、さしあたってそのあたりの理由だったのでしょうか。ぼくはラオルを引き寄せ、クゥンと鳴いて慰めてくれる獣の背中に顔を埋めました。
命びろいしたのだから、よかった。そう気持ちを切り替えたときです、———コンコンコン! と急いたように小屋のとびらが叩かれました。
旦那さまの留守中に訊ねてくる人など滅多にいない。普段、ぼくに用がある人は村にいないからです。次から次に今日はめまぐるしい。村人はぼくが危険な者たちに近づいてしまったのを咎めにきたのかもしれない。
そわそわしているうちに、ノックの音は大きくなります。
「おーい、居ないのかい?」
「居るはずさね。帰ってくるのを見たんだから」
まずい。ばれている。男も女もあわさって、何人もの声が聞こえました。唯一、信頼できる村長の声を聴き分けられたことで決心します。とびらの錠を外し外に顔を覗かせると、ぱっと騒がしい声が止みました。
「あぁ! やっぱり居たね、よかった」
声を発したのは村長です。けれど、優しすぎる猫撫で声が気になってしまった。
「このまま村役場にこられるかい?」
「え・・・・・・」
「すまないね、あんたにしか頼めないことなんだ」
村役場は村人どうしの結婚式や、揉めごとの話し合いに使われる場所。つまり、さっきの件を尋問されるということなのか? ですが、頼む・・・・・・とはなんでしょう。
ぼくは頬を固くする。
「突然で戸惑う気持ちもわかるよ。ここの主人にはわたしから上手く説明しておくから心配しないでいい」
「ちょっと待ってください・・・・・・ぼくは」
言葉がつまる。あれで許されたと思っていた。
ぼくの考えは浅はかでした。これ以上ごねれば旦那さまに迷惑をかけます。罪を認め、償う以外に選択肢は無さそうです。瞬く間に重たくなった脚を動かし、ぼくは村長率いる村人の集団に着いていきました。
すんと鼻先をただよう匂いが変わったら、村に着いた合図。活気づいた朝の市場は香ばしい焼きたてのパンの匂いがします。今日はとくに賑やかで、いつもなら夜にしか開いていない呑み屋の店主の声まで聴こえ、男たちの豪快な笑い声、女たちのクスクス声が混ざり合っていました。
市場を横切ると、役場はその奥。
全体のイメージはわきませんが、村いちばんに頑丈で大きな建物であることを、知識としてぼくも知っています。
とびらが開けられ、膝を折り頭を下げるように言われました。言うとおりにすると、ぼくの周りから人が消えました。
村長もいなくなり、きっと面白半分に着いてきていた野次馬もいなくなり、やがて森や草原から香る花々の匂いとは異なる、ぴりっと鼻腔を刺激する蠱惑的な甘い香りが鼻をかすめた。きついほどの甘い香水の匂いに、むせてしまいそうになるのを堪えます。
「顔を上げろ」
・・・・・・上げられませんでした。あの男の鋭い声です。
「顔を上げろ、耳まで聴こえなくなったか?」
「申しわけありませんでした。必要な罰を受けます」
沈黙の間が空きました。
「は、貴様はなにを言っている?」
苛立っているのか、嘲笑しているのか判断できません。どうせ表情は見えないのですが、思わず顔を上げてしまいました。
「ふん。やっと、言うことを聞いたか。あ? なんだ? ちっ・・・・・・」
満足げにつぶやいた男は、誰かに話しかけられています。たぶん村長だ。ここにいる彼らは盗賊か野盗で、ぼくを理由に村が脅されているのでしょう。
(あれ?)
おかしいのです。村長の声は嬉しそうに聴こえました。この男と村長の繋がりはいったいなに?
「さて、話はついたな。んじゃ、もうこんな馬のクソ臭い村に長居する意味はなくなった」
ひどい言われようにも、村長は嬉しそうな声の調子を崩さなかった。
「さようでございますね。ああ、まことにありがとうございます、ありがとうございます」
それは何に対する礼なのだろう。
ひとつも情報が入ってこないのに、心が冷たくなっていくのが不思議だ。凍りついた心臓が騒ぐ。昨晩の嫌な予感は的中したのかもしれない。ただそれは旦那さまではなくて、ぼく自身であったけれど。
旦那さまでなくてよかったと、ぼくは喜べばよいのかどうか、わからなかった。
けっきょく、彼らはなんだったのだろう。抱きたいと思う女の身体じゃないし、食べても美味しくない。おまけに欠陥がある。逃されたのは、さしあたってそのあたりの理由だったのでしょうか。ぼくはラオルを引き寄せ、クゥンと鳴いて慰めてくれる獣の背中に顔を埋めました。
命びろいしたのだから、よかった。そう気持ちを切り替えたときです、———コンコンコン! と急いたように小屋のとびらが叩かれました。
旦那さまの留守中に訊ねてくる人など滅多にいない。普段、ぼくに用がある人は村にいないからです。次から次に今日はめまぐるしい。村人はぼくが危険な者たちに近づいてしまったのを咎めにきたのかもしれない。
そわそわしているうちに、ノックの音は大きくなります。
「おーい、居ないのかい?」
「居るはずさね。帰ってくるのを見たんだから」
まずい。ばれている。男も女もあわさって、何人もの声が聞こえました。唯一、信頼できる村長の声を聴き分けられたことで決心します。とびらの錠を外し外に顔を覗かせると、ぱっと騒がしい声が止みました。
「あぁ! やっぱり居たね、よかった」
声を発したのは村長です。けれど、優しすぎる猫撫で声が気になってしまった。
「このまま村役場にこられるかい?」
「え・・・・・・」
「すまないね、あんたにしか頼めないことなんだ」
村役場は村人どうしの結婚式や、揉めごとの話し合いに使われる場所。つまり、さっきの件を尋問されるということなのか? ですが、頼む・・・・・・とはなんでしょう。
ぼくは頬を固くする。
「突然で戸惑う気持ちもわかるよ。ここの主人にはわたしから上手く説明しておくから心配しないでいい」
「ちょっと待ってください・・・・・・ぼくは」
言葉がつまる。あれで許されたと思っていた。
ぼくの考えは浅はかでした。これ以上ごねれば旦那さまに迷惑をかけます。罪を認め、償う以外に選択肢は無さそうです。瞬く間に重たくなった脚を動かし、ぼくは村長率いる村人の集団に着いていきました。
すんと鼻先をただよう匂いが変わったら、村に着いた合図。活気づいた朝の市場は香ばしい焼きたてのパンの匂いがします。今日はとくに賑やかで、いつもなら夜にしか開いていない呑み屋の店主の声まで聴こえ、男たちの豪快な笑い声、女たちのクスクス声が混ざり合っていました。
市場を横切ると、役場はその奥。
全体のイメージはわきませんが、村いちばんに頑丈で大きな建物であることを、知識としてぼくも知っています。
とびらが開けられ、膝を折り頭を下げるように言われました。言うとおりにすると、ぼくの周りから人が消えました。
村長もいなくなり、きっと面白半分に着いてきていた野次馬もいなくなり、やがて森や草原から香る花々の匂いとは異なる、ぴりっと鼻腔を刺激する蠱惑的な甘い香りが鼻をかすめた。きついほどの甘い香水の匂いに、むせてしまいそうになるのを堪えます。
「顔を上げろ」
・・・・・・上げられませんでした。あの男の鋭い声です。
「顔を上げろ、耳まで聴こえなくなったか?」
「申しわけありませんでした。必要な罰を受けます」
沈黙の間が空きました。
「は、貴様はなにを言っている?」
苛立っているのか、嘲笑しているのか判断できません。どうせ表情は見えないのですが、思わず顔を上げてしまいました。
「ふん。やっと、言うことを聞いたか。あ? なんだ? ちっ・・・・・・」
満足げにつぶやいた男は、誰かに話しかけられています。たぶん村長だ。ここにいる彼らは盗賊か野盗で、ぼくを理由に村が脅されているのでしょう。
(あれ?)
おかしいのです。村長の声は嬉しそうに聴こえました。この男と村長の繋がりはいったいなに?
「さて、話はついたな。んじゃ、もうこんな馬のクソ臭い村に長居する意味はなくなった」
ひどい言われようにも、村長は嬉しそうな声の調子を崩さなかった。
「さようでございますね。ああ、まことにありがとうございます、ありがとうございます」
それは何に対する礼なのだろう。
ひとつも情報が入ってこないのに、心が冷たくなっていくのが不思議だ。凍りついた心臓が騒ぐ。昨晩の嫌な予感は的中したのかもしれない。ただそれは旦那さまではなくて、ぼく自身であったけれど。
旦那さまでなくてよかったと、ぼくは喜べばよいのかどうか、わからなかった。
0
あなたにおすすめの小説
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
愛しているかもしれない 傷心富豪アルファ×ずぶ濡れ家出オメガ ~君の心に降る雨も、いつかは必ず上がる~
大波小波
BL
第二性がアルファの平 雅貴(たいら まさき)は、30代の若さで名門・平家の当主だ。
ある日、車で移動中に、雨の中ずぶ濡れでうずくまっている少年を拾う。
白沢 藍(しらさわ あい)と名乗るオメガの少年は、やつれてみすぼらしい。
雅貴は藍を屋敷に招き、健康を取り戻すまで滞在するよう勧める。
藍は雅貴をミステリアスと感じ、雅貴は藍を訳ありと思う。
心に深い傷を負った雅貴と、悲惨な身の上の藍。
少しずつ距離を縮めていく、二人の生活が始まる……。
塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】
蕾白
BL
国境近くにあるその白い石の塔には一人の美しい姫君が幽閉されている。
けれど、幽閉されていたのはある事情から王女として育てられたカミーユ王子だった。彼は父王の罪によって十三年間を塔の中で過ごしてきた。
そんな彼の前に一人の男、冒険者のアレクが現れる。
自分の世界を変えてくれるアレクにカミーユは心惹かれていくけれど、彼の不安定な立場を危うくする事態が近づいてきていた……というお話になります。
2024/4/22 完結しました。ありがとうございました。
今日は少し、遠回りして帰ろう【完】
新羽梅衣
BL
「どうしようもない」
そんな言葉がお似合いの、この感情。
捨ててしまいたいと何度も思って、
結局それができずに、
大事にだいじにしまいこんでいる。
だからどうかせめて、バレないで。
君さえも、気づかないでいてほしい。
・
・
真面目で先生からも頼りにされている枢木一織は、学校一の問題児・三枝頼と同じクラスになる。正反対すぎて関わることなんてないと思っていた一織だったが、何かにつけて頼は一織のことを構ってきて……。
愛が重たい美形×少しひねくれ者のクラス委員長、青春ラブストーリー。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
仮面の王子と優雅な従者
emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。
平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。
おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。
しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。
これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。
僕がそばにいる理由
腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。
そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。
しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。
束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。
愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる