土方歳三の恋

雨川 海(旧 つくね)

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試衛館と歳三

☆試衛館の台所事情

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 次の日、歳三は薬箱と剣術道具を担いで土方家を出発した。歳三の実家で製造している石田散薬は、痛み、打ち身、骨接の妙薬として認知されていた。一回分の一匁を熱燗で飲むと言う薬で、いかにも民間療法らしい感じがする。主に周るのは剣術道場で、剣の修行にもなっていた。朝から近在の道場を周り、江戸へ向かう。歳三は鬼足と呼ばれる程の健脚で、午前中には江戸の町に入っていた。そのまま試衛館へ向かう。


「薬屋でございます」
 勝手口から声を掛けた。勝手知ったる得意先なので、竈が並ぶ土間から入って行く。

「土方さん、こんにちは」
 歳三に挨拶したのは、面長で強面の男だった。柱に寄り掛かって座る姿がだらしない。服装もそれに正比例していて、肌けた着物から腹と褌が見えている。その上、酒を呑んでいた。腹には生々しい古傷があり、本人が言うには切腹し損ねたらしい。どうも些細な口論でこうなったようなので、酔狂の上での誤ちだろう。そんな性格で城勤ができる筈もなく、脱藩して試衛館に転がり込んでいた。

 歳三は、上がりかまちに薬箱を置き、挨拶を返した。
「こんにちは左之助、もうご機嫌かい」

 試衛館の台所で呑んだくれているのは原田左之助と言い、道場の食客だった。いや、居候の方が近いだろう。伊予松山出身の脱藩者で、槍を得意とする。

「近藤さんは道場かい?」
 左之助は、悠長に頷く。日向ぼっこをする海豹のようである。
「近藤先生は感心ですな」
 歳三は、まるで他人事のような左之助の口調に呆れてしまう。少しは手伝う気にならないのだろうか? などと疑問に思う。道場主がお人好しなので、甘えているのだろう。そこへ、お人好しの片割れが現れる。

「歳三さん、こんにちは」
 奥から現れたのは小柄な女性で、若葉の柄の着物を着ていた。緋色の帯をしゅっと締め、所帯疲れを感じさせない。貧乏道場の奥方なので金に困っていない筈はないのだが、そんな所は微塵も見せない。武家の出のお嬢様育ちがそうさせるのか? 元から楽天的な性格なのか? 歳三には判らないが、好感は持っていた。
 彼女は近藤つね。勇の妻だった。器量良しでは無いが、丸顔で愛嬌がある。

「歳三さん、ご苦労様です。いま、お茶を入れます」
 歳三は、つねが気を遣わない様に遠慮する。これからご飯の支度で忙しい事を知っているからだ。

「つねさん、すぐに道場へ行くのでお気遣いなく」
「そうですか。すみませんねぇ」
 つねは、前掛けを締めて気合いを入れると炊事場へ下りる。
 歳三は、左之助をチラリと見てから奥へ入って行く。

 勇の養父、近藤周助の居る離れの横を通って道場へ向かう。渡り廊下に響くような気合いが聴こえた。

「おお歳、来ていたのか」
 角張った頑固そうな顔が綻んだ。神棚を背に立っているのは、試衛館の道場主となった近藤勇だった。黒い稽古着に黒い袴姿が精悍だった。試衛館特有の太い木刀が良く似合う。声にも力があり、相手を威圧する凄味を感じた。

「お邪魔する」
「おお、邪魔しろ邪魔しろ。飯も食って行け」

 誰でも歓迎するのは、勇の良い所でもあり悪い所でもあった。これでは食費が嵩むし、つねの負担も大きくなるだろう。とは言え、歳三は試衛館でご飯を頂くのが好きだった。他の食客たちもそうなのだろう。

 さて、試衛館の門下生は少なく、五人ほどだろうか? みな町人ばかりで武士は居ない。その割に食客は多く、原田左之助、山南敬助、永倉新八、斎藤一、藤堂平助が居た。内弟子は沖田総司と井上源三郎が居る。食客たちはそれぞれに流派が違うが、天然理心流の実戦的な稽古に惹かれたのか? 勇の人柄か? はたまた道場の雰囲気か? とにかく柳町の道場に集っていた。勇としても、他流の剣を知る事ができる利点がある。

 さて、稽古だが、一般の門下生は井上源三郎こと源さんの指導の元で竹刀打ちに興じていた。江戸ではこの方法が流行っていて、新興流派や有名道場では盛んに行われている。
 地道に素振りや型稽古を繰り返す修行より、気軽に叩き合う棒振りの方が受けが良いので、天然理心流でも取り入れていた。

 さて、歳三や食客たちは、勇の指導で稽古に励む。総司は今日も彦五郎の道場で指導しているのでこの場には居ない。

 天然理心流は、剣術だけに限らず、棒術、柔術、居合など、総合武術を極め、負けない剣を目指していた。いわば、幕末が生み出した修羅の剣だった。
 当時は日本が大揺れに揺れていて、江戸幕府の基盤が崩れ始めていた。飢饉、災害、疫病で乱れた人心は、大規模な一揆を誘発する。大阪では大塩平八郎が暴れた。関東でも悪党と呼ばれる不穏な者たちが治安を乱す。彦五郎の母を襲った連中もそうだった。村は自警する必要があり、実戦に強い天然理心流が好まれた。そんな時代背景に黒船が来て、日本を沸騰させたのだ。


「歳、一本いくか?」
 歳三は、支度早々に勇に挑まれた。稽古に来ているので、否も応もない。
「よし、やろう」
 互いに防具を付け、模擬試合をする。

 実は、天然理心流でも竹刀打ちはする。だが、他流と違うのは、投げ技や締めなどの柔術も許可されていた。総司と違って体格の良い勇は、肉弾戦を得意とする。

 開始と同時に火の出るような打ち合いが始まる。勇は、竹刀を弾いた瞬間、歳三の右小手を持って引き寄せる。そのまま歳三の腕を左脇に挟んで固定すると、腰を捻って投げを打った。歳三の体が道場に叩き付けられる。
 しかし、勝負はこれで終わりではない。天然理心流は負けない剣なので、負けない剣同士の戦いは負けを認めさせる事で決着する。

 勇は、歳三の喉を柄頭で殴打しようとする。歳三はこれを払い、下から竹刀を突き上げる。そして、攻撃を避けようとした勇の足を掴んで転ばせた。今度は歳三が攻める番だった。
 勇の上に乗り、殴る。もう坂東武者の合戦の様な展開になる。首の取り合いだ。

 勇は、見かけによらず股関節が柔らかい。歳三の腕を取り、脚を胴に絡め、自由を奪う。そのまま歳三の腕を捻り上げた。
「参った!」
 歳三は、慌てて声を上げる。勇はすぐに離し、勝負がついた。


 試衛館に他流派が来た場合、この作法で試合をするので驚いてしまう。正統派な道場ほど対応できないだろう。実際、近くに練兵館と言う江戸の三大道場の一つがあり、そこの塾頭が試合を申し込んで来た事があった。
 西国大名家から剣の修行に来ていたその男は、勇にボッコボコにされてしまい、悔し涙を流した。そして、試衛館を田舎剣法、喧嘩剣法などと悪評を流す。男の影響力は絶大で、武士の子弟は試衛館を避けた。

 その男、桂小五郎は負けを認めなかったが、潔く認めた男も居る。それが山南敬助だった。

 山南は陸奥の国仙台出身で侍の出だった。穏和な性格で、それが顔にも現れている。剣は江戸三大道場の一つ、技の千葉道場で北辰一刀流免許皆伝の腕前だった。勇より歳は上になる。上から、山南、勇、歳三と、一つ違いづつだった。

 山南は、同じ流派の藤堂平助を相手に切り返しの練習をしていた。こちらは歳三たちと比べると穏やかに見える。
 藤堂平助は、試衛館では総司より年下で最年少になる。北辰一刀流の道場を渡り歩いていたが、何故か試衛館に居付いてしまった。自称さる大名の御落胤で、そう思わせる品がある。とは言えそれは容姿だけで、快活な若者だった。

 歳三が山南の竹刀打ちを観察していると、声を掛けられた。

「土方さん、一本行きます?」
 声の主は、永倉新八だった。中肉中背で古武士然とした雰囲気を持っている。神道無念流を使う猛者で、武者修行の為に脱藩するような男だった。
「今日は俺を虐める日かい?」
 歳三は呆れたように言いながらも、立ち上がって新八と対峙した。
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