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ぐっどにゅーす オリジナル版

マタイ76

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 さて、イエスはエルサレムへ上るとき、十二弟子をひそかに呼びよせ、その途中で彼らに言われた、

「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。

 そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。そこでイエスは彼女に言われた、

「何をしてほしいのか」。

 彼女は言った、

「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。

 イエスは答えて言われた、

「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。

彼らは「できます」と答えた。

 イエスは彼らに言われた、

「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。

 十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、

「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。




   感想

 イエスの十字架を思わせる記述が、客観的なのが興味深いです。未来の出来事が映像として見えているような表現ですね。
 
 左右の座を懇願する母親は、少し滑稽に思えたのかも知れません。これから十字架刑に処せられると知れば、顔面蒼白で申し出を取り消したでしょう。

 偉い人ほど謙虚になって人に仕えるべき。そうありたいものです。
 まぁ、あまり偉くない人は、目下や弱い立場の相手に対してですね。
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