ブループリントシンデレラ

ばりお

文字の大きさ
3 / 11

後悔

しおりを挟む
 紅が世界から居なくなった所で、そんな事とは関係なく季節は巡っていく。
 学校に行って、ノートを取って、友達と喋って、たまに遊んで、そして、二週間に一度髪を染める。日々のルーティーンから紅が消え、俺の日常は以前のそれに戻った。
 惰性的に学校生活を送るにつれ、段々と、高校受験という言葉も現実味を帯びてくる。進路希望のプリントには、皆そうしているように、妥当な偏差値の普通科高校を記入してなんとなく提出した。
「ただいま」
 帰宅してすぐ部屋に上がり、冴えない気分でベッドに寝っ転がった。番組表をチェックしたり、近所のコンビニに立ち読みしに行ったり、SNSを覗き見したり。コソコソと紅を探す日課が無くなった今、何だか心にぽっかりと穴が空いたみたいだ。紅を知る前はそれが普通だったはずなのに、心は前と同じには戻らない。いつの間にか紅は、俺の生活の一部になっていた。
(ほんとに居なくなっちゃった)
 アイドルを引退する。そうは言っても、何らかの形で芸能界の片隅には居てくれるはずだと、淡い期待を抱いていた。
 でも一色紅は本当に表舞台から消えた。たまにネットニュースや雑誌等で、嘘か本当かも分からない噂話程度の動向や、スキャンダルもどきの記事が取り上げられる事はあったが、それだけだ。熱愛報道があった女優との同棲。大富豪のパトロンを見つけてヒモ生活。隠し子発覚。数年後の復帰に向けてのパフォーマンス。様々な憶測が飛び交って、本人とは全く関係のない場所で、世間は勝手に賑わった。俺も何とか紅の動向を知りたくて、最初のうちは熱心にそれらを読み漁っていた。だけどそのうちに、結局どこにもあの神様の気配がない事に気付いてしまった。そこにあるのは、紅の残り香を使って何とか金儲けが出来ないかと画策する、大人達の下心だけだった。
 ベッドサイドに置きっぱなしだった本に手を伸ばす。最後に唯一買う事が出来た、紅の引退と同時に販売されたメモリアル写真集だ。今や俺の世界に存在する一色紅は、テレビ画面を直撮りしたような画質のアンオフィシャルなまとめ動画と、この本だけになっていた。それを毎日、飽きる事なく、繰り返し眺めている。
 段々とくたびれ始めた表紙から、本を捲っていく。
(カッコイイ)
 辿り着いたのはお気に入りの一ページ。ライブ中、サイリウムに彩られながら、汗だくになって楽しそうに髪を掻き上げている紅の写真だ。手のひらを這わせると、とくん、とくんと、心が喜んでいる音がする。
 一瞬を切り取ったただ一枚の写真だけでも、こんなに胸が熱くなる紅のライブは、一体どんなエネルギーに満ちた空間だったんだろう。
 遠くからでも、米粒みたいな大きさでも、それでも生の一色紅の姿を拝む事が出たら、一体どんな気持ちになれるんだろう。
(何で会いに行かなかったんだろう)
 ライブという、直に会える場所があったのに。
 グッズだって、いっぱい売ってくれていたのに。
 今となっては、どんなにお金を払ったところで、どんなに遠くまで出向いたところで、もう紅には会えない。俺が変な見栄を張っているうちに、変な自尊心を守っているうちに、あの人はただの伝説になってしまった。
「会いたかったなぁ……」
 そう呟いた自分の声があまりに弱弱しくて、目頭がつんと痛くなった。下瞼のふちに雫が溜まり、やがて零れてシーツに吸い込まれていく。
 
 もしもう一度、この人に会えるチャンスが貰えるのなら
 今度はつまらないプライドなんて捨てて、何をおいても真っ先に会いに行くのに。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

処理中です...