夜が明けるまで

遠間千早

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第2章

知らない誰か 嵐side

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◆◆◆ 嵐side


「確か、この辺りにしまったような…」

 そう呟き、嵐は貴宣の書斎にある戸棚の引き出しを引いた。
 目的のものを探しながら、二時間程前の出来事を思い返す。

 ──さっきは驚いたな。

 久しぶりに父親のマンションに来てみたら、リビングのソファに自分の学園の生徒がちょこんと座っていた。
 一瞬、本気で部屋を間違えたのかと思った。
 嵐を見た倫人の慌てぶりもさることながら、続いて現れた貴宣に何となく誤魔化されたような気がしないこともない。
 羽鳥の繋がりという説明には納得したけれども、話の後で慌ててコーヒーを淹れてくれた倫人の動作は何となく妙だった。初めて来たにしては、動きが淀みないような。

「さっき一緒にお茶とコーヒーを淹れたんだよね」

 と貴宣がやんわり言っていたが、普通ならもう少し迷いが出そうなものだ。
 それに、と嵐は続けて思う。

 倫人がいて、違和感がなかった。

 それが一番不思議だった。
 あの生徒がこのマンションにいることが不思議としっくりきている気がして、そう思う自分に首を捻った。
 その違和感を深く辿る前に、倫人は自分のお茶を飲み終わるとそそくさと帰って行った。
 明らかに狼狽えていた倫人のことは気になったが、嵐はひとまずここに来た目的を優先することにした。

 書斎の引き出しから、探し当てた自分の昔の携帯電話を手に取る。一緒に保管されていた充電器に挿して電源を入れた。
 嵐がマンションに来た目的はこれだった。
 白鶯の家に引っ越したとき、携帯を変えた。番号はそのまま引き継いだから変わらなかったので、新しい端末に昔のデータを同期させずにそのままにしていた。よく使う連絡先以外はこの携帯電話に残したままだ。

「確かここに……」

 古い携帯のアドレス帳を開き、画面をスクロールしてからその名前を見つけた。

「章吾と、みさき……」

 一覧に羅列された名前の中で、顔が思い浮かばないのはその二人だけだった。
 名前と番号しか登録されていない、簡素な情報を眺める。

 自分は、誰かを忘れているかもしれない。
 常葉に意味深なことを言われてから、それについて深く考えるようになっていた。
 あの夏の日、目が覚めてから何とも言い難い違和感を感じていたのは事実だ。
 漠然とした喪失感というのか、焦燥感というのか。
 自分の周りに感じていたある種の違和感が、最近日を追うごとに大きくなっている気がする。
 ふとした時に側に何かが足りないような気がして、時々じっと考え込んでしまう。
 それが、自分が誰かの存在を忘れているせいだとしたら。

 ──もしそうなら、思い出したい。

 改めてそう思ったとき、携帯電話の存在を思い出した。
 あの頃は何の感情も湧かず放置してしまったが、もしかしたらそこにある名前が手掛かりになるかもしれない。
 実家で昔の携帯を探したが見つからなかったため、マンションまで探しに来た。そういえば、書斎の引き出しに纏めてしまったのだ。

「……電話してみるか」

 とりあえず今のスマホを取り出して、その二つの番号と二人の名前をメモした。続けてその番号に発信してみる。

「……繋がらない、か」

 どちらからも、現在使われていないと機械の無機質なアナウンスが聞こえた。

 みさきというのは、女性だろうか。
 そんな知り合いが本当にいただろうか。

 首を捻りながら考える。何の知り合いなのかもさっぱり思い出せない。思い出せないということは、やはり自分はこの二人ことを忘れているという事なのか。
 あの夏目が覚めたときに、何か知っている様子だった拓海に聞くのが一番早いな。
 すぐに頭を切り替えながら、常葉が言ったあいつというのはどちらだろうか、と考えた。

 夢で見るあの後ろ姿は、男だった。

 白い制服を来た、華奢な少年だったと思う。あんなに何度も夢で見るならば、自分が無意識に追っているのはそっちだろう。

 だとしたら、気になるのは章吾という名前の方か。

 拓海に次に会うときに詳しく聞き出そうと決めて、嵐は昔の携帯を鞄に入れた。

「ん?」

 引き出しを閉じようとして、充電器の下に敷かれていたカードが目に入った。取り上げてみると、プラスチックのような素材で出来た薄い水色のカードだった。表面に印字されている数字を見て、嵐は首を傾げる。

「俺の番号?」

 自分の携帯番号が印字されている。他には何の情報もないシンプルなカードだった。

「なんで番号?」

 全く覚えのないカードの存在に首を捻りながら、これも忘れているものの一つなのかと考え、一緒に鞄にしまった。
 引き出しの奥に、小さなものが転がっているのに気付いて手に取ってみる。

「金魚?」

 小さな金魚のガラス細工がついた、黒い紐のストラップだった。そういえば、記憶がなくなって目覚めた当初に邪魔だなと思って携帯から外した覚えがある。ここに一緒にしまったことも今まですっかり忘れていた。

「何かこれ、見覚えがある気がするな……」

 それも、最近のことだと思う。
 どこかで似たものを見たような、と記憶を辿ってみた。しかしどこで見たのか思い出せない。

「……気のせいか?」

 釈然としないものを感じつつ、それも一緒に鞄にしまった。
 夢で見る白い背中を思い出しながら、頭の中でその姿と携帯に残った名前を結びつけてみる。

 誰なんだろう。

 自分でもよくわからないが、その知らない誰かに会いたくてたまらない気がした。


◇◇◇???side


 薄暗い板張りの廊下に、小さな足音が響いた。
 物音に注意を払いながら慎重に歩く少年は、薄暗い廊下の先の硬く閉ざされた扉の前に立った。
 一呼吸置いてから、遠慮がちに扉を叩く。

「チカ……起きてる?」

 そう呼びかけてみたものの、部屋の中から返答はない。反応がないのはいつものことなので、声の調子を明るく保って呼びかけた。

「まだ学校は行けそうにない……?きっと楽しいよ」

 しばらく待ってから、やはり何の反応もないことに肩を落とした。黙って扉の前から立ち去ろうと背を向けたとき、後ろで扉が開く気配がした。

「……チカ?!」

 慌てて振り向き、久しぶりに顔を見る相手を見つけて笑みを浮かべる。

「久しぶりだね、チカ、あのね」
「白鶯様は、今もお元気?」

 明るく声を掛けようとした言葉を小さな声が遮った。その言葉に言いかけた台詞を飲み込んで、ぱちりと瞬きしてから笑って頷く。

「お元気そうだよ。今年も生徒会長になられたんだ」
「そうなんだ……」

 消え入りそうな声が、少しだけ弾んだように聞こえた。細く開いた扉の向こうに、微かに笑みを作った顔が見える。

「チカ?」
「ねぇ、僕、白鶯様のお話、もっと聞きたいな」

 そう言って身を乗り出してきた相手の笑顔を見て、その笑みに何故かぞっとするものを感じた。
 一瞬たじろいで息を飲み込んだが、ゆっくりと頷く。

「いいよ。チカが元気になってくれるなら」
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