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最終章
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「標的は俺なんだろう。じゃあ千尋達はもう関係ない。場所を変えよう」
気を失っている千尋と松野を人質に取られると身動きが取れない。倫人が一人でこの場を離れれば、千空達から逃げ出すチャンスは巡ってくるだろう。
倫人の言葉を聞いて、千空は少し考える素ぶりをした。
「いいよ。ここじゃ明かりが少ないからよく見えないしね。外に車が停めてあるから、移動しようか。車の中っていうのも雰囲気あっていいし」
倫人の思惑を読んだように楽しげに嗤い、千空は倉庫の入り口に向かって踵を返した。
車に乗せられてしまうのはまずい。学園から連れ出されてしまったら見つけてもらうのに手間取るだろう。
固い表情になった倫人を振り返って笑いかけ、千空は「ほら早く」と足を動かすようにうながしてくる。
「それともまず千尋たちを乗せた方がいいかな?」
小首を傾げながら遠回しに早くしろと脅してくる千空を睨み、倫人は足を踏み出した。もう一度棚を回り込んで倉庫の入り口まで戻る。
千尋たちの安全を確保するために、この倉庫からは離れようと決めた。外に出ても、自分は車に乗せられるまでになんとか逃げ出せばいい。
警戒した顔で歩き出した倫人の前で、千空は顎に手を当てながら倫人に聞こえるように呟いた。
「まずはそうだな、逃げられないように足を折らないといけないよね。白鶯様に後で見てもらわないといけないから、なるべく顔はそのままで、頬に大きく切り傷をつけるのはどうかな。ああ、でも痛みで気を失ってしまうとみんなが楽しめないから、やっぱり足を折るのは犯した後かなぁ」
薄く嗤いながら歩いていた千空が、半分開いたままだった倉庫の扉から外を見て足を止めた。
「ああ、なんて絶好のタイミング」
そう言って千空は倉庫の中にいる男たちを振り返る。その視線を受けて男たちは倫人をぐるりと取り囲んだ。
「鈴宮!!」
外から響いたその大声を聞いて、倫人は目を見開いた。
ガンッと扉が大きく開き、嵐が倉庫に飛び込んできた。
「わぁ白鶯様。よくここがわかりましたね」
嵐は中を見回して、男たちに囲まれた倫人を見つけると険しい表情で千空を睨みつけた。
「お前、牧田千空だな。馬鹿なことはやめて鈴宮を離せ」
嵐の鋭い声を聞いて千空は意外そうな顔をした。
「僕のこと知ってるんだ」
「今知り合いからそうじゃないかと聞いた。牧田千尋には弟がいる。牧田が関わっているなら弟のせいかもしれないと」
それを聞いて、倫人は男たちの隙間から嵐の後ろに目を凝らし、少し離れた樹木の影に見慣れた制服のブレザーを見つけた。
──よかった。工藤先輩ちゃんと見ててくれたのか。
倫人は先ほど呼び出された場所に向かう前、拓海の親衛隊長である工藤楓に電話して助力を求めた。離れたところから倫人の様子を見守り、もし一人で連れ出されてしまったらこっそり後を追いかけて、連れて行かれた場所を確認してから助けを呼んでほしいと。
楓はしっかり倉庫の場所を把握して、急いで助けを呼びに走ってくれたらしい。生徒会室に戻ったはずの嵐がなぜ来てくれたのかはわからないが、きっと途中で嵐を見つけて助けを求めてくれたのだろう。
楓が千空のことを把握していたとは知らなかったが、倫人が電話で千尋が何者かに連れていかれたと説明したから、もしかしたらと閃いたのかもしれない。
楓は拓海にも連絡してくれただろうから、これでそう遅くないうちに助けが来ることは間違いない。
そう考えて張り詰めていた緊張が微かに緩んだが、千空の目的が嵐だと知っている以上は安心できない。
「ふーん。それじゃあその人は僕が何かしでかすかもしれないって気づいたんだ。僕の家族のことを知ってるのかな。白鶯様は知ってる?」
「いや……悪いが詳しくは知らない」
嵐が答えると、千空の黒い靄がぐっと濃くなった。ぐつぐつと煮え立つような黒煙が身体の周りに立ち込める。
それを見て危機感を強めた倫人は息を詰め、千空を注意深く見つめた。
「そうだよね……。僕らのことなんて、白鶯家にとっては覚えてるのも馬鹿馬鹿しいくらい些細な出来事だったんだろうね」
「白鶯に恨みがあるなら、俺を狙えばいいだろう。鈴宮は関係ない」
「あるよ。僕は大切なものを壊された。だからあんたの大事なものもめちゃくちゃにしてやる」
憎しみが篭った千空の言葉を聞いて、嵐は一瞬虚をつかれたような顔をした。倫人にちらりと視線を送り、口元を引き結んで顔を強張らせる。
「馬鹿なことはやめろ。誰かに唆されたんだろう。こんな大がかりなこと、一人では無理だ。今ならまだギリギリ引き返せる。やめろ」
「引き返せる?冗談でしょ。もう無理だよ。そんなことわかってる」
冷たい怒気を孕んだ声で呟く千空は嵐を睨み、仄暗い目で倫人を振り返った。
「まぁいいや。せっかく白鶯様が現れたんだから、やっぱりここで始めよう。ああ、白鶯様、それ以上近づいて来ないで。鈴宮君がどうなっても知らないから」
人相の悪い男たちに取り囲まれた倫人を見て嵐は歯噛みし、言われた通り入り口に立ち止まっていた。
倫人を案じる瞳と目が合って、倫人は微かに頷く。
ここまできたら、もう力を使うしかないだろう。常葉には使うなと言われているが、男たちを無力化して千空を捕まえるためにはそれしかない。倫人が人質にされて嵐に手を出される前に行動を起こすべきだ。
「じゃあまずは服から脱がせようかな。目の前で鈴宮君がボロボロになる姿を見てもらわないと」
「やめろ!」
「白鶯様はそこで大人しくしてなよ」
千空が嵐を嘲笑って倫人から目を離した隙をついて、倫人は床を蹴った。素早い動きで男たちの輪から外れ、千空に向かって飛び出す。
気づいた男が数人、行手を阻んで立ち塞がった。
掴みかかってくる手を掻い潜って躱したが、そのうち闇雲に伸ばされた手に服を掴まれた。バランスを崩した倫人の顔を目掛けて拳が飛んでくる。
「そいつに手ぇ出すな!」
嵐の叫び声が聞こえた。
ガツンと頬に衝撃が走って、殴られてふらついた身体を引き倒された。体勢を崩した倫人は素早く床に手をついたが、立て直そうと力を入れた軸足を払われて、どさりと肩から床に倒れた。
倫人の足を誰かが踏みつけた。痛みに顔を顰めると一人の男が腹の上に乗り上げてくる。視界が黒と茶褐色に覆い尽くされて一瞬身体が震えた。
「っ」
「やめろ!」
そう叫んだ嵐が足を踏み出して、その瞬間ふらりと傾ぐ。がくんと膝をついた嵐が視界の端に見えた。
──嵐?
殴られるのも構わず嵐の方を見ると、彼は床に片膝をついて手で頭を支え、目を見開いたまま固まっている。倫人を見ているようで、しかしその目は何か別のものを凝視しているように焦点が合っていない。
細かく揺れる嵐の瞳に気づいて猛烈な不安が込み上げた。
「嵐!」
「白鶯様、どうしたの?ショックすぎて腰が抜けちゃった?」
楽しそうに笑う千空が倫人の方に近づいてくる。
「いいね。多少顔に傷があった方がそそる。やっちゃって」
その声を聞いて男たちは下品な笑いを浮かべたが、倫人はもう耐えるのをやめた。
千空が近づいてきた。今しかない。
まず馬乗りになっている男の腕を掴み、その感情を吸い出した。心臓にどくりと冷たい泥が大量に流れ込んできたが、構わずに男を押し退けた。暴力的な感情を剥ぎ取られた男はすぐに気が抜けたようにぼんやりして、倫人に押されるままに床に座り込む。
「は?お前何して」
突然意思を失った男に困惑して仲間が眉を顰めたが、倫人は素早く立ち上がって目の前を塞いだその男にも手を伸ばした。
「は?」
と声を漏らした男から無理矢理感情を剥ぎ取ると、その男もがくりと力が抜けて座り込み、動かなくなる。続け様に二人分の塊が心臓に流れ込んできて身体が重たくなったが、膝をついたまま動かない嵐のことが心配でそんなことは気にならなかった。
周りの男たちは何が起きたのかわからないというように混乱していたが、千空に向かっていく倫人を止めようと手を伸ばしてくる。その手を倫人は振り払わずにむしろ受け止めた。掴みかかられたそばから容赦なく感情を剥ぎ取って吸い込んでいく。バタバタと床に倒れ込んでいく仲間を見て、残った男たちはようやく何かがおかしいと気づいたのか倫人から距離を取った。
「なんだこいつ。何が起こってる?」
「気持ちわりい。なんなんだ」
口々に呟く男たちに構わずに、倫人は真っ直ぐに千空に向かっていった。嵐に駆け寄りたかったが、千空を無力化する方が先だと思った。
千空も予想外の展開に眉を顰めて固まったまま、自分に向かってくる倫人を見ている。
「なに?どういうこと」
困惑した声をあげた千空の少し不安そうな顔は、確かに千尋に似ていた。
倫人はその真っ黒な煙の中に手を突っ込み、後ずさった千空の腕に手を伸ばした。その手首に触れる寸前、声がした。
「やめろ!みさき!」
その声が聞こえた瞬間、弾かれたように倫人は振り向いた。
床に膝をついた嵐が真っ直ぐに倫人を見つめている。その漆黒の瞳に懐かしい光を湛えて。
どうしてその名前を、と思いながら倫人の手は千空の腕を掴んでいた。
途端に目の前が見えなくなるほどの黒い煙に覆われた。息が吸えなくなるくらいの濃い霧だった。千空から噴出する砂嵐のような黒い闇に取り巻かれて嵐の姿が見えなくなる。
いま、名前を。
混乱と驚きが混ざり合って一瞬黒い靄に飲まれそうになったが、すぐに気持ちを立て直し、千空の腕を掴んだまま剥がれろ、と念じる。
「みさき!ダメだ!」
そう自分を呼ぶ嵐の声が聞こえた。
黒い煙に取り巻かれた倫人には嵐の姿が見えないが、声の方を振り向いて目を凝らした。
どうして、その名前を。
「あらし」
そう言った声は嵐に聞こえたかわからない。
千空の感情に飲み込まれるつもりはなかったが、気がついたら環の時と同じような深い闇の中に、意識ごとどぷりと沈み込んでいた。
気を失っている千尋と松野を人質に取られると身動きが取れない。倫人が一人でこの場を離れれば、千空達から逃げ出すチャンスは巡ってくるだろう。
倫人の言葉を聞いて、千空は少し考える素ぶりをした。
「いいよ。ここじゃ明かりが少ないからよく見えないしね。外に車が停めてあるから、移動しようか。車の中っていうのも雰囲気あっていいし」
倫人の思惑を読んだように楽しげに嗤い、千空は倉庫の入り口に向かって踵を返した。
車に乗せられてしまうのはまずい。学園から連れ出されてしまったら見つけてもらうのに手間取るだろう。
固い表情になった倫人を振り返って笑いかけ、千空は「ほら早く」と足を動かすようにうながしてくる。
「それともまず千尋たちを乗せた方がいいかな?」
小首を傾げながら遠回しに早くしろと脅してくる千空を睨み、倫人は足を踏み出した。もう一度棚を回り込んで倉庫の入り口まで戻る。
千尋たちの安全を確保するために、この倉庫からは離れようと決めた。外に出ても、自分は車に乗せられるまでになんとか逃げ出せばいい。
警戒した顔で歩き出した倫人の前で、千空は顎に手を当てながら倫人に聞こえるように呟いた。
「まずはそうだな、逃げられないように足を折らないといけないよね。白鶯様に後で見てもらわないといけないから、なるべく顔はそのままで、頬に大きく切り傷をつけるのはどうかな。ああ、でも痛みで気を失ってしまうとみんなが楽しめないから、やっぱり足を折るのは犯した後かなぁ」
薄く嗤いながら歩いていた千空が、半分開いたままだった倉庫の扉から外を見て足を止めた。
「ああ、なんて絶好のタイミング」
そう言って千空は倉庫の中にいる男たちを振り返る。その視線を受けて男たちは倫人をぐるりと取り囲んだ。
「鈴宮!!」
外から響いたその大声を聞いて、倫人は目を見開いた。
ガンッと扉が大きく開き、嵐が倉庫に飛び込んできた。
「わぁ白鶯様。よくここがわかりましたね」
嵐は中を見回して、男たちに囲まれた倫人を見つけると険しい表情で千空を睨みつけた。
「お前、牧田千空だな。馬鹿なことはやめて鈴宮を離せ」
嵐の鋭い声を聞いて千空は意外そうな顔をした。
「僕のこと知ってるんだ」
「今知り合いからそうじゃないかと聞いた。牧田千尋には弟がいる。牧田が関わっているなら弟のせいかもしれないと」
それを聞いて、倫人は男たちの隙間から嵐の後ろに目を凝らし、少し離れた樹木の影に見慣れた制服のブレザーを見つけた。
──よかった。工藤先輩ちゃんと見ててくれたのか。
倫人は先ほど呼び出された場所に向かう前、拓海の親衛隊長である工藤楓に電話して助力を求めた。離れたところから倫人の様子を見守り、もし一人で連れ出されてしまったらこっそり後を追いかけて、連れて行かれた場所を確認してから助けを呼んでほしいと。
楓はしっかり倉庫の場所を把握して、急いで助けを呼びに走ってくれたらしい。生徒会室に戻ったはずの嵐がなぜ来てくれたのかはわからないが、きっと途中で嵐を見つけて助けを求めてくれたのだろう。
楓が千空のことを把握していたとは知らなかったが、倫人が電話で千尋が何者かに連れていかれたと説明したから、もしかしたらと閃いたのかもしれない。
楓は拓海にも連絡してくれただろうから、これでそう遅くないうちに助けが来ることは間違いない。
そう考えて張り詰めていた緊張が微かに緩んだが、千空の目的が嵐だと知っている以上は安心できない。
「ふーん。それじゃあその人は僕が何かしでかすかもしれないって気づいたんだ。僕の家族のことを知ってるのかな。白鶯様は知ってる?」
「いや……悪いが詳しくは知らない」
嵐が答えると、千空の黒い靄がぐっと濃くなった。ぐつぐつと煮え立つような黒煙が身体の周りに立ち込める。
それを見て危機感を強めた倫人は息を詰め、千空を注意深く見つめた。
「そうだよね……。僕らのことなんて、白鶯家にとっては覚えてるのも馬鹿馬鹿しいくらい些細な出来事だったんだろうね」
「白鶯に恨みがあるなら、俺を狙えばいいだろう。鈴宮は関係ない」
「あるよ。僕は大切なものを壊された。だからあんたの大事なものもめちゃくちゃにしてやる」
憎しみが篭った千空の言葉を聞いて、嵐は一瞬虚をつかれたような顔をした。倫人にちらりと視線を送り、口元を引き結んで顔を強張らせる。
「馬鹿なことはやめろ。誰かに唆されたんだろう。こんな大がかりなこと、一人では無理だ。今ならまだギリギリ引き返せる。やめろ」
「引き返せる?冗談でしょ。もう無理だよ。そんなことわかってる」
冷たい怒気を孕んだ声で呟く千空は嵐を睨み、仄暗い目で倫人を振り返った。
「まぁいいや。せっかく白鶯様が現れたんだから、やっぱりここで始めよう。ああ、白鶯様、それ以上近づいて来ないで。鈴宮君がどうなっても知らないから」
人相の悪い男たちに取り囲まれた倫人を見て嵐は歯噛みし、言われた通り入り口に立ち止まっていた。
倫人を案じる瞳と目が合って、倫人は微かに頷く。
ここまできたら、もう力を使うしかないだろう。常葉には使うなと言われているが、男たちを無力化して千空を捕まえるためにはそれしかない。倫人が人質にされて嵐に手を出される前に行動を起こすべきだ。
「じゃあまずは服から脱がせようかな。目の前で鈴宮君がボロボロになる姿を見てもらわないと」
「やめろ!」
「白鶯様はそこで大人しくしてなよ」
千空が嵐を嘲笑って倫人から目を離した隙をついて、倫人は床を蹴った。素早い動きで男たちの輪から外れ、千空に向かって飛び出す。
気づいた男が数人、行手を阻んで立ち塞がった。
掴みかかってくる手を掻い潜って躱したが、そのうち闇雲に伸ばされた手に服を掴まれた。バランスを崩した倫人の顔を目掛けて拳が飛んでくる。
「そいつに手ぇ出すな!」
嵐の叫び声が聞こえた。
ガツンと頬に衝撃が走って、殴られてふらついた身体を引き倒された。体勢を崩した倫人は素早く床に手をついたが、立て直そうと力を入れた軸足を払われて、どさりと肩から床に倒れた。
倫人の足を誰かが踏みつけた。痛みに顔を顰めると一人の男が腹の上に乗り上げてくる。視界が黒と茶褐色に覆い尽くされて一瞬身体が震えた。
「っ」
「やめろ!」
そう叫んだ嵐が足を踏み出して、その瞬間ふらりと傾ぐ。がくんと膝をついた嵐が視界の端に見えた。
──嵐?
殴られるのも構わず嵐の方を見ると、彼は床に片膝をついて手で頭を支え、目を見開いたまま固まっている。倫人を見ているようで、しかしその目は何か別のものを凝視しているように焦点が合っていない。
細かく揺れる嵐の瞳に気づいて猛烈な不安が込み上げた。
「嵐!」
「白鶯様、どうしたの?ショックすぎて腰が抜けちゃった?」
楽しそうに笑う千空が倫人の方に近づいてくる。
「いいね。多少顔に傷があった方がそそる。やっちゃって」
その声を聞いて男たちは下品な笑いを浮かべたが、倫人はもう耐えるのをやめた。
千空が近づいてきた。今しかない。
まず馬乗りになっている男の腕を掴み、その感情を吸い出した。心臓にどくりと冷たい泥が大量に流れ込んできたが、構わずに男を押し退けた。暴力的な感情を剥ぎ取られた男はすぐに気が抜けたようにぼんやりして、倫人に押されるままに床に座り込む。
「は?お前何して」
突然意思を失った男に困惑して仲間が眉を顰めたが、倫人は素早く立ち上がって目の前を塞いだその男にも手を伸ばした。
「は?」
と声を漏らした男から無理矢理感情を剥ぎ取ると、その男もがくりと力が抜けて座り込み、動かなくなる。続け様に二人分の塊が心臓に流れ込んできて身体が重たくなったが、膝をついたまま動かない嵐のことが心配でそんなことは気にならなかった。
周りの男たちは何が起きたのかわからないというように混乱していたが、千空に向かっていく倫人を止めようと手を伸ばしてくる。その手を倫人は振り払わずにむしろ受け止めた。掴みかかられたそばから容赦なく感情を剥ぎ取って吸い込んでいく。バタバタと床に倒れ込んでいく仲間を見て、残った男たちはようやく何かがおかしいと気づいたのか倫人から距離を取った。
「なんだこいつ。何が起こってる?」
「気持ちわりい。なんなんだ」
口々に呟く男たちに構わずに、倫人は真っ直ぐに千空に向かっていった。嵐に駆け寄りたかったが、千空を無力化する方が先だと思った。
千空も予想外の展開に眉を顰めて固まったまま、自分に向かってくる倫人を見ている。
「なに?どういうこと」
困惑した声をあげた千空の少し不安そうな顔は、確かに千尋に似ていた。
倫人はその真っ黒な煙の中に手を突っ込み、後ずさった千空の腕に手を伸ばした。その手首に触れる寸前、声がした。
「やめろ!みさき!」
その声が聞こえた瞬間、弾かれたように倫人は振り向いた。
床に膝をついた嵐が真っ直ぐに倫人を見つめている。その漆黒の瞳に懐かしい光を湛えて。
どうしてその名前を、と思いながら倫人の手は千空の腕を掴んでいた。
途端に目の前が見えなくなるほどの黒い煙に覆われた。息が吸えなくなるくらいの濃い霧だった。千空から噴出する砂嵐のような黒い闇に取り巻かれて嵐の姿が見えなくなる。
いま、名前を。
混乱と驚きが混ざり合って一瞬黒い靄に飲まれそうになったが、すぐに気持ちを立て直し、千空の腕を掴んだまま剥がれろ、と念じる。
「みさき!ダメだ!」
そう自分を呼ぶ嵐の声が聞こえた。
黒い煙に取り巻かれた倫人には嵐の姿が見えないが、声の方を振り向いて目を凝らした。
どうして、その名前を。
「あらし」
そう言った声は嵐に聞こえたかわからない。
千空の感情に飲み込まれるつもりはなかったが、気がついたら環の時と同じような深い闇の中に、意識ごとどぷりと沈み込んでいた。
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