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八章【望み】
8-4 不死鳥とエナン
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ロナスとの決着を終え、合流した一行は塔の上を更に進む為、螺旋階段を駆け上がった。
「ラズとハトネちゃん‥‥大丈夫かしら」
フィレアが心配そうに呟き、
「心配だな‥‥」
と、キャンドルが頷く。
「大丈夫だよ!ラズさんがきっと、ハトネさんを守ってくれてるよ!」
そう言いながらアドルは微笑み、
「だから、おれ達は進もう!ニキータ村に帰る為に‥‥」
レムズに治癒してもらった、ロナスから受けた傷跡の数々を見つめながら言った。
「‥‥アドル。あのさ」
クリュミケールは彼の隣を走り、何かを言い掛けたが、
「クリュミケールさん。巻き込まれたとか、迷惑だとか、おれはそんなこと思ってないよ!だから、クリュミケールさんはサジャエルと戦うことだけを考えて!クリュミケールさんの人生を歪めた人なんでしょ?」
クリュミケールが何を言おうとしたのかを読み取り、アドルはそう言って笑う。笑って、走る足を早めて先に先にと階段を駆け上がる。
彼の小さな背中をぼんやりと見つめていると、
「‥‥あの少年はロナスに故郷を奪われたと言ったな」
シュイアがそう言って来て、クリュミケールは頷いた。
「彼はロナスを許そうとした。握る剣は、守る為の剣だと。憎しみに走って、道を誤ったりはしないと言っていた‥‥ふっ‥‥私と大違いだな」
「シュイアさん‥‥」
クリュミケールはシュイアを見つめた後、再びアドルの背中に視線を移し、
「アドル‥‥これは、リオからの言葉だ。『ありがとう。君のお陰で、私は大切な親友の仇を討てた‥‥ありがとう本当に』‥‥」
そう、彼の背中に投げ掛ける。
前を走りながら、アドルはクリュミケールの小さなその声を聞いていた。そうしてアドルは思い出す。
レイラフォードの丘で見た、あの十字架を。
『遺体はなくても、形だけでも墓を作ってやりたかった。ここはその子の故郷で、その子は広い世界に憧れていた。だから、その子が産まれ育った国と、その子が望んだ広い世界が見えるこの場所に、十字架を建てた‥‥ただのオレの、独りよがりだけどさ』
寂しそうにそう話していた、クリュミケールの横顔を思い出した。
◆◆◆◆◆
アドルが先頭を走り、彼に寄り添うようにキャンドルとリウスがいて。
フィレアはシュイアと何かを話しながら走っている。ーーシュイアのことを諦めたと言っていたが、やはりシュイアと話すフィレアはとても、幸せそうな表情をしている。
カルトルートはレムズに何かを愚痴りながら走って、クリュミケールはその後ろに。
そして、一番後ろにはカシルがいた。
クリュミケールは何かを思い出し、後ろに振り返って立ち止まると、
「そうだ、カシル‥‥これ」
と、さっき拾った、恐らくカシルのものであろう約束の石を取り出す。
それを見たカシルは一瞬目を丸くし、ゴソゴソとコートのポケットを探った。それから視線を逸らして、
「落としてたか‥‥ごめん、お姉ちゃ‥‥」
思わずそう言い掛けて、彼は慌ててクリュミケールの手からペンダントを奪い取る。
次に、クリュミケールが目を丸くし、
「あ‥‥あはは。別に、お姉ちゃんって呼んでくれてもいいけど‥‥はは」
なんとなく気まずくなって、クリュミケールはフォローするように言い、
「おーい!お前ら二人、遅いぞー!」
そこでキャンドルがそう叫んできたので、クリュミケールとカシルは内心『助かった』と感じた。
「そういえば、経緯はなんとなーく聞いたけど、最初はお姉さんーーリオさんとシュイアさんが一緒に旅をしてて、カシルさんが敵で、ハトネさんとフィレアさんとラズさんがリオさんの仲間だったんだっけ?」
カルトルートがこんがらがりそうになりながら言い、
「そうだったわよね‥‥なんだか懐かしいわ。あれから、十二年ね」
微笑みながらフィレアは頷く。
「ははっ‥‥そうだね。無知だったオレは、シュイアさんにいろいろ教わりながら旅をして、意味もわからずカシルを追って‥‥皆と出会って」
クリュミケールも懐かしそうに昔を思い出し、
「まだまだおれ達が知らないこと、色々あったんだね‥‥」
アドルが言った。
「そういえば、レムズは未来のようなものが見えるのよね。この先の未来って、見えたりするのかしら?」
フィレアが聞くと、レムズは額に手をあてて目を閉じ、
「‥‥小さく、世界の悲鳴が‥‥きこえる」
「世界の悲鳴?それって、果ての世界に繋がる、世界の崩壊?やっぱり‥‥崩壊は避けられないのか?いや‥‥」
クリュミケールは考え込むように呟く。すると、
「ーーリオラを‥‥リオラの命を奪えば、なんとかなるかもしれない」
絶対にそんなことを言うはずのない彼が、シュイアがそんなことを言ったので、
「シュイア様!?」
彼の隣を走るフィレアが驚きの声を上げた。
「サジャエルとリオラがいなければ‥‥誰も、世界を壊そうなどとしない」
「そっ、そうかもしれないけどよ‥‥」
彼の過去を目にしたキャンドルも困惑するように言って、
「わかりきっているんだ。たったそれだけで、世界の崩壊は免れる‥‥だが、私にはその決断が、未だ出来ていない」
シュイアのその言葉を聞き、それは当たり前だろうとこの場にいる誰もが思った。
シュイアにとってリオラという女性は、何を敵に回しても、何を裏切っても、自分自身さえ裏切っても‥‥それほどまでに、かけがえのない存在なのだから。
「‥‥シュイアさん。今は、悩むのはやめましょう。どうするかは、リオラの姿を見てから考えましょう!約束したじゃないですか、リオラのこと、一緒に助けようって」
クリュミケールはシュイアにそう言葉を掛けた。
「あっ!あれ、なんだろう!?」
螺旋階段の先にようやく何かが見えて、カルトルートが叫ぶ。
「壁画?」
レムズが呟いた。
螺旋階段の両脇に大きな壁画が広がっていたのだ。
壁画には、深く暗い青の空から、大量の異形の者が大地に舞い降りる光景が描かれている。
「これは‥‥オレが見た、果ての世界の光景だ」
クリュミケールがそう言うと、
「えっ!?それって未来なんでしょ?なんでそんな絵が‥‥?」
アドルは立ち止まって壁画を見つめた。
「それは古くから決まっていたことだからです」
この場にそんな声が響き渡り、
「いつの間にっ‥‥!」
切羽詰まったようにリウスが振り返りながら叫ぶ。
彼女がーーサジャエルが一行の背後に音もなく立っていたのだ。
「ふふ、ふふふ。実に滑稽な‥‥シュイアにカシル‥‥そしてカナリア。あなた方がこの者達に手を貸すとは‥‥いえ、わかりきっていたことですね」
サジャエルはクスクスと笑う。そして彼女は両腕を広げ、いつものように言葉を操った。
「シュイア‥‥誰のせいでリオラは眠り続けていますか?忘れたのですか?」
シュイアはサジャエルを睨む。
リオラが目覚める為には、不死鳥と契約したクリュミケールが死ななければならないとかつてカシルが言っていた。
『死んだはずのリオラはお前の命と、命を司る不死鳥の力を借り、生き返ることが出来る』
それに、塔に入る前にクリュミケールの頭の中に入ってきたリオラの意識は、酷くクリュミケールを恨んでいた‥‥
「カナリア。誰のせいで、あなたの理解者は‥‥シェイアードは死にましたか?彼は誰を守って死にました?」
そんな言葉にリウスは目を細める。
「アドルにキャンドルでしたね?誰のせいでニキータ村は滅びましたか?」
アドルとキャンドルは眉間に皺を寄せ、サジャエルを睨み続けた。
だが、各々の反応を見てもサジャエルはお構い無く、
「全て全て全て、そこにいるリオが、クリュミケールがいたからでしょう?」
彼女はそう言い放つ。
今更な揺すぶりだ。心理戦だ。
だが、言葉は武器だ、嘘も妄想もそれすらも武器だ。
それに、全てが全て嘘ではない。
クリュミケールはそれを理解し、歯を食い縛る。
「何を言ってるのよあんた!どれもこれも、元を辿れば元凶はあんたでしょう!」
フィレアは槍を構え、サジャエルに怒鳴りかかった。
次に、クリュミケールの身体が赤く光り、不死鳥が姿を現す。彼は高く羽ばたき、
「女神【道を開く者】よ。否、狂った女神よーーお前はどこまで狂ったのだ?かつての時代すら忘れたのか?かつての我が主すら、忘れたか?」
不死鳥はサジャエルに語り掛けた。
「不死鳥の山に引きこもった愚かな神。かつての時代‥‥かつての主‥‥」
サジャエルは冷めた目で不死鳥を見上げる。その表情は、汚らわしいものを見るような目だ。
「‥‥やはり、わからぬか。最早、あの日の女神はいないのだな」
そう、不死鳥はため息混じりに言って、静かにサジャエルを見下ろす。
「あなたが何を言っているかはわかりませんが‥‥」
サジャエルが右手を上げると、彼女の隣にドサッ‥‥と、体に酷い怪我を負ったイラホーがその場に現れ、倒れこんだ。
それに真っ先に反応したのは、
「‥‥エナン!」
ーーと。不死鳥が叫んだ。
「えっ!?エナンって‥‥不死鳥の小屋の‥‥?」
不死鳥が叫んだ名前にフィレアが驚く。
「‥‥私とリオラは塔の最上階で待っています。‥‥ああ、どうしてか忘れていましたが‥‥あなた達の中に創造神が紛れ込んでいたのですね‥‥ふふ‥‥」
サジャエルはそう言って笑い、姿を消した。
「そうぞう‥‥しん‥‥ハトネ‥‥?」
クリュミケールは呟くが、慌ててイラホーに駆け寄る。
彼女は腹部を刺されたのだろうか、傷口から大量の血が流れ続けていた。
「ぐっ‥‥やられたわ‥‥不死鳥を動揺させる為に‥‥私を使った‥‥」
イラホーは言葉を絞り出す。
「どういうことかはわからないが‥‥君は、やっぱりエナンさん、なのか?」
クリュミケールが聞くと、
「エナンさんって、お婆さんだったわよね!?この子はまだ、十代くらいじゃない‥‥?それに、女神だし‥‥」
意味がわからないとフィレアも言う。
不死鳥が彼女の傍らに舞い降り、イラホーの傷口に炎を灯す。傷口は塞がらないが、流れる血は塞き止められていった。
イラホーは不死鳥を見つめながら、
「‥‥私と不死鳥が出会ったのは、何百年も前よ」
そう、口を開く。
彼女の体が白く光り、一同の脳裏には同じ光景が‥‥死の山ーー不死鳥の山が映し出される。
そして、見知らぬ若い少女と、不死鳥の姿。
少女は不死鳥の炎に囲まれ、行く手を阻まれている。
「お願いします‥‥お母さんが死んだんです!不死鳥様なら命を救えると聞きました‥‥お願いします!お母さんを生き返らせて下さい!」
少女は涙ながらに叫んでいた。
「それは出来ぬ。命とは、そんなに軽いものではない。ただ、お前が我と契約すると言うのなら、お前の母を救おう」
「けいやく?」
「我の力をお前に授ける代わりに、お前の母の命を救おう」
「え?それだけ‥‥?」
少女は弱々しく聞く。
「我の力を手に入れるということは、魔術の力を手に入れるようなものだ」
「魔術?」
「そうだ。不老の命を手に入れ、そして宿命を受け入れねばならぬ」
「ふっ‥‥不老!?」
少女は大いに驚いた。
「そんな‥‥不老だなんて!?そんな命いりませんーー!」
「ならば母のことはどうにも出来ぬ」
少女はしばらく俯き、考えている。しばらくして顔を上げ、
「‥‥わかりました」
「ではーー」
と、その少女の言葉に不死鳥が反応する。
「私は‥‥諦めます」
ここまで登ってきたというのに、少女があまりにあっさりと言うので、不死鳥は「何故」と聞いた。
「不老になるのは辛いです‥‥」
少女は不死鳥の目を見つめ、
「どうか、してました。母を喪ったのが悲しすぎて‥‥受け入れることができなかった。それに、不死鳥様の目、私と同じで‥‥とても悲しそう」
「‥‥」
「不死鳥様も、何か大切なものを‥‥人を、なくしたんですか?」
少女の鋭い発言に、不死鳥は一瞬言葉をなくすが‥‥
「昔、この山は、人間の子供達の遊び場であった。今のように火は噴いていなく、快適な場所であった。我もよく、その子供達の前に姿を現していた」
不死鳥は一息置き、
「ある日、その内の一人が山の崖から落ちて死んだ。その子供の親が来て我はーーその子供を生き返らせた。それが間違いだった」
不死鳥が怒るように言う。
「それから人間共は我の力を求めた。金儲けのネタに使う者もいた。この山は汚された。それから我は、人を‥‥何もかもを信じず避けて生きてきた。この永久の命の中で」
「不死鳥様‥‥」
「だが、お前は今までの人間とは違う臭いがする。そう、まるで、かつての彼らのような‥‥」
「‥‥え?」
ーー少女の目の前には、人がいた。
同時に、少女を囲んでいた炎も消える。
「あなた‥‥は?」
「不死鳥だ」
不死鳥ーーいや、人の姿をした、虹色の髪を持つ美しい青年が、優しく微笑んだ。
「お前は生かして帰そうーーお前は、この山を汚さないだろう。名を、聞かせてくれるか?」
不死鳥が少女に歩み寄り、そう尋ねる。
「えっ‥‥エナン。エナンです‥‥」
少女ーーエナンが心臓を大きく高鳴らせながら言った。
ーークリュミケールはこの光景を見たことがある。かつて、自身が不死鳥と契約する前に見た光景だ。
今、一同の脳裏には、若き日のエナンと不死鳥の出会いが語られた。
しかし、若き日のエナンとイラホー。
その姿は、全くの別人なのだ‥‥
そして、一同の意識は再び塔の中に戻される。その場に横たわったままのイラホーは、
「不死鳥と私は、死の山で出会った。その出会いの後、それからよく、私は山を登った。不死鳥に会う為に‥‥いつしか独りぼっちだった私は、不死鳥を愛してしまった‥‥」
そう話して目を閉じ、
「私はただの人間。私はお婆さんになり‥‥とっくにこの生涯を終えていたわ‥‥でも‥‥」
イラホーと不死鳥は黙り込んでしまう。だが、その続きは簡単にわかった。
「不死鳥は‥‥エナンさんを生き返らせた?」
クリュミケールがそう言うと、
「我もまた‥‥ただの人間であるエナンを愛してしまっていた。最期の日、老婆になったというのに、エナンは険しい山を登り‥‥我に会いに来る道中で、死んだのだ‥‥もう、歳だから来るのはよせと言ったのに‥‥」
不死鳥はそう語り、翼でイラホーの体を包むように触れる。
「驚いたわ‥‥死んだはずの私は、出会った頃の‥‥少女の姿で生き返っていたの。でもその時に、サジャエルが現れた」
その名前に、一同はイラホーを見つめた。
「不死鳥が私を生き返らせた力を感じたのでしょうね。不死鳥と私の関係を見たサジャエルは言ったわ‥‥『永遠の命が欲しくはないですか?あなた方二人、永遠に共に過ごせる命が』と。一度、私は不老を‥‥不死鳥との契約を断った。けれど、不死鳥が‥‥私を生き返らせた。あんなにも人間を避け、自分の力を呪った不死鳥が‥‥私を、生き返らせる為に力を使った‥‥」
イラホーは涙を流し、
「それが、嬉しかった‥‥だから、私はサジャエルの言葉に乗った。リオラと私は同じよ‥‥私はかつて死んだ女神イラホーの器になったの。彼女の細胞を埋め込まれた、作り物の女神。それが、エナンという老婆の正体よ‥‥」
そんな真実に、人間と不死鳥という二人の愛情に、一同は言葉を失う。それからイラホーは、
「カルトルート‥‥」
と、彼を見つめ、
「遥か昔、神々を愛した少年がいました。神を愛する者ーーあなたは英雄の血を受け継いでいる子孫よ‥‥」
「えっ‥‥?」
カルトルートはぽかんと口を開けた。
「‥‥遥か昔のあなたの先祖は、本物のイラホーを愛し抜いたわ‥‥私の中に残るイラホーの記憶が、あなたをとても懐かしく感じるのよ」
「‥‥」
カルトルートはイラホーを見つめ、意味深に彼女がカルトルートに語り掛けてきた理由がなんとなくわかり、だが、それでも実感なんてわかない。
「‥‥さあ、早く行くのよ。記憶が錯乱しつつも、サジャエルは創造神の存在を思い出したわ。彼女に何かするかもしれない‥‥創造神が死ねば、世界は滅びる。そうなればクリュミケールかリオラが‥‥【見届ける者】として世界崩壊を食い止めなければならない」
イラホーはそう言い、
「エナンさんは‥‥」
クリュミケールが渋るように言い、彼女に寄り添う不死鳥を見つめる。
「少し休んだら私も行くわ。サジャエルはもう私に興味はないでしょうから大丈夫。クリュミケール‥‥不死鳥を頼んだわよ‥‥そして、最悪な結末は回避しなさい。創造神を守り、自分自身のことも‥‥」
イラホーはクリュミケールの手に触れ、
「リオや。あの日、お前は生きると言ったな。守らないといけない人がいると言ったな。約束を守る為の、大事な人を守る為の力が必要だと言ったな‥‥クリュミケールとして守る対象は変わっても、かつてのその決意を揺るがすのではないぞ‥‥」
そう、老婆エナンとしての彼女の言葉に「‥‥はい」と、クリュミケールは大きく頷き、不死鳥もクリュミケールの中に還った。
創造神ーーハトネ。
それがどのような存在なのかはわからない。
ただ、世界を創造した神様。
全ての、神。
でも今は、ただの無邪気な少女。
クリュミケールとフィレア、そしてキャンドルは彼女の笑顔を思い浮かべた。
「ラズとハトネちゃん‥‥大丈夫かしら」
フィレアが心配そうに呟き、
「心配だな‥‥」
と、キャンドルが頷く。
「大丈夫だよ!ラズさんがきっと、ハトネさんを守ってくれてるよ!」
そう言いながらアドルは微笑み、
「だから、おれ達は進もう!ニキータ村に帰る為に‥‥」
レムズに治癒してもらった、ロナスから受けた傷跡の数々を見つめながら言った。
「‥‥アドル。あのさ」
クリュミケールは彼の隣を走り、何かを言い掛けたが、
「クリュミケールさん。巻き込まれたとか、迷惑だとか、おれはそんなこと思ってないよ!だから、クリュミケールさんはサジャエルと戦うことだけを考えて!クリュミケールさんの人生を歪めた人なんでしょ?」
クリュミケールが何を言おうとしたのかを読み取り、アドルはそう言って笑う。笑って、走る足を早めて先に先にと階段を駆け上がる。
彼の小さな背中をぼんやりと見つめていると、
「‥‥あの少年はロナスに故郷を奪われたと言ったな」
シュイアがそう言って来て、クリュミケールは頷いた。
「彼はロナスを許そうとした。握る剣は、守る為の剣だと。憎しみに走って、道を誤ったりはしないと言っていた‥‥ふっ‥‥私と大違いだな」
「シュイアさん‥‥」
クリュミケールはシュイアを見つめた後、再びアドルの背中に視線を移し、
「アドル‥‥これは、リオからの言葉だ。『ありがとう。君のお陰で、私は大切な親友の仇を討てた‥‥ありがとう本当に』‥‥」
そう、彼の背中に投げ掛ける。
前を走りながら、アドルはクリュミケールの小さなその声を聞いていた。そうしてアドルは思い出す。
レイラフォードの丘で見た、あの十字架を。
『遺体はなくても、形だけでも墓を作ってやりたかった。ここはその子の故郷で、その子は広い世界に憧れていた。だから、その子が産まれ育った国と、その子が望んだ広い世界が見えるこの場所に、十字架を建てた‥‥ただのオレの、独りよがりだけどさ』
寂しそうにそう話していた、クリュミケールの横顔を思い出した。
◆◆◆◆◆
アドルが先頭を走り、彼に寄り添うようにキャンドルとリウスがいて。
フィレアはシュイアと何かを話しながら走っている。ーーシュイアのことを諦めたと言っていたが、やはりシュイアと話すフィレアはとても、幸せそうな表情をしている。
カルトルートはレムズに何かを愚痴りながら走って、クリュミケールはその後ろに。
そして、一番後ろにはカシルがいた。
クリュミケールは何かを思い出し、後ろに振り返って立ち止まると、
「そうだ、カシル‥‥これ」
と、さっき拾った、恐らくカシルのものであろう約束の石を取り出す。
それを見たカシルは一瞬目を丸くし、ゴソゴソとコートのポケットを探った。それから視線を逸らして、
「落としてたか‥‥ごめん、お姉ちゃ‥‥」
思わずそう言い掛けて、彼は慌ててクリュミケールの手からペンダントを奪い取る。
次に、クリュミケールが目を丸くし、
「あ‥‥あはは。別に、お姉ちゃんって呼んでくれてもいいけど‥‥はは」
なんとなく気まずくなって、クリュミケールはフォローするように言い、
「おーい!お前ら二人、遅いぞー!」
そこでキャンドルがそう叫んできたので、クリュミケールとカシルは内心『助かった』と感じた。
「そういえば、経緯はなんとなーく聞いたけど、最初はお姉さんーーリオさんとシュイアさんが一緒に旅をしてて、カシルさんが敵で、ハトネさんとフィレアさんとラズさんがリオさんの仲間だったんだっけ?」
カルトルートがこんがらがりそうになりながら言い、
「そうだったわよね‥‥なんだか懐かしいわ。あれから、十二年ね」
微笑みながらフィレアは頷く。
「ははっ‥‥そうだね。無知だったオレは、シュイアさんにいろいろ教わりながら旅をして、意味もわからずカシルを追って‥‥皆と出会って」
クリュミケールも懐かしそうに昔を思い出し、
「まだまだおれ達が知らないこと、色々あったんだね‥‥」
アドルが言った。
「そういえば、レムズは未来のようなものが見えるのよね。この先の未来って、見えたりするのかしら?」
フィレアが聞くと、レムズは額に手をあてて目を閉じ、
「‥‥小さく、世界の悲鳴が‥‥きこえる」
「世界の悲鳴?それって、果ての世界に繋がる、世界の崩壊?やっぱり‥‥崩壊は避けられないのか?いや‥‥」
クリュミケールは考え込むように呟く。すると、
「ーーリオラを‥‥リオラの命を奪えば、なんとかなるかもしれない」
絶対にそんなことを言うはずのない彼が、シュイアがそんなことを言ったので、
「シュイア様!?」
彼の隣を走るフィレアが驚きの声を上げた。
「サジャエルとリオラがいなければ‥‥誰も、世界を壊そうなどとしない」
「そっ、そうかもしれないけどよ‥‥」
彼の過去を目にしたキャンドルも困惑するように言って、
「わかりきっているんだ。たったそれだけで、世界の崩壊は免れる‥‥だが、私にはその決断が、未だ出来ていない」
シュイアのその言葉を聞き、それは当たり前だろうとこの場にいる誰もが思った。
シュイアにとってリオラという女性は、何を敵に回しても、何を裏切っても、自分自身さえ裏切っても‥‥それほどまでに、かけがえのない存在なのだから。
「‥‥シュイアさん。今は、悩むのはやめましょう。どうするかは、リオラの姿を見てから考えましょう!約束したじゃないですか、リオラのこと、一緒に助けようって」
クリュミケールはシュイアにそう言葉を掛けた。
「あっ!あれ、なんだろう!?」
螺旋階段の先にようやく何かが見えて、カルトルートが叫ぶ。
「壁画?」
レムズが呟いた。
螺旋階段の両脇に大きな壁画が広がっていたのだ。
壁画には、深く暗い青の空から、大量の異形の者が大地に舞い降りる光景が描かれている。
「これは‥‥オレが見た、果ての世界の光景だ」
クリュミケールがそう言うと、
「えっ!?それって未来なんでしょ?なんでそんな絵が‥‥?」
アドルは立ち止まって壁画を見つめた。
「それは古くから決まっていたことだからです」
この場にそんな声が響き渡り、
「いつの間にっ‥‥!」
切羽詰まったようにリウスが振り返りながら叫ぶ。
彼女がーーサジャエルが一行の背後に音もなく立っていたのだ。
「ふふ、ふふふ。実に滑稽な‥‥シュイアにカシル‥‥そしてカナリア。あなた方がこの者達に手を貸すとは‥‥いえ、わかりきっていたことですね」
サジャエルはクスクスと笑う。そして彼女は両腕を広げ、いつものように言葉を操った。
「シュイア‥‥誰のせいでリオラは眠り続けていますか?忘れたのですか?」
シュイアはサジャエルを睨む。
リオラが目覚める為には、不死鳥と契約したクリュミケールが死ななければならないとかつてカシルが言っていた。
『死んだはずのリオラはお前の命と、命を司る不死鳥の力を借り、生き返ることが出来る』
それに、塔に入る前にクリュミケールの頭の中に入ってきたリオラの意識は、酷くクリュミケールを恨んでいた‥‥
「カナリア。誰のせいで、あなたの理解者は‥‥シェイアードは死にましたか?彼は誰を守って死にました?」
そんな言葉にリウスは目を細める。
「アドルにキャンドルでしたね?誰のせいでニキータ村は滅びましたか?」
アドルとキャンドルは眉間に皺を寄せ、サジャエルを睨み続けた。
だが、各々の反応を見てもサジャエルはお構い無く、
「全て全て全て、そこにいるリオが、クリュミケールがいたからでしょう?」
彼女はそう言い放つ。
今更な揺すぶりだ。心理戦だ。
だが、言葉は武器だ、嘘も妄想もそれすらも武器だ。
それに、全てが全て嘘ではない。
クリュミケールはそれを理解し、歯を食い縛る。
「何を言ってるのよあんた!どれもこれも、元を辿れば元凶はあんたでしょう!」
フィレアは槍を構え、サジャエルに怒鳴りかかった。
次に、クリュミケールの身体が赤く光り、不死鳥が姿を現す。彼は高く羽ばたき、
「女神【道を開く者】よ。否、狂った女神よーーお前はどこまで狂ったのだ?かつての時代すら忘れたのか?かつての我が主すら、忘れたか?」
不死鳥はサジャエルに語り掛けた。
「不死鳥の山に引きこもった愚かな神。かつての時代‥‥かつての主‥‥」
サジャエルは冷めた目で不死鳥を見上げる。その表情は、汚らわしいものを見るような目だ。
「‥‥やはり、わからぬか。最早、あの日の女神はいないのだな」
そう、不死鳥はため息混じりに言って、静かにサジャエルを見下ろす。
「あなたが何を言っているかはわかりませんが‥‥」
サジャエルが右手を上げると、彼女の隣にドサッ‥‥と、体に酷い怪我を負ったイラホーがその場に現れ、倒れこんだ。
それに真っ先に反応したのは、
「‥‥エナン!」
ーーと。不死鳥が叫んだ。
「えっ!?エナンって‥‥不死鳥の小屋の‥‥?」
不死鳥が叫んだ名前にフィレアが驚く。
「‥‥私とリオラは塔の最上階で待っています。‥‥ああ、どうしてか忘れていましたが‥‥あなた達の中に創造神が紛れ込んでいたのですね‥‥ふふ‥‥」
サジャエルはそう言って笑い、姿を消した。
「そうぞう‥‥しん‥‥ハトネ‥‥?」
クリュミケールは呟くが、慌ててイラホーに駆け寄る。
彼女は腹部を刺されたのだろうか、傷口から大量の血が流れ続けていた。
「ぐっ‥‥やられたわ‥‥不死鳥を動揺させる為に‥‥私を使った‥‥」
イラホーは言葉を絞り出す。
「どういうことかはわからないが‥‥君は、やっぱりエナンさん、なのか?」
クリュミケールが聞くと、
「エナンさんって、お婆さんだったわよね!?この子はまだ、十代くらいじゃない‥‥?それに、女神だし‥‥」
意味がわからないとフィレアも言う。
不死鳥が彼女の傍らに舞い降り、イラホーの傷口に炎を灯す。傷口は塞がらないが、流れる血は塞き止められていった。
イラホーは不死鳥を見つめながら、
「‥‥私と不死鳥が出会ったのは、何百年も前よ」
そう、口を開く。
彼女の体が白く光り、一同の脳裏には同じ光景が‥‥死の山ーー不死鳥の山が映し出される。
そして、見知らぬ若い少女と、不死鳥の姿。
少女は不死鳥の炎に囲まれ、行く手を阻まれている。
「お願いします‥‥お母さんが死んだんです!不死鳥様なら命を救えると聞きました‥‥お願いします!お母さんを生き返らせて下さい!」
少女は涙ながらに叫んでいた。
「それは出来ぬ。命とは、そんなに軽いものではない。ただ、お前が我と契約すると言うのなら、お前の母を救おう」
「けいやく?」
「我の力をお前に授ける代わりに、お前の母の命を救おう」
「え?それだけ‥‥?」
少女は弱々しく聞く。
「我の力を手に入れるということは、魔術の力を手に入れるようなものだ」
「魔術?」
「そうだ。不老の命を手に入れ、そして宿命を受け入れねばならぬ」
「ふっ‥‥不老!?」
少女は大いに驚いた。
「そんな‥‥不老だなんて!?そんな命いりませんーー!」
「ならば母のことはどうにも出来ぬ」
少女はしばらく俯き、考えている。しばらくして顔を上げ、
「‥‥わかりました」
「ではーー」
と、その少女の言葉に不死鳥が反応する。
「私は‥‥諦めます」
ここまで登ってきたというのに、少女があまりにあっさりと言うので、不死鳥は「何故」と聞いた。
「不老になるのは辛いです‥‥」
少女は不死鳥の目を見つめ、
「どうか、してました。母を喪ったのが悲しすぎて‥‥受け入れることができなかった。それに、不死鳥様の目、私と同じで‥‥とても悲しそう」
「‥‥」
「不死鳥様も、何か大切なものを‥‥人を、なくしたんですか?」
少女の鋭い発言に、不死鳥は一瞬言葉をなくすが‥‥
「昔、この山は、人間の子供達の遊び場であった。今のように火は噴いていなく、快適な場所であった。我もよく、その子供達の前に姿を現していた」
不死鳥は一息置き、
「ある日、その内の一人が山の崖から落ちて死んだ。その子供の親が来て我はーーその子供を生き返らせた。それが間違いだった」
不死鳥が怒るように言う。
「それから人間共は我の力を求めた。金儲けのネタに使う者もいた。この山は汚された。それから我は、人を‥‥何もかもを信じず避けて生きてきた。この永久の命の中で」
「不死鳥様‥‥」
「だが、お前は今までの人間とは違う臭いがする。そう、まるで、かつての彼らのような‥‥」
「‥‥え?」
ーー少女の目の前には、人がいた。
同時に、少女を囲んでいた炎も消える。
「あなた‥‥は?」
「不死鳥だ」
不死鳥ーーいや、人の姿をした、虹色の髪を持つ美しい青年が、優しく微笑んだ。
「お前は生かして帰そうーーお前は、この山を汚さないだろう。名を、聞かせてくれるか?」
不死鳥が少女に歩み寄り、そう尋ねる。
「えっ‥‥エナン。エナンです‥‥」
少女ーーエナンが心臓を大きく高鳴らせながら言った。
ーークリュミケールはこの光景を見たことがある。かつて、自身が不死鳥と契約する前に見た光景だ。
今、一同の脳裏には、若き日のエナンと不死鳥の出会いが語られた。
しかし、若き日のエナンとイラホー。
その姿は、全くの別人なのだ‥‥
そして、一同の意識は再び塔の中に戻される。その場に横たわったままのイラホーは、
「不死鳥と私は、死の山で出会った。その出会いの後、それからよく、私は山を登った。不死鳥に会う為に‥‥いつしか独りぼっちだった私は、不死鳥を愛してしまった‥‥」
そう話して目を閉じ、
「私はただの人間。私はお婆さんになり‥‥とっくにこの生涯を終えていたわ‥‥でも‥‥」
イラホーと不死鳥は黙り込んでしまう。だが、その続きは簡単にわかった。
「不死鳥は‥‥エナンさんを生き返らせた?」
クリュミケールがそう言うと、
「我もまた‥‥ただの人間であるエナンを愛してしまっていた。最期の日、老婆になったというのに、エナンは険しい山を登り‥‥我に会いに来る道中で、死んだのだ‥‥もう、歳だから来るのはよせと言ったのに‥‥」
不死鳥はそう語り、翼でイラホーの体を包むように触れる。
「驚いたわ‥‥死んだはずの私は、出会った頃の‥‥少女の姿で生き返っていたの。でもその時に、サジャエルが現れた」
その名前に、一同はイラホーを見つめた。
「不死鳥が私を生き返らせた力を感じたのでしょうね。不死鳥と私の関係を見たサジャエルは言ったわ‥‥『永遠の命が欲しくはないですか?あなた方二人、永遠に共に過ごせる命が』と。一度、私は不老を‥‥不死鳥との契約を断った。けれど、不死鳥が‥‥私を生き返らせた。あんなにも人間を避け、自分の力を呪った不死鳥が‥‥私を、生き返らせる為に力を使った‥‥」
イラホーは涙を流し、
「それが、嬉しかった‥‥だから、私はサジャエルの言葉に乗った。リオラと私は同じよ‥‥私はかつて死んだ女神イラホーの器になったの。彼女の細胞を埋め込まれた、作り物の女神。それが、エナンという老婆の正体よ‥‥」
そんな真実に、人間と不死鳥という二人の愛情に、一同は言葉を失う。それからイラホーは、
「カルトルート‥‥」
と、彼を見つめ、
「遥か昔、神々を愛した少年がいました。神を愛する者ーーあなたは英雄の血を受け継いでいる子孫よ‥‥」
「えっ‥‥?」
カルトルートはぽかんと口を開けた。
「‥‥遥か昔のあなたの先祖は、本物のイラホーを愛し抜いたわ‥‥私の中に残るイラホーの記憶が、あなたをとても懐かしく感じるのよ」
「‥‥」
カルトルートはイラホーを見つめ、意味深に彼女がカルトルートに語り掛けてきた理由がなんとなくわかり、だが、それでも実感なんてわかない。
「‥‥さあ、早く行くのよ。記憶が錯乱しつつも、サジャエルは創造神の存在を思い出したわ。彼女に何かするかもしれない‥‥創造神が死ねば、世界は滅びる。そうなればクリュミケールかリオラが‥‥【見届ける者】として世界崩壊を食い止めなければならない」
イラホーはそう言い、
「エナンさんは‥‥」
クリュミケールが渋るように言い、彼女に寄り添う不死鳥を見つめる。
「少し休んだら私も行くわ。サジャエルはもう私に興味はないでしょうから大丈夫。クリュミケール‥‥不死鳥を頼んだわよ‥‥そして、最悪な結末は回避しなさい。創造神を守り、自分自身のことも‥‥」
イラホーはクリュミケールの手に触れ、
「リオや。あの日、お前は生きると言ったな。守らないといけない人がいると言ったな。約束を守る為の、大事な人を守る為の力が必要だと言ったな‥‥クリュミケールとして守る対象は変わっても、かつてのその決意を揺るがすのではないぞ‥‥」
そう、老婆エナンとしての彼女の言葉に「‥‥はい」と、クリュミケールは大きく頷き、不死鳥もクリュミケールの中に還った。
創造神ーーハトネ。
それがどのような存在なのかはわからない。
ただ、世界を創造した神様。
全ての、神。
でも今は、ただの無邪気な少女。
クリュミケールとフィレア、そしてキャンドルは彼女の笑顔を思い浮かべた。
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