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邂逅

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 頬に凄まじい衝撃が走り、その時はじめて自分が殴られたのだと気付いた。

 無様に後方に殴り飛ばされ、もんどりうって地面に叩きつけられる。

 どよ、と周りにいた人々が動揺する気配がわかった。

「こいつ、やりやがった!!」

「イカれてやがんのか!?このおかたを誰だと思ってんだ!」

「このっ、やっちまえ!!」

 地面に倒れた自分の上から、そんな声が降ってくる。

 バタバタといくつもの足が、地面に伸びる自分の真横を通り抜けた。

 ―――――このおかた?やりやがった?

 そもそも、自分はなぜ、なんの理由で、どうして殴られたのだろうか。全く状況が呑み込めない。

 ただ灼けるようにほおが熱くて痛くて、朦朧とする頭で考えた。

 唇の端に手をやると、激痛が走るとともに掌に赤いものが付着した。端が切れてしまったのかもしれない。

 あまりの痛みに悶えていると、不意に、大丈夫ですか、と真横から誰かの手が差し伸べられた。

 ありがとう、とその手を取り、なんとか立ち上がる。

 …どこだろう、ここ。

 涙でぼやけた視界であたりを見回すが、いつのまにか覚えのない住宅街にいることに愕然とする。

 並び立つ住宅も、なぜ自分は、こんなところに立っているのだろう。

呆然としていると、隣から「大丈夫ですか」と先ほど手を差し伸べてくれたらしい、少年に顔を覗き込まれる。

 ああ、なんとかといってほおを押さえると、少年は心配そうな顔を崩さずに、ほっと息をついていた。

 気遣ってくれる姿勢には感謝が湧いたが、残念ながらその少年の顔にも全く見覚えが無かった。

 …本当に誰なんだろう。

 だが、前に顔を向けた瞬間、私はその思考の全てを奪われることとなる。

 目の前に、眼を見張るほど綺麗な少年が立っていた。

 流れるように柔らかく曲線を描いた金髪に、華奢な体つき。

 女子も顔負けなほどに、人形のように端正で可愛らしい顔立ち。

 およそ、先程自分のほおを殴ったのであろう拳を震わせながら、少年はマリンブルーの大きな瞳で私を睨んでいて。

 ―――――その顔には、見覚えがあった。

 少年は両肩を男二人に押さえつけられて怯えながらも、キッとこちらを睥睨してくる。

 ―――――それはまちがいなく、自分の知るゲームの主人公だった。


× × ×



 ―――――双葉咲学園アカイイトというゲームがある。

 双葉咲学園という男子校に入学した新山りのるという少年が、トラブルに巻き込まれながらも学校の生徒と愛を紡ぐBLゲームだ。

 発売当時はとりたてて大きな話題には発展しなかったものの、自由度の高いシステムや個性豊かなメインキャラ、丁寧緻密な作画、その衝撃的なストーリー内容が高い支持を得ることとなる。

 その後は根強いファンに支えられて、発売から2年後に漫画化、数年後には続編の製作決定という快挙を成し遂げた。

 そして自分、森山歩香も、熱狂的なファンの一人であったのだが。


× × ×


「えっ?」

 思わず絶句した自分に、ショックを受けて話せないのだと勘違いしたのか、男たちはさらに少年を締め付ける力を強めた。

「この野郎、まさかこの方に手を出すまでイカれてやがってたとはな!」

「絶対に許さねえ!この人に逆らったことを一生後悔させてやるぜ!!」

 男たちに押さえつけられて、りのるとそっくりの少年は苦しそうに息を詰まらせる。

「どうしてこんなことを…君たちが最初に手を出したんじゃないか…!」

 大きな瞳いっぱいに涙を溜めながら、りのるに似た少年は力なく首を振る。傷だらけの顔を歪ませて、ガックリとうなだれた。

 そんな空気とは裏腹に、私は自分が静かに興奮していることを感じていた。

 間違いない。

 その言葉もこのシーンもこの現状も、全て、ゲームの中であったシチュエーションだ。

 まさか、そんなことはありえないと思ったが、猛烈に痛むほおが、これが夢ではないことを告げていて。

 …どうやらここは、本当にゲームの中らしい。

 確証なんてないに等しいが、混乱する頭を諌めるには、そう説明づけるしかなかった。

「…いい」

 ならば、今自分がやるべき事は一つしかない。

「はい?」
 自分の言葉を聞き取れなかったらしく、男の一人が聞き返してくる。りのる似の少年の肩がびくりと跳ねた。

 すっと手を挙げ、男たちに向かって一振りする。

「もう…いい。気が変わった。行くぞ、お前ら」

「はあ!?何をおっしゃってるんですか、この野郎は…!」

 慌てて別の男が言い寄るが、じっと睨むことで黙らせる。

 殺気だつ男たちを制しながら、自分は頭の中で必死にゲームの大筋を辿っていた。

 …確かゲーム内容では、ここが主人公にとって一番最初の運命の分かれ道になるはずだ。

 そしてプレイヤーにとっては、決して避けることの出来ない出来事。

 この事件によって、今後の主人公の学園生活が大きく変わってしまうのだ。

 なら、それを捻じ曲げずして何とする。むしろ、これはチャンスでは無いのだろうか。

 男たちが困惑する中、自分はりのるに向かってひらひらと手を振った。

「そいつを離してやれと言ってるんだ。放っておけ」

 全員の目が丸くなる。今すぐにでもりのるに謝りたかったが、ここで下手にしもてに出れば、逆に勘繰られてしまうかもしれない。そう判断した自分はそれ以上の介入はせず、踵を返して歩き始めた。

「ええ!?」
「ちょっ、どこ行くんすか!?」

 男達は驚きながらも、しかし、少年を手から離す気配が背中越しにわかった。慌てて先を行く自分に追いついてくる。その中で、男の一人が物申したげに自分に詰め寄ってきた。

「またなんでそんな訳の分からない事を言い出すんです。なにか別の考えがあるんですか!?」

 他の男達も賛同とばかりに大きく頷く。
 
「いや、もう良いんだ。悪かったな、お前らも。巻き込んだ」
 
 しかし、そう謝った自分に毒気を抜かれたらしい。

 男達は不服そうな顔をしながらも「…分かりました」と俯いた。

 その言葉にホッと安心する。ひとまず、これで最悪の事態は回避した、と。

 死ぬほど痛いほおをさすりながら、カッコ良く歩いていたが、自分は不意にその足を止めた。

「あの…そういえば自分の家、何処だっけ?」

「はい?」
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