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その四十二

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 ※※※

「……」「よおっす悠斗」

「……おーい、起きてるかあ~?」「ほあわ! ゆ、雄介かよ! いるならいるって言えよ」

「いや挨拶したぞ」「マジか」

 マジだ、と言いながら、おもむろに俺の前の席に、机を挟んで対面に座る。そこは雄介の席ではない、クラスメイトの席だけど、まあ始業の時間じゃないから今はまだ大丈夫。で、雄介は俺の頬をペチペチ叩いてきやがった。

「痛いなあ、何だよ」「何ぼーっとしてんだよ?」

「はあ? 俺がぼーっとする訳無いだろ」「……自分がぼーっとしてた事さえ気づいてないんかよ」

 呆れた顔でため息つく雄介。

「お前さあ、今度の土曜の夏祭り、疋田さんと久々に会うんだろ? で、告白すんだろ?」「ちょ、お前、こんな場所でそれ言うなよ」

 そして、そんな事はどうでもいい、とか抜かす雄介。どうでもいいわけ無いだろ? 他のクラスメイトに告白する、とか聞かれたらどうすんだよ? 恥ずかしいだろ? せめて二人の時に言ってくれよ。

「なのに、なんでそんな冴えない顔してんだよ?」「へ?」冴えない顔? 俺が?

「そんな顔してたか?」「おう。明らかにな。もしかして、学校休みになるのが残念なのか?」

「そんなわけ! ……」そこでハッとする俺。そうか、もしかして……。

「柊さんの事考えてたりして」「!」今度は雄介の言葉にビクっとなる。「い、いや。朝、柊さん泣いてたし、気になったんだよ」

 ふーん、とニヤニヤしながら俺を見る雄介。本当の話だぞ?

「それが理由じゃないだろ?」「……なんで確信めいた言い方するんだよ?」

「お前の様子見てたらなあ。ま、でも、今度の土曜の夏祭りもあるし、決めるのはお前だし、あんま迷わすような事言わないでおくわ」何だか納得したような顔で席を立つ雄介。その、分かってるぞ? みたいな顔はなんだよ?

 そこで始業のチャイムが鳴ったのもあって、俺は一旦考えるのをやめた。でも、以前とは違い気になっているのは、本音だったりする。

 ※※※

「はあ……情けないなあ」「体調はどう?」

「あ、はい。もう大丈夫かと」「まあ、柊さんがここに来るなんて珍しいし、もうちょっとゆっくりしていっていいからね」

 と、保健の先生はニッコリしながら、ベッドに座る私に麦茶を差し出してくれた。始業には間に合ったものの、あれから私の気分がそうとう落ちてしまっていて、綾邊さんから話を聞いた明歩が、「今日でガッコ終わりなんだし、今日くらいゆっくりしときな」と、半ば強引に保健室に連れてきた。

 今日も暑いから熱中症を疑われたけど、私が少し寝れば大丈夫です、と保健の先生に伝え、一応体温計って少し休んでいきなさい、と言われたので、その言葉に甘えて、さっきまでベッドに横になってたんだけど。

「じゃあ私はちょっと席を外すから。元気になったら勝手にクラスに戻ってくれていいから」「はい。ありがとうございます」

 そう言って保健の先生はガララと保健室のドアを開け出ていった。……部屋、鍵閉めないんだ。まあこの時間、皆授業中で誰か来る可能性低いからいいのかな? 一応、呼び出しブザーは置いてあるけど。

 まあ、単位ももう問題ないし、今日の学校は午前で終わりだし、更に私って高校生になってから病気や怪我をした事がなかったから、実は一度も保健室に来た事がなかったから、せっかくだし保健室を堪能させて貰おう、とちょっといたずら心に思ってしまったのも事実。

 保健室独特の薬品の香りを感じながら、ベッドシーツで体を包み、初めての経験を堪能している私。でもそれもすぐに飽きてしまう。自分一人しかいないし、ぼーっと何となくあれこれ考える。

 まさか、朝の嫌われ演技の際、武智君を見て泣いてしまうとは……。不覚だ。今までの演技が、今朝の事で全部台無しになるところだった。綾邊さんがいて本当に助かった。でも、その演技も今日で終わり。二学期からはもうそれはない。

 ……そうだ。二学期は文化祭があるんだ。一年二年の時は、皆変に遠慮して余り私に協力を求めなかった。だからいたたまれなくなって先に失礼した事もあったな。私から声をかけても避けられたし。出来る限り手伝ったつもりだけど。でも、三年生の今は明歩や綾邊さんがいる。だからきっと、一年二年の時とは違い、積極的に参加出来ただろうな。

 それからすぐに体育祭。文化祭終わってすぐで、一、二年の頃慌ただしかったのを覚えている。体育祭も三年生の今なら、きっともっと前向きに頑張れるだろうな。

 それからクリスマスになって年越しして、二月にはバレンタインがあって……。そして卒業。

「……グス」アハハ。やっぱり泣けてきちゃった。保健の先生が戻ってきても怪しまれないよう、何とかシーツで顔を隠す。みのむしみたいにベットシーツに完全に体全部を包ませる私。

「ヒック、ヒック」考えてしまったから止まらなくなってしまった。武智君と一緒に文化祭の出し物を見て回れたなら、体育祭で武智君が走る姿を見れたなら、クリスマス、プレゼント交換出来たなら、バレンタイン、チョコを渡す事が出来たなら……。

「ウグ、ヒック、グズ」卒業式。仲良くなった明歩や綾邊さん、そして武智君と共に、卒業証書の入った丸筒を抱え、校門前で一緒に写真撮ったり、将来に向けて語り合ったり。

 武智君……。もし、もし、もっと一緒に入れたなら……。もし、もっと一緒に何処かに行けたなら……。

「グス……グス……ヒック、ヒック。武智君……。ごめんなさい」

 ※※※

「はいもしもし」『今日はどうでした?』

「ええ。いつも通りでしたよ」……まあ、本当はいつも通りじゃなかった。柊の奴、武智を見つめ泣いてたようだしな。ファンクラブの連中も気づいてたようだ。でもまあ、今日でお役御免。ファンクラブの連中も同じだって言ってた。だからどうでもいい。金は振り込んで貰ってるし。

『そう。長い間ご協力ありがとうございます。お疲れ様でした』「いえいえ。こちらこそ」

 そして電話を切る俺。まあこれで、恩田さんとの関係は終わりだ。まあ、しがない公務員の俺が、あれだけのビッグネームと直接やり取り出来たってだけでも、価値はあったかもな。

 そんな事を考えながらスマホをポケットに直そうとした際、時計を見て、まだ生徒指導室に戻る時間でもないなあ、と思った時、ハッと思いついた。

 そうだ。生徒指導室行く前に保健室行くか。あの先生、飲みに誘おうって前から思ってたんだよな。保健室の先生は艶っぽい未婚の女。俺も同じく未婚だし、金はある。

 そしてやや緊張しながら保健室に向かうと、何やら嗚咽した声が聞こえてきた。保健室の先生が泣いてんのか?怪訝に思いながら一応ドンドン、とノックする。

「失礼します」と言って早速机を見るが、保健室の先生いないな? その時ガサっとベッドの方から衣擦れの音が聞こえた。

「誰か居るのか?」気になったのでベッドの方へ向かい、覆い隠されているカーテンをシャッと開けると、そこには怯えるように縮こまってベッドシーツに包まって、ベッドの隅の方に座っている柊がいた。

「柊? お前……」「き、清田先生? どうしてここへ?」

 どうしてここへ? と聞かれて答えに窮する俺。そりゃそうだ。保健の先生飲みに誘いに来たなんて言えるわけない。

「そういうお前こそ、えらく泣いてたみたいじゃないか」「!」質問には答えず、柊が泣いてた事を突っ込んでみる。目が真っ赤で明らかに大泣きしてたのが見て取れるしな。

「それは……」と言葉に詰まる柊。……へえ。さすがK市内一と言われる超絶美少女。いつものキツイ感じとは違い、こんなおとなしい雰囲気だと、何だか儚げで余計可愛く見えるな。

 女子高生とは言え、こんないい女なら、男なら邪な考えが浮かんでも仕方ないよな? 俺はおもむろに、今柊がいるベッドに座る。顔小せえなこいつ。その怯えた表情。良いねえ。そそるねえ。

 こいつはやっぱり綺麗過ぎる。そんじょそこらの女とは段違いだ。まあだから芸能界みたいな、俺ら下々の人間には到底関わる事のない世界に行くんだろうけど。

 つい、柊の顎をクイ、と上げる。「!」それを避けるかのように柊は更にベッドの隅に逃げる。こいつ、朝の雰囲気とは違って、えらく女らしいじゃねえか。庇護欲をそそるその表情、ヤバいな。

 生徒とは言え、芸能界入りする程の超絶美少女。丁度スマホもあるし、やりようによっちゃ脅す事も可能だ。こいつはある意味魔性だ。男を惑わせる。そう、俺は悪くない。こいつが綺麗過ぎるのがいけないんだ。

 だから、俺は自身の雄の本能、欲望に、素直になる事にした。
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