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その百二十一

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 ※※※

 ひとしきり柊さんが泣いて落ち着いた後、母さんがお茶のおかわりを準備し始める。その間俺は席を立ち柊さんのお母さんに場所を譲った。それから柊さんは柊さんのお母さんに甘えるような感じでずっと手を握りつつ、肩に頭を置いてる。柊さんのお母さんもそれを優しい眼差しで見ていた。

 良かった。とりあえず柊さんのお母さんとは仲直りできたっぽい。その微笑ましい様子を見て俺も何だか嬉しくなる。

「……ここに来て良かった。こうやって美久の気持ちを理解する事ができたし」「それは良かったわ。ね? 父さん」

 柊さんのお母さんがそう言いながら、優しく柊さんの頭を撫でる。それを聞いた母さんもどこか嬉しそうだ。

「そうだな。俺も正直他人さんのご家族の事に口出しするのはどうかと思ってたんだけどね。そんな柊さんを見てたら放っておけなくてね。本当良かったよ」

 父さんもどこかホッとした表情。俺も何だか嬉しくなる。そこで、ずっと複雑な表情で黙ったまま様子を見てた恩田社長に、母さんが突如声をかけた。 

「さて恩田。どうする?」「……え? ど、どうする、とは?」

「柊さんのスマホよ。返してもいいでしょ?」「え? そ、それは、その……」

 成る程。柊さんのスマホの件か。確かに返して貰わないとな。この機会に。

「なぁに? まだ問題あるわけ? 恩田の偏った考えのせいで柊さんは迷惑を被った。しかも津曲の、お前を慕っていたという気持ちを利用して。そして今回、柊さんが逃げ出した事を考えたら、スマホを取り上げたからと言って何も解決しない、寧ろ逆らってしまうって分かったでしょ?」

「そ、それはそうですが……」

「それに、うちの息子と無理やり引き離そうとしても無駄だって事も理解したんじゃない? この二人、恩田が思ってる以上にお互い惹かれ合ってるのは私から見てもよく分かるし。そんな二人を強引に引き裂こうとすればするほど、より反発されるのはいくら偏った恋愛観を持った恩田でも理解できるでしょ?」

「偏った恋愛観って……。で、ですが……、美久とご子息はまだ……」

「……たかが高校生の淡い恋心がどうのこうの、とかまだ抜かすのか? お前は」「……」

 ドスのきいたやや低めの声で、母さんがそう言うと、恩田社長は歯向かえないので黙ってしまう。

「あのねぇ。さっきも言ったけど私とマサ君も高校生の頃からの付き合いで結婚してるわよね? 恋愛に年齢は関係ないじゃない。しかも高校生って自我も芽生えて自分の気持ちをはっきり持ってる子が多いと思うわよ? 多感な時期でもあるから一概には言えないだろうけど。でも、うちの悠斗と柊さんに限って言えば、この二人はしっかり自分の考えを持って、良い恋愛してるんじゃない?」

 俺と柊さんとの事、かなり惹かれ合ってるとか、良い恋愛してるとか、歯が浮く言葉を母さんが言うたび、恥ずかしくなる。ふと、柊さんのお母さんの横にいる柊さんに目を向けると、ちょうど同じタイミングで俺を見てたみたいで、ハッとして顔を下に背けた。あ、顔真っ赤になってる。やっぱ俺同様、柊さんも恥ずかしかったみたいだな。

「ついで、恩田の過去の悪行も暴露され、それが理由で恩田がおかしな考えを持って引き裂こうとしてたのもバレちゃったんだし、これ以上あれこれ言い訳して抗う方が、一人の大人としてどうかと思うけど?」「……」

 母さんがそう言うと、恩田社長は反論できないようでがっくりうなだれた。俺と柊さんに対する母さんの評価はともかくとして、傍で聞いてても母さんの言う通りだと思うしなあ。

 少しして、どこか諦めたような表情をした恩田社長が顔を上げ話し出す。

「……分かりました。スマホは返します。ですがその、……ご子息とお付き合いしているのは、あの……、やはり問題が。美久は新人女優ですから、やっぱりスキャンダルは出来るだけ避けたいので……」

「何それ? これだけ言われてもまた引き裂こうとか考えてるの?」

「い、いや。もうそういう気持ちはないのですが……」と、どこか言いにくそうに言葉を濁す恩田社長。やはり俺と柊さんとの関係については気持ちがくすぶってるんだな。

 まあでもそこは理解できなくもないかな? 俺と連絡つくようになって、そして頻繁に俺と会うようになって、柊さんの行動を付け狙うパパラッチとかに写真撮られて、週刊誌とかに掲載されたら問題だろうし。

 でもだからといって、連絡手段まで取り上げられるってのはやっぱり可哀想だよ。俺以外に安川さんとも連絡したいだろうし。

 と言うか恩田社長、例のヒロ君の件の時、安川さんと雄介のスマホで、俺と柊さんとの交際を認めるって喋って、それを録音されてるんだよなあ。まあだからこそ余計に、スマホ取り上げて連絡手段断って、俺と柊さんが自然消滅するのを狙ったんだろうけど。

「でも、恩田がスマホ取り上げた事で、柊さん、心の拠り所が無くなって余裕が無くなったのも事実じゃない。寧ろそうやって連絡手段取り上げちゃったから、今回みたいにウチに来ちゃったんじゃないの?」「……」

 母さんがそう言うと、恩田社長は言い返せず黙ってしまった。それも母さんの言う通りだからね。それに最悪会うなと言われたとしても、電話やlineだけでも俺は我慢するよ。……メッチャ会いたくなるだろうけどさ。

 柊さんの将来の邪魔にはなりたくない。それも本心だからね。

 そこで、ずっと黙って二人の話を聞いてた柊さんのお母さんが、何か決意したような表情で恩田社長に声をかけた。

「……あの、恩田さん。相談があります」

 ※※※

 もう既に時間は夜十時過ぎ。さすがに遅くなったので、柊さんとそのお母さん、更に恩田社長はそろそろ帰らないといけない、と言う事でタクシーを呼んで帰る事になった。そして今、俺達家族は玄関先まで出て見送ってる。

「柊さん、またね」「うん、また。武智君のお父さん、お母さん。色々ありがとうございました」

 俺に笑顔で会釈した後、両親に向かって深々と頭を下げた柊さん。その様子を見て両親はまたおいで、とにこやかに返事した。

 その言葉に再度ありがとうございます、と答えた後、柊さんは柊さんのお母さんと仲良く腕を組み、今度は嬉しそうに顔だけ俺に笑顔を向ける。俺も笑顔でそれに応えた。

 因みに柊さんの家からウチまではそんな遠くはないから二人で歩いて帰る事にした。勿論父さんが送ろうか? と進言したけど、柊さんと柊さんのお母さん、二人きりで帰りたいんだって。じゃあそれを邪魔しちゃ悪いな、と父さんは笑って返事したんだよな。なのでタクシーは恩田社長用に一台だけ呼んでて、今家の前で待機してる。

「お世話になりました」

 柊さんに腕を組まれたまま、今度は柊さんのお母さんがこちらに向き直ってゆっくり深々と頭を下げる。それに合わせて柊さんも改めてもう一度頭を下げた。俺と父さん、そして母さんもそれに応えるよう、同じく頭を下げた。

「柊さん、スマホ返して貰えたし良かったわね」「ああ。津曲を呼んで正解だったな。どうやらようやく本当の親子になれたみたいだし」

 俺も良かったと心底思ったよ。柊さんから親との事は聞いてたから。

 そう、両親が玄関先で話しながら柊さん親子を見送ってる側で、恩田社長が茫然自失といった感じで、呼んでいたタクシーに未だ乗らず、仲良さそうに帰って行く柊さん親子をボケっと見つめてる。

「何ボーっとしてんの? 恩田もサッサと帰んなさいよ。ここにずっと居られても迷惑なんだけど。ほら、タクシーの運転手さんも困ってるでしょ」

 母さんが呆れたようにそう言うも、恩田社長はずっと動かない。

「……まさか。まさか津曲が私を裏切るなんて」

「何言ってんの? 裏切ったんじゃないわよ。のよ。本当に大事な事は何か。自分の娘に向き合ってなかったってようやく分かったって事よ。そしてそれは、恩田からの卒業、って事なのかも知れないわね」

「……あんなに懐いていた津曲が」

「ま、恩田としては信じられないんでしょうね。というか、多分お前には分からないわよ。あんな偏った恋して、それから一切恋愛せずにそのまま大人になってしまってるみたいだからね。結婚して子どもでもいれば多少は理解出来たかも知れないけれど」

 柊さんのお母さんから、恩田社長への相談。それは、、という事だった。しかも、今回の映画の主演さえ断りたい、と。

 俺は柊さんから、いつかは芸能界を辞めるって聞いてたけど、まさかそれが柊さんのお母さんから出てくるとは思わず驚いてしまう。それは柊さんも同じで、物凄くびっくりした顔してた。

 まあ、一番呆気に取られてたのは恩田社長だけど。

 そりゃまあこれまでずっと、約三年くらい社長自らずっと柊さんの面倒見てて、しかもそもそも柊さんのお母さんからの依頼で柊さんの面倒見てたのに、その依頼された人からそう言われたんだからなあ。

 でも今回、俺の両親から話を聞いて自分の間違いに気づき、今後は柊さんのために尽くしたい、と思ったらしい。映画の話を断った分の償いはする、いくらでもお金はかかってもいいから、と言いながら、恩田社長に土下座しながら。

 因みに今回の映画の主演まで断ったのは、もし映画がヒットしてしまったら、それこそ芸能界を引退しづらくなるだろうとの懸念からだ。柊さんには本当にやりたい事をさせたい、そしてそれはきっと、芸能界ではない、と言いながら。

 そんな柊さんのお母さんの言葉にびっくりしてた柊さんだけど、柊さんもお願いします、と同様に土下座したんだよな。それには俺と両親も驚いたけど。でもその柊さんの態度で、柊さん自身も本当は今すぐにでも芸能界を辞めたかったって事が分かった。

 当然恩田社長は、そんなの許されない、どれだけ苦労したと思ってるの、映画の主演を獲るためどれだけこっちが尽力したか分かってるの? 写真集の売上も好調なのに、これからだと言うのに、と、俺達がいるにも拘らず、立ち上がって机を思い切り叩き、激昂して柊さんのお母さんを怒鳴りつけた。さっきまで両親目の前にして大人しかったのに。それくらい許されないと思ったんだろう。

 だけど、柊さんのお母さんも一歩も引かず、土下座しながらじっと恩田社長の目を見つめ、この子が幸せになるために尽くしたい、この子が今無理やり芸能界に入っても幸せになれるとは思えない、と返したところで、気絶するように恩田社長が椅子にストン、と座りこんで放心状態になっちゃった。

 そこで俺が確認したくて「柊さんは映画出演のために頑張ってたけど、それでいいの?」って聞いてみたら「お母さんがそう言うならそうする。本当は芸能界になんか興味なかった」と、そこで初めて本音を言った柊さん。

 それを聞いた恩田社長が、追い打ちをかけられたかのように、明らかにショックを受けた顔してた。まるで生気が抜けたような死んだ目で柊さんを見てたのは、未だに印象に残ってる。まさか柊さんがそんな風に思ってたなんて知らなかった、意外だ、といった感じで。裏切られた、とも思ってたかもしれない。

 そして恩田社長が少し経って放心状態から回復したところで、好きになさい、と無造作に持ってたカバンから柊さんのスマホを机に放り投げた。持って来てた事にちょっと驚いたけど、柊さんはそれを受け取り嬉しそうな顔をしてたのも印象的だった。

 そこでもう時間も遅いからってんでお開き。

 でも帰りがけ、柊さんのお母さんが俺に「さっきはごめんなさいね。そしてこれからも美久を支えてあげてね」と耳打ちしてきた。俺はちょっと照れながら、勿論です、と答えた。

 ……これって、親も公認って事でいいんだよな? 実は俺と柊さんとの交際について母さんが話してたのに、柊さんのお母さんはそれについて何も言わなかったのが少し気になってたんだよな。

 俺がさっきの事を思い出してると、母さんがずっと開いてるタクシーのドアへと、無理やり恩田社長を引っ張って連れて行く。それでも恩田社長はずっと表情が変わらない。よほどショックだったんだろうなあ。まあ分からなくはないけど。ま、自業自得だけどね。

 とりあえず今は、恩田社長から柊さんがスマホ返して貰えた事で、俺も柊さんと連絡を取り合えるようになった事が嬉しい。そうだ安川さんにも伝えておかないと。

 ようやくタクシーに乗り込んだ恩田社長を見送った俺達は、全員やれやれ、といった表情で家に戻った。

「しかし今日は色々あったなあ」「本当ね。あ、父さん。これから晩酌する? もう遅いけど。それなら付き合うわよ」

「そうか? じゃあ少しだけ付き合ってもらうか」

 嬉しそうに答える父さんに、了解、と笑顔で返す母さん。こう見てみると結構仲いい夫婦だな。

「……父さん、母さん。きょうはありがとう」

「あら。珍しいわね。こんな素直な悠斗」「ハハハ! たまには息子に感謝されるのもいいもんだな」

「な、なんだよ! 本気で感謝したのにさ」

「分かってるよ。ま、どうやら悠斗と柊さんにとっていい結果になったみたいで、父さんもホッとしてるよ」

 そう言いながらガシガシと俺の頭を撫でる父さん。……もうちょっと優しくしてくれよな。

 そんな俺と父さんの様子を微笑みながら見つつ、母さんは晩酌の用意をしに先にリビングの中に入ってい
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