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第六話 張石という男
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風の涼しい夜であった。虫の音と、鳥の声だけが、辺りに響いている。
その晩、何時まで経っても田管が現れないので、呉同一味は業を煮やしていた。
「あいつ、まだか。遅いな」
呉同は、誰が見ても苛立っていることが明らかであった。寝台に腰掛けながら、足で床を繁く踏み叩いている。
「おい、牛童、ちょっと見に行ってこい」
呉同の指示で、牛童という男が、田管の屋敷へ向かうために戸を開けて外へ出た。戸が開くと、外の風が急に吹き込んできて、中の男たちは身震いした。
「あれはちょっとやりすぎちまったか……まぁ奴が逆らうってんなら見せしめにお仲間の首でも見せてやってもいいがよ……」
そのようなことを、呉同は考えていた。彼が従わないというのであれば、呉同としては相応のことをするまでである。そうしている内に、牛童が走って戻ってきた。
「い、いません……奴が逃げました!」
「何だと!」
呉同の顔には、すぐに怒色が浮かんだ。
「探せ! すぐに連れ戻すのだ!」
口角泡を飛ばす呉同に、いささか怯えた顔をした部下の男たちは、一斉に外に出た。
田管は、孟桃に銭を渡して、こっそり武器を買い集めさせていた。その武器の保管場所は隠しておき、その上で寿延に移送されていた田管の部下十数名とも連絡を取り、共に脱出する手はずを密かに整えていたのである。
呉同の部下が捜索に散った時、すでに田管と部下たちは武器を取り、夜闇に紛れ、城外に脱出した後であった。田管は今まで呉子明軍に対して叛意を全く見せなかったため、彼に対する警戒も緩みきっており、それが脱走を容易にさせたのである。
逃げながら、田管は協力してくれた孟桃のことを考えていた。残してきた孟桃のことを思うと、胸が痛む。温順な人柄の彼女は、きっと誰からも好かれよう。彼女の想いを向けられておきながら、その手を振り切って逃げだしたのである。何とも酷薄な男ではないか。田管は自嘲せざるを得なかった。もし彼女ともう一度会うことがあれば、その時は返礼を尽くしたいと思うが、さりとて寿延に戻ることはできない。
一行は南に進み、途中の土地で情報を集めることにした。欲していた情報は、主に中部地域の平定に当たっている反乱軍、つまり張石なる男の率いる軍についてである。
張石率いる軍は、破竹の快進撃を続けているようであった。新虞という都市を降伏させ無血開城させた張石軍は、今月中にも梁の古都である成梁に迫ろうという勢いである。
「張石軍に合流しよう」
暫く居袁に滞在した後、田管はとうとう意を決した。元より自分は、幼少期より馬上で弓を引くことで身を立てた、戦うしか能のない男である。梁国を再建してくれるであろう者のために、その力を振るいたいと思っている。今は呉子明が梁王を名乗っているが、呉子明の如き男に、梁王という号はあまりにも過ぎたものである。少なくとも田管は、呉子明のことを「偽の梁王に過ぎない」と断じていた。
一行の中に異を唱える者はなかった。部下たちの中には、確かにこの若い将帥に対する信頼が存在しているのである。普も、魯王も、にせ梁王も、おしなべて背を預けるに足る存在でないことは、田管でなくとも肌で感じ取れることであった。
田管の一行には、何人か梁国人がいる。彼らは梁国の旧領の地理に明るく、それ故に道にはさして困らなかった。
反乱軍二十万を率いる張石は、成梁の東の涼東という都市に駐屯していた。普の役人たちは、すでに逃亡した後とあって、城壁の内部は閑散としている。張石はそこで補給を行い、兵を休ませていた。
面長で、艶のある立派な髭を蓄えた男、張石は、城壁の上に立ち、西の方角を眺めていた。その視線の先には、成梁の城壁が見える。
「あれが我が梁国の国都か……」
張石の幼少期には、まだ梁という国が、この中原の中央に存在していた。それが普によって滅ぼされたのは、彼が十六の頃である。多感な少年時代に、この男は自らの拠り所となる国を失ったのだ。国を失うと同時に、権門であった彼の家も没落の憂き目に遭った。
その後、元々文官を志していた彼は、普の世の中になると、県に属する行政官職を得た。そこでの仕事ぶりは至極真面目かつ有能でもあったが、出世の芽はなく、そのまま小役人として一生を終えるかに思われた。普の天下にあっても、すでにない梁国への想いは、捨て去ることができなかった。
やがて、宋商の反乱が起こった。張石はこれを、梁復興の絶好の機会であると捉えたのであり、自身を慕う者たちと共に反乱軍に加勢した。彼は元々文官であったが兵をよく取りまとめたことから宋商に信任され、大軍を預かって中部地域の平定に向かうこととなった。そうして、西進しながら数々の城を占領下に加え、今はもう成梁を陥落せしめようとする所まで来ている。
張石は、自分の手で梁国を再び中原に建てようという野心を抱いている。であるから、呉子明が梁王を名乗ったことは、大いに腹立たしかった。しかし、だからとて、表立って彼と敵対しようとはしなかった。今は普の支配から人々を解放するのが最優先であり、それまでは共に手を取り合って普と戦わなければならない。普を滅してから改めて対峙しても、決して遅くはない。そう思案しているのである。
その晩、何時まで経っても田管が現れないので、呉同一味は業を煮やしていた。
「あいつ、まだか。遅いな」
呉同は、誰が見ても苛立っていることが明らかであった。寝台に腰掛けながら、足で床を繁く踏み叩いている。
「おい、牛童、ちょっと見に行ってこい」
呉同の指示で、牛童という男が、田管の屋敷へ向かうために戸を開けて外へ出た。戸が開くと、外の風が急に吹き込んできて、中の男たちは身震いした。
「あれはちょっとやりすぎちまったか……まぁ奴が逆らうってんなら見せしめにお仲間の首でも見せてやってもいいがよ……」
そのようなことを、呉同は考えていた。彼が従わないというのであれば、呉同としては相応のことをするまでである。そうしている内に、牛童が走って戻ってきた。
「い、いません……奴が逃げました!」
「何だと!」
呉同の顔には、すぐに怒色が浮かんだ。
「探せ! すぐに連れ戻すのだ!」
口角泡を飛ばす呉同に、いささか怯えた顔をした部下の男たちは、一斉に外に出た。
田管は、孟桃に銭を渡して、こっそり武器を買い集めさせていた。その武器の保管場所は隠しておき、その上で寿延に移送されていた田管の部下十数名とも連絡を取り、共に脱出する手はずを密かに整えていたのである。
呉同の部下が捜索に散った時、すでに田管と部下たちは武器を取り、夜闇に紛れ、城外に脱出した後であった。田管は今まで呉子明軍に対して叛意を全く見せなかったため、彼に対する警戒も緩みきっており、それが脱走を容易にさせたのである。
逃げながら、田管は協力してくれた孟桃のことを考えていた。残してきた孟桃のことを思うと、胸が痛む。温順な人柄の彼女は、きっと誰からも好かれよう。彼女の想いを向けられておきながら、その手を振り切って逃げだしたのである。何とも酷薄な男ではないか。田管は自嘲せざるを得なかった。もし彼女ともう一度会うことがあれば、その時は返礼を尽くしたいと思うが、さりとて寿延に戻ることはできない。
一行は南に進み、途中の土地で情報を集めることにした。欲していた情報は、主に中部地域の平定に当たっている反乱軍、つまり張石なる男の率いる軍についてである。
張石率いる軍は、破竹の快進撃を続けているようであった。新虞という都市を降伏させ無血開城させた張石軍は、今月中にも梁の古都である成梁に迫ろうという勢いである。
「張石軍に合流しよう」
暫く居袁に滞在した後、田管はとうとう意を決した。元より自分は、幼少期より馬上で弓を引くことで身を立てた、戦うしか能のない男である。梁国を再建してくれるであろう者のために、その力を振るいたいと思っている。今は呉子明が梁王を名乗っているが、呉子明の如き男に、梁王という号はあまりにも過ぎたものである。少なくとも田管は、呉子明のことを「偽の梁王に過ぎない」と断じていた。
一行の中に異を唱える者はなかった。部下たちの中には、確かにこの若い将帥に対する信頼が存在しているのである。普も、魯王も、にせ梁王も、おしなべて背を預けるに足る存在でないことは、田管でなくとも肌で感じ取れることであった。
田管の一行には、何人か梁国人がいる。彼らは梁国の旧領の地理に明るく、それ故に道にはさして困らなかった。
反乱軍二十万を率いる張石は、成梁の東の涼東という都市に駐屯していた。普の役人たちは、すでに逃亡した後とあって、城壁の内部は閑散としている。張石はそこで補給を行い、兵を休ませていた。
面長で、艶のある立派な髭を蓄えた男、張石は、城壁の上に立ち、西の方角を眺めていた。その視線の先には、成梁の城壁が見える。
「あれが我が梁国の国都か……」
張石の幼少期には、まだ梁という国が、この中原の中央に存在していた。それが普によって滅ぼされたのは、彼が十六の頃である。多感な少年時代に、この男は自らの拠り所となる国を失ったのだ。国を失うと同時に、権門であった彼の家も没落の憂き目に遭った。
その後、元々文官を志していた彼は、普の世の中になると、県に属する行政官職を得た。そこでの仕事ぶりは至極真面目かつ有能でもあったが、出世の芽はなく、そのまま小役人として一生を終えるかに思われた。普の天下にあっても、すでにない梁国への想いは、捨て去ることができなかった。
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張石は、自分の手で梁国を再び中原に建てようという野心を抱いている。であるから、呉子明が梁王を名乗ったことは、大いに腹立たしかった。しかし、だからとて、表立って彼と敵対しようとはしなかった。今は普の支配から人々を解放するのが最優先であり、それまでは共に手を取り合って普と戦わなければならない。普を滅してから改めて対峙しても、決して遅くはない。そう思案しているのである。
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