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第十九話 反逆
こうして、孟錯軍三十万は、ほぼ壊滅状態に陥った。孟錯は命からがら逃げ出し、何とか戦場を離脱することはできた。しかし退いたとて、最早自分の下に軍はない。新たに兵を集めればまだ戦えなくもないが、それでも依然と同じ数を集めるのは不可能で、決戦には不足である。離脱に成功した孟錯と兵たちは北に逃れ、寿延に入城した。かつては呉子明軍が占領しており、降伏した田管の身柄が移送された場所でもある。
「いっそ、降伏してしまおうか……」
一瞬、孟錯の頭に、そのようなことが過った。だが、すぐに頭を横に振って考えを打ち消した。降伏したとて命を奪われないとは限らない。その上、彼の頭の中には、妻と三歳になる息子の姿が浮かんだのである。降伏すれば、武陽に残してきた彼らの命はないであろう。二年前に妻と離縁し、その実家に子どもたちをやってしまった公孫業は、今思えば千里眼を持っていたとさえ思わされる。
寿延の本営で、孟錯は眠りに就いた。
月が中天に昇った頃、孟錯は足音で目を覚ました。
「何だ……何かあったのか……?」
入ってきた数名の男は、無言で孟錯の方へと向かっていく。その男の内で先頭にいる者から、剣の抜く音が聞こえた。
孟錯はようやく、身の危険を悟った。
「どういうつもりだ!」
「答える義理はない! お覚悟!」
一瞬の出来事であった。白刃が振るわれ、孟錯の首は胴から離れて床に転げた。余りにも呆気ない最期であった。
下手人は、副将である司馬偃という男であった。王敖に付き従い、長年北方で騎馬民との戦いに身を投じてきた歴戦の将である。彼は検視官に賄賂を掴ませた上で、
「孟錯将軍は先の戦いにおける矢傷が元で頓死なされた。これよりは我が指揮を執る」
と号令し、全軍に通達した。これによって、司馬偃は軍権を一手に担ったのである。
司馬偃はすぐさま領内から徴兵し、敗残兵をまとめて兵五万を手元に召集した。それでも、いざとなれば二十万以上の兵力を動員できるであろう張石軍に対して、この数では心許ない。かつての田管のように遅滞戦術ぐらいは行えようが、張石軍自体を殲滅しなければどうしようもない。だが、この男、司馬偃には必勝の策があった。そうでなければ、孟錯を排除して軍権を強奪するなどという暴挙に出るはずもない。勿論、長年王敖の傍らにあったこの男の胸中には孟錯個人への不満も当然あった。だがそれ以上に、この状況を打開できるのは、自分だけだという自負も持っていたのである。
張石軍は、今までの防御策から一転、大軍を北上させて一気に攻め寄せた。本国から援軍を寄越される前に、速攻で勝負を決めるつもりなのである。今まで防御に徹していたお陰で兵を休ませることができたのも、張石軍に有利に働いた。
これに対して、司馬偃は五万の兵をすぐに全力でぶつけることはしなかった。彼らは小競り合いを繰り返しながら少しずつ西へ後退し、張石軍を引き込んでいった。その過程で、途中にある都市の城壁を破壊して市街地に火をつけ、周辺の村落にも放火し焼き尽くしていった。世に言う焦土作戦である。
張石軍にとって、こういった敵の出方は二重の意味で苦しいものであった。元々、焦土作戦というのは敵方に拠点や食糧などを与えないようにするためのものである。すでに補給線が伸びている張石軍にとってこれは手痛い。それに加えて、梁の復興を目指す張石にとって、梁の旧領を徹底的に破壊するこのような行いは、実に歯痒く苦々しいものであった。
張石はもう一度、魯に向けて使者を送った。援軍を要請し、二方向から叩いて一気に攻め潰そうとしたのである。だが、使者が持ち帰ってきたのは、またしても援軍の約束ではなかった。
宋商から全権を奪った呉子明は、酒に溺れ、女に現を抜かし、すっかり戦いの意志をなくしている。持ち帰ってきたのはそういった情報であった。その報は、張石を大いに落胆させた。
「普の帝室と戦う気がないのであれば、梁王の位など捨ててしまえ」
陣中で、張石はそう毒づいた。その細長い顔は赤くなっており、この大将の憤激をそのまま表出させている。普段は穏やかな張石の怒り様に、幕僚たちは恐れを抱いた。
しかし、怒ったとて、状況は全く好転しない。全くの手詰まりである。
「私に策があります」
軍議で口を開いたのは、田管であった。意外な人物の発言に、その場の幕僚たち全員が目を丸くして彼の麗しい顔を覗き込んだ。
田管は、必要に応じて情報を提供することはあったが、自ら進んで軍略に口を出すことはしなかった。あくまで与えられた任務に沿って戦うのみの男である。それ故に、彼の口からどのような発言が飛び出すのか、その場の者全員が期待を抱いていた。
「まず軍船を用意しましょう。できますか?」
「ほう、それは可能であるが……」
「それならば……」
田管は、自分の考えを全て話した。途端に、幕僚たちがざわつき始める。
「そのようなことが可能なのか?」
幕僚の一人、董籍が問うた。田管の策の実現性を疑問視しているようだ。
「できます。我々の騎兵隊なら」
それに答える田管の声には、自信が籠っていた。
「いっそ、降伏してしまおうか……」
一瞬、孟錯の頭に、そのようなことが過った。だが、すぐに頭を横に振って考えを打ち消した。降伏したとて命を奪われないとは限らない。その上、彼の頭の中には、妻と三歳になる息子の姿が浮かんだのである。降伏すれば、武陽に残してきた彼らの命はないであろう。二年前に妻と離縁し、その実家に子どもたちをやってしまった公孫業は、今思えば千里眼を持っていたとさえ思わされる。
寿延の本営で、孟錯は眠りに就いた。
月が中天に昇った頃、孟錯は足音で目を覚ました。
「何だ……何かあったのか……?」
入ってきた数名の男は、無言で孟錯の方へと向かっていく。その男の内で先頭にいる者から、剣の抜く音が聞こえた。
孟錯はようやく、身の危険を悟った。
「どういうつもりだ!」
「答える義理はない! お覚悟!」
一瞬の出来事であった。白刃が振るわれ、孟錯の首は胴から離れて床に転げた。余りにも呆気ない最期であった。
下手人は、副将である司馬偃という男であった。王敖に付き従い、長年北方で騎馬民との戦いに身を投じてきた歴戦の将である。彼は検視官に賄賂を掴ませた上で、
「孟錯将軍は先の戦いにおける矢傷が元で頓死なされた。これよりは我が指揮を執る」
と号令し、全軍に通達した。これによって、司馬偃は軍権を一手に担ったのである。
司馬偃はすぐさま領内から徴兵し、敗残兵をまとめて兵五万を手元に召集した。それでも、いざとなれば二十万以上の兵力を動員できるであろう張石軍に対して、この数では心許ない。かつての田管のように遅滞戦術ぐらいは行えようが、張石軍自体を殲滅しなければどうしようもない。だが、この男、司馬偃には必勝の策があった。そうでなければ、孟錯を排除して軍権を強奪するなどという暴挙に出るはずもない。勿論、長年王敖の傍らにあったこの男の胸中には孟錯個人への不満も当然あった。だがそれ以上に、この状況を打開できるのは、自分だけだという自負も持っていたのである。
張石軍は、今までの防御策から一転、大軍を北上させて一気に攻め寄せた。本国から援軍を寄越される前に、速攻で勝負を決めるつもりなのである。今まで防御に徹していたお陰で兵を休ませることができたのも、張石軍に有利に働いた。
これに対して、司馬偃は五万の兵をすぐに全力でぶつけることはしなかった。彼らは小競り合いを繰り返しながら少しずつ西へ後退し、張石軍を引き込んでいった。その過程で、途中にある都市の城壁を破壊して市街地に火をつけ、周辺の村落にも放火し焼き尽くしていった。世に言う焦土作戦である。
張石軍にとって、こういった敵の出方は二重の意味で苦しいものであった。元々、焦土作戦というのは敵方に拠点や食糧などを与えないようにするためのものである。すでに補給線が伸びている張石軍にとってこれは手痛い。それに加えて、梁の復興を目指す張石にとって、梁の旧領を徹底的に破壊するこのような行いは、実に歯痒く苦々しいものであった。
張石はもう一度、魯に向けて使者を送った。援軍を要請し、二方向から叩いて一気に攻め潰そうとしたのである。だが、使者が持ち帰ってきたのは、またしても援軍の約束ではなかった。
宋商から全権を奪った呉子明は、酒に溺れ、女に現を抜かし、すっかり戦いの意志をなくしている。持ち帰ってきたのはそういった情報であった。その報は、張石を大いに落胆させた。
「普の帝室と戦う気がないのであれば、梁王の位など捨ててしまえ」
陣中で、張石はそう毒づいた。その細長い顔は赤くなっており、この大将の憤激をそのまま表出させている。普段は穏やかな張石の怒り様に、幕僚たちは恐れを抱いた。
しかし、怒ったとて、状況は全く好転しない。全くの手詰まりである。
「私に策があります」
軍議で口を開いたのは、田管であった。意外な人物の発言に、その場の幕僚たち全員が目を丸くして彼の麗しい顔を覗き込んだ。
田管は、必要に応じて情報を提供することはあったが、自ら進んで軍略に口を出すことはしなかった。あくまで与えられた任務に沿って戦うのみの男である。それ故に、彼の口からどのような発言が飛び出すのか、その場の者全員が期待を抱いていた。
「まず軍船を用意しましょう。できますか?」
「ほう、それは可能であるが……」
「それならば……」
田管は、自分の考えを全て話した。途端に、幕僚たちがざわつき始める。
「そのようなことが可能なのか?」
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