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源
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その後も、宋は連日連夜、忘我悦楽の時を過ごした。美食に舌鼓を打ち、夜は三人の美少年が代わる代わる夜伽をした。麗は口でするのが上手く、珪は尻の具合が一番良く、嬌声の艶めかしさでは蘭が抜きん出ていた。宋はすっかり地元のことを忘れて、驕奢淫逸に酔いしれた。
けれども、ある時、ふと、妻子のことを思い出した。この良き土地を離れるのはとても惜しいが、さりとて帰りを待つ妻と一人息子を、これ以上放っておくわけにもいかない。それは人倫に悖ることである。
宋は悩んだ。悩んで悩みぬいた挙句、別れを告げることを選んだ。この土地に足を踏み入れて十二日目のことであった。
「そうですか……分かりました」
それを聞いた珪は、とても悲しそうな表情をした。その後ろにいた麗と蘭も、その秀麗な顔貌を悲嘆に沈ませている。晋の武帝司馬炎が天下より募った後宮一万の美女でも顔色を失うであろう程の美少年たちが、今にも泣かんばかりの表情を見せていることに、宋は胸が潰れる思いであったが、それでも妻子への節を守らねば、と無理矢理自分を縛った。
最後に、三人は熊の手を振舞ってくれた。熊の手はその昔、戦国時代の儒家である孟子が好んだ珍味であり、鼈同様に中々お目にかかれない高級食材である。それより更に昔、春秋の楚の成王が死に際して最後の晩餐に望んだのも熊の手であった。宋は食べながら、戚戚として涙を零した。
宋は三人に別れを告げ、元来た道を戻っていった。穴を潜り、川の水源に辿り着くと、そこにはここへ来る時に乗った船がそのままあった。宋は名残惜しそうに何度も後ろを振り返りながら、要所要所に印をつけながら船を漕いだ。
宋はようやく自らの故郷へと辿り着いた。その美しさこそ仙人の里とは比べるべくもないが、住み慣れた土地に戻ってきたことに、何処か安心感を感じていた。越鳥の南枝に巣くい胡馬の北風に依るの念が、今ならよく分かる。
宋は真っ先に妻子の元へと駆けたが、妻は帰ってきた宋を見るなり、魚一匹取らずに十日以上何処をほっつき歩いていたのかと散々に詰った。宋は妻のあんまりな言い様に青筋を立て、売り言葉に買い言葉、犬も食わぬ夫婦喧嘩に発展してしまった。妻は憤懣顔のまま家を出てしまった。宋の方も、もう二度と、妻の顔など見たくないと憤激した。
その後、宋は役所に赴き、郡の長官に里のこと――三人の美少年との交合は抜きにして――を話した。長官は直ぐさま役人を遣わして、宋と共に例の里を探させた。宋は自分の付けた目印通りに船を漕いだのだが、目的の場所にはさっぱり辿り着かない。とうとう役人も倦み始め、捜索は打ち切られてしまった。
その後、南陽の劉子驥という高潔で知られる人物が、仙人の里の話を聞きつけた。彼は好奇心の赴くままにその秘境を探検しようとして船を手配したのだが、その探検に出発する前に病を得てしまい、床に臥せったまま亡くなってしまった。
年往して、宋はすっかり年老いた。妻と離縁し、息子が無頼となって何処かへ行ってしまってからは、ずっと独り身であった。
あれから、幾度となく里のことを思い出しては、体が夜泣きしていた。未練がましく何度もあの里に戻ろうとしたが、それはついぞ叶わなかった。どんなに船を漕いでも、件の里は見つからなかったのである。妻の名を忘れた後であっても、麗、珪、蘭の三人のことは、片時も忘れなかったのであるが、再び会うことはなかった。
そうして、この哀れな宋は疾痛惨怛の内に、独り寂しくこの世を去った。享年六十一であった。
宋の話は、人から人へ、口伝いに広まった。その過程で、話は少しづつ変形していった。
折しも官職を辞し、田園に隠逸していた陶淵明が、この里の話を聞いた。後に六朝時代にこの人ありと称されるに至る名うての文人である。
淵明はこの話を元に、「桃花源記」を書き著した。それは後世において、理想郷を意味する「桃源郷」の語源となったのである。
宋が辿り着いたあの里がその後どうなっ|たのかについて、知る者は誰もなかった。けれども、桃源郷という名だけは、陶淵明の作がきっかけで独り歩きし、海内を越えて広く知られることになったのである。
けれども、ある時、ふと、妻子のことを思い出した。この良き土地を離れるのはとても惜しいが、さりとて帰りを待つ妻と一人息子を、これ以上放っておくわけにもいかない。それは人倫に悖ることである。
宋は悩んだ。悩んで悩みぬいた挙句、別れを告げることを選んだ。この土地に足を踏み入れて十二日目のことであった。
「そうですか……分かりました」
それを聞いた珪は、とても悲しそうな表情をした。その後ろにいた麗と蘭も、その秀麗な顔貌を悲嘆に沈ませている。晋の武帝司馬炎が天下より募った後宮一万の美女でも顔色を失うであろう程の美少年たちが、今にも泣かんばかりの表情を見せていることに、宋は胸が潰れる思いであったが、それでも妻子への節を守らねば、と無理矢理自分を縛った。
最後に、三人は熊の手を振舞ってくれた。熊の手はその昔、戦国時代の儒家である孟子が好んだ珍味であり、鼈同様に中々お目にかかれない高級食材である。それより更に昔、春秋の楚の成王が死に際して最後の晩餐に望んだのも熊の手であった。宋は食べながら、戚戚として涙を零した。
宋は三人に別れを告げ、元来た道を戻っていった。穴を潜り、川の水源に辿り着くと、そこにはここへ来る時に乗った船がそのままあった。宋は名残惜しそうに何度も後ろを振り返りながら、要所要所に印をつけながら船を漕いだ。
宋はようやく自らの故郷へと辿り着いた。その美しさこそ仙人の里とは比べるべくもないが、住み慣れた土地に戻ってきたことに、何処か安心感を感じていた。越鳥の南枝に巣くい胡馬の北風に依るの念が、今ならよく分かる。
宋は真っ先に妻子の元へと駆けたが、妻は帰ってきた宋を見るなり、魚一匹取らずに十日以上何処をほっつき歩いていたのかと散々に詰った。宋は妻のあんまりな言い様に青筋を立て、売り言葉に買い言葉、犬も食わぬ夫婦喧嘩に発展してしまった。妻は憤懣顔のまま家を出てしまった。宋の方も、もう二度と、妻の顔など見たくないと憤激した。
その後、宋は役所に赴き、郡の長官に里のこと――三人の美少年との交合は抜きにして――を話した。長官は直ぐさま役人を遣わして、宋と共に例の里を探させた。宋は自分の付けた目印通りに船を漕いだのだが、目的の場所にはさっぱり辿り着かない。とうとう役人も倦み始め、捜索は打ち切られてしまった。
その後、南陽の劉子驥という高潔で知られる人物が、仙人の里の話を聞きつけた。彼は好奇心の赴くままにその秘境を探検しようとして船を手配したのだが、その探検に出発する前に病を得てしまい、床に臥せったまま亡くなってしまった。
年往して、宋はすっかり年老いた。妻と離縁し、息子が無頼となって何処かへ行ってしまってからは、ずっと独り身であった。
あれから、幾度となく里のことを思い出しては、体が夜泣きしていた。未練がましく何度もあの里に戻ろうとしたが、それはついぞ叶わなかった。どんなに船を漕いでも、件の里は見つからなかったのである。妻の名を忘れた後であっても、麗、珪、蘭の三人のことは、片時も忘れなかったのであるが、再び会うことはなかった。
そうして、この哀れな宋は疾痛惨怛の内に、独り寂しくこの世を去った。享年六十一であった。
宋の話は、人から人へ、口伝いに広まった。その過程で、話は少しづつ変形していった。
折しも官職を辞し、田園に隠逸していた陶淵明が、この里の話を聞いた。後に六朝時代にこの人ありと称されるに至る名うての文人である。
淵明はこの話を元に、「桃花源記」を書き著した。それは後世において、理想郷を意味する「桃源郷」の語源となったのである。
宋が辿り着いたあの里がその後どうなっ|たのかについて、知る者は誰もなかった。けれども、桃源郷という名だけは、陶淵明の作がきっかけで独り歩きし、海内を越えて広く知られることになったのである。
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