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7.旦那様の可愛らしい一面
私は色めき立つメイドたちに、結婚式の日のように体を磨き上げられた。ついに主人夫婦が床入りをするのだと、皆はとても喜んでいる。
私はと言えば、微妙な気持ちだ。あの日は確かに初めての体験に期待をしていた。
でも、この七日間で、旦那様に好印象を一つも抱かなかった。美しいそのお顔を見てもときめかない程度には見慣れてしまった。全くやる気にならない。
とはいえ拒否できる雰囲気ではないので夫婦の寝室で待っていると、髪を下ろしたガウン姿の旦那様がやってきた。何やら思いつめたような表情をしている。
「誤解のないように言っておくが、その、そなたを抱くとは言っていなかった。一緒に寝るだけのつもりだったのに、皆がうるさくて」
「まあ……。そうでしたか」
(では、あんな言い方をするものではないわ。私ですら、てっきり初夜を済ませるつもりだと思ったもの)
私は呆れつつも、もう一人寝転がれるくらいの間を開けて隣に横たわった旦那様に微笑みかけた。
私もそんな気分ではなかったので、心底ほっとした。
「では、お話の一つもいたしませんか? このまま隣で眠るだけでは、あんなに喜んでいたメイドたちが可哀想ですから」
「話をしたところで、喜びはしないと思うが」
彼の言うことはもっともだけど、「少しは距離を縮められた」くらいは言える状況でないと、再びの哀れな妻の演技も難しい。
あんなに私の肌を磨くのに躍起になっていた皆に合わせる顔がないこちらの立場も考えて欲しい。
私は旦那様を無視して話すことにした。
「前公爵様は王妃様の弟様でいらっしゃいますよね。私はお話しする機会がございませんでした。どのような方だったのですか」
「父上か……。厳しい方だった。それ以外には特に思い出もないな」
「まあ……。お母様は確か、早くにお亡くなりに……」
「母との思い出もない。私を産んで二年後に亡くなったそうだ」
彼の話を聞いて、少し同情の余地が生まれてしまった。
彼は夫婦のありようを、子供の頃に一切見ていなかったことになる。
それを思えば、彼が夕食を一緒にとっているだけで責任を果たしていると言ったのも、少しは理解できる。
夫として最低だなんて言わなければよかった。
「悲しいお話をお聞きしてしまって……」
「いや、悲しいという記憶もない。父上の方も後妻を迎えたわけだから悲しいばかりではなかったんだろう」
「そうですね。では、旦那様も新しいお母様とはよくお過ごしに?」
「いや。義母上はあまり家にいなくて、顔を合わせる機会も多くなかった。だが……」
そう言った途端、彼の表情が少し和らいだ気がした。
「姉上が一緒に過ごすようになったから……。勉学や、ちょっとした散歩や、食事も」
「エリザベス様ですね。確か二歳年上でいらっしゃるとお聞きしました。一緒に家庭教師に?」
「ああ。あちらの方が勉学が遅れていたから、家庭教師が帰った後は私が姉上が分からなかったところを教えて差し上げた」
旦那様は少しはにかむような顔でそう言った。
(あら、可愛らしい)
前公爵が再婚したのは、旦那様が十歳の時だったと聞いた。その頃の彼らが描かれた肖像画が屋敷の中に飾られている。
そんな二人が一緒に机に向かっているのは、きっととても微笑ましい光景だっただろう。
想像しただけで楽しくなってしまって、クスクスとした笑いを漏らしてしまう。
「何をそんなに笑っている?」
「いえ。なんだか可愛らしくて」
「勉強をした話しかしていないぞ。……まったく。よく分からないな、そなたは」
旦那様は呆れた声を出しながらも、ほんの一瞬だけ笑った。
その笑顔の華やかさに、私は心臓が止まりかけた。
美形の笑顔の破壊力はすごい。表情のない美人には飽きても、笑顔の美人には飽きないかもしれない。
そんな顔をされたら思わず胸が高鳴ってしまうではないか。
前世で何度か味わった、あの胸を締め付けられるような、でも温かい気持ちが体中を駆け巡るような感覚を思い出す。
そして、旦那様自身は、エリザベス様が来るまでは一人で食事をしていたらしいのに、私と結婚してからは毎日夕食前には帰って来ている。
夕食を家族で囲むのがこの家の伝統だと聞いたけれど、今の話からすると旦那様は小さい頃はほとんどそれを経験していなかったはずなのに。
もしかしたら、旦那様は私が一人で寂しく食事をしないでいいように、夕食に間に合うように帰って来てくれているのだろうか。
なんだか、隣でまた無表情に戻って天蓋を見上げている旦那様が、ほんのちょっとだけ愛おしく思えてきてしまった。
(今ならいける気がするわ。私の気持ち的に!)
私は覚悟を決めて、彼に言った。
「抱いてくださいませんか、旦那様」
旦那様はよほど驚いたらしく、上半身を起こして、信じられないものを見るような顔で私を見下ろしてきた。
「……何だ、突然……。今日はそのつもりはないと言ったはずだ」
「私は経験してみたいだけなのです。旦那様はご経験が豊富でしょうが、私は一度もございませんので」
「……そうか」
「そうです。ご気分が乗らないのは分かっております。嫌だと思ったら止めていただいて構いませんので、お気軽にどうぞ?」
「気軽に? それは、言わない方がいいのではないか?」
「他の男性には申しません。でもあなた様は私の夫ですから、問題ないのでは?」
「そこは、大事にしてくれと言うべきだろう?」
「あら。言ったら大事にしてくださいますの?」
旦那様は、少し意地悪そうな顔で笑った。
「そうだったな。私は最低な夫だからな」
「あれは……。忘れてくださいませ」
(心の声が漏れてしまっただけなので!)
旦那様はうつむいて、少しの間、何か考えているようだった。
「そうだな。こうしているだけでは、最低な夫のままか……」
旦那様はつぶやくようにそう言うと、伏し目がちに私に聞いた。
「そなた、閨教育はどの程度受けている?」
(あら。少しやる気になったのかしら)
私は「一応、一通り」と言いながら、この時のためにユリヤに買ってきてもらっておいた艶本を取り出した。
ざっと目を通したが、裕福な庶民の間で流行っているらしいそれには、かなり事細かく情事の内容が書かれている。
「これを実家から持たされましたので……」
嘘をつきつつそれを差し出すと、旦那様は起き上がって胡坐をかき、しばらく真剣にそれを読んでいた。
「……ルドラー伯爵家は閨教育に熱心なのだな」
(ごめんなさい、お父様お母様。家に変なイメージを与えてしまいました。姉妹がいなくてよかったわ)
「では、はじめようか」
「え?」
私が彼の言葉を吞み込めないでいるうちに、力強い手で引き寄せられたと思ったら、唇に温かいものが触れた。
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