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20.不思議な存在②
私が王宮から帰ると、出迎えの人数が通常よりも少なかった。
そして何よりも、いつもは中心にいる笑顔がない。まだ寝る時間ではないはずだが、彼女はもう休んだのだろうか。
私は御前会議で疲れ切っていた。さらに午後はずっと王太子に捕まっていて、まるで仕事にならなかった。
昨日妻が聞き出してきた妃殿下側の事情を聞いた王太子の後悔を延々と聞かされたのだ。おかげでさらに疲れた。
そんな私は、彼女の笑顔を見るのを楽しみにしていた自分に気づいた。
「ミレニアは?」
「奥様はご自分の寝室でお休みです。熱が出てしまわれまして」
「熱? 医者は呼んだのか?」
「はい。先程診察が終わったところで、お待ちいただいております」
私は上着を執事に預けると、家令を連れて医者が待つという執務室に向かった。
彼女は、朝は元気そうだった。昨夜私がしつこくしてしまったことに、はきはきと文句を言っていたくらいだ。
医者には、疲れが出ただけだろうから休めば問題はないだろうと言われてほっとする。
確かに体力のない彼女に無理をさせた自覚はある。昨日は初めての王太子妃殿下とのお茶会で疲れていると言われたのに、私は自分を抑えきれなかった。
医師が帰ると、早急に目を通さなければならない書類を片付ける。
癖で、いつも菓子が置かれている辺りに手を伸ばすが、そこに菓子の皿はない。
彼女は今寝込んでいるのだから、用意はできない。すっかり彼女の存在が生活に根付いてしまった。
私は仕事を終えると、彼女の個人の寝室に行って、そばで世話をするメイドたちに様子を聞こうと思い立つ。
もし彼女が起きているのなら、顔も見たい。
私が彼女の部屋の前に着き、家令が中との取り次ぎをすると、じきに一人のメイドが出てきた。
確かユリヤという名の、ミレニアが実家から連れてきたメイドだった。厳しい顔をしている。ミレニアはそんなに具合が悪いのだろうかと心配になる。
メイドは発言の許可を求めてきた。もちろん許可した。ミレニアの具合を聞くためにやってきたのだ。
「申し訳ございません!」
彼女は突然、深々と腰を折った。私には彼女の行動の意味が分からなかった。
「お嬢さ……奥様からご無理を言っているのは承知しております。とはいえ、奥様の体力にも限界というものがございます。どうか旦那様には、理性を持って接してしただきたく……」
そこまで聞いて、彼女の言わんとしていることに気づき、顔に熱がこもる。
閨で無理をさせるなと言いたいのだろう。
なぜか彼女はミレニアが私に迫っているのだと誤解しているようだが、そんなことはほとんどない。私の歯止めが効かなくなっているだけだ。
私は表情を取り繕いながらうなずいて、「見舞いの言葉くらいはかけていこうと思うのだが」と言ってみると、すんなり部屋に通される。
容態はさほど悪くないのだろうと安心しつつ、ベッドに向かう。
途中で花の一つも持って来なかったのに気づいたが、もう遅い。
彼女はベッドの上で目を閉じていて、熱で顔を赤くして少し荒い息をしている。
「ミレニア」
呼びかけると、彼女は目を開けて、つらそうな顔でこちらを見た。
「旦那様……。早く出ていってください。もし風邪だったら移ってしまいます」
「医者はそのようなことは言っていなかった。平気だろう」
「でも……」
そう言う声に、いつもの元気がない。体調が悪いのだから当然だろうが、どうしても心配になってくる。
世話はメイドがしているし、仕方も分からないから、何もしてやれない。だからとっとと部屋を出ればいい。
何も出来ない人間がいても邪魔になるだけだろうから、むしろその方が歓迎されるだろう。
だが、足がその場から動かなかった。
「芝居に行きたいと言っていたな。治り次第日程を決めよう。観たい演目があるのか?」
「最近劇場には行けていなくて。演目はお任せします。今一番話題のものがいいです。でも席は取りにくいかと……」
「私を誰だと思っている。それくらい、どうにでもする」
彼女は苦しそうなのに、いつもの笑顔を浮かべる。
「早くよくなります!」
「急げるものではなかろう。ゆっくり休め」
そう言って彼女の部屋から出ると、途端に昔を思い出した。
この家で生活しているのが自分だけだった頃の情景が目の前に広がる。
父はこの屋敷には寝に帰るくらいのもので、私は大勢の家人に囲まれてはいたものの、一人きりだといつも思っていた。
たまに引き合わされる従兄弟や、他家の子どもたちが母親と一緒なのを見て羨ましく思ったものだった。
その後、父が後妻を迎えたために少し賑やかになった時期だけが、寂しさを感じなかった。
こんなに家族らしい会話をしたのは、姉が嫁に行ってから初めてだ。
いつの間にか、あの底知れない一人きりの寂しさを忘れていた。あの騒がしい妻のおかげで。
私はさっそく人気の芝居の席を用意するように家令に言いつけると、自分の寝室ではなく夫婦の寝室に向かう。
結婚した日、そしてそれから一週間ほどしたあの日、あんなにここに来るのが憂鬱だったのが今では信じられない。
いつもの場所に横たわるが、手を伸ばした先に温もりがない。
私はなんとなく物足りない気がして唇に触れた。今日はおやすみの口づけは出来ないのだ。
「さっきしてもよかったのだろうか」
そんなことを思って、病人相手に迷惑だろうと自分に苦笑する。
従兄弟である王太子が幼い頃、寝る前には必ずお母上に頬に口づけてもらえるのだと言っているのを羨ましいと思った。
義母と姉が新しい家族としてやってきた時に少し期待したものの、その頃には、そうしてもらうには自分が大きくなりすぎていた。
「早くよくなれよ。寂しいじゃないか」
当たり前だが返答はない。私はいつも彼女がいる方を向くと丸まるようにして眠った。
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